好きな役だが
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第一章
好きな役だが
アルフレード=クラウスはテノール歌手として名を知られていた、貴族的な整いを見せた顔立ちに茶色の髪と口髭がよく似合っている。目は鋭い感じでかつ気品も備えており中背の身体はすらりとして舞台での貴族や青年の衣装がよく似合っている。
美声と的確な技術がとりわけ有名でデビューしてからキャリアを積み世界的な歌手となった。そのうえで様々な役も歌も歌ってきたが。
ふとだ、彼は周囲にこんなことを言ったのだった。
「私の声域のことだが」
「はい、テノールですが」
「そのテノールでもですね」
「軽い方、リリコだね」
その域だとだ、クラウスは周囲に言った。
「その域になるね」
「そうですね、テノールといっても声域に幅がありますが」
「マエストロの声域はリリコですね」
「リリコ=スピントというよりはです」
「そちらになります」
「そうだね、それでだが」
クラウスは周囲の声を受けてだ、あらためてだった。
考える顔になりだ、こう言ったのだった。
「これから歌う役を考えていこうと思っているが」
「舞台で、ですか」
「そこで、ですか」
「そう、私はウェルテルが好評だが」
ゲーテの若きウェルテルの悩みをマスネが歌劇にしたものだ、結末は原作とは多少違っているがあらすじは大体同じだ。
「しかし」
「そのウェルテルもですね」
「マエストロに合わないのなら」
「声域でそうなら」
「歌うのを止めようと思っている」
こう言うのだった、周囲に。
「そのウェルテルも」
「全ては声域を考えて」
「それで、ですか」
「ウェルテルでもですか」
「止められますか」
「私は長く歌っていきたいのだよ」
クラウスは彼の本音を話した。
「だから私自身の声域に合わないのなら」
「歌うのを止められますか」
「そうされますか」
「そうしよう、それで検証するが」
ここでだ、難しい顔になってだった、クラウスはさらに言った。
「私の声域に合った役は何か」
「そこから考えていきますか」
「マエストロの声域に合った役」
「そこからですね」
「私はリリコだ」
テノールの中でこの声域だというのだ。
「この声域だ、ではこの声域に合う役というと」
「ヴェルディだとアルフレードですね」
ここで一人がこの役を出した。
「椿姫の」
「好評を得た役でもあるね」
「はい、マエストロも得意ですね」
「好きな役だ、歌い慣れていると言えば慣れている」
「ではこの役は」
「声域にも合っている」
それ故にというのだ。
「ならこの役はこのまま歌っていこう」
「マントヴァ公もですね」
別の者がこの役の名を挙げた。
「リゴレットの」
「うん、あの役もね」
クラウスは彼にも応えたのだった。
「私は得意なつもりだよ」
「そしてやはり」
「私の声域に合っているね」
「問題ないですね」
「あの役もこれからも歌っていけるな」
「そう思います」
「他にはだね」
クラウスは今度は自分から言った。
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