ドリトル先生と沖縄の蛇達
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第十幕その二
「それぞれの文化のせいだけれどね」
「バベルの塔じゃなくて」
「そちらのせいなんだ」
「言葉が違うのは」
「それぞれの人種、民族や生きもので違うのは」
「生きものだと身体の構造も関係があるよ」
それぞれの種類のです。
「そうしたことだからね」
「聖書とはだね」
「また違うんだね」
「あれはあくまで聖書のことで」
「物語なんだ」
「むしろあのお話はね」
聖書のそれはといいますと。
「人は傲慢になってはいけないということだよ」
「思い上がりは、だね」
ダブダブが応えました、先生の今の言葉に。
「よくないってことだね」
「確かに偉そうになると」
ホワイティも言います。
「周りから身て嫌だし」
「結構偉そうな人とか生きものとかいるわね」
ポリネシアもこうした相手は好きではないです。
「何様なのかしらっていう人」
「そうそう、いるね」
「結構あちこちに」
チープサイドの家族もお話をします。
「天狗っていうね」
「日本だと」
「ピノキオさんみたいにね」
ガブガブはこの童話のお話を出しました。
「鼻が伸びてふんぞり返った感じで」
「そうなってはいけない」
ジップのお鼻は高くありません、決して。
「そういう戒めだね」
「聖書は馬鹿に出来ないね」
「言葉はともかく傲慢はよくない」
オシツオサレツも言います、二つの頭で。
「神に迫ろうとする」
「人間のその傲慢を戒めるお話だね」
「神様と人間は違う」
トートーはキリスト教の考えを述べました。
「人としての立場を理解して生きなさいってことかな」
「神様、絶対の存在になろうとしてはいけない」
しみじみとして言ったのはチーチーでした。
「人は」
「だからあの塔は破壊されて」
最期に老馬がしみじみとして述べました。
「傲慢は破壊されたんだね」
「そうしたお話だよ、まあ神様と人間の関係は宗教によって違うけれど」
キリスト教にはキリスト教の考え、他の宗教には他の宗教の考えがあるというのです。先生はこのことも踏まえてお話をします。
「傲慢になるとね」
「若しそうなれば」
「悪いことだね」
「このことは確かね」
「そうだよ、ふんぞり返っていたら周りも見えないし」
それにというのです。
「何よりも人に悪い印象を与えて気分を悪くさせてしまうから」
「絶対によくないんだね」
「人は謙虚であるべきだね」
「だから悪いことだね」
「傲慢は」
「七つの大罪に入っているね」
この傲慢はです、他の大罪は憤怒、嫉妬、怠惰、好色、大食、強欲です。この七つが絶対によくない罪とされています。
「それだけ悪いことだから」
「戒めないといけない」
「そういうことだね」
「そうだよ、僕もね」
先生はといいますと。
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