SNOW ROSE
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廃墟の章
Ⅱ
どこまでも透き通る蒼い空の中、一際高く聳え立つ塔がある。
これは聖エフィーリア教会にある西塔で、鋭い屋根の先端が印象的な建造物だが、醸し出される雰囲気は穏和で人々の心を優しくさせた。教会そのものよりも、この西塔の方が寧ろ有名なくらいである。
「この西塔は、聖エフィーリア教会が建造される以前からあったとされるもので、下地は火の見櫓や見張り塔の役割があったそうです。そこへ教会を建てたものだから、塔を教会に合わせて改築したとか。」
教会の敷地内に入る前より、ディエゴはレヴィン夫妻へと教会の歴史を聞かせていた。二人とも歴史には興味があり、彼の言葉を熱心に聞いて時折質問すらした程であった。
「ソファリスさん。その櫓とは、王国以前からあったものなんですか?」
ヨゼフは塔を見上げながらディエゴへと問い掛けた。このヨゼフの熱心さに、ディエゴは大いに喜んだ。
正直に話せば、ディエゴがこの街へと訪れる理由は、王都での教授生活に嫌気が差してのことである。自らは至極真面目に講義をしていると言うのに、それを聞く生徒の質の悪さが問題なのであった。
歴史学は人気の高い分野で、講義を受けたがる者も多かった。しかし、それは国の高官になるための課題のようなものになっており、実状は質問すらしない生徒の集まりでしかなかった。ディエゴはそれも仕事と割り切ってはいたが、年に数回はこうやって気分転換に幼馴染みの経営する宿へと泊まりに来るのであった。
「良い質問ですね。この西塔の原型は、北皇暦時代の終わり頃、この地方がカルツィオと呼ばれていた時代にまで遡ることが出来ます。」
そのディエゴの答えに、レヴィン夫妻は驚いた。それが事実ならば、この西塔は少なくとも五百年の歴史を持っているからである。
「それでは、リトスの白き城やコロニアス大聖堂などと同じ程の時代を見続けてきたと?」
ヨゼフの傍らからエディアが興奮気味に口を開くと、ディエゴはにこりと微笑んで答えを返した。
「よくご存知ですね!そうですよ。あの宗教改革の時代からあるもので、教会自体一説には、あのジョージ・レヴィンの葬儀が執り行われたとも伝えられてますから。」
それは遥か遠い昔の物語である。それはもはや伝説となり、兄弟の住んでいた街さえその場所を特定することはできないのである。
それ故、レヴィン夫妻は連れ立ってこの街へと訪れ、遠き祖先である偉大な兄弟の足跡を辿ろうとしていたのであった。
「しかし…ソファリスさん。この教会は聖エフィーリアを奉じたものだと聞きます。ですが、このように美しいまま保存されているのは…一体どういうことなのですかな?」
このヨゼフの問い掛けは、ディエゴの顔に陰りを落とさせた。
先に、教会が時の王リグレットを奉ずるものに変わっていったことは語ったが、それには続きがある。国教指定の布告の後、エフィーリアを奉ずる教会は急速に廃れていったのであるが、一部の時の王を奉ずる信者達が暴走し、エフィーリアを奉じ続ける教会を打ち壊すということがあった。そのため、これだけ美しく残されているというのは稀なのである。
この聖エフィーリア教会も無論、例外なく打ち壊しの手が及んおり、それは酷い有り様であった。それがどういう経緯でここまで美しく復元されたかを、ディエゴは少しずつ夫妻へと語り始めた。
「五五一年のこと。この聖エフィーリア教会は、王都の歴史学者モーリス・クレント氏によって再発見されるまで、打ち壊されたまま野晒しになっていました。幸いにも、地下の文書保管所は難を逃れていたため、クレント教授はその古文書を調べあげ、ここが旧ドナの街であったと学会へ発表したんですよ。その後、この教会は元来の美しさを取り戻すべく、多くの建築家や画家・彫刻家などが集まり、街の人々の援助などもあって、ようやくこのように復元されたんですよ。」
そう言って、ディエゴは教会の内部へと夫妻を引き連れて入っていった。そして礼拝堂の天井を眺めながら、話の続きを紡ぎ出したのであった。
「ここに描かれている聖画は古い順にアンドレ・ショーン、ドミニク・バーン、エンナ・ブラウン、ブリギット・マーレなどの名画家達が手掛けたもので、彫刻の方は大半はクヌート・リューヴェンの手によるものです。絵も彫刻も全て、その方々の遠い弟子達によって復元されたんですよ。」
「クヌート・リューヴェンですと!?あのリューヴェン王の末裔で、現リーテ侯の祖先ですな?」
今まで静かに聞いていたヨゼフが、興奮気味に口を開いた。後ろではエディアも驚きの表情を浮かべていた。
クヌート・リューヴェンとは、現リーテ侯ハンス・ベネディクト・フォン・リューヴェンの四代前の人物であり、リーテ地方を治める領主に着任するまで彫刻家として名を馳せていた。特に、宮殿や教会に残された彼の作品の大半は、この国の重要文化財となっているのである。
また、この人物の遠き祖先には、賢王の名で知られているハンス・レオナルディ・フォン・アルフレート・リューヴェンがいる。この長い名前は、偉大な業績を残した祖先の名を与えられたためだと言われているが、ハンス王自身、その功績は後世にまで轟く程のものである。
「知ってましたか。ですが、こうして蘇るまでは打ち壊された酷い状態で放置されてたんですよ。修復には十五年もの月日が費やされましたが、そのお陰で国はこの教会を文化遺産として保護し、現在にまで至っていると言うわけです。」
その後もディエゴは、その博識を余すことなくレヴィン夫妻へと披露し、二人を感心させたのであった。夫妻もまた、その好奇心ゆえにディエゴへと多くの質問を投げ掛けたが、そのどれもに彼は的確に答え、この夫妻を大変満足させたと伝えられている。
さて、教会の内装を見て回った三人は、最後に現在資料室となっている地下の文書保管所へと入った。三人がそこへ入ると、そこには二人の先客がいたのであった。一方は美しい栗色の髪が印象的な女性であり、もう一方はすらりと背の高い金髪の男性である。なにやら調べものをしている様子であったため、ディエゴは一先ず二人へと声を掛けた。
「ご一緒しても宜しいですか?」
そうディエゴが問うと、二人の先客はにこやかに了承してくれたため、ディエゴとレヴィン夫妻は中へと歩みを進めた。
「随分と広いですのねぇ…。」
エディアが中を見渡して呟くと、ディエゴが早速その問いに答えた。
「ここはですね、旧暦時代の礼拝堂跡なんですよ。尤も、この礼拝堂は原初の神を純粋に奉じた古宗教のもので、一般的にはあまり知られてませんがね。」
「なぜ地下なんですの?」
またしてもエディアが問うと、今度は先客の男性が遠くから答えてきたのであった。
「それは国に認められず、異端とされていたからですよ、マダム。」
男性がそう答えた時、隣で調べものをしていた女性が言った。
「ちょっと、見ず知らずの方に挨拶もなく、いきなりは失礼でしょ!」
男性は女性に行動を窘められ、バツが悪そうに笑って頭を掻き、そして三人の前えと歩み寄ったのであった。
「失礼しました。俺はミヒャエルと言います。」
男性はそう言って、先ずはディエゴへと手を差し出したのでディエゴも名乗り、差し出された男性の手を握ったのであった。続けてディエゴはレヴィン夫妻を紹介し、二人ともミヒャエルと握手を交わしたのであった。
「あと、あそこで熱心に古文書を読み漁っている女性は俺の連れで、名をマーガレットと言います。」
「あなたが私の連れでしょうが!それに、名を呼び捨てにされるいわれはないわよ!」
またしても窘められたミヒャエルは、仕方なさそうに苦笑し、三人へと向き直って話を続けた。
「いやぁ、無様なとこをお見せしました。彼女は小説家で、今は歴史資料を集めてるとこなんですよ。」
「そうだったんですか。それでは、僕が少しはお役に立てそうですね。僕は歴史学者なんで…。」
ディエゴが苦笑しながらミヒャエルへと答えるや、資料を読み耽っていたマーガレットが突然席を立ち、会話する四人の前へと来るやディエゴに指を言った。
「あなた!そう、そこのあなたよ!ディエゴさんとか言ったかしら?ちょっと教えて頂きたいことがあるんだけど。」
あまりに唐突に言われたため、四人は目を瞬かせてマーガレットへと視線を向けた。ミヒャエルは、そんなマーガレットを見て、やれやれと言った風に顔を片手で覆ったのであった。
「マーガレット。いくら君でも人に頼み事をするとき、そんな物言いはしちゃいけないだろ?たとえ侯爵の令嬢だとしても、誠意をみせなくちゃ…」
「だ・か・ら!あなたに呼び捨てされる謂れはないわ!」
今の二人の会話に、ディエゴとレヴィン夫妻は唖然としてしまった。特に、このマーガレットと言う女性が、こともあろうに侯爵の令嬢であるということに三人は驚かされてしまい、何と言えば良いやら言葉が見つからなかったのであった。
暫くはマーガレットとミヒャエルが押し問答を繰り広げていたが、前の三人が何も話し出せないのを見て、マーガレットは渋々自己紹介から入ることにしたのであった。
「不躾をお許し下さい。私はリーテ侯ハンス・ベネディクト・フォン・リューヴェンの二女、マーガレット・クレーヌ=リューヴェンと申します。」
そう言うと、マーガレットは三人へと優雅に会釈をした。そして、最初に指名のあったディエゴから正式な挨拶に入ったのであった。
「私は王都で歴史学を教えております、ディエゴ・ソファリスと申します。以前、リーテ侯とは幾度かお目にかかる機会が御座いましたが、よもやこのような場でご令嬢にお会いするとは思いませんでした。」
ディエゴは苦笑混じりにそう答えた。彼自身、各地の貴族に呼ばれることはさして珍しくもなく、それ故、リーテ侯とも幾度も顔を合わせていたのであった。
歴史学をディエゴのように専門的に教えている者は、この大陸に僅か五人しかいない。貴族の教育の一旦を担う学問にしては甚だ少ないと言わざるを得ないが、これが現状であり、この分野がいかに難しいかを物語っていよう。
「名は父から伺っておりました。大層博識でらっしゃると、父は頻りに誉めておりましたわ。お顔を合わせるの初めてですが、どうか宜しくお願い致します。」
マーガレットはそう言って会釈をすると、今度はディエゴの後方に控えていたレヴィン夫妻へと視線を移し、「そちらは?」と尋ねてきたのであった。問われたレヴィン夫妻は数歩マーガレットへと歩み寄り、軽く会釈をして挨拶を述べた。
「私共はレヴィンと申します。私がヨゼフで、こちらに控えますは妻のエディアに御座います。」
「レヴィンですって!?」
夫妻の名を聞き、マーガレットは目を丸くしてしまった。先にミヒャエルと挨拶を交わした際にはミヒャエル同様、名しか明かしておらず、姓を口にするのはこの二人には初であったのである。
「あなた方…まさか、あのレヴィン家の方なの?多くの芸術家を排出している名家レヴィン家の…。」
マーガレットに問われ、夫妻は多少困った顔をしながら返答をしたのであった。
「そうに御座います。私共は音楽を生業としておりまして、今回は旅行がてらこの街を訪れたしだいです。」
レヴィン夫妻がそこまで挨拶を述べた時、横から今まで黙っていたミヒャエルが口を挟んだ。
「先程は姓を聞きそびれましたが…まさかレヴィン家の方とは…!」
「ミヒャエル!あなた、私にあんなこと言いながら、あなたの方が私以上に失礼ですわよ!人の挨拶は最後まで聞くものよ。大体あなたときたら…」
また同じような繰り返しに、エディアが溜め息を吐いて止めに入った。
「まあまあ、お二方。私共の姓は偉大な祖先のこともあり、伏せることも御座います。本当は、先に伝えておけば良かったのですわね。申し訳御座いません。」
エディアに頭を下げられたマーガレットとミヒャエルは、二人共に慌てて頭を下げ返し、先にミヒャエルが口を開いた。
「いや、こちらが姓を名乗らなかったのがいけなかったのです。改めて、俺は…シックハルトと言います。名のミヒャエルは発音しずらいので、ミックと呼んで下さい。」
こうして後、その資料室では歴史や美術、そして音楽など多岐にわたる話が展開され、ここに集った者達を大変満足させたのであった。
陽も陰り、欠けた月が星を引き連れて輝き出す頃、教会の門番が閉門を告げに来たため、五人は外へと出た。しかし、マーガレットはここで別れるのも惜しいと感じ、レヴィン夫妻とディエゴにどこへ泊まっているのかを尋ねた。
「私共はハインツさんの“ブルーメンシュトラオス亭”に泊まっております。」
問われてヨゼフが答えると、マーガレットはくるりとミヒャエルへと向きを変えて言った。
「私達もそこへ泊まるわよ!ミヒャエル、直ぐに別邸のマルクに言って荷物を運んでもらってちょうだい!」
そう言われたミヒャエルは、勘弁してくれとばかりに言い返した。
「君ねぇ、たまには自分で行けばいいだろ?馬車だってあるし、俺が先行って部屋用意してもらうから。」
「こんな薄暗い中、レディに一人歩きしろっての!?」
マーガレットは喚き立てているものの、ミヒャエルはそれを無視して先に歩いていたディエゴ達の後を追ったのであった。
「君なら大丈夫だって。それじゃ宜しく!」
「な…!ミヒャエル、お待ちなさ!」
藍の空の中に美しく輝く月が掛かり、五人の足元を明るく照らし出していた。風は春の優しき匂いを運び、まるで子を抱く親のようにも思えたのであった。
ただ…遠くからマーガレットのミヒャエルへの罵詈雑言がなければ、もう少し春の宵を楽しめたであっただろう。兎も角、こうしてマーガレットとミヒャエルもディエゴやレヴィン夫妻同様、ハインツの営む“ブルーメンシュトラオス亭”の客人となったのである。
“ブルーメンシュトラオス”とは、古い言葉で「花束」の意味がある。花のように人々を憩わせる場所になるようにと、ハインツの母が付けたものであった。
この“ブルーメンシュトラオス”の名はハインツにとって、今は亡き両親との思い出や幸福の象徴であったのかも知れない。
それ故、ハインツはディエゴの王都に移る勧めも断り、このフォルスタの街に留まり続けて宿を守っていたのであろう。
今も昔も、月は満ち欠けを繰り返しながら変わらずに、その優しい光で街並みを照らし出していた。
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