SNOW ROSE
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廃墟の章
Ⅶ
暫くして後、皆は音楽の余韻に浸っていたのであるが、その中で…不意にロレンツォの様子が変わったのであった。まるで別人の様な声で、急に語り出したのである。
そのあまりの不自然さに、皆は即座に振り返った。
「人よ、聞きなさい。再び原初の神の御前へ歩み出で、深き愛を取り戻しなさい。然れど、争いの時は速やかに訪れるでしょう。この王国のみならず他国も同様、罪の火種は今にも大火を成して姿を現すことになります。人よ、聞きなさい。争いは止まることを知らず、それは新たなる王によりてのみ消し去ることができましょう。故に、皆愛を取り戻しなさい。それは親愛・友愛・家族愛・慈愛…総ての源であり、あなた方人々の歩みし路なれば、今こそ愛を取り戻し、全てを愛しなさい。原初の神を自然を動物を…そして人を。愛もて総ての法と成せ!人よ、聞きなさい。あなた方のうち二人は、速やかに神の御下へと引き寄せられます。然し、忘れてはなりません。全ての善なる者等は、必ずや神の花園にて再び出会うのです。愛、即ちそれが法となるでしょう。」
そこまで語ったロレンツォは、そのまま床へと頽れたのであった。
皆は余りのことに恐れおののき、暫し動くことも儘ならなかった。しかし、ミヒャエルはどうにか気力を絞り出し、倒れ伏したロレンツォへと駆け寄った。
「ロレンツォ…!?」
ミヒャエルは彼を抱え起こしたが、ロレンツォは既に息絶えていたのであった。それを知ったマーガレットは困惑して呟いた。
「何故…?何故にこのような…!?」
無理からぬことであろう。最初は訝しく思いはしても、ここまでの道すがら、彼から多くの話を聞かせてもらい、それによって多くを学べたのである。その様な人物が、何の前触れもなく突然天へと召されたのであるのだから。
「聖エフィーリアよ…何故この様な…。」
涙を流すマーガレットを抱き、兄弟の聖画を見上げてミヒャエルは問い掛けた。レヴィン夫妻は、そんな二人を成す術もなく、ただ静かに見守るしか出来なかったのであった。
正直に言えば、レヴィン夫妻には、そこはかとなくこうなることを予期していたのである。
神託とは則ち、自らの体へと聖なる力を受け入れて成すものであり、その対価として命を削ることになるのである。そのことをレヴィン夫妻はよく知っていたのであった。
時の預言者達、特に神に直接選ばれし預言者達は、預言を始めて数年で生涯を終えている。
しかし、二つの例外が存在し、一つは預言者に選ばれて後四十年以上生き続けた聖マルグリアと、たった一言だけ言葉を紡いで目を覚ますことの無かった聖エマヌエルがそれである。
後世に残された文献に因れば、このロレンツォは計十二回の神託を告げたとされているが、彼が廃墟に入った年は知られておらず、それを知る手掛かりとしてコロニアス大聖堂の聖職者記録がある。
ロレンツォは約三年間コロニアス大聖堂にいたが、王暦五七六年九月二十一日に大聖堂を出ている。それ故、現在は翌年の五七七年の六月頃には、あの廃墟へと入っていたのではないかと言われている。
ロレンツォより初めに神託を受けた人物はレオナルド・ロッタで、後の大司教になる人物である。このロッタが五七八年四月終わりに神託を受け、それからミヒャエル達が神託を受けるまで約一年。こういうケースは今まで無かったことで、それまでの預言者とは少し違っていたと言えよう。
さて、四人はこの預言者を丁重に葬った。廃墟とはいえ、大聖堂の裏には整備された墓地があり、その一角、もっとも陽当たりのよい場所に彼の墓所を作ったのであった。
「ヨゼフさん、墓穴を掘り終えましたが…。柩を用意出来ないのは…何とも…。」
ミヒャエルが汗だくになりながらヨゼフへと言うと、それに答えるかのようにエディアが彼にあるものを見せた。エディアが持っていたそれは、上等の絹であった。
「これを使って下さい。」
それは、誰から見ても高価なものだと解った。普通、死者のためにこれ程の布を使うことなど有り得ない。しかし、柩の代わりになる様な物は無く、それにこれ程の預言者を葬るのであるから、むしろこれが最良であろうと皆が思った。悲しげな笑みを見せつつエディアより絹を受け取り、ミヒャエルはその絹でロレンツォを静かに覆って皆の前で彼を墓穴の底へと横たえたのであった。
「預言者は神の御言葉を告げる代償に、自らの時を磨り減らしておるのです。しかし、その預言の言葉は生き続ける。預言者の魂が神によりて永久に生かされるが如くに、言葉は永き時を越えて生きるのです…。」
墓穴へ横たわる死者へと向かい、ヨゼフは囁くように言った。そうして後、ヨゼフはエディアと共に楽器を手にし、眠りし死者のために葬送音楽を奏したのであった。
この場で演奏されたのは、古き葬送音楽だったと伝えられている。
一説にはシュカ・マリアンネ・フォン・リューヴェン作のものとも言われているが、この原譜は失われており、中間部の六頁のみが筆写譜で残されているだけである。しかし、このシュカの葬送音楽だったとしたら、作曲者そのものが伝説上の人物故、預言者を神の御下へ送る手向けに足るものであったに違いない。
レヴィン夫妻の演奏は、約一時間にも及び、その中で埋葬の儀式が行われた。マーガレットは涙を拭いつつ、森のあちらこちらから美しい花々を摘んでロレンツォの横たわる墓穴へと散らした。そしてミヒャエルは、神への祈りと死者への言葉を述べて後、少しずつ土をかけていったのであった。
「フォルスタの街へ戻りましょうか…。」
演奏を終えたヨゼフは、静かに皆へと言った。三人は皆一様に首を縦に振り、同意の態度を示したのであった。
ロレンツォを葬ったその日の内に、四人はその廃墟を後にした。調査をしに来た筈ではあったが、四人にはもうその様な気は全く無かったのである。その廃墟は預言者が眠る街…彼らにとっては、もうそれで充分であったのである。
さて、帰りはロレンツォと来た新道を途中まで通り、行きより十日程早くフォルスタの街へと戻ることが出来た。
「戻ってきましたわね…。」
街に入ると、マーガレットは呟く様に言った。他三人はそれに対し、小さく頷いただけであった。数日とは言え、知り合えたロレンツォの死は四人の心に重くのし掛かっていたのである。
特に、マーガレットはその話に触れる事を極端に恐れている節があり、彼女自身、必死で自らの心を抑えようとしている風であった。それ故、ミヒャエルもレヴィン夫妻も、旅の間そのことに触れぬ様にしてきたのであった。
マーガレットは人の死にかなり敏感であると言えた。その理由は、彼女の二番目の兄の死であったと言われいる。
リーテ侯爵家では、女児はマーガレットと姉の二人だけであり、他五人は皆男児であったのである。そしてマーガレットは一番の末子であり、他の兄弟からはことのほか可愛がられて育ったのであった。
ある時、父である侯爵が病に倒れ、侯爵家で爵位争いがあった。元来気性の激しい長男フォルテスを嫌っていた執事長リッカルドが、次男ライヒェを担ぎ出したのである。
しかし、フォルテスに従う者がリッカルドを毒殺するや、フォルテスはライヒェを幽閉し、ライヒェは幽閉されたまま病死してしまったのであった。
それに激怒したのは三男のエンジュで、彼は四男ジグモントと共に兄であるフォルテスへと罠を張り巡らせ、フォルテスを失墜させたのであった。
現当主は四男ジグモントとなっているが、それはエンジュが侯爵位を拒否したからに他ならない。その後、エンジュは家を出て画家になったと言われているが定かではない。
この醜い争いで犠牲になった次男ライヒェであるが、この兄がマーガレットを一番可愛がり、彼女に読み書きから国の歴史までを教えていたのである。彼の死がマーガレットにとって、どれ程の心の痛手となったかは想像に難くないであろう。
それ故、マーガレットは家を出て小説家として旅してきたのである。二番目の兄、ライヒェの死を思い返すことのないように…。
さて、四人は街へ入るなり直ぐに、あのブレーメンシュトラオス亭に向かったのであった。
四人が宿へ戻ると、ケリッヒ夫妻が温かく出迎えてくれた。その笑顔に四人は、あの廃墟での出来事が幻想だったのではないかと錯覚してしまうほどであった。さして長き旅路では無かったが、それが反ってそう感じさせたのかも知れない。
「お帰りなさい!さぞお疲れでしょうね。お部屋は直ぐにご用意出来ますので、暫く椅子に掛けてお休み下さい。」
マリアはそう言うと、身を翻して二階へと駆け上がって行った。四人は言われるがまま椅子に掛けて待つことにした。
何を話す風でもなく暫く待っていると、厨房からベルディナータがやってきて、四人が座るテーブルに飲み物を置いたのであった。
「これは私のおごりだよ。疲れを癒す薬草をブレンドしてあるから。ま、飲んでみな。」
相も変わらぬ物言いだが、これが彼女なりの親切であることは、ここにいる四人は充分解っていた。要は、彼女は不器用なのである。それ故、彼女の心遣いは四人にとって、とても有り難く嬉しいものであった。
「それと…ディエゴさんは王都に戻ったよ。何でも、王子に呼び戻されたらしいから、ここへ伝令が来て直ぐに荷物纏めて出てったからなぁ…。」
「王子…にですか…?」
ベルディナータの言葉に、聞いていたミヒャエルは顔色を変えて口を挟んだ。それに対し、ベルディナータは何と言うこともなく答えた。
「ああ。何でも、第二王子ベルハルト様からの使者ってことだったが…。」
その王子の名を聞くや、ミヒャエルは顔を蒼ざめさせて俯いたのであった。
「どうかしたの?」
傍らに座るミヒャエルの様子に、マーガレット心配そうに声を掛けた。しかし、ミヒャエルは「何でも無い。」と一言告げるや、そのまま席を立って宿を出ていったのであった。
「どうしたのでしょうな…。」
ヨゼフはそう呟くと、エディアと顔を見合せた。その時、部屋の用意をしていたマリアが降りてきたのであった。用意が整ったことを知らせに来たのである。
「あら…?ミックさんはお出掛けになられたの?」
辺りを見回しながらマリアが尋ねた。だが、それに答えられる者はなく、三人はただ顔を見合せているだけだったのである。ミヒャエルが何故ここを出てどこへ行ったかを、三人は知る由もないからであった。
「急用でも思い出したのでしょう。荷物は直ぐに運びますから…。」
暫くして、仕方なくマーガレットがそう言うと、マリアは「とんでもない!」と言って夫のハインツを呼んで運ばせたのであった。
その後二時間程して、ミヒャエルが宿へと戻ってきたのであった。
「何をしていたの?」
マーガレットはミヒャエルが帰って早々、彼へと詰め寄った。そんなマーガレットにミヒャエルは「少し用があってな…。」と言うと、彼女を避けるように用意された部屋へと入ったのであった。
「どうしたのかしら…。」
ミヒャエルがこの様な態度をとることなど今までにはなかった。しかし、これ以上聞かぬ方が良いと自らに言い聞かせ、マーガレットは自分の部屋へと戻ったのであった。
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