満願成呪の奇夜
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第21夜 択一
それとなく勝手なイメージで、ギルティーネという人間は乱暴で野性味のある人なのではないかと考えていたのだが、その偏見は直ぐに改められることとなった。
軽食とスープを部屋に持ち込んで食べるよう指示すると、ギルティーネは見ているこちらが驚くほどに上品な手つきで食事を開始した。別に自分が食事マナーを知らない訳ではないが、彼女の動きは何十年とそうしていたように堂に入った気品を感じた。
(……実はそれなりの身分の出身だったのかもしれない)
最初は人食いの犯罪者だというイメージに囚われがちだったが、もし彼女が高い身分の人間だとしたら彼女の戦闘技術は幼い頃から仕込まれたものだったのかもしれない。こんな致命的な欠落さえ抱えていなければ、もしかしたらこうして出会うこともなく永遠に出会わないままだった――いや、それは所詮仮定の話だ。論じることに意味はない。
敵の呪獣に対抗する方法を考えた結果、俺は一つの結論に達した。
敵の事情の全てを探れない以上、敵が何かをする前に封殺する方法を考えるしかない。
(まずペトロ・カンテラだ。普通だと一人もしくは一チームにつき一つしか支給されない貴重品だが――今だけは複数扱える)
犠牲になった呪法師の遺品は家族に送られるのが基本だが、ペトロ・カンテラはレンタル品だ。無事に見つかればそのまま管理する部署に返されるだけ。なので、犠牲になったグループ分のカンテラは明日サンテリア機関に戻るまで誰の所有物でもなくなる。
折りたたまれて年輪のように複数の輪が重なった形状になったペトロ・カンテラを帰りの馬車から二つほどちょろまかした俺は、計三つになったカンテラを並べる。
後は呪力を込めれば三倍の明るさで上をカバーすることも、三倍の広さを照らすことも出来る。今、このタイミングにしか取る事の出来ない贅沢な装備だ。使い方に気を付けなければいけない。
他の装備も並べる。回転式拳銃『タスラム』とその弾丸――触媒の泥水――そして、ガルドの作ったものを真似て作成した『灯縄』。使うかどうかは分からないが、あらゆる状況を憂慮して一応持っておく。願わくばこの縄がガルドの無念を晴らす鍵にでもなればいいが、そう上手く事は運ばないだろう。
光源杖は管理が『境の砦』の管理だったために持ち出せなかった。どちらにしろ今回の作戦ではあまり役に立たない代物だろうから、そこはすんなり諦めた。
(後は――ギルティーネさんとあの剣かな)
これは、俺がどんな作戦を立て、そしてギルティーネさんをどう使うかで全てが決まる。ギルティーネさんはその立場と欠落の性質上、命令を聞くか命令主を護るかの二つの行動しか取れない。そして後者が前者より優先される以上、俺の立てた作戦がギルティーネさんに却下される形になったらもうどうしようもない。
ギルティーネさんはきっと俺より高い技量を持ち、恐らく『樹』の呪法にも長けている。『樹』の呪法は極めれば並々ならぬ気配察知能力を得ることがあると聞く。そう考えるとギルティーネさんは『熱』、『錬』、『樹』の3行が扱えるのだろうか。
彼女も欠落者である以上はどこかの呪法適正が欠落していると思われる。『地』か『流』か――両方か、よくても片方は使えないだろう。
そこまで考えて、はっとする。
(そうだ、なんで今までこんな簡単なことを確認しなかったんだ。ギルティーネさんの使える属性を――!)
なにも道具は自分が使わなければいけない訳ではない。
そして技量的には恐らくギルティーネの方が圧倒的に高い。
だったらあの剣を用いた接近戦闘能力に囚われず、もっと別の――。
「ギルティーネさん、確認したいことがあるんだけど……ご飯は食べ終わった?」
「………………」
ギルティーネは軽食を取り終え、静かに席を立ってこちらに来た。
もし俺の予想通りに彼女が『樹』にも秀でているのならば、もう敗走などありはしない。
= =
大陸の外では、朱月のことを太陽と呼ぶらしい。子供の頃からあの一際大きな輝きを放つ星を月と呼んできた大陸の民には馴染みのない話だ。
朱月は非情にも空を去り、白月を呼び寄せる偽りの陽。だから大陸の人間にとっては呼び名がどちらでも同じことだ。救済と滅亡は表裏一体。縋る事は許されないから、人は月に何も言わない。だから、今は沈みゆく朱月を見送ることしかしない。
朱月が沈めば、戦いが待っている。
戦うのは自分とギルティーネ。
死ぬ確率が最も高いのは自分。
失敗すれば未来が閉ざされるのはギルティーネ。
利害関係が捻じれ、最早誰の為に戦うのかさえ曖昧になった今宵の狩りは、無茶と無謀に満ちている。
「もうすぐ奴等の時間だ……ギルティーネさん、準備はいいね」
「………………」
もう地平線から見える光が半円となった大地――光の灯らぬ外灯の傍で、トレックとギルティーネはその時を待っていた。凡そ『例の呪獣』が出現していると思われる、ガルドが死んだその場所――ではなく、さらに遠くの鎧を着た上位種が出現した場所で。
鎧の呪獣を迎え撃った跡を見て、あの瞬間に共に戦った人間が二人もこの世から旅立った事実を確認した。そして、念のためにと泥の中に足を突っ込み、燃え尽きた呪獣を被っていた鎧から兜を外して呪法で土を払う。導いた結論が間違っていなければ、これは必要なものだ。
時代遅れの代物ながらまだ十分な強度を保った兜はトレックの頭には少し大きすぎたが、被るだけなら問題はない。はたから見れば滑稽な格好に見えるかもしれないが、これは賭けだ。
光が消え、影が空間を満たしていくのを確認し、トレックはペトロ・カンテラに火を灯した。昨日と全く同じように、カンテラが浮かび上がり、周囲を照らす。セオリー通りの行動だ。但し一つだけ違う点があるとすれば――そのカンテラが付随するのはトレックではなくギルティーネであること。
言葉を交わす必要性はなく、二人は無言で歩き出す。
伝えるべきことはほぼ伝え終えた。後は呪獣に会うだけだ。
予め数えておいた、明かりをともさない外灯をくぐった数を数えながら、ゆっくりとした足取りで歩く。ギルティーネはトレックの指示で、背後ではなく横に付随していた。音のないくらやむの中に、二人の男女の足音だけが響き渡る。
やがて、くぐった外灯の数が10を越えようかとする頃――トレックとギルティーネは別々の意図で、同時に立ち止まった。
刹那――耳を劈くような音をたて、トレックの兜に猛烈な衝撃が叩きつけられた。
「ガぁッ!?」
「――!!」
成すすべもない、一瞬の出来事。
意識が消し飛びそうな振動に視界が漆黒に染まり、歯を食いしばって意識を繋ぎとめても体は着いてはいけない。トレックは無様に地面に倒れ伏し、被っていた兜がカラリと音を立てて地面に転がる。次の一撃を受けた瞬間、トレックの魂は闇に呑まれ、消え去る。
考えれば、予想出来ていた筈のことだった。ここはガルドが殺された場所で、トレックが敵の気配を感じて立ち止まった場所。そしてこの呪獣はカンテラから離れた人間を狙う。すべての条件は揃っていた。
――そう、すべては『トレックの推論通りに進んだ』。
トレックは考えた。上方から攻撃を受けたことに疑いはないが、それにしては現場に死体が残らないのも血痕が異常に少ないのも理由が分からないし、単に捕まっただけなら訓練された準法師は決死の抵抗を試みる筈だ。しかし、これまで集めた情報では一瞬で姿が消えたことと血は上から下に落ちたことしか判明しなかった。
ならば、死体は上へと昇っているのは確実。死体が出ないのは呪獣が食っている――恐らく丸呑みだ――から。
では抵抗できずに死んでいるのは何故か?
導き出した結論は、『最初の一撃で即死、もしくは思考が出来ない状態にされている』。
すなわち、一撃で頭部を破壊し、その頭部を掴んで引き上げている。
だったら防げばいい。そして攻撃を仕掛けた瞬間、相手の正確な位置が割れる。自分の役はあくまで囮――本命の攻撃は、パートナーの力量を信じてすべて託した。
「……ぐっ、ギル、ティーネっ、さんッ!!」
「………………!」
トレックが叫んだその時には、既にギルティーネはペトロ・カンテラを用いて呪法を発動させていた。恐らく人間ならそれに気付け、呪獣には決してその意味を理解できなかったであろう――灯縄が二本接続されたペトロ・カンテラの意図に。
瞬間、ギルティーネの苛烈な殺意が実体化するかのように灯縄にカンテラの炎が着火。蓋方向に伸びた炎は――『火をつけられないまま浮遊させていた』二つのペトロカンテラに炎を灯し、三重に重ねた強炎の光が外灯の上までをも照らしあげた。
『ギガァアァアアアッ!?アガァ……ゲグッ!?』
自分が光に照らされたことで理性の欠片も感じられない汚い悲鳴を上げた呪獣は瞬時に光の外に脱出しようと跳躍し――ギルティーネが空中で操作したカンテラがさせまいと闇中を妖しく踊る。カンテラに巻き付いた巻き付いた燃え盛る縄は蛇のように有機的にうねり、跳躍の起動を完全に読み切っていた。
ガルドの使った呪法、『藁蛇(セルピエンテ・セカ)』。
それにペトロ・カンテラを組み合わせて火力を増強したトレック考案の新武器。『熱』と『樹』の高い素養が必要かつ操作難易度が高い代物だったが、トレックは使えなくともギルティーネなら可能。事前に確かめたが、わずか数分でまるで手足のように自在に動かせるようになった。
『グギアアアアアアアアアアアアッ!?』
空を飛べぬ呪獣は成すすべなく燃え盛る縄に突っ込んでその皮膚を焼き、空中で無様に悶え苦しむ。一度飛び立ってしまった以上、後は重力に従って地に落ちるのみ。縄に弾かれた呪獣は抵抗もできず落下する。
「――ッ!!」
瞬間、ギルティーネさんが剣を抜いて落下してきた呪獣を横薙ぎに叩き斬った。
火を灯さずとも剣はそれ自体が『錬』の呪法にとって最高の触媒。
呪法の力によって呪獣に致命的なダメージを与える事が可能になった剣によってその呪獣は細長く伸ばされた尻尾のような部分を瞬時に切断され、次の瞬間剛腕で振り下ろされた剣が呪獣を貫通して地面に激突し、腹の底を叩くような衝撃共に足場の岩に放射線状の罅を入れた。
「……はっ、はぁ……予想通りに動いたな、化け物が……!!」
頭に強い衝撃を受けたトレックは視界が混濁し平衡感覚がすこし狂っていたが、なんとかよろよろと立ち上がってギルティーネが剣を突き立てた場所へと移動する。
そこには、肉塊を無理やり蠍の形に変貌させたような悍ましい呪獣がいた。黒と紫の斑模様はまるで人間に不快感を与える為だけにそのような姿になったかのように毒々しい。その蠍の尻尾は、ギルティーネによって落下中に切断されていた。
呪法師と呪獣の戦いは、間違っても華々しいものではない。
殺すか殺されるか、それを刹那の合間に奪い合い、勝った方が殺す。ただそれだけだ。
求められるのは戦略と効率であり、結果に至る一切の無駄は全てが死に繋がる。
入念な準備をしても、戦いの結果が出るのは一瞬だ。
数多の呪法師を葬ってきた最悪の呪獣を、生存率50%を、トレックはねじ伏せる事に成功した。
後書き
死んでいなかったのだよ、実は。
書く暇がないだけなのだよ……。
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