殺人鬼inIS学園
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第二十話:残滓
絶えず拳打と斬撃が襲ってくる。こちらが反撃を行う度に、三倍の手数で報復が来る。既に少なからずの血を流しているラシャは、明らかに追い込まれていた。抉られた左足が異常な熱を発しており、立ち回りだけでなく、ラシャ自身の思考能力までをも鈍らせていた。
____俺は、死ぬのか?
十年前に叩き込まれるはずだった奈落の底が、思い切り出遅れて彼を飲み込もうとしていた。
その恐怖に呑まれたためか、ラシャの反応が数瞬遅れた。「剣を持った」ラウラ・ボーデヴィッヒの蹴りを顔面に直撃させてしまったのだ。鼻骨がへし折れる鈍い音と、痛みによる発熱が顔を駆け巡る。
「ぐぶぅ!!」
踏み潰されたカエルのような、どことなく気の抜けたような音を立てて、ラシャは熱砂に頭から突っ込んだ。勢いを殺す事など無論出来ず、数メートルの距離を砂まみれで転がったラシャの手から拳銃が落ちた。
「おぉうぐぅぅ……」
捻れた鼻を抑えつつ、立ち上がったラシャの眼前には、取り落とした拳銃を構えているラウラ・ボーデヴィッヒが居た。
「残念です。私の先輩にあたると聞いて期待していたのですが、この程度ですか」
拳銃のスライドをコッキングして、こちらに向けるラウラ・ボーデヴィッヒの表情には深い失望の色が見て取れた。最早ラシャは困惑するしか無い。
「悪いが、俺の後輩に強化人間は居ないぞ」
返答は銃声だった。二発の9mmパラベラム弾がラシャの脇腹に突き刺さる。
「ぅぶぇあ!!」
ラシャは反射的に血を吐いた。明らかに内蔵が幾つか損傷している。逆流してきた血液から仄かに宿便じみた悪臭を嗅ぎ取った。感染症の一つや二つは覚悟せねばなるまい。
「さようなら、失敗作」
三人のラウラ・ボーデヴィッヒが並び立ち、拳銃を向ける。
その時、砂浜を暴風が襲った。砂という砂が巻き上げられ、人一人容易に吹き飛ばしかねない威力の暴風だ。ラウラ・ボーデヴィッヒ達は勿論のこと、ラシャ本人も漏れなく空中に投げ出された。
最早抵抗する気力すら持たないラシャは、無様に身を任せる他に選択肢は無かった。意識を失う直前、視界に辛うじて映ったのは紅の装甲に身を包み、抜身を二振り下げたISだった。恐らく、臨海学校二日目の起動試験中にこちらを素通りした影響でラシャ達を吹き飛ばしたのだ。その佇まいは、かつて自らが修めた流派、篠ノ之剣術流二刀之型だった。搭乗者は恐らく篠ノ之箒だろう。
「あぁ……間に合わなかったか」
総てはあの兎の掌の上だったのだ。あの破綻者の愚妹が過ぎた力を手に入れた暁には世界は少なからず荒れてしまうだろう。悲願成就どころかさらなる混沌の誕生を見てしまったラシャは、絶望とともに堕ちて行った。
闇の中で臭いを嗅いだ。とても懐かしい臭い……。汗と檜と井戸水の臭いを。
「起きろ」
女性に声を掛けられた。ぶっきらぼうだが、優しくて懐かしい声だ。もう何年も聞いていないような気がする。昨今の傲岸不遜な声色ではなく、ある程度の平等が存在していた時代の声。
ラシャが薄目を開けると、夕暮れの日差しが目に入ってきた。同時に袴に和服を身に纏った黒髪の女傑の呆れた表情が目についた。彼女の名前は…。
「千冬ちゃん、俺はどれくらい眠ってた?」
自然と口をついて声が出てきた。そして同時に自らの置かれている状況を悟った。此処は篠ノ之神社の一角にある道場だ。ラシャが狂うまで通っていた純和風の道場。新当流の流れを汲むと思われるも、剣術の他に馬術、弓術、組打術、槍術と、鉄砲術を除いた戦国期の武術をまとめた篠ノ之流を教える道場。しかし、今となっては剣術以外の武術は絶えて久しい状況にあった。
そんな中、考古学をかじっていたラシャの尽力によって、蔵の中の書物を様々な人間の力を借りて解読した結果、失伝したはずの篠ノ之流の一部を修復することに成功したのだ。
それからラシャは千冬達と共に篠ノ之流の検証と実践に明け暮れる日々を送っていた。今は卒業論文の執筆に時間を割きつつ、実践と解読作業のまとめに入っていた。今はそんな最中の一幕だ。
「1時間ぐっすりと眠っていたな。少々根を詰め過ぎちゃいないか?」
千冬は心配そうな表情でこちらの顔色を伺ってくる。彼女には実践稽古や技の検証について大いに助けられている存在だ。だからこそ、体調に関しては嘘偽りを言う訳にはいかない。
「大丈夫だ、眠ったお陰でとても清々しい気分だ」
ラシャは上体を起こすと、傍らに置かれていた土瓶のお茶を茶碗に注ぎ、飲み干した。
「飲むか?」
「貰おうか」
即答する千冬にも一杯注ぐ。彼女もラシャのように一気に飲み干す。
「一夏達が夕食を作っている。もう少し時間がかかるそうだ」
確かに、何処からかなんとも食欲をそそる香りが漂ってきている。多幸感に包まれたラシャは、再び縁側に横になった。
「豚の生姜焼きか、それに味噌汁……」
「一夏の奴が張り切っててな、お前が寝る前から仕込みを始めてたんだとさ」
半分呆れたような表情で千冬が呟く。
「一夏達に混ざれないだけで拗ねるなよ」
ラシャは楽しそうにからかった。
「な、何を言うか!私は別に……」
「そこまで過保護だとあいつに娶られる嫁が可哀想だ」
「ふ、ふん。その頃には私はお前に貰われているさ」
「……え?」
ラシャの鼓動が一瞬で早まる。思わず千冬の方に視線を向けようと寝返りをうった際、千冬によって頭を掴まれ、彼女の膝にあてがわれた。所謂膝枕というやつだ。
彼女の身体は引き締まっていたが柔らかかった。化粧やお洒落に無頓着だったとは言え、元々兼ね備えていた凛々しい美貌に、社会人のマナーの教授の一環としてラシャが贈ったコロンの香りも相まって、ラシャの心を大いにかき乱すことになった。
「伊達や酔狂でお前に付き合っていたと思っていたのか?」
少し意地悪い表情を浮かべた千冬がこちらを覗き込んでくる。その顔面が真っ赤なのは夕暮れの日差しを浴びているだけとは思えない。
「なあ、ラシャ……」
千冬の手がラシャの頬を覆う。繊細な陶器を扱うような慎重さで持ち上げる。
「……千冬ちゃん?」
ぎこちない様子でゆっくりと顔を近づける千冬。ラシャはただただ、されるがままにされている。やがて、二人の唇が触れ合おうかという最中。
ラシャの左腕が別の生き物のように震えると、手首の仕込み刃を千冬の首筋に突き刺した。
「がっ!?」
驚愕に染まる千冬。対するラシャも自らが何をしてしまったのか理解できていない様子だった。
「な……千冬、ちゃん?」
「ラシャ……ど、うして…」
絶望一色に表情を染めた千冬。徐々に目や口から血が滴り、傷口からは生暖かい命が無慈悲にも溢れ出ていた。彼女の命の灯火が、今まさに尽きようとしているのは明白だった。
「そんな!?……おれは……しっかりしろ!!」
パニックを起こしつつも、どうにか彼女の首筋の止血を試みようとするラシャ。しかしその時、ラシャの口から思いもよらぬ声が出た。
「殺してやるワ、『白騎士』ィ!!」
ラシャの意志ではない。何者かが彼の口を借りて叫んでいるのだ。
「どう、して……ラシャ……どうして……」
絶望に満ちた言葉をうわ言のように繰り返す千冬。しかし、その手はラシャの首に伸びており、尋常ならざる力で彼の首を締め付け始めた。
「ご……が……ち、ふ、ゆ…」
脳が酸素を求めて警報を鳴らしている。視界が明滅し、色彩を失う。だが、ラシャの腕はまるで意思を持ったかのように千冬の首筋をえぐり続ける。
「憎い憎イ憎い憎イ!!お前も!暮桜も!紅椿モ!!」
この声は、今もなお締め上げられているラシャの喉から出ているとは思えなかった。それ程その声は苛烈で憎悪に満ちていた。
「どう__して、ドウ__シテ__」
「やめろおおぉぉぉぉ!!」
遂に、謎の憎悪は千冬の頭に手を絡ませると、この世のものとは思えない絶叫を上げて頸を捻り切った。顔面に大量の血を浴び、視界が赤黒く染まる。そして、世界は再び崩れ落ちる。
光──夕日が目を刺す。あの時と同じように奇麗な色彩が美しいレヴナント光が降り注いでいた。
ラシャは森のなかに居た。あの真紅のISの衝撃波で空中に舞い上げられた後、ラシャは国道沿いの山林に落下し、木々の一本に運良く引っかかっていたのだ。
「何て無様な……」
プレデターのトロフィー染みた己の境遇に只々嘆息する。と、同時に自らへの襲撃者を思い出し、ラシャは慌てて体勢を正し、木の上へと登った。
同時に装備を確認する。カービン銃は機関部にヒビが入っていて使いものにならない有様だった。剣を突き刺された左足のホルスターに収納していた竹包丁は全て台無しになっていた。拳銃は奪われた。手持ちの武器は役に立たないカービン銃と支給品のサバイバルナイフ、両腕の袖に仕込んだ隠し刃だけだ。
勝てる要素は少ない。だが、それでも戦って生き延びなければならない。これまでしてきたように相手を仕留める。それしか知らない、昔はもっと穏やかな選択肢を選択できたような気がするが、今となってはそんな選択肢なんて考えたくもない。
ラシャはサバイバルナイフが武人の蛮用に耐えうる仕上がりをしているかを確かめると、水筒の水を飲み干した。激痛と共に、腹から血が流れる。何とか痛みを噛み殺したラシャは、水筒を投げ捨てて身構えた。
「さあ来い、今度の俺は一味違うぞ」
不敵に笑うラシャの身体からはえも言われぬ活力が湧いて出ていた。
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