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トシサダ戦国浪漫奇譚

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第一章 天下統一編
  第十一話 策謀

 俺は軍議が終わると長久保城を離れ郊外にある設営された自分の陣屋に戻った。陣屋は急拵えで揃えたものであまり立て付けが良くはない。明日には引き払うからしっかり作る必要もないから、これで十分だろう。
 俺が陣屋に到着すると小姓達が出迎えた。俺は彼らに家老を呼んでくるように指図し、俺は玄関の式台に腰をかけ座る。残った小姓の一人が水桶を持ってくる間、もう一人の小姓は俺の草履と足袋を脱がしてくれた。その後、俺は小姓に足を洗ってもらうと陣屋の奥へ進んでいった。
 現在、俺に仕える家老は四人いる。小出吉清、藤林正保、岩室坊勢祐、曽根昌世。俺の叔父、小出吉清、はこの場所にはいない。彼は筆頭家老として俺の所領、摂津国豊島郡、に下向させた。これは彼に内政を任せることにしたからだ。彼は戦場より事務仕事が得意でこの人事に凄く喜んでいた。その彼の知行は千二百石だ。俺は彼を百五十石で家臣にした。しかし、他の家老との兼ね合いもあり千二百石に加増した。他の三人は千石で揃えている。お陰で俺の台所事情は凄く悪い。
 秀清には京を去る時、金欠になったら秀清の家に居候するから頼むと伝えている。秀清は俺の話を聞き「おう! 任せておけ」と言っていた。持つべき者は親類である。他の家老達にはこうも気軽に言えない。知行が一万石でも家臣を雇うたびに自由になる知行が減っていく。当たり前のことだが世知辛い。より多くの家臣を雇うために贅沢をするのは当分できそうにない。百万石とはいはないが十万石位領地があれば大分楽になるんじゃないかと思う。これで伊豆一国を貰えないと凄く困ることになる。
 俺は軒下を歩きながら外を陣屋を警備する足軽達に目をやった。彼らは俺の姿を確認すると膝を着き頭を下げた。北条攻めに連れてきた兵数は五百だ。
 ああ頭が痛い。
 兵数五百といえば二万石級の動員だ。非戦闘員も合わせると八百人弱いる。兵糧がいる。金がいる。泣きたくなってくる。仏心に絆されて家臣を抱えすぎてしまった。津田宗恩が連れてきた者達は訳ありの武士ばかりだった。武勇は優れているが敵が多すぎる。
 俺は軒下から覗く空を眺めた。俺の暗雲が立ちこめる心境をあざ笑うかのように晴天だ。俺は恨めしそうに空を眺めると溜息をついた。
 津田宗恩も良かれと思って紹介しれくれたに違いない。
 そういえば。津田宗恩から選別をもらった。銀四十貫と鉄砲を二百丁。この陣屋に置いてある。銀は全部で重さ百五十キロあり、現代価値にして二千四百万円位の価値がある。津田宗恩に「どうして俺に高価な品をくれるのか」と聞いたら「小出様が出世されれば何倍にもなって返ってきます。これくらい安いものです」と笑いながら俺に答えていた。
 俺は足軽達に警備に戻るように命令し、再び陣屋の奥に進んでいった。奥には座敷があった。俺はその座敷に入っていき、一段高い場所に腰をかけた。しばらくすると家老三人が集まってきた。俺は家老達に軍議の内容を説明することにした。

「関白殿下から韮山城攻めに加わるように命令を受けた。それと韮山城主、北条氏規、を降伏させ身柄を拘束しろと直々に指示を受けている」

 俺の話に家老達は驚いた表情になり沈黙した。これから攻める城の城主の身柄を拘束しろとは無理難題もいいところだ。北条氏規を降服させることが俺にできるのか不安しかない。面識のない俺の言葉に北条氏規が耳を貸すと思えない。

「無傷ででしょうか?」

 藤林正保は沈黙を破り俺に質問を投げかける。

「北条氏規を無傷で拘束しろとは命令されていない。まあ無傷にこしたことはないだろうな。死ぬような傷を負ってなければいい」

 家老達は安堵の表情に変わる。北条氏規を殺したり廃人同然にしたら徳川家康の俺に対する心象は悪くなるに違いない。それだけは可能な限り避けたい。
 最悪の事態に陥り北条氏規を殺すしか道がない場合、俺以外の武将が止めを刺すように仕向ける必要がある。誰に殺させるか。血の気の多そうな福島正則にするか。福島正則は確か秀吉に仕官する前に人を殺している狂暴な男だ。

 「韮山城攻めに参加する方々の名前をお聞かせくださいますか?」

 曽根昌世が韮山城攻めの軍の陣容を聞いてきたから俺は包み隠さず説明した。

 韮山城攻めの総大将は織田信雄。
 参加する武将は織田信包、蒲生氏郷、稲葉貞通、筒井定次、生駒一正、蜂須賀家正、福島正則、戸田勝重、岡本良勝、山崎片家、中川秀正、森忠政、細川忠興、俺。

 軍の陣容を話し終えると、曽根昌世だけでなく藤林正保も懸念があるのか渋い表情になった。岩室坊勢祐は彼らの反応とは異なり気に留めている様子はなかった。

「生駒親正が参加するのですか?」
「参加する。惣次大夫と伊賀守には俺から伝える」

 藤林正保の問いに俺は即答した。この惣次大夫と伊賀守の名はそれぞれ十河存英、十河保長という。彼らは津田宗恩の紹介で俺の家臣になった。十河存英は俺の一歳年上、十河保長は俺の二歳年下だ。二人とも元服をしていなかったため俺が烏帽子親となり急遽元服させ、十河存英に七百石を十河保長に五百石をそれぞれ与えた。三万石の大名だった讃岐十河家一門には心苦しいが今の俺にはこれ以上出せそうにない。この二人には戦働きを期待していない。期待しているのは彼らに追従してきた十河旧臣達だ。彼らは十河家嫡子、十河千松丸、の件で生駒親正を八つ裂きにしたいくらい憎んでいる。
 十河存英と十河保長、それに十河旧臣達によると、十河千松丸は生駒親正によって毒殺されたと訴えている。ただし証拠はない。だが、十河存英達の話を聞くと状況証拠から生駒親正は限りなく黒だ。十河千松丸は生駒親正の元で養育されたが、生駒親正からは疎まれていた。その証拠には生駒親正は十河千松丸に鼻紙代と称して三千石を与えていた。鼻紙代という部分に嫌味を感じる。
 その後、十河千松丸は秀吉に謁見する機会を得る。この時に秀吉は生駒親正に十河千松丸への処遇を叱責したらしい。そして、十河千松丸が讃岐国に帰国直後に彼は急死した。誰の目にも生駒親正が殺したように思える。俺もそう思ったが立場上、軽率な言葉は口にしなかった。
 生駒親正は十河存英達に十河千松丸の遺体との対面すら許さなかったそうだ。この辺りにも生駒親正に後ろめたさがあったのではと勘繰ってしまう。
 十河存英達を召抱える時、生駒親正の屋敷に俺が直接出向き会ったことがあるが善人面した欲深い悪人に見えた。生駒親正は十河存英達を召抱えることに不服を言うことなく逆に手放しに喜んでいた。十河存英達のことが余程邪魔だったのだろう。
 十河旧臣達を召し抱えるにあたり問題が起こった。彼らは七百五十人いる。これを全員雇うことは難しい。そこで小身の者は俺の直臣として五十人ほど雇用した。残りは客分として俺の領地でしばらく生活してもらうことになった。彼らには北条征伐後に秀吉から七万石を与えられるお墨付きを得ていることを伝え、全員雇うから今は我慢してくれと頼みこんでいる。行く当てが無く困っているようだった彼らは俺の申し出をとりあえず受け入れてくれた。
 秀吉から加増されれば間違いなく人手が無くて困ることになる。十河旧臣達は絶対に手放すつもりはない。

「殿、十河の者達だけなく、悪右衛門達も気をつけた方が良いと思います。悪右衛門に他意がなくとも細川忠興は悪右衛門達のことを殺したがっています」

 曽根昌世は赤井直義の名を出した。赤井直義は丹波赤井氏の出身で最近まで京で隠棲していたが津田宗恩が俺に紹介した人物だ。彼の父親は「丹波の赤鬼」と恐れられた赤井直正だ。
 丹波赤井氏は当時織田軍であった明智光秀に滅ぼされた。その後、明智光秀が滅び丹波国に領地を持ったのは細川忠興の父、細川藤孝、だ。丹波の領主になった細川家は赤井直義をどういうわけか付け狙っている。
 細川藤孝と赤井直義の件は話をつけた。だが細川忠興は赤井直義を見逃す気がなく不満を抱いているようだった。父親の前では露骨に不満を口にしなかったが、俺のことを睨んでいた。あの目は赤井直義を殺す気満々だ。戦場のどさくさに紛れて赤井直義を暗殺しに来る可能性がある。韮山城攻めに細川忠興が参加する。
 ああ。頭痛がしてきた。

「生駒親正と細川忠興の陣から離れた場所に陣を張るつもりだ。俺は軍監みたいな存在だから内大臣の側に居ればいいと思っている」
「それがよろしいでしょう」

 曽根昌世は俺の提案に同意した。藤林正保も俺の意見に同意見なのか頷いていた。
 ここで話に出ていないが津田宗恩が紹介してくれた人物がまだいる。彼らも凄く曰くがある。おかげで黒田長政から睨まれることになった。
 彼らは黒田家に虐殺された豊前|城井(きい)氏の残党だ。この一族は関東の名門、下野宇都宮氏、と同族になる。北条攻めで何かの役に立つと思い考えなしに召抱えたが薮蛇だった。当主・城井鎮房、その嫡子・城井朝房は黒田家に惨い殺され方をした。俺の元に身を寄せているのは城井鎮房の四男・城井経房とその城井家家臣三十人だ。城井経房は俺に仕官する時に城井朝房の遺児による御家再興を願い出てきた。俺の陪臣でいいならと受け入れた。俺も一度雇った以上は責任を持って彼らを守るつもりでいる。だが陰険な黒田長政に睨まれることで胃が痛くなる。黒田長政は後藤基次を執拗に追い込み死に追いやった危険な男だ。父親の黒田孝高は物分かりがいいのに黒田長政は血の気が多く陰険だ。俺のところに定期的に手紙を送ってくる。手紙は開封せず読まないことにしている。
 領地の大半を俺の家臣達にばら撒き金欠状態で頭が痛いのに、その他のことで頭が痛いことが増えている。俺は頭を押さえながら深い溜息をついた。家老達は俺に声をかけない。もう、俺の日課だから敢えて声をかけなくなっている。俺もそうしてくれる方がありがたい。

「殿は韮山城でどう動かれるつもりなんです?」

 ずっと黙っていた岩室坊勢祐が開いた。

「北条氏規の家臣、江川英吉を味方につけるつもりでいる。俺が北条氏規を直接交渉しても彼が心変わりするとは思わない。徳川には江川英吉の子供、江川英長が臣従し、徳川の旗本として北条征伐に従軍している。徳川に口利きをして貰えればことが順調に運ぶと思うんだが」
「親子で敵味方に分かれる。大勢力に囲まれた国人の悲哀を感じますな」

 曽根昌世はしみじみとした様子で呟く、俺のことを厳しい表情で見た。

「殿、江川氏を調略すること容易なことではありませんぞ。それと、徳川に軽はずみ頭を下げるのは止めるべきです」

 曽根昌世が俺に釘を刺してきた。元徳川家臣だから徳川家康とあまり積極的に関わりたくないのだろうか。彼の表情は徳川家康のことが好き嫌いで言っているような様子は無かった。

「徳川から話を持ちかけてくれる可能性はないか? 北条氏規は徳川家康と友人だろう」

 俺は身内だけの合議の場であるから徳川家康のことを呼び捨てにした。家老達も気にした素振りはない。

「徳川家康は情にほだされるような御仁ではありません。必要とあれば最愛の嫁も息子も迷わず殺します。そう割り切れる人間です。冷酷非情な人間とは言いませんが己の身を守るためなら誰でも躊躇なく殺します。もし殿に話を持ちかけるなら向こうに利があると見るべきです」

 曽根昌世は俺の考えを斬って捨てた。徳川家康に一時期とはいえ仕えた者の話だけに含蓄のある答えだ。
 確かに戦国大名が良い人で務まるわけがないよな。だが、徳川家康は戦国大名の割には残虐な真似はあまりしていない。昔の恨みを忘れない根暗な面もあるが、戦国大名の中では甘い部類だと思っている。三河一向一揆の時も裏切った家臣を許しているし、寺も破却することで許している。あまり苛烈な真似は好まない人物じゃないだろうか。徳川家康にも残虐な話はあるが戦国大名なら一つや二つ位はあるだろう。

「内匠助殿、韮山城を落とすためには江川英吉を調略するしかない。有象無象の国人を調略しても北条氏規の心を動かせなければ意味がないでしょう。韮山城に江川の名を冠した砦があるということは北条家から重用されている証と言えます。」

 徳川家康を頼ること否定的な曽根昌世に藤林正保は意見した。俺も江川英吉を味方につける計画を変更するつもりはない。これしか無いだろう。

「長門守殿、それはわかっています」

 曽根昌世は藤林正保の意見に反対することなく同意した。徳川家康の力を借りることに否定的なだけで、曽根昌世も江川氏を調略することには賛成のようだ。
 韮山城を攻めるも北条氏規に降伏されるにも、韮山城の内部に協力者を作る必要がある。その人物として適役なのが江川英吉だ。江川家は韮山城のある地域を古くから領有して土豪の一族だ。土地勘もあり韮山城のことも良く知っているはずだ。だから徳川家康は江川英吉を内応させたのだろう。それに伊豆国と徳川領の位置関係から韮山城攻めは徳川家康が命じられる可能性は十分にあった。事前に伊豆国を調略を進めていたのはそれが理由だろう。

「殿、思い違いされておられるようですな。江川氏は既に立場を決めております」

 曽根昌世は厳しい表情で俺に言った。

「北条氏規の元に江川英吉、徳川家康の元に江川英長。お分かりになりませんか」

 俺は曽根昌世が指摘した内容に既視感を感じた。関ヶ原の戦いの前に真田昌幸と真田信之は西軍と東軍に分かれて戦う道を選んだ。

「江川英吉は北条氏規は絶対に裏切らないということか?」

 俺は表情を固くして曽根昌世に聞いた。曽根昌世は深く頷いた。

「内匠助殿、そうとも言えないだろう。豊臣家が絶対に勝利すると思えば国人は豊臣家に靡くはずだ」

 藤林正保は曽根昌世の考えに難色を示した。

「ただの伊豆国の国人であればそうでしょう。ですが、早雲公以来仕える江川氏なら意地も誇りもあるでしょう。死ぬ急ぐような真似はしないでしょう。息子を徳川家康に遣わした理由はどちらに転んでもあわよくば互いの助命を得ようという国人らしい強かなずる賢いやり口です」

 曽根昌世は国人領主のことを軽蔑したような口振りだった。だが、俺は国人領主のそういう面は逞しさだと感じた。誰も死にたくないに決まっている。だから、必死に生き残れるように布石を打つのだと思う。

「それは買い被り過ぎでは無いですか? 国人領主は口で忠義を言っていても情勢次第で簡単に裏切ります。殿の話では北条は堅牢な城に長期間籠城し敵の兵糧が切れるのを待つ戦い方を得意とするという。ならば、北条の本拠である小田原城が落ちねば降伏はせんでしょう」

 藤林正保は曽根昌世の考えに否定的なようだ。

「殿、風魔衆を召し抱えるつもりはございませんか?」
「長門守、風魔衆が俺に従う可能性はあるのか?」
「風魔衆から接触がありました。彼らもここにきて風向きが悪くなったことを感じているようです。奴らは前線で活動するため鼻が良くききます。今までとは違うと感じるのでしょう。それに風魔衆は北条の扶持を食んでいるといっても捨て扶持で雇われる身分です。正式な武士とはいえない。徳川家康は風魔衆を拒絶しています。だが、風魔衆にはそう伝手はない。それで接触をしていた私を頼ってきたのでしょう」

 俺は思案した。風魔衆は忍者というより賊徒の雰囲気がある。

「風魔衆は私に降る条件に何を掲示している?」
「殿の家老として仕えさせて欲しいとのことです」
「俺の家老!?」

 俺は驚いてついつい地が出てしまった。どういう了見でそんな要求をしている。

「関白殿下に伝手を頼みたいでなく、俺みたいな小身の家老になりたいのか?」
「知行もなく捨て扶持で雇われる風魔衆が知行安堵状を欲する訳がないです。彼らはしっかりとした地盤が欲しいのだと思います」
「それを私が与えてくれると考えているのか?」
「少なくとも殿なら話は聞いてくれると思ったのでしょう。召し抱えた家臣達を探れば分かることです」

 俺は沈黙し考えた。曽根昌世は話に参加してこなかった。俺に一任するということだろう。これは俺が決めることだからな仕方ない。

「風魔小太郎はただ家老にしてくれとは言っておりません。殿に頭領、風魔小太郎、の娘を差し出すと申しております」
「長門守、嫡子ではなく娘か?」

 俺は苦笑いしながら藤林正保に尋ねた。藤林正保は頷いた。人質なら嫡子を差し出すのが筋だろう。それは出来ないか。そんな真似をすれば北条氏に感づかれる。

「風魔小太郎には娘しかいないのか?」
「風魔小太郎には男子が数人おります」
「それで娘か」

 俺は興味を失ったように呟いた。

「風魔小太郎は俺を舐めているのか?」

 俺は怒りを隠さず藤林正保に言った。

「風魔小太郎は殿のことは舐めてなどおりません」
「人質は男子を差し出すが道理だろう。嫡子ならば北条家に気取られるためと言い逃れも出来ようが他にも男子がいるのなら到底承服できない」
「風魔小太郎は言葉通り娘を差し出すと言っております。殿に娘を献上すると言っているのです」
「長門守、俺が十二歳だと伝えてたのか?」

 俺は鋭い目で藤林正保を見た。

「申しました。それでも娘を差し出すと言っておりました」
「娘の歳はいくつだ?」
「十六歳です」

 俺は眉間に皺を寄せ考え込んだ。風魔小太郎は何を考えているのだ。俺を殺す気か。その可能性はあり得る話だ。だいたい乱歩の頭領の娘に人質の価値があるか甚だ疑問がある。

「長門守、素破の頭領の娘を差し出されて人質の価値があると思うか?」
「殿はそう思われるのですか?」

 藤林正保は真剣な表情で聞き返してきた。乱歩とはいえ赤い血の流れる人の子だ。自分の娘は可愛いだろう。こんな敵地に送り込むことは気が引けることと思う。

「思わない」

 俺は考えた末に自分なりの考えを出した。

「だが、その娘が風魔小太郎の娘である証拠があるのか? この私を殺すために送り込まれた素破の可能性もある。風魔小太郎に娘と別に手土産を用意しろと申しつけよ」
「手見上げとは具体的に何を望まれるのでしょうか?」
「私は韮山城に籠もる江川英吉と徳川家康の旗本となった江川英長は裏で通じていると見ている。どうしても違和感を感じるのだ。友人同士である北条氏規と徳川家康に江川の者がいる。だから、二人の間で連絡ができなくなるようにしろ」

 俺は冷たい目で藤林正保を見た。藤林正保は唾をごくりと飲み込んだ。

「江川英吉と江川英長が通じているなら必ず連絡を取り合うはずだ。風魔衆なら土地勘があるだろう。連絡役を全て殺せ。江川英吉と江川英長が不安を煽るためにな。風魔衆がこの役目を全うできれば北条征伐後に家老として召し抱えると伝えよ」
「仰せしかと承りました。では殿の直筆の書状をいただけませんでしょうか?」

 藤林正保は俺に平伏し書状をくれと言ってきた。俺は後で書くというが早く書いて欲しいと急かされ、小姓に机と硯と紙を用意させた。俺は筆を走らせながら議論をする羽目になった。

「もし、殿の見立て通りならば江川英吉を私達に降伏させることができます。ですが、もう一押し足りません。徳川の素破を南豆州に近づけないように掃除が必要です。徳川家康は必ず焦るはずです」

 曽根昌世は口角を上げ俺のことを見た。俺も口角を上げ笑みを浮かべた。

「長門守、やれるか? これが私達の将来を決める戦となる」

 俺は藤林正保を真剣な顔で見た。藤林正保は深く頷いた。

「問題ありません。必ずやりとげてみせます」
「金が必要なら、津田宗恩から貰った餞別がある。自由に使ってくれ」
「殿、ありがとうございます」
「別にいいさ。金は使うべき時に使わなければ意味がない」

 俺は藤林正保と曽根昌世の顔を見た。これで後方の攪乱は心配ない。風魔衆が本当に俺に味方したか分かるはずだ。もし、動きが無ければ裏切ったと見做し娘は衆人環視の元で磔にさせてもらう。

「殿、韮山城は如何に攻められますか?」
「江川英吉が篭る江川砦を攻め落として味方につくように説得する」
「もし、江川親子が通じて何か画策していれば動揺からこちらに靡く可能性はありますな。長門守殿、江川砦に篭る兵の数はどのくらいですか?」

 曽根昌世は俺の提案に乗ってくると藤林正保に話を振った。

「江川砦に篭る兵の数は百人位だ。それ以外に江川一族や家臣の家族達も篭城しているので二百人位はいる。それにかなりの数の鉄砲を運び込んでいる」
「鉄砲が幾らあろうとそれを使いこなせなければ敵ではない。長門守殿、江川兵は鉄砲の練度はどの程度です?」

 岩室坊勢祐が腕組みしながら藤林正保に聞いた。

「江川兵だけでなく韮山城に篭る兵は鉄砲の扱いには慣れているようだった。ただ、急造の鉄砲組もあるため練度にはばらつきがある」
「勝算は十分にあります。根来の者なら鉛玉と玉薬がある限り間髪居れず弾幕を張れます。その隙に砦に突入してくれれば何とかなります」

 岩室坊勢祐は胸を叩いて俺に言い切った。

「殿、江川砦の鉄砲組を封じ込めた暁には五千石をお願いいたします」

 岩室坊勢祐は口角を上げ笑みを浮かべ俺に論功の要求をしてきた。俺は秀吉から伊豆国を貰ったら家老達に一万石ずつ与えるつもりだった。それに彼らには発憤してもらう必要があるからな。

「勢祐、五千石といわず伊豆国を手に入れれば一万やる。だから、この北条征伐で精一杯死力を尽くしてくれ。長門守も内匠助もだ」

 俺は岩室坊勢祐、藤林正保、曽根昌世を順に見た。家老達は俺の申し出に目を見開くが直ぐにやる気に満ちた表情に変わった。岩室坊勢祐、藤林正保には子飼いの家臣がいるが知行が千石だから全員を呼び寄せることができずにいる。一部は俺の直臣にして彼らに与力として付けているが領地には限度があるからこれ以上は無理だ。だから、俺の加増の話は彼らを発憤させるはずだ。一万石もあれば彼らの郎党を全員呼び寄せることができるはずだ。

「私は伊豆国だけで満足しない。関白殿下は手柄次第では更なる加増を約束してくれた。俺も死ぬ気で頑張る。だからお前達も俺に着いて来てくれ」
「殿、剛毅な物言い気に入りました。岩室坊勢祐が殿のために手柄を取って見せます!」
「殿、この長門守も勢祐殿には負けませんぞ!」
「殿、必ずや江川砦を落としてみせます!」

 場の空気は盛り上がった。俺は今後の方針を反芻した。江川砦を落としても江川英吉がすんなりと俺に協力するだろうか。彼の後ろに徳川家康が控えていることを考えると俺に協力的にならない可能性もある。
 俺は風魔小太郎への書状を認め終わると自分の名前と花押を書き紙を乾かしながら何か妙案がないか考えはじめた。
 江川英吉を更に揺さぶるために手札が欲しい。江川英吉が俺に大人しく力を貸してくれる材料になるものはないだろうか。今の俺は何も持っていない。でも、国人なら領地を保証することだろうな。
 江川英吉が徳川家康に通じた理由は徳川家康が、東海道の大大名であり伊豆国と徳川領が接していることから、伊豆国に侵攻して来ると考えたからだろう。
 その後徳川家康がその土地をそのまま領有する可能性は大きい。そう考えれば徳川家康を頼るのは自然な成り行きだ。江川英吉には秀吉との面識がない。そうなると頼るべきは隣国で一番の大勢力となる。
 江川英吉を調略するには俺を信用できると思わせる必要がある。
 俺の肩書きでは江川英吉が降伏しても俺に積極的に協力するかは微妙だ。俺一人で無理なら徳川家康を動かす必要があるが、その選択肢はさっき捨てた。残る手立ては秀吉に頼るしかない。
 秀吉に伊豆国の知行安堵状を貰いに行こう。秀吉から怒鳴られる可能性があるが駄目もとで行くしかない。
 俺は乾いた書状を折り畳み紙で包み封をした。

「長門守、これが風魔小太郎への書状だ」

 俺が藤林正保に声をかけると、舞い上がっていた藤林正保は慌てて姿勢を正し恭しく書状を受け取った。

「江川英吉を味方に引き入れるために関白殿下に相談してくる」

 俺は藤林正保にそう言い、まだ盛り上がっている二人の家老をほっといて立ち上がった。すると家老三人の視線が俺に集中する。藤林正保は俺が脈絡もなく話したので要領を得ない様子だった。

「関白殿下にございますか?」
「何をなされに行かれるのです?」

 藤林正保と曽根昌世が訝しむように俺に聞いてきた。

「関白殿下から伊豆国の知行安堵状を貰うのだ」

 俺はあっけらかんと答えた。駄目なら駄目で違う方策を考えるだけだ。

「江川英吉の知行安堵状ですか?」

 二人とも勘違いしているようだ。だが、それでもいいな。秀吉から断られたら、江川英吉の知行安堵状を貰えるように頼んでみよう。

「違う。俺に伊豆国を与えると書いた知行安堵状だ」

 俺がきっぱりと言うと二人は仰天した顔で俺のことを見ていた。岩室坊勢祐は俺のことを愉快そうに見ていた。

「殿、流石にそれは無理ではありませんか?」

 藤林正保は狼狽した。

「分かっている。駄目もとで関白殿下に頼んでくる。無理なら江川英吉の知行安堵状を代わりにもらってくる」
「あまりにわがままな要求をされると関白殿下の怒りに触れるやもしれませんぞ」

 藤林正保と曽根昌世を諌めた。豊臣秀次の弟、豊臣秀勝、のことを言っているのだろう。豊臣秀勝は領地が少ないと秀吉に不服を申し立てて丹波亀山十万石を改易された。俺は豊臣秀勝のように馬鹿じゃない。徳川家康が伊豆国を調略済であることを報告して、彼の地が徳川家康の影響を強く受けることなると訴えるつもりだ。 
 その流れで伊豆国の国人達を徳川家康から引き剥がすために調略をするから、俺に知行安堵状を与えて欲しいと頼めば、秀吉も激怒して俺を罰することはないだろう。 
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