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ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──

作者:なべさん
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OVA
~暗躍と進撃の円舞~
  one for one

俗に冷や汗と呼ばれる類の液体が、おとがいを伝って滑るように滴り落ちたのを、ロベリアは感じていた。

音もなく落下した汗は、複雑に絡まった巨木の根にやっぱり音もなく消えていく。

だが、それ以外の動きは許されない。

許されなくて、赦されない。

仮に、今自分が一ミリどころか一ミクロンでも四肢のいずれかを動かせば、次の瞬間獅子の一撃のような大質量が容赦なく振り下ろされることだろう。

目線でのフェイントだとか、ツバを吐きかけての目潰しとか、そんなコスい手は全て握り潰される。

比喩ではない。あの地獄のゲームの第一線――――不動の第一位に座していたこの男ならば、弱者の踏み潰し方など吐いて捨てるほど持っていることだろう。

ごくり、と生唾を呑み込む。

だが、そんな生理的な一動作さえヴォルティスは見逃しはしない。ギラリ、とライオンの鬣のように荒々しく逆立つ銀髪の向こうから覗く黄金の瞳の輝きが苛烈さを増す。

何かを言わねば、という思いばかりが先走りして、具体的な方策が出て来ない。

仕方なくロベリアは見切り発車で言葉を切った。

「あ、あーあー。誰かと思ったらアンタか。ったく、いきなり何よ?ンな危ないモン人に突き付けて。それが仮にも道を教えて上げた恩人にする態度なの?おいおい、二メートル越えの巨漢マッチョってだけでもお腹一杯なのに、この上ワルモン?属性過剰でしょーがまったく」

「……む。そうか、確かにソレだと我は悪性になるか。いかんな、それは《正義》ではない」

すると何たることか、今まで巌のように不動の体勢でこちらに戦斧の先っぽを突き付けていた偉丈夫が、あっさりと引きさがり、肝心要の大戦斧さえも戻したではないか。

ずん、という、おおよそ武具から発せられないような鈍い音とともに地面に先端をめり込ませた大斧を見、少女は内心で安堵の溜め息をつくと同時、その重量を片手で持ち上げたままの体勢で固まっていた眼前の男の怪物振りを改めて再確認する。

ふぅ、と一息つくロベリアだったが、そこでまったく予期していない新たな横槍が入る。

「ちょちょっ、閣下ぁ!そこで引いちゃダメッスよ~!」

真後ろ。

眼前の巨漢の雰囲気に呑まれ、他に気を配ることをおろそかにしていたらしい。

焦りが透けて見える己に舌打ちをしつつ、少女は勢いよく振り返った。

そこにはくすんだ金色の髪を逆立てた影妖精(スプリガン)がいた。白銀の全身鎧(フルプレートアーマー)を纏い、完全武装という体のヴォルティスとは違い、こちらは街中を歩いた後ふらっと立ち寄ったというようなラフなシャツとズボンのみ。武装すらしていない。

殺気すら放っての登場だったヴォルティスとは違い、こちらはまるで内心が見えないへらへらとした笑いを顔に張り付けている。

「依頼は依頼なんスから、きちんとしなきゃいけないッスよぉ。そこは社会人として、しっかりしてくださいッス」

大仰な身振り手振りは潜在的に人を動かすことに慣れている者の動きだ。その手の動きを追っていた視線とぶつかると、金髪スプリガンはにっこりとほほ笑んだ。それも、公園ですれ違うお隣さんに向けるような類ではない。殺虫剤をブッかけられてもがく虫けらに向けるような、危険で昏い笑みだ。

逃げ出そうという心の動きを見透かすようなその嘲笑に、結果的に全ての動きが射止められてしまう。

だが、逃げるのを中断したのは、それだけが理由ではない。

表層に出てきたのは彼らだけではなかったということだ。もともと在ったモノがベールを脱いだように、気が付けばあちこちから気配。突き刺さるような視線。

そして、気が付いた頃にはもう遅い。

そう知覚してしまった以上、ロベリアはもう振り返られなくなっていた。理屈ではなく本能が、まるで赤ん坊がイヤイヤをするように、これ以上の劣勢を認識したくなくなったのだ。

初めはポツポツと。が、次第にざわざわと。

風はない。にもかかわらず、森の木々が風で揺れるような、足元の地面を大量の蟲が這っているような、奇怪な感覚が少女の耳に近い何で知覚する。第六感とも違う、システマチックでロジカルなこの世界にあるまじき例えだが、心霊スポットに行った時に一部の人間だけが感じ取れる耳鳴りや鋭い頭痛に似ているかもしれない。

あるいは、そよとも動かない枝葉の向こう。

あるいは、幾重にも重なる幹のベールの影。

あるいは、ダム穴のように口を開ける洞穴。

一度気になってしまえば、どこにでもこちらを注視する誰かがいるような気がしてくる。

知らず、ロベリアは乾くはずもない唇を桜色の舌で湿らせた。

「そうは言ってもウィルよ。ロベリアの言う事にも一理あるぞ。我はあの者のおかげで書類から長時間逃げれ――――げふんげふん、離れられたのだ」

「一緒ッスよねぇ意味!っつーか、どーにも捕まらないと思ったら現地協力者確保してやがったのかクソッタレ!!」

彼らの口調は一様に軽い。

だが、それと逃げ出せることとは別だ。現にヴォルティスは、大戦斧(ラビュリス)の矛先を下ろしはしたが、柄から手は放していない。

「それに、正義どーこー言うんだったら、もう言質は取れてるっしょ?今回の騒動にコイツが関わってるのは、さっきっからの大声(ひとりごと)で分かってるッス。あとは狩るだけ、スクールに通うガキでもできる簡単なお仕事ッス」

「……なるほど」

ふむ、と男は腕を組み、数瞬だけ考える。

そして、

「それもそうか」

一言だった。

その一言で、少女の命運は決まった。

その重さゆえに木の根っこに突き刺さっていた戦斧を引き上げ、ロベリアが両腕を広げたくらいの広さの肩に乗せる。

そのままの流れで、偉丈夫の眼光は再びロベリアを貫いた。

「さて、色々積もる話もあるが、卿はその口調でいいか?我はどちらでも構わないがな。……あぁ、もう取り繕う取り繕わないとか、そんな次元の話ではないことはあらかじめ忠告しておこう」

否、それはもう忠告ではなかった。宣告であり、戒告であった。この場合、被告も間違いではないかもしれない。

身長二メートルを超える巨漢、ヴォルティスは軽く放った。

複雑に絡み合った根っこの地面に小さな音とともに転がったのは、そこらの雑貨屋でも売っている安価な録音アイテムだ。見た所そこまで録音できる時間と射程範囲は長くないが、それでも先刻まで垂れ流していた独り言を拾うには充分だったろう。

いよいよもって捌け口がなくなった少女は――――



次の瞬間、どろりと瞳の色を塗り替えた。



同時に、表情も変わる。

ブチブチと表情筋を引き千切るような、火で炙ったビニール人形のような、おおよそ少女が浮かべるべきではない種類の笑みを形作る。

「あーあーァ、いったいいつから【神聖爵連盟】サマは便利屋の万事屋サマになったんだァオイ。あのSAOの英雄、六王の第一席サマがどこぞの誰に尾っぽ振るってサービス残業たぁ泣かせる話だなァ?」

それは、絶対的な歯車が食い違っているような口調だった。叙述トリックに騙されたような、どうしようもない驚きがそこにはあった。

だが、ヴォルティス・ヴァルナ・イーゼンハイムはそれに動じない。

眉一本すら動かさずに彼は生真面目にこう返した。

「ギルドというのは意外に金がかかるものでな。加えて、我のギルドのほとんどは社会人だ。外国人もいる。したがって、ログインできる時間に限りがあるので、こういう手っ取り早い金儲けは助かったりもするのだよ」

「それにしちゃー過剰戦力すぎるんじゃねぇか?こぉんなちっぽけなオレ様になんて、アンタの部下一人いりゃあそれで話は終わりだったろうが」

「いくら小物でも、種族を左右させる程度には力を持った小物だ。ならば全力で丁寧にすり潰すのが、力持つ者の務め(ノブレス・オブリージュ)というものだろう?」

「ずいぶんと穿った見方だなぁオイ。さっすが英国貴族サマは紳士でいらっしゃる」

皮肉だったのだが、脳筋(バカ)には伝わらなかったらしい。ヴォルティス卿は少しだけ口角をあげて笑みを形作る。

「それに、長年アルヴヘイムの影で暗躍し、常に大事件の糸を引いていた、非在の存在――――プロパガンダと聞けば、少しは興味をそそられるだろう?」

「……………」

非在存在(プロパガンダ)

それは、ALOの長い歴史の中で、時折都市伝説のように囁かれる一人のプレイヤーの通称だ。

通常、存在と名の付くのはSAOの六王に対応したような、ALOの力の象徴たる十人のプレイヤー、十存在(バルシア)だが、幾度となく変遷を迎えたその席の中で唯一、不動の存在でとびっきりの異端がいる。それが非在存在。

あらゆる大事件、大騒動を常に影から先導し、扇動していた影の主役であり、真の黒幕。

陰謀説と切り捨てるには、あまりにも輪郭がはっきりしたその噂は独り歩きし、実力もよく分からないのに十存在の一角に名を連ねるまで至った異端者。

形のない情報の塊。

人の恐れの結晶体。

「そう思っていた。そう考えていた。だが、それにしてはあまりにも流布されている話が噂の域を超えていてな」

都市伝説に限らず、噂話の大半が胡散臭いのは、友達から聞いたとか友達の友達がねとか、実体験を伴わない空虚でふわふわした内容が大多数を占めるからだ。

経験がない話は軽い。それは食事の席での笑い話には最適だろうが、積極的に人に押し付けるべき話ではないだろう。

だが、ソレは伝説というにはあまりにも新鮮で、噂と切り捨てるにはあまりにも生々しかった。

「深い所まで潜ったらすぐにヒットしたぞ。貴様の実態は、大量にストックされたサブアカウントを使いこなす扇動者(アジテーター)の類だろう。各領の中枢まで食い込んでいる他のアカウントの名を利用し、更に他の種族の政治部分に感染していく手法だ。そうして後戻りできないほどに汚染した後、点火の火種を灯し、暴れるだけ暴れて、アシが付く可能性があるそのアカウントは切り捨てる。違うか?」

「ぎひあはっ☆小学校のテストの答え合わせじゃねェんだ。いちいちチェックシート埋めていかなくてもいいんだぜ?」

片目を瞑りながら、ロベリアは肩をすくめる。

「まぁ、だいたいはそんな感じだ。実際は結構苦労することもあるがな?中枢に位置するアカウントが多くなってくると、インしてない間にビッグな情報を取り逃がしたりすることもあったしぃ♪例えば、火妖精(サラマンダー)風妖精(シルフ)猫妖精(ケットシー)襲撃事件?あん時ぁ、別のアカウント操って帰ってきたらもうオイシイとこ全部決まってるでやんの。あー今思い出してもムシャクシャする、ユージーンの野郎。ま、その後《終焉存在(マルディアグラ)》にボコされたらしいけど☆ぷっくく、傑作!」

そこで、ヴォルティス卿の傍に控えるツンツン頭の金髪スプリガンは気付いた。

少女の小柄な身体から、緊張というものが消えている。

決して、口が回ることによって身体がほぐれたという訳ではない。どちらかといえば、どうでもいいやと諦めたような、そんな諦観に似た感情から来ているように見える。

「まー、サラマンダーに関しては、その前のシルフ領主をブッ殺した時に結構満足させてもらったから言う事ねぇんだけどさ。いやぁ、あん時ぁ愉しかったぁ♪お高くとまってたシルフの羽虫どもがボロボロになってくサマはサッ!きゃふふふ☆」

両手の握り拳を口元に押し付け、妖しげに腰を振るう少女は嗤う。

そこに人間としての善性は感じられない。パソコンの画面と同じだ。入力装置(キーボード)から入力された《悪意》をそのまま映し出しているような、いっそ無機物的な悪性がそこにはあった。

その顔に何か引っかかりを覚え、ヴォルティスは眉を顰める。

だが、やるべきことはきっちりやろうと思い、とくに気にも留めずに想定通りを表すフローチャートを進めていく。

「……卿は、なぜそこまで悪に浸かる?いや、ゲームの楽しみ方は人それぞれだ。それ自体は何も言うまい。だが、そこまで極端なのには何か理由があるのではないか?」

まっとうな疑問だった。

決して善人で溢れた世界などありはしない。それは、現実でも仮想でも同じだ。

だが同時に、ヴォルティス・ヴァルナ・イーゼンハイムという名の博愛主義者はこう思っている。

確かに世の中は善人だけで構成されてはいない。だが同時に、悪人だけでも構成されてはいない。性善説を振りかざすほど未熟でもないが、それでも万人の中には《正義》というものが存在しているはずだ、と。

ロベリアは少しの間、その質問に対して無言だった。

顔を伏せ、表情は見えない。

やがてその小さな肩が震えているのに気付き、初め卿は泣いているのかと思った。

だが違った。

ネコミミ付きのニット帽を被った少女は、決して泣いていたのではない。

その逆。

悪意が滴り落ちるような極彩色の笑みを、彼女はあどけない顔に張り付けていた。

「ぎゃは」

何か、嫌な音が聞こえた。

ようやく受け入れようとしていた、ようやく肯定してもいいかと思いかけていた何かを、粉々に踏み砕いたような音だった。

「ぎゃは、ぎぃあははは!駄目だ、こりゃダメだ!くっははは、うぎぎゃひっ、うけけけけけけけけっっ!!」

声の波が安定していない。高くも低くも、大きくも小さくもある声だった。

ガスの元栓から何かが漏れる音よりも、それは遥かに危機感をあおらせる音だった。

少女は言う。

きっと答えなんて求めてない。独り言の宣言のようなものを、言う。

それはどこか、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

「さっきっから言ってるでしょおおぉぉぉがよおおおおおぉぉ!楽しいから!!楽しくて愉しくてタノしかった!!馬鹿どもが手のひらの上で踊らされるのはサイッッコーに嗤えるし、互いに殺し合うなんて腹がよじれてショック死しそう!!そんなとびっきりのエンターテイメントに力を尽くすなんて当たり前だろ!!?オレ様からしちゃぁ、チップを払わねぇテメェらのほうが頭のネジ飛んでるぜ!えぇオイ!!くっく☆ぎひひあはあはあははぁっっッッッ!!!」

その壊れた叫びを聞き、ヴォルティスも少しの間黙り込んだ。

ゆっくりとその意味を咀嚼した。噛み砕いた。

その上で、今では十存在の一人、《超越存在(アスタリスタ)》と呼ばれるようになった男はこう決断した。

いや、強大すぎる勢力を率いる男の言葉ならば、それは彼自身には留まらない。

採択、あるいは判決。もっと言えば、かつて六王としての彼の二つ名に従うならば、神託とまで言えるその言葉を、言った。

「――――決まりだ」

どこかもの寂しそうに。

ほんの数時間前、自分の隣を歩いて道案内してくれた心優しい少女はいなかったんだな、と。

そう、認識して。

「貴様はどうしようもなく、もう手遅れなまでの……《悪》だ」 
 

 
後書き
書いてて面白いくらいはっちゃけたキャラだったロベリアちゃん改め《非在存在(プロパガンダ)》ちゃん、通称黒幕ちゃん。この子を書く時、面白い縛りを自分に課していて、いかに汚い嗤い声をたくさん出せるか、とかやってたんですねw
そのせいもあって、一話ごとに非常にバリエーション溢れた嗤い声を上げて貰ってます。愉快ですねーw
閣下やシゲさんを初めとした、いわゆる萌えとは外れたような年齢層も取り込むことによって世界観を広げる、という手法は再三言ったような気がしますが、こういうはっちゃけたキャラもやっぱり時には必要ですよねw 
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