俺の四畳半が最近安らげない件
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董卓の誤謬 ~小さいおじさんシリーズ17
七月の初旬。今年は暑くなるのが早かった…と振り返る。かき氷器で掻いて細かくした氷を、三人のおじさんが小さな匙で掬って茶器に落とし、柄杓で茶を注いでいた。
午後の西日が眩しい。俺は狭い四畳半の日当たりがいい窓辺に追いやられ、布団にくるまって寝そべっていた。
「この便利を経験してしまうと、冷蔵庫なしの生活には戻れぬな」
端正が、冷たい茶を一気に呑み干して息をついた。
「それな」
現世にすっかり適応した豪勢は、この間新調したばかりの赤いアロハを粋に羽織り、茶と酒をブレンドしたものにライムだか何だかを落として啜っている。…何だろう、今やこいつは俺よりずっと洒落者だ。初めて現れた時と寸分違わぬ白の袷を羽織る白頭巾は、平たい皿に薄く伸ばしたかき氷に足を浸して冷たさを堪能している。どうやら白頭巾は腹が弱いらしく、極端に冷たい飲み物はあまり口にしない。今も足を冷やし過ぎたのか、ぶるりと身震いをした。
「便利が過ぎるのでしょうね…気を付けないと、本末転倒な事態を引き起こしかねません…」
と呟き、チラリと俺の方を見た。
「体を冷やし過ぎて、夏風邪をひく…などという愚行進行中の、何処かの誰かのように」
…そう。俺は一昨日エアコンつけっぱで爆睡してしまい、悪寒と喉の痛みで目が覚めた頃には既に手遅れとなっていた。
「全くだ。寒すぎて久しぶりに昔の着物に包まって寝たわ。今も冷房を使えないし。迷惑極まりないわい」
「…卿はかつての生活を捨て過ぎだ。たまには我慢しろ」
本当だよ。こっちは一応気を使って、熱があるのにかき氷の山を用意したのだ。
「厭ですよ。手に入れた便利は手放せません。我慢できなくなったら、つけますよ」
鬼か貴様。
「……我慢も妥協もせんな、卿は。しかし今回ばかりは見過ごすわけにはいかぬ」
うっわぁ…端正優しい。涙出て来た。
「いいか、ここの主に万一のことがあれば」
豪勢が一瞬、眉をひそめた。
「…奴が、ここを管理する状況になる…か」
白頭巾も、珍しく厭そうに唇を歪めた。
「贅沢は申しませんが…厭ですなぁ、少々」
「うむ、説明はしづらいのだが…崇拝が過ぎる、というのか。基本、ただのおっさんだからな余らは。そう多大な期待をされてもなぁ…」
三国志大好きな大家の息子が、最近マメ過ぎるくらいに顔を出す。そのテンションの高さと的外れな気遣いに、三人が辟易しているらしいことは俺も感じ取っていたが…意外と露骨だな、こいつら。猫とかが異様に構ってくる人間を嫌うのと同じ感覚だろうか。
「こんにちはー!!お見舞い持って来ましたよー!!」
今日も大家の息子がウッキウキ状態で現れた。三人のおじさんは何事かを囁きかわし、ふいと視線を反らした。厭がる割には逃げ隠れしないのは、姿を見せておけば待遇が良くなることに気づいているからだろうか。そういう状況を知ってか知らずか、大家息子は今日もずかずかと上がり込んでくる。
「ほら、ポカリいるでしょ?あと~、ほら、親父に届いたお中元!!」
どさり、と置かれたヨックモックの大箱に、三人が目を輝かせてにじり寄る。実は俺も地味に嬉しいのだが…。
「……食欲がない」
「大丈夫です!皆さんが食べるでしょ!?」
………くそが。
「最近はどんな武将に遭いましたか!?」
こいつ…病人の枕元でも尚、三国志の情報を貪欲に集めやがるか。
「………なんか…徐庶とかなんとか………」
「徐庶っ、渋いとこくるなぁ…見たかったなぁ…」
「お前さ…三国志の武将なら何でもいいのか」
「えー?そんなでもないですよ!一応好き嫌いありますし」
「嫌いな武将とかいるのか…」
「何人かいますけど…董卓とかダメですねぇ、有名なとこだと」
「へぇ、董卓。まぁ順当だな」
「すごい極悪人だしー、そもそも存命中に三国始まってないしー、デブサイクだしー、いいとこないですよ」
さらに調子づいて董卓がいかに悪い奴か滔々と語り続ける大家の息子。そして、少し離れた所で斜め下をじっと見つめながら、何かに耐えるような顔つきで固まる、三人のおじさん。
―――おい、お前ら。一体、何をやった。
散々喋って満足した大家の息子が帰ったあと、奴らは暫く斜め下を見ながら固まっていた。好物のヨックモックを前にしても、どうも食指が動かないらしい。
「……まぁ、一般的な董卓感……だな」
端正が口火を切った。
「……あれだ、ほら…歴史ってのは勝者のものだからな」
―――読めたぞ。
首尾よく董卓を仕留めたあの連中は、こぞって歴史書に董卓の悪口をあることないこと書きまくったにちがいない。
「戦闘地域での略奪行為も皇帝の擁立も残忍な拷問も、何処かの誰かも当然のようにやってましたからねぇ。『英雄記』をナナメ読みした当時も『え?……え??』て二度見したものですよ。くっくっく…」
「ぐぬぬ」
白頭巾が水を得た魚のごとく、生き生きとしゃべくり始めた。
「ぶっちゃけ話、当時は当然のように洛陽周辺で行われていた略奪や強姦、全て董卓におっかぶせたでしょう」
くっくっく…と厭な笑い声を上げ、白頭巾は堪えきれないというように羽扇に顔を埋めた。
「国が荒れれば軍勢が動く。多くの軍勢が動けば、膨大な物資や兵糧が要る。反董卓軍も、然り。特に寄せ集めに過ぎなかった反董卓軍の兵糧、不足なく調達するに綺麗事では済みますまい…『ミンナの悪事』を全て董卓のせいにしたならば、彼のしていたことは他の武将とさほど変わらなくとも、ものすごい暴虐を尽くしたような語られ方をするでしょうなぁ」
「後世にあれらの文献を読んだ私は、ハナから『どれだけ国が荒れていたか』の指標にしかしておりませんよ」
ぐぬぬ…みたいな顔をして、2人は黙り込んだ。
「孫堅軍も董卓討伐には随分と深く関わってるようで…道々、色々やらかしたでしょ?」
「なっ何を…由緒正しい孫家の軍が略奪行為など…」
「おやおや…貴方の身目麗しき奥方の仕入先は喬家の…おやおや?」
「ぐぬぬっ…」
今日の白頭巾は攻めるなぁ。いつにもまして攻め込みまくるなぁ。
「董卓サイドの歴史書を編纂していた蔡邕は、あの狭量な王允に殺され世に出る前に封殺…殺しても飽き足りぬ暴挙…」
「ああ……」
端正が小さく呟き、遠くを見るような目をした。
「そうか。卿は」
屠られた蔡邕の書を、惜しむのだな。端正はそう続けて黙り込んだ。白頭巾の返事はなく、ただ不機嫌な目つきで羽扇の裏側を睨み付けるようにして俯いていた。
「王允はなぁ…あれはもうな…アスペだ、アスペ」
豪勢がとうとうネットスラングみたいなものまで使いこなし始めた。こいつはもう三国時代に未練など微塵もなさそうだ。
「功労者に恩賞も出さない、投降した者も処刑する、蔡邕のような才をもつ者ですら他の凡将と一緒くたにして処刑する。そもそもこんなアスペが動乱の戦国時代に迷い込んだこと自体、自殺行為ってもんでな。純粋な一武将としての好き嫌いなら、董卓のほうがよっぽど面白い男で」
「……王允の悪口かい?」
豪勢と端正が死ぬほどビビった顔で振り向いた。
もういつものパターンだが、襖の陰に何者かが佇んでいる。…なんだこの襖は。噂話してると本人が召喚される仕組みにでもなってんのか。
「貴様っ…!!」
「ほう…俺の暗殺に失敗して逃走した、いつぞやの若造ではないか。くっくっく…」
「……董卓!!」
「……イケメンじゃねぇか!!!」
俺は思わず叫んでしまった。端正が俺を刺し殺さんばかりに睨み付けてくるが知った事か。線の細い端正とはベクトルが異なるが、ちょっとその辺に居ないタイプのエグザイル的ナイスガイだ。美董卓だ。あいつらなに巨デブとかひげもじゃとか書き残してんの!?この分じゃ暴虐だの非道だのという言い伝えもだいぶ眉唾だぞ。
「そっちの色男は…」
端正が、ごくりと息を呑んで身構える。…ていうか色男イコール自分て完全に決めつけているのがもうな…。
「…知らんな」
「知らないんかい!!」
豪勢と端正が崩れ落ちる。そりゃそうだろう。孫堅軍にギリギリ従軍してたとしても、まだ十代とかだろう。
「そっちの白くてひょろ長いのも知らねぇや。知ってんのお前だけだわ…考えてみれば」
ずしり…と豪勢の肩に分厚い掌が乗る。節くれ立った、百度を超える実戦に身を投じ続けた猛者の腕だ。…大家の息子は何と云ったか、デブサイク?あいつにこの光景を見せてやりたい。一度は中原を制した英雄が、なす術もなく瘧のように震えるしかないこの光景を。
「―――考えてもごらんなさい。二十年に渡り騎馬民族の襲撃に耐えてきた歴戦の猛者が、ただのデブのわけがないでしょう。彼は騎馬から両手で弓を射ることすら出来る騎馬の達人ですよ」
騎馬から!?両手で!?どうやって!?
「某無双ゲームでは爆弾魔みたいな感じにされてますけどね…何で制作陣はその辺の設定は完無視するのやら…ふふふ」
「ほう…随分と、悪者にされているのは知ってたがねぇ…で、お前は孫堅の配下かよ」
ずしぃ…とのしかかる掌が端正を圧し沈める。顔は蒼白を通り越して紙みたいになっている。
「俺、思うんだけどさぁ…俺が不細工って設定、必要かなぁ…。もしかして、もしかしてだよ?美青年と言い伝えられる男が、自分のキャラを際立たせる為に、俺の容姿についての記述をいじる…なんてことはないかねぇ。三国志に美形は2人要らない、と考えそうな誰か。たとえば『美 周 郎』なんて呼ばれている色男なんて、怪しいな~、と思うんだがねぇ」
董卓は、ぐいぃ…と首を傾けて端正の顔を覗き込む。…や、やめてあげて?端正のHPはもう1よ!?
「歴史は勝者のもの。…そんな当然の摂理、貴方なら分かっているのではないですか」
ジャイアンコンサート五分前みたいな雰囲気を切り裂いて声をあげたのは、意外にも白頭巾だった。
「こっ…こら刺激するな、死ぬぞ!!」
「これだから現場を知らない坊ちゃん管理職は!!相手は弓だぞ、バハムート間に合わねぇよ!!」
薄笑いを引っ込めて、董卓がすっと手を引いて顔を上げた。
「………ほう」
弓術で鍛え上げられた胸板を、威圧するように反らして董卓が白頭巾を睨み付ける。…視界の端で、畳が僅かに動いた。
「貴方に関する記述がここまで酷くなった理由はいくつか思いつきます。反董卓軍の悪事も上乗せされたこともその一つですが…銅銭の改鋳を始めとする内政のまずさ、それに」
―――皇帝を擁したうえで、敗戦したことにあります。と続けて白頭巾は羽扇を顎にあてた。
「皇帝を擁するならば、全てにおいて勝算のある状況を作ったうえで、権威づけとして利用するのがベストなのです。何処かの小狡い丞相のように」
「お前にだけは小狡い云われたくないわ」
「実権の有無に関わらず『皇帝』は本来不可侵のもの。貴方しかり、李傕しかり、袁術しかり、苦し紛れに無理矢理『帝』を擁して失敗した者達は、大抵ボロクソに書かれます」
劉備は漢朝の末裔を僭称してた気がするし、袁術は金印持って逃げただけだった気がするけど誰も気づいてないみたいだから俺も何も言わない。
「あなたは支配を急ぎ過ぎた。騎馬民族を完全に取り込み、味方を増やし、経済を地道に発展させた上で権威付けに帝を擁する。この順番でいけば、正直…我が主の入り込む隙すらなかったことでしょう…」
―――なに、君は本当は劉備キライなの?
「何云ってんのか分からん!!ていうかどうでもいい!!お前ら全員どうでもいい!!」
え?なに、今の話全然聞いてなかったの!?白頭巾ひさしぶりにまともなこと云ったよ!?
「俺が初期の中ボスとして君臨したお陰で、三国志にワクワク感が増したな!?」
「わ…ワクワク感!?」
端正が信じられない馬鹿を見るような目で董卓を眺めまわした。
「悪い奴いるぞー、ミンナで倒せー、わー勝ったー。…大河小説として掴みは上々だな」
「お、おう…」
豪勢も『お前は何を云っているんだ』みたいな目で董卓を見ている。
「お前らは名悪役の俺に感謝すべきだ。…ちがうか?」
「何が云いたい」
「つまりだ。…これは、お前らから俺への贈り物、ということでOKだな?」
大家の息子が置いていったヨックモックの箱にポンと手を置く。…全部持っていくの!?何こいつジャイアン!?
「月英、今です!!!」
白頭巾が叫び、畳が宙を舞った。…ていうか、え??それバハムート案件??汚名の慰謝料としては順当だと思うんだけど??
「GOバハムート!!」
「暴君を倒せ!!」
お前らは調子に乗るな。
大槍を構えた疾風が襲い掛かる。辛うじて弓で受け、大刀で槍の猛攻をいなす董卓。流石二丁弓の名手である。
…とりあえず馬鹿馬鹿しいので奴らがやりあっている間にヨックモックの缶を開け、董卓の分を選り分けておいた。
熱が引かなくてしんどいので、枕元で大騒ぎしないでほしい。本当に。
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