蒼き夢の果てに
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第7章 聖戦
第165話 虐殺の夜
前書き
第165話を更新します。
次回更新は、
4月19日。『蒼き夢の果てに』第166話。
タイトルは 『ゲルマニア、ロマリアの現状』です。
「な、何をしているのよ!」
崇拝される者の少し驚いたような声が響くのと、俺と湖の乙女の額が触れ合うのとではどちらの方がより早かったのか、その辺りは定かではない。しかし、その声が聞こえるのとほぼ同時に額同士が触れあった感覚。そして、向こうの世界の長門有希と同じ香りを強く感じた――
その刹那、脳裏に浮かぶ異様な景色。
暗く冷たい氷空。黒く沈む山の稜線。
微かに舞い散るは風花か。小さき欠片がキラキラと月の光輝を反射する。
ここは一体……。
かなり高い位置から僅かに視線を動かす俺。その先に現われたのは……。
石と煉瓦。それに太い鉄骨により造り出された港。しかし、ここに千里の彼方より打ち寄せる波が創り出す悠久の調が聞こえて来る事はない。
代わりに――
代わりに遠くより聞こえて来る――多くの足音。
ザシュ、ザシュ、ザシュ。仄暗き闇の中、規則正しく響く、まるで単一の楽器により奏でられる音楽の如きその足音。
これは――
これはおそらく大軍が接近している気配。しかし、その音が響く方向に視線を向けるが、其処からは一切の人工の明かりを見つける事は出来ず、更に言うと何故か生命の気配を感じる事すら出来はしなかった。
そして、濃密な霧に包まれた港に係留された船。
そう、本来なら現在は深い眠りに沈み、所々に灯された魔法に因る明かりと、まるで巨大な生物を連想させるアルビオン名物の濃霧だけがゆっくり、ゆっくりと辺りを徘徊する時間。
月と星、そして夜の子供たちが世界を統べる時間帯。
しかし――
しかし、本来は静寂に沈むべき時間帯にその船……飛空船に向け我先にと殺到する兵士たち。何かに追い立てられるように、その顔には焦りと、隠しきれない畏れの色が浮かぶ。
霧をかき分け、同僚を蹴散らし、一歩でも先へと進もうとする兵士たち。
しかし、無情にもすべての兵を乗せる事もなく出港する最後の船。桟橋との間に掛けられたタラップごと氷空に投げ出され、暗い氷空の下へと墜ちて行く兵、兵、兵。
この情景は一体何を意味するのか――
そう考える俺。その瞬間、それまで気配だけを感じさせていた敵軍が終に港へと侵入を果たした。
その姿は正に異形。人間としては巨大過ぎる身体。鍛え上げられた分厚い胸板に太い腕。見事に割れた腹筋と僅かに腰の周りにのみ白い布を巻き付けただけの姿。丁度、古代エジプト人のような衣装と言えば想像出来やすいかも知れない。そして継ぎ接ぎだらけの皮膚。虚ろな……何も見つめていないかのような黄色く濁った瞳。
こいつ等の発して居る気配には覚えがある。これは間違いなく不死者。
ベレイトの街で起きたUMA事件の際に現われた蛇たちの父イグが造り出した人造人間。その大軍に追い立てられているのはおそらくトリステインのアルビオン懲罰軍。
暗闇でも何故か分かる血の気の失せた顔に、死んだ魚のような瞳。ゆっくりと、殊更、ゆっくりと奴らは前進を続け――
刹那!
丸太ほどもあるような腕が振り回される度に周囲に赤黒い霧が発生、その直後に頭を失ったトリステイン兵の身体から噴水の如き勢いで赤い液体を発しながらその場に倒れ伏す。
腕が引き千切られ、胴体が真っ二つにされ。口々に発せられる悲鳴も直ぐに次なる苦鳴にかき消され、そして次の瞬間には物言わぬ躯へと姿を変える。
地獄絵。それは最早、戦などではなく虐殺。反撃など許される事のない一方的な蹂躙。
そもそも、あのフランケンシュタインの化け物の成りそこない共は、俺やタバサ、それにアリアだったから倒せたような連中。一般人に毛が生えた程度のハルケギニアの魔法使いたちでは精々が表皮に傷を付けられる程度でしょう。そして、奴らの回復力ならその程度の傷など瞬時に回復させて仕舞う。
奴らを倒すには地球世界で俺がさつきを助け出した方法。憑依させられた悪しき霊。蛇霊アプぺを完全に祓い、その後に肉体から追い出され、無防備と成った蛇霊を倒すのがもっとも簡単に倒す方法なのだが――
但し、少なくともある程度の除霊が出来る人間。最低でも柏手ひとつ、もしくは息吹ひとつで憑依していない、アストラル体の邪霊を祓える程度の実力がなければ無理でしょう。
他に方法は……生命の源。奴らに取っての血液を、奴らの致死量分だけ一瞬で失わせる。ほぼ不死に近い回復を行える奴らに中途半端な攻撃は意味がない。少なくともプロレスラー並みの身体を真っ二つに出来るだけの技量と膂力を持っている必要はある。
但し、龍種の俺やアリアと互角に戦える身長二メートルの怪物と格闘戦を行って、致命傷を与える事の出来る一般兵は流石に居ないと思うので……。
そして変わる視点。此方は――
港から離れ、完全に虎口を脱したと思われた飛空船団。
形に統一感は見られない。しかし、大型の物は太いマストを四ないし五本装備した……おそらく地球世界で戦列艦と呼ばれる帆船の初期型だと思う……がゆっくりと。そして、その周りには二本から三本のマストを装備した、地球世界で同時期に活躍したガレオンやキャラックと呼ばれる帆船と思しき飛空船が付き従っている。
ゆっくりと。その大きさや積載された人員の多さに比例するかのような鈍重な動きで降下の陣形を組み上げようとした――
――その刹那!
突如、爆発する一隻の船。
いや、違う。これは爆発した訳ではない。これは何モノか……何か巨大な、そして異常に冷たいモノに叩き潰されたのだと思う。
何が起きたのか分からない一瞬の内に凍らされ、上空に投げ出されるトリステインの兵たち。
遙か上空に光る二つの赤い星。これはまるで地上を見下ろす巨人の瞳のように妖しく光り……。
こいつは多分……。
「……風に乗りて歩む者イタクァ」
僅かな畏れを纏い、我知らず口に出して呟いて仕舞う俺。
その言葉を聞いた瞬間、腰を浮かしかけていた崇拝される者の動きが止まる。
そして、
「翌朝、戦場となった辺りの地上には奇妙な死体が数多く発見された」
それはかなりの高所から投げ出されたかのような死体。その無残な身体の表面は堅く凍り付きながらも――
現実の世界でイザベラの声を聴きながら、精神は有希の送り込んで来る映像の世界を彷徨する俺。
その世界に響く不気味な蝙蝠の羽根音と、キーキーと言う金切り声。そして、その声に勝るとも劣らない断末魔の悲鳴たち。
そう、その時には既に無傷の船は存在していなかった。すべての船に襲いかかる雲霞の如き黒い異形たち。イタクァが現われたのなら、同じゴアルスハウゼンの村で起きたクトゥグア召喚事件で大量に召喚され、何処かに逃げ去って仕舞った一群のバイアキーが現われない訳はない。
「――何故か、身体の各部分の欠損が目立ったそうだよ」
まるで何モノかに喰い散らかされたかのようにね。
イザベラの説明を遠くに聞きながら、瞳……脳裏には、その身体の各部が欠損した死体が何故、大量に地上に降って来ていたのか。その理由となる現象が展開していた。
次々と巨大な不可視の拳……絶対零度の拳を叩きつけられ、あっさりと粉々にされる戦列艦。このハルケギニア世界の飛空船は未だ木造船。確かに固定化や強化の魔法で防御力がアップしているのは間違いないが、それでも無敵と言えるような防御力などではない。
不可視の腕……間違いなく、ある程度以上の見鬼の能力を持たぬ者には見える事のない巨大な拳の一撃に因り、空中に放り出された兵たち。
そして、その無防備な姿に襲いかかるバイアキー。
その状況は正に阿鼻叫喚。いや、むしろ現状は無数のサメの群れの中に傷付いた……血を流す餌を大量に放り込んだ彼のような状態。所謂、狂乱索餌と言う状況が近いかも知れない。
そう、地上だけでなく、この氷空で繰り広げられた光景も、戦いなどではなく一方的な虐殺。
散発的に魔法やマスケット銃らしい攻撃が行われているが、相手は宇宙を光速の十分の一の速度で飛ぶ事の出来る生命体。確かに、一口に宇宙と言っても全てが苛酷な環境と言う訳ではないが、それでも近くに太陽のような恒星のない辺りの温度はマイナス二百七十度ほどだったと思う。そのような苛酷な環境の中で平気で生きて行ける生命体に対して、魔法は未だしも、この世界のマスケット銃では傷ひとつ付けられる訳はない。
惑星上ではない宇宙空間で問題なく生きて行けると言う事は、絶対零度に近い温度に晒されても平気で、更に穴と言う穴から跳び出そうとする目の玉や内臓、血液その他諸々を身体の中に無理矢理に留めて置く事が出来る、そう言う事なのだから。
「トリステインの送り込んだアルビオン懲罰軍六万の内、唯一、生き残っている事が確認されたのは現トリステイン女王のルイズ・フランソワーズただ一人。その他、ほとんどの兵たちは行方不明扱いさ」
イザベラの普通に考えるのなら絶対に信用出来ない説明。何故ならば通常、兵の三割が死傷すればその軍は全滅とみなされる……と言う常識がある。
但し、それは飽くまでも死者と負傷者の数を合わせた数字であって、俺が見ている映像内のトリステイン軍のように純然たる死者の数の事を言っている訳ではない。
普通は其処までの被害を受ける前に撤退が出来るから。幾らなんでも、死にもの狂いで逃げようとする兵を無理矢理に包囲の内側に置いて攻撃を続けるような軍は存在しないし、そのような事を仮に行ったとしても自軍の損害が増して行くばかりで、益があまりないから。
そう考えている最中も続く映像。既に、大方の艦艇は破壊され、魔法を持たない一般人はすべて上空三千メートル以上の場所から地上に向けて落下。そして、残った魔法使いたちも、有る者は腕を食いちぎられ、またある者は首を失い、空中に放り出された兵の身体に次々と襲いかかるバイアキーたち。
そして、時折聞こえて来る上空へと消えて行く恐ろしげな悲鳴は、おそらくイタクァに因って遙か彼方へと連れ去られた人たちの発する断末魔の悲鳴。
約一カ月前に意気揚々とラ・ロシェールの港を飛び立った六万の兵を要する無敵艦隊が、たった一度の敗戦で壊滅させられる様をまざまざと見せつけられる。
戦場が苛烈過ぎる。これではトリステイン……いや、こう言い直すべきか。人間では打つ手がない。そう考える俺。魔法を使うしか上空に滞空する事の出来ない人間に対して、空中を自在に翔ける事の出来るイタクァやバイアキー。これでは最初から勝負になる訳がない。
まして、ハルケギニアの魔法はひとつを発動させれば、別の魔法を同時に使用出来ない魔法ばかり。俺の使用する仙術のように、一度唱えたら効果時間内はずっと効果が維持される……と言うタイプの術ではない。
これでは飛空船を破壊されれば、自らの落下を防ぐために飛行の術式を行使するしか方法がなく、イタクァやバイアキーの餌食となるばかりで、戦う事さえ出来ない状態に追い込まれるのは間違いない。
「成るほど、大体のトコロは理解出来たよ」
くっつけて居た額を離し、それでも息が掛かるぐらいの距離にある作り物めいた美貌に対して、最初にありがとうと言った後にそう続けた俺。
自分を魅力的に見せる事に一切の拘りを持っていない彼女は、他者からどう見られようが、どう考えられようが興味がない。確かに飾り気のない西高のセーラー服姿は彼女に良く似合っているようにも思うが、それは彼女に取ってのデフォ。出逢った当初はこの服装以外の姿を見る事はなかった。彼女の容姿を語る上で重要なアイテムとなっている、ごくありふれた銀のハーフリムもタバサのそれと比べてもかなり地味。少年のように短めに切られた髪型もほぼ手入れをされている様子はない。
普段はすべての事象に対して酷く醒めた、ある意味、虚無的とも言える瞳で見つめるのみの彼女。但し、唯一、俺を見つめる瞬間にのみ、長いまつ毛に縁どられたその双眸に感情の色が浮かぶ。
ほんの僅か。おそらく、霊道で繋がった俺のみが微かに感じる事が出来る程度に、微かに潤んだ瞳。そして、その時に彼女が発して居る微かな感情の揺れを。
俺の感謝の言葉に、僅かに瞳を上下させる事に因り応える湖の乙女。その時、ようやく少し不満げな気配を発していた彼女の機嫌が良くなった……様な気がした。
もっとも彼女自身が、自らが不機嫌だと自覚しているかどうかは微妙な線。それほど微かな陰の気を彼女は発して居た。
ただ……。
「アルビオンからの侵攻は既に五度受けて、そのすべてを撃退しているよ」
ただ、こいつ等。……イタクァやバイアキーが相手では、流石にガリアの航空戦力だけでは心もとないのではないか。
かなりの危機感。これではティファニアを助け出すドコロか、対アルビオンの戦術を根本から見直しを計る必要がある。そう考え掛けた瞬間のイザベラの言葉。
そして、
「最初の二度はエレーネや湖の乙女、妖精女王の能力に頼って。後の三度はアカデミー製の火石と風石の反応弾を使用してね」
これもあんたに教えて貰った魔法の基本だったかね。
……と続ける。
成るほど、アレがあったな。火石と風石の反応弾。これは複合呪符の応用編。要は活性化させた火石と風石を使用して、どちらか単独で使用するよりも数倍の威力に成る様に調整したミサイル。
複合呪符は羅睺星と戦った際にも使用した技なのだが……。
そう、今までのハルケギニアの常識で使用されて来た武器や魔法だけを敵が使用する状態ならば、本来、これは必要のない兵器。しかし、相手の後ろにクトゥルフの邪神が居る以上、敵の戦力が予想出来なかったので、一応、転ばぬ先の杖として開発していた代物。
確かに過ぎたるは及ばざるが如し、……と言う言葉もある。それに、大き過ぎる力と言う物は往々にして不幸しかもたらせない物でもあるのだが……。
それでも、俺が今回の転生ですべての悪しき流れを終わらせられる……クトゥルフの邪神、這い寄る混沌のすべての企てを阻止出来るとは限らない。もし、前世のように聖地での戦いを最後に、このハルケギニア世界に俺が関われなくなったとして、それ以後に奴が何か危険な策謀を張り巡らせていた場合――
例えば、某かの眷属の小神を召喚するような事件を画策されて居た場合、その時に何か強力な兵器が必要に成る可能性は高い、と考えた結果なのだが……。
確かに地球世界で大量に生産された核兵器を調達する、と言う方法も考えられたし、むしろその方が、俺が居なくなった後に調達不可能となるので際限なく数を増やされる恐れもない……と、そう言う選択肢もあったにはあったのだが……。
但し、矢張り核兵器は威力が大きい上に、使用後にもかなりの問題が残る兵器。故に、例え対クトゥルフの邪神戦用だけに限定して使用する兵器だと考えるにしても、使用するにはリスクが大き過ぎる。
まして、対人間用の兵器として使用された場合を考えると……。
対して、この火石や風石を使用した兵器は、ごく少量の火石や風石を使用するだけでも十分な破壊力を得る事が出来る上に、使用後に放射能などの悪い影響が残る事もあり得ない。
それに、物が精霊力を使用する兵器だけに、精霊の支持がなければ発動しないのはブレストの街の事件の際に集められた火石や風石が爆発しなかった事で証明されていると思うので……。
自分が死んだ後の事など知った事か。……と、突き放して考えられればこんな事で思い悩む必要もないのでしょうが、流石にそんな訳にも行かず、結果、使いように因っては、神にも悪魔にも成れる、非常に危険な技術を教える事しか出来なかった。
この事が正しかったのか、それとも非常に問題がある判断だったのか。実はかなり不安だったのですが、それでも今回の件では多少役にたったようなので、この判断は大きく間違っていた訳ではなかったのでしょう。
少しの安堵。未だ軽々に判断出来る事柄ではないけど、少なくともガリアに関しては今のトコロ悪い方向には進んでいない。世界は混乱に満ちているけど、未だ大丈夫。
そう考える俺。そして……。
「確かに二式大艇は元より、強風も三十キロ爆弾を二つ装備出来たから、あの反応弾を携行するのに問題はないか」
第二次大戦中に使用された両機のカタログ上のスペックよりも強化……ある程度の科学的な知識と、その上に魔法により強化されている二式大艇や強風の能力を頭に思い浮かべながら、そう独り言のように呟く俺。
確か二式大艇は最大積載量二トン。こりゃ、あの反応弾なら三十は余裕で積める。
威力から言うと、このハルケギニアの基本的な城塞都市なら二から三発で壊滅させる事が出来る……と思う。尚、この世界は大都市で一から二万人規模の、現代社会の感覚で言うとかなり小さな規模の都市。日本の都市で言うのなら、市にすら成れない町や郡程度の規模だと考えて良いレベル。リュティスはその辺りから言うと完全に規格外の大都市、と言う事になる。
まぁ、そのすべてが城塞都市であるが故に、人口が増えたからと言って簡単に郊外へと向かって街を広げて行く事も出来ないので、これが限界だと言えるのかも知れないが。
成るほど、大体の事情は呑み込めた。
ガリアは周りをすべて敵に囲まれた状態。唯一、元トリステインの南部を押さえて居る、そう言う事か。
ただ、純粋に国力の点から言うと、トリステインの北半分を呑み込んだ所でゲルマニアが単独で今のガリアの敵には成り得ない。アルビオンやロマリアも同じ。まして、ガリアからの独立を一方的に宣言しただけのアルザスに何が出来る、……と鼻で笑う程度の国力しか持っていないのも事実。
おそらく、その国力の差を埋めるのがクトゥルフの邪神なのだろうが、奴らはゲルマニアやロマリアの人間サイドの目的など一切考慮する事がないと思うので、ガリアを圧倒出来る戦力をコチラにぶつけて来る事は考えられない。
名づけざられし者は未だしも、這い寄る混沌は多分、此方の戦力を見て、わざわざ拮抗出来るぐらいの戦力の逐次投入を行う。この程度の介入しか行わないでしょう。
何故ならば、その方が混乱した状況を維持させ易いから。せっかく、ここまで混乱した世界を作り上げたのに、これを簡単に終わらせて仕舞ってはもったいない。
ここはもう少し様子を見て……楽しもうじゃないか。そう考えて居る可能性が大きい。
奴の目的が単純に世界を滅ぼすだけならば、ハスターなり、ツァトゥグァなりを呼び出して暴れさせればアッと言う間にこの星など滅亡するはず。しかし、未だにそれを行わない以上、奴の目的は世界が混乱する事が目的であって、その結果がどうなろうと興味はない……と考えた方が正しいでしょう。
ならば――邪神が直接手を出して来る可能性は低く、人間の方は利に因って動いている公算が大きい……と考えると、ガリアの行動は一度に全部の敵を相手にするのではなく各個撃破が正しい――
――選択。そう考え掛けて、しかし未だ情報が足りない事に気付く俺。そして、もし今、考え掛けた答えを口にしていたのなら、またダンダリオンに怒られる未来が容易に想像出来て、少し自嘲の笑みを漏らして仕舞う。
そう、分からないのなら。情報不足なら、その情報を手に入れたら良い。その為の相手はここに幾らでも居る。
「それなら――」
アルザス侯シャルルは一体、どのような勝算があって……と聞こうとした瞬間、何かが右肩に優しく触れ、彼女の香りを少し強く感じた。
……って、え?
一瞬、俺の方にしな垂れかかり掛けたタバサが、しかし、直ぐに姿勢を正す。
但し、どう考えてもかなり眠たげな雰囲気。
確かに今回の人生の普段の彼女は妙に眠たげな雰囲気を発する事が多かったのですが、それは元々宵っ張りの朝寝坊タイプの上に、本を読み出すと切りの良い所までトコトン読んで仕舞う為に、夜遅くまで起きている事が多かったから。更に、吸血姫は昼間にバイオリズムの低調な時間帯が訪れるので、昼間の彼女は妙に眠たげな雰囲気となるのも当たり前。
しかし、逆に言うと今の時間帯。夜に眠たげな様子を見せた事など、今までに一度もなかったはずなのですが……。
「どうした、気分でも悪いのか?」
霊道を通じて流れて来ている気配は、少し霊気が不足気味のような気もするが、それ以外に関して……。少なくとも病を得た人間特有の陰気を今のタバサは纏ってはいない。
ただ、霊力不足と眠気に関係する吸血姫独特の危険な状態があるので……。
しかし――
「問題ない」
小さく首を横に振り、此方もまた個性と言う物を産まれて来る前に何処かに忘れて来て仕舞ったのではないかと……。そう考え掛けて、直ぐに否定。そう、むしろ人間として今の彼女は個性的過ぎる口調だと感じたから。
それに少なくとも今のタバサの答えに、感情は微塵も籠ってはいない。
もっとも、そう答えている今も十分に眠そうで、どう見ても大丈夫なようには見えないのだが。
確かに紫外線に過剰に反応して居るようには見えないが、その状態を維持する為に余計に霊力を消耗している可能性はある。
ならば――仕方がないか。
立ち上がり、そのままシルクの黒いイブニングドレス姿の蒼い少女を抱き上げる俺。まるで抵抗する様子もなく、あっさりと抱き上げられて仕舞うタバサ。
矢張り軽い。確かに有希と比べると実在感がある分だけ重く感じるが、彼女は俺に負担を掛けないように重さを自分で制御していると思うので、有希とでは比べる方が間違っているレベル。
抱き上げた瞬間、タバサの鼓動が僅かにペースを乱し、発する気配が明らかな陽の気を帯びた。
そして、タバサの発して居る気配に比べて、少し陰の気を発する俺と直接契約を交わしている少女たち。但し、そうかと言ってあからさまな不快な表情などを見せる事もなかったので――
「エレーネは少し無理をして居たからね」
まぁ、普通に考えると少し体調不良のタバサを気遣っている俺に対して、あからさまな不快な表情で自分は不機嫌だぞのアピールをしたトコロで益はない。何故ならば、例えそんな事をしても俺が「なかなか愛い奴じゃのぉ」などと思うはずはないから。
正直、コイツ、なんて心の狭い奴だと幻滅するのが関の山。
この辺りが現実とマンガやアニメの世界との違いと言うヤツなのでしょうが。
「優柔不断なアンタには過ぎた相棒なんだから大事にしてやりなよ」
……などと考えている俺に対して、勝手に言葉を続けるイザベラ。
その瞬間、おいおい、誰が優柔不断なのですかね、などと言うツッコミが喉元にまで出かかったのは言うまでもない。更に当然、アンタがこき使ったからタバサが霊力不足で疲労して居ると思うのですが。……と言うツッコミもこの場ではなし。
まさかイザベラもダンダリオンのようにかまって欲しいからツッコミ待ちの言葉を発した訳ではないと思うので、純粋にそう感じたから、考えたから言葉として発したのでしょうが、其処に対してツッコミを入れたとしても時間が掛かるばかりであまり益はない。
今、急ぐ必要があるのは多少、疲労状態のタバサに休息を与える事。
但し、俺が公務に就いている状態では彼女が一人で休む事はあり得ないと思うので、休息を取るのなら、ふたり一緒でなければならない。
吸血衝動と言うのは基本的に飢餓感から発生する物なのだが、一概にそればかりが原因だと決まった訳でもない。月齢にも少なからず影響を受けるモノだし、何より感情に大きく影響を受けたはず。
おそらく、俺が消えてからのタバサは自分がしっかりしなければならない、と言う考えから少し自分の能力を超えた所で行動していたと思う。
前世でもそう言う所が強かった。今回の人生でもそう言う雰囲気を感じた時が結構あったように記憶している。
そして、今日俺が帰って来た事に因って、ほんの少しだけ気が緩んだ。そうすると、今までは気が張っていたから感じる事のなかった疲労を感じるようになって、本来の彼女ならこれからの時間帯の方が活動的になるのだが、その時間に何故か身体が休息を求めて来た。そう言う事だと思う。
言葉にして答えを返す必要はない。少し笑ってやればそれで十分。
そう考え、イザベラを見つめた瞬間、抱き上げられた蒼い少女の腕に力が加えられ――必然として二人の距離が縮まり、彼女の吐息が俺の首筋をくすぐった。
そして――
そして、自らの考えとはまったく違う、何故か苦笑めいた笑みを見せて仕舞う俺。そう、彼女の吐息を詰襟に守られたはずの首筋に感じた瞬間、ふたりの今の姿。白の詰襟姿の俺が黒のイブニングドレスのタバサをお姫様抱っこの状態。この姿を冷静になって考えて仕舞ったと言う事。これではまるで結婚式の余興でお色直しの際に新郎に抱き上げられて退場する新婦の姿じゃないのか。
そう考えて仕舞い、本来なら優しく微笑む心算が何故か自嘲に満ちた笑みに。
まぁ、イザベラを相手に爽やかなアイドル系の笑みを魅せなくちゃいけない訳はない。それに、ここで中座……おそらく今夜の内に戻って来る事は難しいとは思うが、中座するのなら、その前にイザベラにも――
「それで姉上」
頼んで置かなければならない事がある。
「何だい、お姉ちゃんが聞いて上げるから話してみな」
そう答えるイザベラ。もっとも、現実の俺に姉はいない。それに現在進行形で俺を教育している……心算の黒の智慧の女神さまは姉になった気分なのだろうし、前世と比べると少し我が儘になった血の繋がらない姉も居るので、既に姉の枠は定員オーバー。イザベラが座るべき椅子はない。
「民の中に流行らせて欲しい言葉があるのです」
絶対に上から……為政者や、更に言うと宗教家から押し付けた形にせず、民の中から自発的に発生した形で。
当然、夢による御告げもダメ。これは神からの命令と受け取られる恐れがある。何処の誰が言い出したのか分からない。しかし、現在の危機的状況の中から自然に出て来た言葉として、民の中に流行らせる。
それは……。
「国が何をしてくれるのかではなく、自分が国に対して何を出来るかを考えようじゃないか。神の為ではなく、人の為に何が出来るのかを一度、真剣に考えてみようじゃないか。
……とね」
後書き
それでは次回タイトルは『ゲルマニア、ロマリアの現状』です。
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