ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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OVA
~暗躍と進撃の円舞~
暗謀転身
猫妖精族の首都、ALOの中でも最大の橋《ログ・ブリッジ》で繋がっている孤島に栄える街、フリーリア。
尖塔の街とも呼ばれる、古代ヨーロッパの美しい城は今まさに、燃えるような夕闇のオレンジから濡れたような宵闇の青紫へと変貌しようとしていた。
明度の低下に伴い、街の各所に設置された街灯に灯が点る。現実世界とは違い、電気を使わないそれらは時間とともに緩やかに変色する色合いを、そびえる幾多の尖塔群に反射させて、景観に神秘的な色を与えている。
そして、大規模な魔法戦があったばかりというのに、通りを行きかうプレイヤー達の声はいつもと変わらず賑々しい。いや、選挙戦の発表が今夜に迫っているからか、常と比べより一層華々しいような気さえしていた。
気が早い奴が挙げたのか、そこそこ値が張る花火が一、二発、帳を下ろそうとしている空に朱を差す。腹に響くサウンドエフェクトが残響を引きずって減衰していく中、ぱらぱらと散る鮮やかな火花が異様に映えた。
執務室に嵌められた巨大硝子を通してその光景を見ていたケットシー領主、アリシャ・ルーはほう、と小さく溜め息をついた。
だが直後、いけないと首を振る。
彼女自身は上下関係などないとは思っているが、領主という立場上どうしてもピラミッド構造は形成されてしまうものだ。多くの者を従える上の者は、その特権の代わりに常に下の者達の規範足らねばならない。自分の弱気はすぐに伝播するものだ。
―――サクヤちゃんみたいに、いっつも気張ってるコトなんてできないけどネ。
大きなリングのはまった三角耳をほにほにしながら、リアルでも親友の領主仲間を思い出してアリシャは唇に薄く笑みを浮かべた。
いつも毅然とし、領主をそのまま体現しているかのような彼女と比べ、自分がいかにだらしがないかははっきりと自覚している。
だが、今のような火急の事態の時くらいは、せめて不安に揺らぐ領の皆――――のみならず、領を賑やかにしてくれる他領のプレイヤー達のために心血を注がねばなるまい。
そこまで考え、もう一度少女は軽く息を吐く。
だがそれは溜め息ではない。レイド戦に赴く前に行う深呼吸のようなものだ。普段の様子からは考えられないような冴え冴えとした光を麦穂色の瞳に宿しながら、アリシャは大窓から目線を外した。
アリシャの背後で、完全に日が落ちる。
照明を切っている執務室内に完全な闇が忍び寄るが、全種族中随一の視力を持つケットシーにはこの程度の暗闇はものの程度ではない。
猫の眼のように薄く光って見える双眸で、視線を巡らせる。
執務室でもっとも大きな自分の執務机。それを囲うように、執政部の面々が並んでいた。昼前の騒々しさが嘘のようにナリを潜め、その顔は一様に暗い。
さて、と。
ケットシー領主は言った。
「報告を」
「……はい」
静かに言ったその言葉が、沈黙に水を差す。
バサリと羊皮紙アイテムを広げる部下の手も、心なしか震えていた。
「土妖精領、隣の音楽妖精領民からの情報提供にて挙兵した、と。推定兵力は約百五十。領からの出奔は情報が錯綜していて不明です。が、開戦準備だけは確認されました」
「四鋼将は?」
「当然、入ってくるかと」
ふむ、と鼻を鳴らすアリシャだが、少なくともこの議論に明確な答えはない。
彼女は諦めて「次」とおざなりに言った。
「風妖精からの定期便が折り返したという報告が。あちらの領に滞在する領民によると、領内での反ケットシー領の声が上昇してきているようなので、そのための一時的処置かと」
「……そう、サクヤちゃんが」
飼い馴らしスキルで旧運営体時代から騎乗動物を提供してきた縁で、ケットシーとシルフは伝統的に仲がいい。その結果がALO開闢以来初めての種族同盟なのだから。
だが、そんな関係にも反対勢力は存在するものだ。同じ領主として、相反する領民の狭間で板挟みになる心苦しさは心得ているつもりだ。領民を第一にした親友は責められない。
アリシャは思わず額の、領主を示す徽章に触れ、その冷たい感触を指の腹に感じながら、「次」と言った。
「火妖精、昨晩の件からほとんど動きはありません。公的文書も現在まで確認できず、不気味なほど不動の態勢です」
「《猛将》も?」
はい、という淡々とした返事を聞きながら、アリシャは唸る。
サラマンダーは本来、ALO九種族の中では最強クラスの実力を秘めている。それもこれも今現在同盟を組んでいるシルフの旧領主を殺したからだ。
だがシルフとケットシーが連合を結んだ現在、彼らの過激思想は押さえつけられている状態だ。
四方八方から追い詰められつつある今のケットシーに対し、嫌がらせの一つもないとは解せない。
だが、あのトカゲどものことなど一々突っかかっていても時間の無駄だ。バカはバカらしく、大人しくしていてもらおう。
アリシャはふん、と鼻を鳴らすと、「次」と言う。
「水妖精は、調査隊と交戦の後、かなりの険悪ムードになりつつあります」
「そりゃ、根っこの話から噛み合ってないないからネー」
「他種族――――プーカ領はウチにいる自領民を避難しようという動きが。鍛冶妖精は、新たな大口取引を見合わせるかもしれない、と」
なるほど、と。
小さな領主は黒檀の机上に広げられた羊皮紙の束を一瞥する。
現存する情報はあらかた出尽くした。
おおよそどこの領も、現在ケットシー領が陥っている危機は把握しているだろう。だが、即座に軍事行動は起こさない。誰もが隙を窺い、周りを見渡して一番非がある《一番先に攻める役》を押し付け合っている。
従って、現状やられたら一番厄介なゲリコマ戦術も、当分は行われない――――と信じたい。少数による破壊が目的ならば、昨夜のサラマンダー小隊が起こした魔法戦で牽制になっているはずだ。
―――結局は、憶測に近い信頼、かナ。
益体のないことを考えていることが自分でも分かり、ふっとアリシャは苦笑を漏らす。
次いで顔を引き締め、執務机を囲む執政部の面々を見上げ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「黒幕の狙いは、これら各領の動きに焦った私達が狼騎士や竜騎士を出すことだヨ。そして出した結果、爆発的に膨れ上がったケットシー全体への不満によって、運営体を動かすこと」
「……黒幕は、存在するんでしょうか」
執政部に籍を置く一人が言う。
彼女は立場で言えば充分古参、幹部候補だが、この場においてそんなことは些末だ。
意見のすり合わせ。
アリシャはサクヤとは違う。自分は万能ではないし、どちらかといえばだらしない。だからこそ、有能な下の者を頼るのだ。
「いるヨ。一連の情報攻撃が偶然じゃ片付けられナイし、何よりレン君がいなくなったこのタイミングが露骨すぎる。これじゃハナから隠してないのと同じだヨ」
「というか、それを含めて挑発なのでは?」
「見つけてみろよってか?」
「あり得る話だ」
「しょーじき、こーなってくるとサラマンダーが白ってーのも疑わしくなってくるよね」
「裏の裏、まで読まれてるって?」
「そーそー」
ただの雑談ではない。
無駄な情報が極限まで削り殺された議論という名の言葉が広がっていく。
部屋をわざと薄暗くしているのは、言葉を放つ責任を少しでも軽くさせるためだ。
「最終的に、そうやって疑心暗鬼に陥らせるのが敵さんの狙いでは?」
「けど、時間を稼いで向こうに何のメリットがあるの?あたし達にフェンリルやドラグーンを出させて、結果として運営を動かしてテイミングスキルに下方修正をさせるのが目的なんでしょ。ここは明確な仮想敵を出してくるはずでしょうが」
「たぶんそれが、本来ならサラマンダーの役目だったんじゃない?けど、ヤツらが思ったより腰抜けだったから計画がズレてきた、とか」
「そりゃートカゲ連中がこの局面で動かないなんて予測できんわ」
「てことは本格的にマンダーは白……?」
「確率は高いな」
顔を突き合わせる一同。そこに、比較的新人層にいるプレイヤーが手を挙げる。
「あの、すいません。脱領者――――もしくは領とは関係のない単一のギルドのような組織の可能性は……?」
「ウーン、否定はできないヨ?ただレネゲイドもギルドも、ここまで大事起こせるほどの力を持ったトコは稀だし、何より大なり小なりどっかの領の幹部クラスにパイプ持ってるトコは更にいないかも」
種族のしがらみから脱し、レネゲイドになったプレイヤー達と、自種族のために身を粉にしてきた幹部クラスプレイヤーとの間には大きな溝がある。仲間にはなれるだろう。一緒にダンジョンに潜ることもあるかもしれない。だが、政治的に助力を請えるかと言われれば別だ。まして、そのレネゲイドの集合体である大手ギルドなどは、もう論外だろう。
どちらが悪い、という話じゃないんだけどナ、とアリシャは小さくため息をつく。
自分自身、レネゲイドの主義信条を否定する気はない。領主としても、種族のしがらみというのは一番身に染みている。毛嫌いする理由も分かるものだ。
アリシャ自身、何の制約もなく冒険に出かける彼らに羨望を覚えたというのも嘘ではない。
―――いや、それは向こうも同じ、なのカナ。
「……というと、領主は敵が一つの種族だと?」
「種族全員ってワケじゃないケドね。たぶん、種族中枢に関わるプレイヤーによるものじゃないかな」
アリシャの言に、む、と一同は唸る。
「……決め手が欲しいですね」
おとがいに指を這わせ、執政部の一人がそう愚痴る。
「とはいえ、犯人突き止めてもどーするってんですか?こっちが動いたら、それにかこつけてあることないこと言いふらされて下方修正喰らいますよ」
「確かに、問題は犯人よりもそっちなんだよなぁ」
「その状況もまた、敵さんの予想通りってトコなんだろうさ」
ぱら、ぱら、と羊皮紙がめくられる音が執務室に響く。
「やっぱりここは、シルフを同盟条約を盾に動かすしかないのではないですかー?」
「しかしそれだと軋轢を生みかねん。長い目で見たら、こっちの首が締まる結果になるかもしれんぞ」
「つっても、このまま手をこまねいててもダメでしょ。この情報攻撃に何の手も打てないとなったら、種族全体の信用にかかわってくる」
レプラコーンのような、根っからの商人種族ではないケットシーにとって、戦闘面での信用の喪失は結構痛い。
大規模なイベントバトルなどで他領に呼ばれなくなると自然とレネゲイドは増加する。領に繋ぎ止めておくためにも、執政部としてはこの混乱でも冷静に手を打っているという姿勢だけはアピールし続けていなければならない。
何か手は打てねばならない、だが打ったら打ったで根も葉もない噂を流される。
―――どっちにしても、敵サンの思惑通りってワケだネ。
ケットシー特有の、ネコ科動物を彷彿とさせる大きな三角耳をぱたぱたさせながら、アリシャは唸る。
この場合、中途半端な策が一番危険だ。信用を落とし、噂も流されるダブルパンチになりかねない。
切り札はあるのだ。
あとはそれを相手のクリティカルポイントに叩き込むだけなのだが……。
「それができないから苦労してるんだけどナー」
「は?」
ぼそりと呟いた領主の言葉に首を傾げる部下に「何でもない」と適当に手を振ってアリシャは天板に上半身を投げ出す。
領主の痴態に、しかし誰もが何も言わない。普段の彼女の言動から慣れているというのもあるし、何よりそうなるのもやむなしと分かっているのかもしれない。
―――結局はそこ。真犯人の種族が分かりさえすれば、後は何とか行けるかもしれないんだヨ。
だが、絞り切れない。
ほぼシロに近いと検討づけているサラマンダーを抜きにしても、残りの容疑者は七種族にも上る。そして、この場合の読み違いが致命的なのは言わずもがなだ。
種族の命運を分ける決断。
その重みに思わず身を震わせる一同だったが、その空気は新たな闖入者で切り裂かれる。
バン!!と。
執務室の大扉。それを半ば体当たりするように開け放ち、毛丈の長いカーペット上にもんどり返ったプレイヤーがいた。
間違っても精悍という感じは取れない、ケットシーにありがちな極めて平凡な矮躯だ。髪型も、そんな凡庸さから脱しようとしてところどころハネてはいるが、覚悟足らずで中途半端なことになっている。
身に纏うは、各所にセットするタイプの軽装鎧で、防御より敏捷力を重視したその装備は戦士というより盗賊という印象が強い。
だがそのどちらにしても、こちらを見上げた垂れ目が台無しにしている。どう見ても、武官より文官、という感じが否めないからだ。
……というか。
床に顔面を強打した少年を見たアリシャは、素っ頓狂な声を上げた。
「フニ君じゃない。どうしたの?確かキミには、フェンリル隊に合流して迷子捜しを手伝ってあげてって言ってたはずだヨ?」
本アバター名は……忘れたが、頼れる執政部の新人君だ。
彼はサラマンダーの交易キャラバン襲撃事件の後詰め調査の隊長として任命していた。その後ウンディーネに襲撃されて死に戻りした後は、人員不足なフェンリル隊の方面に応援に行って貰っていたはずだ。
―――命令違反?
だが、それは彼とは宇宙一縁がないような言葉だ。何か明確な理由でもなければ、この牙が最初からないポメラニアンみたいな少年がそんなことをする訳がない。
眉を顰める執政部の面々に向かい、しかし息も絶え絶えな少年はまったく予期せぬことを言った。
「わかっ……わかりました!判ったんですッ!」
格好悪く、全然キメられていないながらも、それでもフニは、この場の誰もが欲しかった言葉を口にした。
「敵は――――影妖精です!!」
戦が、加速する。
後書き
政治劇の一番素敵というか売りな点は、脇役が輝くことだと思っています。大統領だとか幕僚長とか、そんなお偉いさんももちろん格好いいんですけど、会社で言えば平社員が立派に表舞台に上がって主役として頑張れるっていうことは、もうそれだけで大きな利点に見えます。
今回ケットシー側が個性豊かな語尾だったり口調だったりするのは、そういう側面を意識してのことです。なんというか、彼女達は主役ではないその他大勢ではなく、きちんと『生きている』を表現したかったからなのかもしれませんね。
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