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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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62.連ナル鎖

 
前書き
明けましておめでとうございます。
今年こそ完結できますように願いを込めまして、今年もよろしくお願いいたします。 

 
 
 ――時は、『ゴースト・ファミリア』と黒竜が激突した時間に遡る。

 ロイマンは黒竜を探っていたミリオンとフーからその報告を受けるや否や、仕事を全て部下に放り出して肉に包まれた腹をタップンタップン揺らしながら猛スピードでとあるファミリアに走り、そこで『荒鷹追眼(ホークアイ)』の異名を持つ冒険者を引っ張り出し、彼と同じ神に仕えるファミリアに台車で運ばれながら通りの近くの喫茶店で寛いでいるフレイヤ(変装しているので余計に見つけづらかった)を発見してマシンガントークでオーネストが危ないことを説明してすぐさま援軍を出すよう依頼をこじつけるという嵐のような荒業を披露した。披露ついでに疲労困憊になったが。

 その結果どうなったかと言うと、色々と凄まじい事になった。

 まず、フレイヤとロイマンの選抜で援軍出張者がオッタルに決定。
 その後、『ヘルメス・ファミリア』に赴いてアズ考案で開発を進めていた『無線通話機』なるマジックアイテムの試作品を貸してもらい、これをナビゲート役のミリオンとそれを聞くオッタルに装備。更にまっとうな方法で今から59階層に援軍を送っていては手遅れになる可能性が高いことから『瞬間転移(テレ・シフト)』なる魔法を持つ別のファミリアの冒険者にアズ印の魔力回復ポーションをしこたま持たせて強引に魔法で40階層近くまで下降してもらい、更に更にその瞬間移動に無理やり同行させられた今度はロイマンの後輩でアングラ世界の人間(非公式ファミリア所属)に『行動加速(ヘイスト)』の魔法をオッタルにかけてもらい猛スピードで58階層まで降りさせるというゴリ押しもいい所なトンデモ移動法を決行させたのだ。

 ちなみにこの作戦の為に魔法連発で疲労困憊になること間違いなしの魔法使いを護衛して安全区域まで運ぶ為の腕利き冒険者も『フレイヤ・ファミリア』から提供されている。なお、オッタルが59階層に辿り着いた時点でオーネストとアズは黒竜第三形態との戦闘に突入していることを考えると、オッタル達がどれだけの無茶をさせられたか分かる。控えめに見ても1層から59層まで早くて1か月かかる所を2時間程度で降りるとか人間ではなく巨大モグラか何かのやることである。
 ちなみにロイマンがこの作戦を思いついたのは、主に『ダンジョンを掘って上下移動する』というコロンブスの卵を全力で踏み潰したアズのアイデアが根底にあったりする。諸悪の根源はアズだったが、それをコネ・パイプ・軽い恫喝をフル活用して実行段階に移して見せたロイマンも結構悪魔であった。

 あとは58層で発見した『ロキ・ファミリア』の面々の中で唯一疑似的な飛行が可能なアイズを同行者に加え、更に下で出会ったヴェルトールの進言でドナとウォノを加え、黒竜の腹をオーネストがレールガンで貫いた所で4名はやっと59階層の空中に飛び出したのである。

「間に合いましたか……やはりオーネストくんは祝福されている」
「まー多大な犠牲の上に成り立ってる祝福っすけど?」

 ミリオン視点では、この無茶に付き合わされた全員の冒険者やそうでない人々の不幸を代償に捧げているとしか思えない逆転劇である。この贅肉大臣は権力を濫用しすぎなのではないだろうか。謝罪会見くらいはするべきだろう。

「ゲロ吐きそうになりながらポーションガブ飲みして魔法酷使させられた皆様方に感謝の言葉はないんすか?」
「オーネストくんが生きて帰ってきたら労いの言葉くらいは考えましょう」
「悪魔だ、ゼッタイ悪魔だこの拳法殺しボディ……」

 サラッとどうでもよさげな返答をしたロイマンにドン引きしながらミリオンが本日何本目か分からないスムージーポーションを呷る。このスムージーポーションはフーの友達のメリージアというらしい顔も知らない大天使が開発してくれた、栄養が取れて味も若干マシになったポーションである。
 なお、それを持ってきた当のフーは、地べたに崩れ落ちて悔し涙を流している。

「わ、私の防具が……心血を注いでオーネストを守ってくれるようにと叩き上げたガントレットが……こ、粉々に……!!まだ足りないっていうのかオーネストォッ!!私の防具道に安住の地はないんですかシユウの親方ぁぁぁーーーーーッ!!」
「いや、装備品一つをそこまで気にする?」
「するに決まってるだろう!!私の作品は私の子!!親友を守る為に可能な限りの技術を注ぎ込んだ仕事と愛の結晶なんだぞッ!!目の前で使命半ばに散って逝ったあの子たちの無念を気にしない奴なんてそんなの人間じゃねェッ!!邪魔外道の人非人(にんぴにん)だッ!!!」
「そこまで言い切っちゃうアンタが怖いよッ!!」

 緊張の糸が切れてか大分フリーダムな空気になってきているが、ともあれこうしてロイマンの用意した援軍は為ったのであった。



 = =



『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?!?』

 斬撃でぐらついた黒竜の巨体がダンジョン60層のささくれたった岩盤に叩きつけられ、遅れてその近くにオッタルは着地する。着地の反動が膝を通って全身に突き抜けるが、鍛え抜かれた頑強な肉体はこの程度ではダメージを受けない。

 オッタルは、たったいま目の前の黒竜の片眼を切り裂いた事に対して特別な感情は抱いていない。
 自分はただ、己の唯一にして絶対の主であるフレイヤの命令を忠実に実行しただけであり、その過程で何を成し遂げたのかは問題ではない。己がフレイヤの意に沿い、その望みを叶えることが出来たかどうか――それだけが行動の価値だ。

 だがそれを差し置いても、目の前の怪物をここまで追い込んだ化け物染みた二人(オーネストとアズ)には驚嘆を覚えた。

(もしも黒竜の撃破がフレイヤ様直々の討伐命令で『フレイヤ・ファミリア』総出ならば身命を賭してでも追い詰めるだろうが、それを事実上二人でか。つくづく貴様等は常道を逸れることが好きだな)

 黒竜は、嘗てオラリオ最大にして最強のファミリアであった『ゼウス・ファミリア』と『ヘラ・ファミリア』の精鋭たちを壊滅させた未曾有の大怪物だ。現在最強と目されている『フレイヤ・ファミリア』も、二つのファミリアの壊滅以前は三番目の地位に甘んじていた。

 別にその事実に問題はない。フレイヤはそもそも自身のファミリアが何番かなど眼中になく、己の望みを叶え易い環境であれば何でもいいのだ。無論あの美と贅の女神が清貧な生活など望みはしないだろうが、トップに対する拘りはない。オッタルもまた、オラリオ最強の地位に興味はない。フレイヤの僕として最高である事には少なからず拘りを抱いているだけだ。

 しかし、その拘りを以てしても当時の最大ファミリア二つを壊滅させた怪物に挑むことの意味を理解できない程オッタルは愚昧な男ではない。

 恐らく、黒竜に自分一人で挑めば死ぬだろう。
 『フレイヤ・ファミリア』総出での戦闘であろうと、高確率で壊滅だ。

 黒竜を倒さなければならぬという使命など欠片もないオッタルにとってその事実は重要ではないが、信望者たる自分ではなく戦士としての自分から見れば戦わずして負けていることになる。屈辱ではないが、その強大な力を過小評価することは出来ない。

 故に、手を貸す者がいたことを差し引いても事実上たった二人で黒竜をここまで追い詰めたという事実は、少なからず『二人でフレイヤ・ファミリアに匹敵する』という噂が偽りではないことを証明していた。

 黒竜の眼球を切り裂くと同時に、その眼から火山の大噴火のような凄まじい炎が噴き出し、オッタルは素早いステップでそれを回避して射程圏外へ離脱する。

『グウゥゥゥ、ウゥゥゥゥゥ………!!』
「長き時を経て、三大怪物の一角が堕ちるか……貴様の首を落とす役目、この俺が引き継ぐ」

 血を這いずる黒竜の翼は無残に切り裂かれ、腹部を通ったオーネストの一撃でくの字に折れ曲がった体はまともに動かせる状態ではない。前足と固めの潰れた顔面は未だに怪物の名に相応しい威圧感を放っているが、ここまで追い詰められればあの二人でなくとも撃破は可能だろう。

 横目で見上げた空には、既にぴくりとも動かないアズを背負って風の魔法で下降するアイズと、ドナ・ウォノの二人に掴まれて下降するオーネストの姿。アズはまるで血の通わない死人のようにだらりと全身が虚脱し、オーネストは全身の火傷に加えて粉砕骨折した両腕で既に剣すら握れない。

(あの男ならば剣を口に咥えて戦いかねんが……当人にその気はなしか)

 オーネストの視線は黒竜に向いてこそいるが、その眼は言外に「さっさと止めを刺せ」と要求しているように思える。

 達成不可能とまで謳われる三大怪物討伐クエストの達成は、恐らく世界を沸かせ、歴史に刻まれる偉業であろう。その最後の止めを刺したとなれば、その名は未来永劫語り継がれる英雄となることは間違いない。冒険者として、人間として、この上ない富と名声を得る事ができるだろう。

 オッタルもオーネストも他の面々も、最後の一撃に興味はないらしい。

(ならばしめやかに、そして確実に一撃で仕留める)

 二つの魔石を砕いたとはいえ、それでも一筋縄で倒せる存在でないことくらいはオッタルも認識している。間合いは十分。剣を握る手に力を籠め、一息吐き出し、下腹部に力を込めて踏み出す。地面を蹴り飛ばして放たれた矢のように加速する肉体をコントロールし、最強の一太刀を繰り出すための一つの装置になる。

 狙うは黒竜の首、そして魔石。
 灼熱の返り血を浴びぬように切り裂く。

「これで――」 

 振り上げた刃が黒竜の首へ吸い込まれるように降ろされる、その刹那。

 オッタルは、その極限の集中力で観察した黒竜の巨大な口の中に、鈍色の何かが入っていることに気づいた。それは剣の柄のような形であり、血が付着しており、そしてその柄の先に――『大きな魔石』が突き刺さるように妖しく輝いていた。

 あれは、なんだ。

 剣と、魔石だと?

 そういえば、オーネストの放った剣の行先はどこだった?
 その目にもとまらぬ一筋の光が通り過ぎた後に、魔石の破片はあったか?
 そして、その魔石には『まだ力が籠っているのか』?
 黒竜が眼球を抉られた際にぐらついたのは、『本当に体勢を崩したからか』?

 連続する疑問の回答予測が絡み合い、最悪の正答を導き出す。

「――貴様、まさかッ」

 頭を巨大な槌で打ち抜かれたような衝動に駆られたオッタルの刃が黒竜の首を落としたのと、黒竜の顎が魔石を剣ごと噛み砕いたのは、ほぼ同時だった。

 瞬間、煉獄すら焼き尽くす熱量の塊が、第60階層で爆発した。



 = =



 地面が融解し、もう少し戦い続ければ岩盤が崩落して61階層に落下するのではないのかと思えるほどに引き裂かれた足場。その場にいるだけで肌が焼け爛れそうな絶対焼失の溶岩の海の中に、二つの球体があった。

 一つは煌々とした妖光を放つ太陽の如き灼熱の塊――アズたちが「繭」と称したそれに近いもの。
 ただし、放つ熱量はあの時の比ではない。以前の「繭」はあくまで自らの肉体を進化させるための防衛手段だったが、この熱量は明らかに己を護ることより周囲に灼熱を撒き散らしている。既にダンジョン第60層は巨大な焼却炉か、或いは火山の火口と化していた。

 追い詰められて尚、相手を絶対的に殺害せしめんとする黒竜の狂気が生み出した、ここは常世の地獄だった。

 そしてもう一つ――その灼熱を強引に拒絶するかのように発生させられた冷気の障壁内で、半径数Mの岩の小船で生きながられる数人の人間とそうではない者たち。『ゴースト・ファミリア』の姿がそこにはあった。

「回避が遅れていれば焼死していたか……?」

 極めて冷静に周囲を観察し、まるで他人事のようにオッタルは呟く。

 オッタルが黒竜の放熱を浴びる直前、リージュはまるで停止した時間を動いたような速度で『絶対零度』を展開してオッタルと黒竜の間に氷柱を滑りこませた。これによって辛うじて撤退の間に合ったオッタルは、上方から合流したドナ・ウォノ・オーネスト・アイズ・アズがいるリージュの元まで撤退し、氷による防御が間に合ったのだ。

「借りができたな、『酷氷姫』」
「黒竜相手に遊ばせる戦力がないだけだ。アキくんと黒いのが戦闘不能な今、腹立たしいが貴様が我等の最大戦力だからな。無駄遣いは出来ん」
「そうか……では先程の発言は撤回しよう」

 リージュの人を駒と見るような発言に、オッタルは自然体でそう返答する。二人ともそういう精神構造であるが故、双方まったくストレスはない。これで真っ当な人間なら「それでも感謝する」とでも言うのだろうが、二人は言わないし気にしない。

 アズとオーネストが黒竜と異次元の戦闘を繰り広げているさなか、リージュは臨戦態勢を維持しつつ只管に魔力の自然回復を図っていた。一切無駄に動かず、戦いに必要な最小限の集中力以外は意識をカットし、このような説明は極めて不自然だが「極度にリラックスした臨戦態勢」を取っていた。
 魔力と精神力は密接な関係があり、魔力の回復にはポーションを除けば瞑想の類しかない。……一説では愛の接吻だの何だので魔力が爆発的に増大するという話もあったらしいが検証した馬鹿はいない。ともかくその努力の甲斐あってか、リージュは黒竜の予想外の抵抗に備えてそれなりの魔力を回復させることに成功していた。
 ただし、それも今後の選択次第では水泡に――いや、荼毘に付すことになる。

「熱を防ぐまではいいが、周囲の熱量が大きすぎる。いくら私の氷でも神殺しの炎を突破して黒竜に止めを刺すには魔力が足りないし、攻撃と引き換えに防御を捨てる事になる」
「となれば必然、我等は焼死か。この熱量の中ではオーネストとて1分と持つまい。そこの大男はどうか知らんがな」
「………………」

 ユグーは一言も言葉を発さず、ただ黒竜だった存在をひたすら見つめ続けている。
 出来ることがないとはいえ、その静けさはいっそ不気味ですらある。

 二人の後ろではアイズが慣れない手つきでオーネストの止血を行い、オーネストは両腕から微かな煙を出しながら上体を起こしてアズの様子を見ている。その眼は普段の温度がこもらない瞳と違って真剣そのものだ。
 心配そうに二人の様子を見るドナとウォノを尻目に、オーネストの表情がどこか悔しそうに歪んだ。

「………このままだと、死ぬな」
『オーネスト、カイフクポーションがイッポンだけあるんだけど、これじゃダメなの?』
「無理だ。アズに足りないのは血でも体力でもない、『魂』だ。彼岸を渡る魂を呼び戻すのに薬は通用しない」
「そんな……アズ、死んじゃうの!?」
「………こいつは三途の川の渡し賃を前払いしてるようなものだ。その時が来れば常人以上にあっさりと死ぬさ」
 
 もとよりアズライールとはそのような男だ。明日死ぬるも今日死ぬるも同じと考える輩だ。
 だが、オーネストはそれを防がねばならないと考えていた。
 固くたゆまぬ遺志で、この死に損ないをもう一度叩き起こしてやらねばならない。
 胸倉を掴んで一度張り倒し、襟首をつかんで屋敷に連れ帰ってやらねばならない。

 だって――あいつはこの戦いに、未来(あす)を賭けたのだから。
 その意識の為なら、もはやオーネストは何も躊躇わない。
 最善手を打ち、黒竜の攻撃から生き延びさせる。

「ドナ、アズが死ぬのは嫌か?」
『アタリマエじゃない!アズがいなくなるんでしょ……フツーのニンギョウみたいにうごかなくなって、ニンギョウとチガってカタチものこらずホシにカエっちゃんでしょ!?そんなの………そんなのヤダ!!』

 必死に訴えるドナの悲痛な叫びは、彼女の人形としての生死感が滲みだす。
 そこに込められた様々な意志、無常さはしかし、今のオーネストには重要ではない。
 ただ、アズを助けたいという意志があるのならばそれでいい。

「こいつを助ける方法が一つだけある。だが俺一人じゃ出来ないことだ。手伝ってくれるか?」
『ウン!アズがまたうごくんなら、なんでもするよ!!』
「アズの胸を血が噴き出す程度に切り裂け。そして俺の右掌も同様に切り裂いて、二つの傷口を重ねろ。後は俺が何とかする」
「!?」

 後ろでアイズがぎょっとしたのを感じたが、オーネストは敢えて無視した。
 説明する暇がないし、今を逃せばアズの魂は「どこか」からこちらに永遠に戻ってこれなくなるだろう。強行させてもらう。

『えっ……?そ、それで助かるの?うーん……』

 ドナは一瞬躊躇った。人間をむやみに傷つけてはいけないというヴェルトールの教えや、血を出すことは助けることの反対なのではないかといった人形である彼女にとっては些細な疑問が引っかかったからだ。
 しかしドナは思考能力的には無邪気な子供でしかなく、複雑な思考をしない。決断は早かった。

『わかった、オーネストをしんじるねっ!』
「あ、あの、オーネスト……まさか介錯を……っ!?」
「後で説明してやる。今は黙って見ていろ……この馬鹿は俺が必ず連れ戻す」

 最悪の想像に至ったアイズを強引に黙らせたオーネストは、未だに減刑を取り戻さない腕を無理やりアズの方へ向ける。

 ドナの手に取った剃刀状の剣が、綺麗にオーネストの掌とアズの胸部を切り裂き、血飛沫が舞った。



 = =



 全身を包む虚脱感が、境目を越えるように倦怠感へと変貌していく。

 既視。もう何度か味わったことがある気がする、土が濡れた匂いと止まない雨音。

(ああ――これは、今度こそかな)

 なんとはなしにそう思う。これは、俺の手繰った「死」の在処。

 ただ、体から抜け落ちるような熱い何かは停滞し、代わりに湿った布が肌に張り付く不快感がある。
意識は朦朧としているが、思考が出来ない程ではない。ただ、ひどく喉が渇いた。息苦しい時に酸素を求めるように、俺の本能は水を求めた。

(何か、飲み物――乾く、乾くよ)

 意識を自分の横に向けると、見慣れた、しかしオラリオでは見慣れないペットボトルがあった。中にあるのは綺麗な水ではなく、得体の知れない着色料で白く濁った清涼飲料水だ。

 咄嗟に手を伸ばそうとするが、腕が上手く動かず震える。それどころか、動かせば動かすほど全身に連続する鈍痛が響き、激痛にうめき声が漏れる。それでも喉の渇きが耐えがたい。人生でこれほど乾いたことはない程に、辛い。

「――□□□くん!?□□□くん、目を覚ましたのね!!」

 不意に、女の子の声が聞こえ、目の前のペットボトルが持ち上げられる。
 ペットボトルを持ち上げた少女はそれのふたを開け、病人用の水差しに流し込んでいる。
 見覚えがあるし、聞き覚えもある声だ。思い出せないが、よく知っている人だ。
 思い出そうとすると、鈍痛に交じって頭に鋭い痛みが奔った。

「はい、これ飲んで!慌てずゆっくり……!」

 体を起こされ、鈍痛。痛みの余り触らないでくれと叫びそうになるが、声が上手く出ない。
 口に水差しの先端が入る、少しずつ、ほんの少しずつ口が潤い、俺はひりついた喉を懸命に動かしてそれを飲み込む。途中で上手く呑み込めず気管支に入り、むせて全身が震える。それまで以上の激痛が奔り、俺は更に呻いた。

「あ……ご、ごめんなさい!大丈夫!?」

 女の子が背中をさすってくる感触は暖かいが、全身の激痛を抑える効果はない。
 楽に死にたいなんてどこかで思っていた罰なのか、生きることの苦しみが殺到してきたかのように苦しい。咳に交じって血と唾液が微かに自分の太股に垂れ、それを自力でぬぐうことも出来ない。

(痛みで……頭がおかしくなりそうだ……!)

 やがて咳が収まると、再び女の子が飲料水を飲ませてくる。喉の渇きは僅かに癒されたが、もう喉を動かす痛みを味あわされるのが嫌になって俺は途中で顔を背けた。女の子はそれに気づき、俺を再び寝かせた。
 そこになって気付いたが、俺は段ボールと梱包材の上に寝かされているようだった。

 同時に意識が薄れ、倦怠感を吸い取るように虚脱感が襲い来る。
 意識が薄れるまでに数秒だったような気もするし、数分経ったような気もする。

「―――リンク………薬を砕い………沈痛――ばらく……――避難所まであと………」

 涙目の少女がゆっくりと何かを説明している。
 しかし、俺の耳には断片的にしか情報が届かない。

 そんなことよりも、俺には不思議なことがあった。
 先程からやけに距離感が掴みにくいせいか、俺の胸に手を置く人間が何重にも重なって見える。
 声も段々とばらけ、男か女かも分からない声が幾重にも重なって聞こえるようになった。
 聞き覚えのある声にだけ意識を集中させようとするが、頭が重くて集中できない。

 意識が途切れる寸前に俺の耳に届いたのは、二つの声だった。


「絶対にあなたを死なせないから。私を助けたあなたを、一生賭けてでも守り抜いて見せるよ」
『絶対にお前を死なせんぞ。俺が生きろと言っているんだ、生きる以外に選択肢があると思うな』


 俺は、「なんて身勝手な連中なんだ」と内心嘆息した。

 死ぬことも許してくれないなんて、身勝手で残酷な人間たちだ。



 = =



 アイズ・ヴァレンシュタインという人間は運命に流されがちだ。

 アイズは今日、オーネストが黒竜に挑むなど夢にも思わなかった。
 助けに行く途中で『猛者』に会い、飛行能力があるからと同行するとも思わなかった。
 移動しながら説明された中で黒竜がアイズの予想を完全に超えた怪物であると知った。
 アズライールという男が自分の手の中で冷たくなっていく光景が信じられなかった。
 周囲が溶岩に囲まれた状況は、ここで死ぬかもしれないと覚悟を決める程度には絶望的だ。
 羽の生えた動く人形が自分の知る人間を切り裂く光景など、狙っても見られないだろう。

 しかしそれ以上に驚愕したのが、目の前の光景だった。

 オーネストは、血が噴出する自分の手のひらとアズの胸の傷を重ね、自らの血をアズの中に流し込んでいた。猟奇的な、常軌を逸した光景。アイズは、オーネストがアズを介錯しようとしているのではなかと疑った後に、オーネストがもう正気ではないのではないかと疑った。

 オーネストは壊れている。それは疑うべくもない。
 だが狂気の芯には絶対的な理性があり、妄信的ではない。
 自らの血を分けて友人の魂を呼び戻すなどという悪魔信仰を信じる人間ではないのだ。

(でも、それならこれは何……?)

 もしオーネストに確かな目算と根拠があるというのなら、目の前のこの光景は何だ。
 擦り込むように相手に血を与えるこの光景が、狂っていなくて何だというのだろう。

 理性が否定する光景――しかし、アイズはその直後に再び己の想像を超えた光景を見る。

「こんな方法でしか呼び戻せないとは反吐が出るが……使った以上は結果を貰うぞ」

 瞬間、オーネストの目の前に光り輝く『神聖文字』が浮かび上がった。
 アイズはその光景を見たことがある。それは昔にたった一度だけ――ロキが自らのファミリアを迎え入れた際に、自らの力を分け与えて眷属とする瞬間。あの時、確かにロキは彼の冒険者の背中に血を垂らし、浮かび上がる『神聖文字』をその背中に刻んでいた。

 儀式の様子は普通、他人には見せないし本人も見えない。
 だからアイズがその光景を知っていたこともまた、ある種の運命だったのかもしれない。

(神の扱う神聖文字……オーネストがアズに血を分け与えた……?それじゃ、オーネストは『神』……!?そんな、でもオーネストから神の気配なんて感じないし、それに年を重ねて成長してる!他の神々がオーネストの正体を知らないこともあり得ない……)

 混乱に次ぐ混乱に頭が掻き混ぜられる思いだったアイズだが、そんな疑惑はオーネストの顔を再び見ることで霧散した。

 オーネストは、まるで祈るような目で只管アズの為に足掻いている。
 その姿に、その意志に貴賤など存在せず、種族がなんであるかは問題ではない。
 オーネストはアズの友達で、友達を助けようとしてるだけだ。

「だったら、私たちが今やるべきことは……二人の邪魔をさせないこと……」

 オーネストがしているのは死ぬ為の闘いではなく、失わない為の闘いだ。
 アイズたちがここに来たのは、死ぬ為ではなく助け、そして共に生きて帰る為だ。
 何も迷う必要はない。ただ生きる事に必死になればいいだけだ。

「アイズ」
「……なに、オーネスト?」
「リージュ達をここへ呼べ。今の状態を凌ぎきるための作戦を説明する」

 まだオーネストは諦めていない。諦めを胸に抱いたはずの男が、もう一度抗っている。
 今のオーネストなら、頼れる。信用できて、信頼できて、彼がこうだと言えば迷いなくそれに向かって行ける。そんな頼もしさと優しさを、きっとオーネストは元々持っている。

(私も負けられない。『ロキ・ファミリア』の戦士として、意地でも生き延びる)

 そう思うと、自然と心は落ち着きを取り戻していった。
 

 溶岩の海に漂う小舟に取り残された生存者達は、傲慢にもだれ一人とて欠かさずこの地獄を渡り切ろうと画策する。生の連なりを途切れさせんがために、運命の大波に逆らう一本の鎖を手に握り。
  
 

 
後書き
昔読んだ本によると、天然着色料の一部は虫の幼虫とかを磨り潰して加工したものなんだとか。事実としてそういう着色料は使われていますが、別にそれが健康に悪いんじゃなければ気にすることでもないような気がします。

タイトルでは地獄の連続は途切れていますが、地獄の連鎖は終わっていません。これは地獄と地獄の間を繋ぐ鎖なのです。 
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