ラインハルトを守ります!チート共には負けません!!
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第七十四話 捕虜交換式典に行ってきます!
前書き
皆様あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。年明け一発目です。
帝国歴487年3月2日――。
フィオーナ・フォン・エリーセル大将の指揮する艦隊3万隻は、ティアナ・フォン・ローメルド中将、ジークフリード・キルヒアイス少将、ナイトハルト・ミュラー中将、コルネリアス・ルッツ中将、ルグニカ・ウェーゼル少将、レイン・フェリル少将を補佐として、帝都オーディンを出立し、途中途中で惑星を出発した捕虜を乗せた輸送艦隊を収容しながら、一路惑星フェザーンを目指すこととなっていた。
この出立に先立って、使節団が召集されて会議室で打合せが行われている。
「今回の件は既にリヒテンラーデ、ミュッケンベルガー、そして皇帝と貴族連中の承諾を得ている。貴族共も自分の親族たちのことは気になると見える。あれだけ平民を痛めつけておいても、まだ家族を思いやる心は残っているのだな。いや、隔絶された社会だからこそそうなるのか。」
最終的な打合せが終わったのち、ラインハルトは出立するフィオーナ以下を前にして、そう冷然と述べた。
「ですが、私たちにとって今回の捕虜交換は有利になります。数百万の将兵が加わることで、帝国の、いいえ、私たちの戦力は一層強化されることとなります。」
と、フィオーナ。
今回の捕虜交換につき、積極的に動いたのはラインハルトであった。自由惑星同盟との「エル・ファシル条約」の条項にこれを盛り込んだのも、彼の提案なのである。帝国の風潮として「生きて虜囚の辱めを受けず」なのであり、反徒共に投降した捕虜は「同盟に与した裏切者」同然の扱いを受けるのであるが、ラインハルトはその全軍を麾下として引き受けることを表明して、ミュッケンベルガー元帥、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥ら軍上層部、ブラウンシュヴァイク公ら貴族の了承を得たのだった。侮蔑と共に。
「何か気になることでもあるのか、ミュラー。」
一人考え込んでいるミュラーに気が付いたラインハルトが彼に尋ねた。他の者もミュラーを見た。
「いえ、小官の思い過ごしであればよいのですが・・・。」
「構わない。言ってみよ。」
「捕虜交換に際して、同盟と称する反徒共がスパイのような物をこちらに忍ばせてくる危険性を考えておりました。」
思わずラインハルトの傍らに座るイルーナ、そしてフィオーナ、ティアナはミュラーの顔を見た。原作ではラインハルト側が自由惑星同盟にリンチを工作員として送り込んだが、今回はそのような事をせず、普通の捕虜として送還することになっていた。理由としては、同盟の勢力は表面上は一枚岩であること、和平期限がまだ先である以上、そして、双方ともに国力回復に力を注がなくてはならない時期にある以上戦闘はおこらないはずであり、同盟を刺激する必要性は薄いこと、既にアレーナが同盟全土に情報網を構築してしまっていること、などがある。だからというわけではないが、自分たちがまっとうにこの捕虜交換を考えている以上、相手もそのように思っていると思い込んでしまっていたのだった。
「どうしてそう思うの?」
と、ティアナが尋ねた。
「平和になったからこそ、双方が互いに意識しないところで気を緩めがちになります。私も武人としてそのような策を弄することを想像すること自体耐え難いものがありますが、しかし危険性を放置しておくことはできないと思う次第です。」
本来であれば、このような危険性に気づき、注意する役割が自分たち転生者である。それをミュラーに指摘されてしまうとは。イルーナたちは恥ずかしく思うばかりだった。だが、組織であるからこそ多数の多面的思考が実現できる。多数の意志を考慮することは議論が停滞して機動性を欠くこともあり、時にはマイナスではあるけれど、今回の場合にはそれが良い方向に作用したのである。
「なるほど。その可能性はあるな。だが、ミュラー。現状では数百万将兵の中に数人を紛れ込ませることはたやすいことだ。砂漠から石を探せというようなものだぞ。」
「偽名を使用するか、本物の将兵を工作員化させて潜り込ませるか・・・・あるいは裏をかいて将兵ではなくただの旅行者をそうさせるのか。・・・可能性はいくらでもありますな。」
と、ルッツが言った。
「でも、水際で防ぐことは重要だと思うわ、ラインハルト。」
ほんの数秒間ローエングラム元帥府の№2は思考してから、顎に当てていた指を離して、
「そこで数百万の将兵をすべて検査させる準備を整えたいと思うの。それは帝国領内に入ってから抜き打ちで行うわ。このことは誰にも話さず、私たちの中だけで処理をした方がいいと思うのだけれど。」
イルーナの言葉に、ラインハルトはうなずいた。元帥府を開設するようになってから、ラインハルトは「イルーナ姉上」と公式では呼ばなくなったのである。ラインハルトとしてはいつまでもそう呼んでいたかったのだが、イルーナから「あなたも元帥になり公に姿を現すことが多くなったのだから、公私混同は避けるべきだわ。あなたが他人行儀の呼び方をしても、あなたに対する私の思いはいささかも変わりはしないわよ。」と言葉を受けたので、ラインハルトは以後イルーナをフロイレインで呼ぶことにしたのだった。むろんプライベートでは相変わらず「姉上」と言っていたのだったが。
「しかしあまりにも困難ではありませんか。」
と、前世での彼女の元教え子が言った。
「困難であろうとなかろうと、たとえ時間がいくらかかろうと、そのような危険性は未然に防ぐようにしなくては。取り返しのつかないことになってから後悔しても遅きに失する、というものよ。」
「フロイレイン・イルーナの言う通りだ。ミュラー、ルッツ。」
『はっ!』
「卿らが責任者となって臨検体制案を作成せよ。この場合最も優先すべき事項は時間ではなく確実さだ。」
『御意!』
「フロイレイン・フィオーナ。フロイレイン・ティアナ。」
ラインハルトはフィオーナとティアナに顔を向けた。
「キルヒアイスと共に各星系にある捕虜収容所にいる捕虜の収容を急がせよ。また、ささやかだが予算が降りた。反徒共の捕虜となった将兵一人一人に慰問袋を送ってやるがいい。」
と、ここまで話したラインハルトはキルヒアイスを見た。
「何か言いたそうだな、キルヒアイス。」
「はい、お聞きどけくださるならば、自由惑星同盟と称する反乱軍の将兵に対しても、何らかの慰問を行うべきだと思います。」
「理由は?」
「帝国そのものの行為というよりも、ローエングラム閣下のご厚意という形で行うことが重要です。そのことによって自由惑星同盟と称する反乱軍の将兵は、閣下個人に対して恩義を感じるように仕向けます。元々今回の捕虜交換を提案されたのは閣下です。そのことは既に帝国のメディアによって発表されておりますが、さらにここで布石を打つことが重要と考えます。これは将来の為でもあるかと思うのですが。」
「しかしキルヒアイス提督、ご意見はもっともだと思うが、それでは敵に対しての通謀行為だと後で糾弾されはすまいか。」
と、ルッツが懸念顔で言った。未だキルヒアイスは少将であるが、ラインハルトの半身と言われる彼に対しては諸提督も一歩譲った扱いをすることが多い。それは背後のラインハルトを恐れているのではなく、彼の人柄によるものであった。
「形となって残るものではその可能性もありますが、道中の厚遇についてはどうこう言われることはあまりないのではないかと思います。そもそも今回の捕虜交換については閣下に一任されていることでもありますから。」
一同はなるほどと思い、キルヒアイスの考えに賛同する意思を示した。
「キルヒアイス。卿をその責任者として命ずる。自由惑星同盟と称する反徒共の将兵に対し、相応の厚遇を尽くせ。ただし、それは帰還してくる帝国の将兵に対しても同様、いや、それ以上の処置を行うように。それを忘れるな。」
「はい。」
キルヒアイスはうなずいた。自由惑星同盟の将兵に対してのみ厚遇をすることが後々どういう結果になるか、それを知らないキルヒアイスではない。バランスを取る上でも帝国の帰還兵に対しての処置も怠らないように・・・いや、自由惑星同盟の捕虜以上の厚遇をしなくてはならない。そして一番重要なのは、これらが帝国ではなくラインハルト個人から出た「厚意」によって行われた、という事を認識させることである。
その後、ラインハルトはヒルダと共に元帥府執務室で決済事務を行いながら、何気なく先ほどの様相を話した。ヒルダはそれについて特に表立って賛同もせず、また、反対もしなかった。一介の秘書官としての分をわきまえた立場をヒルダは片時も忘れることはなかったのである。また、ラインハルトもそれを知っていたからこそ、それ以上何も言うことはしなかったが、ヒルダの姿勢には内心うなずくところが多かった。
イルーナはこの様相を見て、ひそかに安堵するとともに、一度自分たちとヒルダとが会ってゆっくりと話をしてみたいと思っていたのであった。
一方――。
自由惑星同盟では、捕虜交換に際して、ある提言がなされていた。正確にはごく一部の情報部内、それも情報部第一戦略科課長であるシャロンと少数の幹部だけの事であった。そこには、自由惑星同盟の捕虜交換に赴くビュコック中将やヤンなどは入っていない。彼らには明鏡止水の気持ちで臨んでほしいというシャロンの思いからであった。
「この機会に工作員を送り込みます。その場所、その目的をここに記しました。」
シャロンは幹部たちに冊子を配った。それも分量はあまり多くはなく、内容は簡潔かつ明白を極めていたものである。幹部たちはそれを読み、次第に顔色を変えていった。
「ここまで行う必要があるのか?」
「最短かつ最大限の成果を上げるためには、少々イレギュラーな手段を取る必要性があるという事ですわ。それに、費用対効果を考えれば、決してハイコストではないと思いますが。」
「それはもっともだが、失敗した場合にはどうなる?」
幹部の一人が質問した。
「そのときは、工作員たちは自由惑星同盟に貢献した尊い犠牲となり、自由戦士勲章を授与されることになるでしょう。」
シャロンは微笑したが、それに慄然としたものが数名いたことは否めなかった。
「艦隊戦だけが戦略ではありません。時にはこうした謀略を行う必要性もあります。どのみち7月末の条約期限満了までは私たちは動くことはできませんから、布石を打っておくのは悪くはない事だと思いますが。」
「だが、相手もそれを警戒し、検問をしている可能性もあるぞ。が、俺は別に反対はしないがな。」
と、ブラッドレー大将。
「検問に関しては、運でしょうね。数百万の人間の中からたった数人を見つけ出す。砂漠から石を探すような物でしょうけれど。それにしても捕虜交換のリスト名簿と実際の人間が違うというその程度にしかすぎませんわ。」
「それによって、修好しつつある関係が崩れ、帝国軍が一気に攻め寄せてきたらどうするかね?」
と、シトレ大将が質問する。
「どうしてです?リストと実在者が違うにすぎないというのに、それをもって大艦隊を出動させるほど、現在の帝国軍の首脳陣が短慮であるとは思えませんわ。それに、帝国も内乱に突入し、少なからずその戦力を消耗しました。今は互いに傷をいやすときですわ。ですが、その傷口からウィルスを体内に送り込むことはしても差し支えないでしょう。」
「拷問によって、自白が懸念されることは?」
「その前に彼らには死んでもらうだけですわ。」
あっさりとシャロンが言ったので、万座はざわめいた。
「イーリス少将、貴官には少々人命を軽視しうる発言が多いが。」
シトレが言う。
「閣下、艦隊戦で数十万、数百万の将兵が命を落とすことは人命を軽視していないと言えるのでしょうか?」
「彼らは崇高な大義のために犠牲に――。」
と、言いかけた別の一将官が口をつぐんだ。シャロンのいうところの今回の作戦もまた「崇高な大義」の為だったからである。一同は気圧された様に口を閉ざした。もっともシトレやブラッドレーは表面上はいささかも動じてはいなかったが。
「敵を正面から撃破するのは軍人としての本懐でありましょう。ですが、こうしたこともプラスにこそなれ、マイナスの要素にはならないと思いますわ。」
シャロンは最後にそう締めくくったが、芳しい反応はなかった。シャロンとしてもそれを期待していたわけではない。要するに積極的に賛成票をもらう必要はなく、反対票をつぶせば足りるのである。結局のところ、この会議では結論は出ず、先送りとなった。
だが、シャロンは既に準備を進め、幾人かを捕虜交換リストの中に紛れ込ませていたのである。政界、財界、そして各種団体の有力者に彼女の魔手は伸びており、シャロン派と呼ばれる信奉者をすでに獲得し始めていた。前世におけるシャロンの持ち味は圧倒的なカリスマ性であり、その魅力を駆使してあらゆる人材をあらゆる方面から収集することに成功していたのである。
むろん、シャロンにとってはこれらの人材はすべて「捨駒」なのであった。彼女は組織に属しているものの、その組織に拘束されている、などとはつゆほどにも思っていない。彼女を取り巻く環境は彼女を拘束するものではなく、彼女に利用されるにすぎない道具なのである。
シトレ、ブラッドレー両大将はこの秘密裏の会議が終わったのち、二人だけで一時間程度話し込んでいた。それが終わると、シトレは早々に仕事をしまい、司令長官公室を副官と共に退出し、ある場所に向かった。ブラッドレー大将も執務室から早々に姿を消してしまう。
同時に、ウィトゲンシュティン中将もカロリーネ皇女殿下、そしてアルフレートを伴って、早々に退出し、ある場所に向かったのである。
ハイネセン・ポリスにある三日兎亭「マーチ・ラビット」は、長年ハイネセン市民に愛されてきた台所の一つである。飾り気のないが手作りの込んだ店内の雰囲気は、訪れる人を温かくもてなす。たとえば、初めての人が道を通りすがりにふと、マーチ・ラビットの前で足を止めるとする。かすかに開け放たれた入り口から、心地よいざわめきとおいしそうな匂いが漂い、彼らの足を自然と中に向けてしまうのだ。このレストランの良いところは、初めての客であっても「予約がない。」と突っぱねたりしないところである。
「格調高い高級レストランは数あれど、マーチ・ラビットのような暖かな雰囲気を味わえる店はそう多くはない。」というのが常連客の口癖である。
その常連客の一人であるヤン・ウェンリーは養子のユリアン・ミンツ、アッテンボロー、キャゼルヌ、ジャン・ロベール・ラップ、ジェシカ・エドワーズと共に店の奥の一画のテーブルに陣取ってくつろいだ一時を過ごしていた。だが、目的は食事や雰囲気を楽しむだけではない。その証拠にともすれば会話は止まりがちになり、視線は店の入り口に引き込まれがちになる。
「遅いですね。大将閣下は。」
アッテンボローが時計を見、そして店の入り口を見ながら言う。
「そうイライラしていると、せっかくの料理が冷めるぞ。」
キャゼルヌがアッテンボローをなだめた。
「ですが先輩、もう1時間も来ないってのは何かあったんじゃ――。」
「あ、来ましたよ!」
ユリアンが入り口に顔を向けて、声を上げた。入ってきた面々は、シドニー・シトレ、ダニエル・ブラッドレー、そしてやや時間をおいて、クリスティーネ・フォン・エルク・ウィトゲンシュティン中将、カロリーネ皇女殿下、アルフレートが入ってきたのである。
彼らはそのままヤンたちには目もくれず、奥の個室に歩いて行ってしまった。
「ユリアン、君は先に帰っていなさい。ジェシカ、すまないがユリアンを送って行ってもらえるだろうか。」
「ええ。」
ジェシカはうなずいた。ユリアンは不満そうだったが、すぐにその表情を消した。一般人がこれから始まるであろう軍関係者の機密に係わることはできないとわかっていたからである。
「ヤン提督、あまり遅くならないで帰ってきてくださいね。」
「お前、私の保護者気取りだな。少しは周りに配慮して発言してもらいたいね。お前の言葉を聞いた周りの人間が誤解するじゃないか。」
ヤンがそう言ったので、皆が笑った。キャゼルヌが、
「お前さんの気質については、みんな知っている。心配するな。今更取り繕うとしても遅きに過ぎるからな。」
と、からかう。
「さ、行きましょうか、ユリアン。」
ジェシカが声をかける。ヤンはユリアンにコートを羽織らせた。
「外は寒いだろうから、帰ったらあったかくして寝るんだぞ。」
その声には少年を気遣う気持ちがあふれていた。
「わかっていますよ、提督こそ飲みすぎて風邪をひかないでくださいね。」
「わかっているさ、よし、行こうか。」
ヤンの声に、一同は立ち上がり、ユリアンとジェシカは店の外に、ヤンたちは奥の個室に足を向けたのだった。
奥の個室はくつろいだ一時を誰にも邪魔されずに過ごしたいという人たち向けに用意された部屋であるが、そのうちのいくつかは完全防音となっている。この個室があること自体常連客の中でもわずかな人間しか知らない。それだけ、この部屋の存在がマーチ・ラビットの印象とそぐわないものがあるのだが、利用する人も少なくはなかったのである。
一同が座ったのは、大きな円テーブルであった。既にワイン、ノン・アルコール飲料、ウィスキー、ビールそのほかの飲み物と、数々のつまみ、アイリッシュシチューの入った保温鍋、保温器に入っているビュッフェ形式の食べ物などが用意されている。
「まずはワインで食事にしたいところだが、時間の都合もあるだろう。先に要点を話しておこう。」
ウィトゲンシュティン中将が何か言いかけるのをシトレが手で制してそう言った。
「昼間の会議の様相を簡単に話しておく。」
シトレはそう言って明白かつ正確に会議の模様を話した。
「彼女は合理主義者なんですね。」
シトレの話が終わってから、アッテンボローがそう漏らすまで、誰一人口を利かなかった。
「冗談を言っている場合か?」
と、キャゼルヌがたしなめる。
「冗談を言いたくなるような場合だからですよ。そうでないとやっていられません。」
うむ、とシトレが重々しくうなずいた。
「情報部からの報告によれば、シャロン・イーリス少将、いや、すでに中将か・・・。」
シトレが時計を見た。後日辞令が降りることになってはいるのだが、すでにシャロンは中将に本日18:00付で昇進することが決定していたのである。ウィトゲンシュティン中将が咳をしたのが唯一の沈黙を破る音だった。
「イーリス中将は水面下で各界の有力者と交流を広げつつある。」
ウィトゲンシュティン中将の話を聞いたヤンたちはひそかにシトレにプライベート経由で事の次第を話したのだった。ウィトゲンシュティン中将が公に何も言わない以上、公には何一つできないからである。また、ブラッドレー大将がここにきているという事は、シトレが彼に話したという事だろう。
「軍内部では主戦派というよりも、情報部門、補給部門、そして一部の宇宙艦隊司令官の間で、彼女への支持は高い。何しろ彼女は帝国侵攻ではなく、その逆侵攻を誘い、殲滅する戦略を掲げている。補給部門としてもその方が作戦立案をしやすい。情報部門にしても腕の振るいどころだろう。主戦派はよい顔をしてはいないが。」
ウィトゲンシュティン中将がやや硬い顔をしたので、彼女もまた主戦派の一人であることはすぐに分かった。誰も声は上げないが、ルフェーブル中将、ホーウッド中将、アップルトン中将、ベシエール中将などがその旗頭である。
「で、シトレ。お前はどうするつもりだ?俺としては今の段階で、目くじらをたてる必要性はないと思うが。第一彼女が何をした?ウィトゲンシュティン中将を殺すと口走ったくらいだろう。」
と、ブラッドレー大将。ウィトゲンシュティン中将がかすかに顔をしかめるのがアルフレートとカロリーネ皇女殿下には見えた。その時のことを思いだしたのだろう。
「おっしゃるとおり、表面上は彼女は何も動いてはいません。ですが、その言動からは危険な匂いがすることは閣下もお判りでしょう。」
「確かに彼女はノーマルじゃないな。それは認める。」
カロリーネ皇女殿下、アルフレートはまだシャロンがどういう人物かを見ているわけではないので、何とも言えずに黙って聞いていた。仮に二人がシャロンを実際に見て、その言動を聞いていたならば、あるいは過日に起こった一連の死亡事件の犯人ではないかと推察をめぐらすこともできたかもしれない。
「手遅れにならないうちに監視の目を怠らないようにし、いざとなればすぐに彼女を拘束してしまうべきだと考えております。」
「失礼ですが、閣下。明白な罪状がない限りは、軍の将官を拘束することはできないというのは自明の理です。彼女の事ですから、そうしたいわゆる『尻尾をつかませるような真似』はしないと思います。」
と、ヤン。
「それはわかっておる。だが、どうも私には彼女が得体の知れないところがあるだけではなく、いずれ取り返しのつかない所業をするような気がしてならんのだ。いや、根拠などは全くない。年寄りの妄想だと笑ってくれてもいい。」
シトレは分厚い手を振って苦笑交じりにそう言った。
「私としては、それが妄想で終わってくれればよいと、祈るばかりなのだよ。」
シドニー・シトレは根拠のない事象に基づいて、憶測をする人ではない。その人の口から、妄想という言葉が出てくること自体が異様であった。軍属にとって必要なことは組織における一員としての順応能力と、与えられた裁量権限内での適切かつ円滑な運営能力であることは言うまでもない。だが、それとは別に一種独特の勘が備わっていることも、戦場における生き残りの術の一つなのではないか。アルフレートはシトレの話を聞きながらそう思っていた。
ついでながらアルフレートもカロリーネ皇女殿下もこうしてシドニー・シトレ大将の顔を間近で見るのは初めてであった。士官学校に入校した時の来賓として、あるいは式典祝賀で顔を遠目に見たことくらいである。実際にこうしてお目にかかってみると、その風貌とオーラには並々ならぬものを感じてしまう。
「イーリス作戦そのものについても、今回のように工作員を送り込むことについても、帝国領侵攻作戦を取ることに比べればはるかにましだと思う。補給計画の責任者の一人としては、どうかな?」
シトレがキャゼルヌに水を向けた。
「おっしゃるとおり、敵領内に食い込むほどの長大な補給計画を立てるよりも、勝手知ったる自領内での補給計画の方がはるかに立案もしやすいのは確かです。ですが、それは机上のプランでもあります。帝国が電撃的に侵攻し、市民の動揺を招けば、補給計画にも影響が出ない、とは言い切れません。現にコルネリアス1世の親征の際にはだいぶ補給計画に支障が出たと記録には残っております。」
コルネリアス1世の大親征の際には、ほぼ首都星ハイネセンが陥落寸前にまで陥った危機的状況であった。その背景には、入念な航路計画の策定、速やかな要地奪取の電撃作戦。敵を逆に引きずり込んでの先制攻撃、各星系の鎮撫の鮮やかさ、などが帝国側の勝因となり、逆に同盟側の敗因としては、民心動揺を抑えきれなかったこと、補給計画に必要な輸送艦が相次いで帝国側に破壊されて算定と実情が合わなかったこと、各星系の警備艦隊と正規艦隊との連携がうまくいかなかったこと、情報が錯綜していた事などがあげられる。こと、最終局面においては、雪だるま式に帝国軍の勢いは膨れ上がり、逆に同盟側は風船がしぼむように勢いが急激に衰えていったのだ。艦艇損害数においては序盤の敗北があっただけに過ぎないのだが、要するに「勢い」という要素を帝国軍は最大限に利用し、最良の効果を上げたのである。
結局のところ、自領内に引き込んでの殲滅作戦もまた、博打のようなものなのだった。
そのキャゼルヌにしても、シャロンが個人的に提出してきた補給計画のサンプル案には目を見張るものがあった。理路整然と、しかもあらゆる危機を想定して立案されており、その事態が発生したとしても二重三重に対処できるようになっていたからである。机上のプランと言ったが、それが単なる机上のプランではないことはキャゼルヌ自身がよく理解していた。
「工作員活動の方は、あえてそれを露見させることで帝国の怒りを買い、大軍を侵攻させる呼び水として考えているのではないだろうかと思うのだ。」
シトレが話を続ける。
「先年帝国は内乱を鎮圧し、軍の再編もスタートしている。だが、まだその傷はいえきっていないだろう。他方、わが方は先の戦いで損傷した艦艇の整備もほぼ終了し、新兵の訓練も順調だ。彼女の予測では帝国は条約期限終結までは攻めてこないとみているのかもしれんな。」
「あるいは攻めてきたとしてもその勢いは弱く、充分に対処できると踏んでいるのではないでしょうか。」
と、ウィトゲンシュティン中将。
「その際には通常の迎撃作戦を取るだろうな。それもあの移動要塞を先頭に立ててだ。艦隊戦ではここの所こっちに分が悪いからな。一度相手をブッ叩いてさらに怒らせて、大軍を率いて攻め込ませる。そんなところだろ。」
大雑把に言った割にはブラッドレー大将の言葉に反対する人間はいなかった。
その後、シトレ、ブラッドレーらは話をつづけ、どう彼女を監視するか、その方針について話し合ったのである。
ウィトゲンシュティン中将、カロリーネ皇女殿下、アルフレートの三人がマーチ・ラビットを出た時には、22時を回っていた。
「すまないわね、遅くまで付き合わせてしまって。」
と、ウィトゲンシュティン中将が二人に謝った。
「いいえ、副官補佐役として当然のことです。」
そう言いながらもアルフレートは不思議だった。どうして自分たちを連れてきたのか。副官ならばほかにいくらでもいるし、作戦、戦略行動に関しての助言を聞きたければ、参謀長を呼べばよかったのではないか。
「どうして自分たちを連れてきたのか、という顔をしているわね。」
ウィトゲンシュティン中将に図星をさされて、アルフレートは顔を赤くした。
「明日はあなたたち非番だったわね。」
ウィトゲンシュティン中将の言葉に二人はうなずいた。
「なら、少し寄り道をしていってもいいかしら?」
うなずく二人の同意を確認したウィトゲンシュティン中将が歩き出した。ひんやりとした夜気はしんと張り詰めていて静かだった。少し歩いた3人が入っていったのは、官舎にほど近い一画にある静かなバーだった。
アルフレートはポート・ワインを、カロリーネ皇女殿下はオレンジエードを、そしてウィトゲンシュティン中将はホワイト・レディーを注文した。考えてみると、これはとても奇妙な光景であるとカロリーネ皇女殿下は思った。一介の副官補佐役と艦隊司令官とが同じテーブルについてグラスを傾けているのだから。
「私は帝国領内侵攻をまだあきらめてはいないわ。」
ウィトゲンシュティン中将は開口一番にそう言った。アムリッツアの愚行をきかせてやりたいと同時に転生者二人が思ったことは言うまでもない。
「だから、シャロン・イーリス中将の監視の話を個人的には歓迎していた。でも・・・・。」
ウィトゲンシュティン中将は遠い目をして、窓際の席の右手のガラスから夜の景色を眺めた。室内の明かりが反射していて外はあまり見えなかったのだが。
「それが本当に良い事なのかどうか、このごろは自信がなくなってきたの。」
かすかな咳の音が彼女の語尾を寒々しいものにした。
「帝国領内侵攻作戦など、夢のまた夢です。補給線の構築も困難。解放した民衆への食糧供給も困難。間違いなく長期にわたっての遠征に際して発生する士気の低下の阻止も困難。」
アルフレートが指折り数えてこれらの問題点を指摘した。
「わかっているわよ。冷静に考えれば誰だってそれくらいの事は想像がつくわ。問題はそれ等のマイナスを補って余りあるプラスの要因を突きつけられた時よ。そうなったとき、人は冷静ではいられないの。」
ウィトゲンシュティン中将は「ほっ」と静かにと息を吐いた。かすかな白い曇りがガラスに残った。彼女は少し自分の思いを出しすぎたと思ったのか、二人に向き直って急に話題を変えてきた。
「あなたたちと一緒にいるときが一番気持ちが安らぐわね。年が近いせいもあるからかしら。」
あなたたちを呼んだ理由としてはそういう事もあるのよ、とウィトゲンシュティン中将は少し笑った。
「最近ようやく、この第十三艦隊が私たちの家だと思えるようになってきたわ。さすがに一年も続けていると愛着がわくようになるのかしら。」
この時は単なる話の接ぎ穂なのだと二人は思ったが、ウィトゲンシュティン中将がいう「家」には特別の意味があることをほどなくして二人は知ることになるのである。
「家ですか?」
アルフレートが数瞬の後、意外な面持ちで繰り返した。
「家っていうのは、私たちが拠り所となる場所よ。それは、帝国からの亡命者で構成されている私たち軍属だけのものじゃないわ。私はね・・・・。」
一瞬ウィトゲンシュティン中将は遠い目をしていた。
「初めて第十三艦隊の司令官になった時、前任者もいなかったけれど、帝国出身の先輩方から繰り返し言われたことがあるの。『お前はウィトゲンシュティン家だけを背負っているんじゃない。帝国からの亡命者その全部の希望を背負っているんだ。』ってね。」
「大変なプレッシャーですね。」
ウィトゲンシュティン中将の背後にある見えない無数のオーラを感じ取ったのか、カロリーネ皇女殿下には、その感想を出すのが精一杯だった。
「大変なプレッシャーよ。でも、それを単なるプレッシャーとして見ることがなくなったのは、ようやく最近の事なの。」
「・・・・・・・?」
「二人とももっとこの国の現状を調べてみなさい。そうすれば、私の言ったことが理解できると思うわ。」
顔を見合わせた二人は、少し気まずい思いを味わった。生きていくのに精いっぱいで他人を思うゆとりなどなかったからである。これを機会に自由惑星同盟の事をもっと調べてみてもよいのかもしれない。今二人がいるところは紛れもない『現実世界』であって、本を通して感じ取る世界ではないのだから。
「閣下はなぜそこまで帝国領内侵攻にこだわるのですか?」
カロリーネ皇女殿下が最初の話題に戻した。あぁ、その話ね、とウィトゲンシュティン中将は今後は苦笑交じりにホワイト・レディーのグラスを少し傾けた。その純白の液体を通じて彼女は数千光年かなたを見やる目をしながら、
「私もまた皇族の血を引く一人だからよ。今の帝国はガタガタだわ。いえ、体制という問題を言っているのではないの。」
転生者二人が不思議そうな顔をしたので、ウィトゲンシュティン中将は言葉を継いだ。
「血の問題なのよ。いくら体が表面上問題がなくとも、根幹となる血が濁ってしまえば、いずれ体組織も崩壊するわ。もうゴールデンバウム王朝本家はどうしようもない。分家である私たちが帝国に返り咲き、本家の悪い血とその取まきを一掃して新生な帝国を作り上げる必要があるわ。」
「私たち?」
ウィトゲンシュティン中将の眼が細まった。心なしか目はカロリーネ皇女殿下の方を向いているようである。
「私たち一門よ。」
それ以上この話題についての話は出ず、後は世間話や雑談で終始したのだが、ウィトゲンシュティン中将が最後に言った言葉、その意味をカロリーネ皇女殿下はバーを出てからもずっと考え続けていたのだった。
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