SNOW ROSE
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乙女の章
Ⅱ.Allemande
数年の後、シュカはすっかり教会の生活にも慣れていた。とは言っても、決して両親のことを忘れたと言うわけではない。
心細さに涙で枕を濡らすことは少なくなってはいたが、やはり思い出すと恋しくなるのは仕方のないことであった。
「シュカ、森へ木苺を摘みに行きましょうよ。天気も良いし、神父様にも許可を頂いてきたわ。」
窓から外の景色を眺めていたシュカのところへ、もう一人の乙女であるラノンがやって来た。
シュカは彼女の言葉に応じて窓から離れ、ラノンの傍らに歩み寄って言った。
「今頃は沢山実ってるんじゃないかしら?大きなカゴを借りて行きましょう!」
シュカがそう言うと、ラノンも「そうね!」と返答し、二人は揃って食堂へと向かった。
食堂の奥に厨房があり、そこに入るとシスター・アルテがいた。どうやら今日の食事係はシスター・アルテのようである。
「あらあら、二人揃ってお出掛けですか?」
シスター・アルテは微笑んで聞いてきたので、二人は「はい。」と返事を返した。
それからラノンは、シスター・アルテに大きめのカゴを貸してほしいと頼んだのであった。
「木苺を摘みに行かれるのですか?では、それに期待して、タルト生地を作っておきましょうね。お二人とも頼みましたよ?」
シスター・アルテはそう言って、厨房の奥から大きなカゴを持ってきてくれた。それも二つ。
そのカゴの一つに、シスター・アルテは何かを詰め始めた。
「お腹が空くと思いますから、軽食と飲み物を入れておきましたからね。」
恐らく、昼食に作ったマフィンであろうが、これは嬉しい心配りであった。
「ありがとう、シスター・アルテ!」
シスター・アルテはニコニコしている。実はこのシスター・アルテ、木苺が大の好物なのであった。
さて、二人は互いにカゴを持って裏庭に出ると、そこにはシスター・ミュライの姿があった。洗濯物を干しているようである。
「シスター・ミュライ!私達、これから森へ木苺を採りに出掛けてくるわ。」
シュカがそうシスター・ミュライに告げると、シスター・ミュライは手を休めて二人を振り返って言った。
「あら、それは楽しそうですね。沢山採れたらジャムも作りましょうね。なにか軽食はお持ちになりましたか?」
「ええ、シスター・アルテが持たせてくれたわ。」
シスター・ミュライに聞かれたため、ラノンはカゴを持ち上げニコリと笑って返答した。
それを聞いたシスター・ミュライも微笑んで言った。
「では気を付けて行ってらっしゃい。あまり遅くなると、神父様方も心配しますからね?」
「分かってます!夕方になる前には戻りますから。」
シュカがそう言って手を振ると、シスター・ミュライも可笑しそうに笑って手を振り返したのであった。
ここで出てきた二人のシスターだが、シスター・アルテは乙女ラノンの、シスター・ミュライはシュカの教育係を兼ねている。
だが、もう一つ役割が与えられていたのである。
それは“監視役”であった。
それと言うのも、ここは隔離された一種の世界であり、乙女達を汚れた世俗的世界へ入らぬよう監視していたのであった。
それが神の求めるものであると、この時代にはそう本気で考えられていたのである。
しかし、シスターや神父の言い付けを守っているうちは、これも緩やかなものになっていた。
彼女らはその点、優秀な乙女だったと言えよう…。
暫くして、シュカとラノンは森の中へと入っていた。
「シュカ、あそこの茂みに沢山実ってるわ!」
ラノンが指差してシュカに言った。
「まぁ、なんて沢山!シスター方が喜ぶわね!」
シュカは嬉しそうにそう言うと、ラノンと二人で駆けて行き、あれこれと語らいながら木苺を摘み始めた。
カゴは見る間に一杯となり、二人は満足げに微笑んだ。
「来て早々、こんなに沢山採れるなんて。なんて幸運なんでしょう!」
シュカは無垢な笑顔で、傍らにいたラノンに笑い掛けたのであった。
乙女達が訪れたこの森だが、気候は安定していて年中暖かい。だが、一度外へと出れば全く違い、四季の区別がはっきりとしている。
そのため人々は、この森を聖なる地と呼んでおり、森の中心へ建てられている教会に仕える者達以外、絶対に立ち入ることをしなかった。
その理由は、世俗の者が侵入すると惑わされて、この森から生きて出ることが出来なかったからと言われている。
そう言われるようになった理由は、この森で殉教した聖グロリアの話に由来しているのであった。
それは北皇暦時代の話しである。
ある年、大寒波がこの大陸を襲った。その時、一人の女性が自らの食べ物さえ人々に与え、寒さをしのぐ薪を作るために家まで壊したと言う。
だが、人々はそんな女性の親切を嘲笑うかのように、奪い去るようにして全てを持っていってしまった。
女性は既に弱り果てており、そんな彼女を救ってくれる者など一人も居なかったという。
その女性は寒さをしのぐために、深い森の中へと足を踏み入れていた。何も食べる物もなく、女性は痩せ細っていたのだった。
しかし、神はそんな女性をお見捨てにはならなかったのである。
神はその森に祝福をお与えになり、善き食物をその女性に与えた。
暫くして女性は元気を取り戻し、神の慈悲に深く感謝を捧げるべく、中心にあった泉のほとりに天幕を張り、神に祈りを捧げ続けたと言われている。
これが聖グロリア教会の始まりとされ、この森が聖地と呼ばれるようになった由縁である。
しかしその後、この女性は森へと進入してきた町人達に殺され、傍の泉へと投げ込まれてしまったのだとも伝えられている。
そのためか、この森は邪な者を遠ざける力を宿されたのだとか…。
それ故、悪意ある者がこの森に入り込むと必ず迷い、そして死に到るとされ、誰も近付こうとはしなかったのであった。
それは、人間本来の恐怖心からくるものであったのかも知れない。
さて、カゴいっぱいに木苺を摘んだラノンとシュカは、木陰にてお茶を楽しんでいた。
心地よい風がそよぎ木々をざわめかせ、木の葉の隙間から初夏を思わせる陽射しを二人に注いだ。
「ほんとに良い日和ねぇ。来て良かったわ。」
ラノンが木漏れ日に目を細めながら、傍らに座るシュカに言った。
そこでシュカも微笑み、「そうね。」と返事をしたのであった。
そうした優しい日々は二人を包み込み、この平安はいつまでも続くものだと信じていた。
シュカだけは…。
ラノンは知っていたのだ。これからどのような運命が自分を待っているのかを…。
だが、それを語る必要はないのだ。妹のようなシュカを、わざわざ心配させる必要性がどこにあるというのだろうかと、ラノンは心の中で一人呟いたのであった。
出来るものなら、シュカだけはこの運命から逃れさせたいとすら思っていたのだが、それを口に出せば、もうシュカとこうして出掛けたり、話したりすることも叶わぬ願いとなってしまう。
ラノンはそのことを、誰よりもよく知っているのだから。
それは一つ前の乙女、リーゼのことがあったからである。
それはまた、後に語るとしようか。
二人は暫く午後のお茶を楽しんだ後、日が陰る前に教会へと帰っていった。沢山の木苺の入ったカゴを抱えながら。
教会の前まで辿り着くと、二人のシスターが出迎えてくれていた。
シスター・アルテは生地の用意を整えてあり、あとは焼くだけになっていたので、カゴいっぱいの木苺を見たときは歓喜の声をあげていた。
シスター・ミュライも満面の笑顔になり、ラノンとシュカを急かして教会へと入って行ったのであった。
二人のシスターは早速仕事に取り掛かり、食堂はタルトの香ばしい匂いとジャムの甘い薫りが広がった。
それだけで、ラノンもシュカも幸せになる。
「きっと神父様方も喜ばれるわね!」
そうシュカが言うと、ラノンもニコニコと微笑みながら「早く帰ってこられないかしらね?」と言ったのであった。
しかし、ラノンの表情に陰りがあることは、誰一人として気付く者はいなかったのであった。
―これが永遠であったら、どれだけ幸せでしょう…。―
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