提督はBarにいる。
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工廠での幕間
執務室を後にして、工廠に向かう。目的は明石のメディカルチェックだ。メディカルチェックと言っても身体測定のような物で、身長や体重、スリーサイズ等を計測してデータ化しておくのだ。艤装のフィッティングの為にこのデータが重要になる。
幾ら艦娘とはいえ、艤装がなければ砲撃・雷撃はおろか、水面に立つ事すら出来ない。腰のアタッチメントに艤装を接続し、動力源である缶を回す事で初めて、水面に立つ事が出来る。つまりは海上での生命線は艤装であり、身体に合わせた調整が不可欠。その為の身体測定だ。合わない靴を履いていれば走るのが遅くなるように、合わない艤装は性能の低下を招く。
『さぁ、ここが工廠です。装備の開発、改修、艤装のメンテナンスや艦娘の改装……戦闘に関わるバックアップの一切はここでやっています』
『随分広いのねぇ……あら?あの娘達は何をしてるの?』
広い工廠の一角で、作業している駆逐艦達をアイオワは見定めた。
『あぁ、あれは毎朝の日課の装備点検ですよ。出撃前に自分で整備して、異常が無いかをチェックするんです』
自分の命を預ける物だ、自分で整備するのは当然だろ?とは提督の言葉。なのでこの鎮守府の艦娘は、毎朝自分の艤装を整備し、清掃する。油を差し、煤を落とし、主砲の弾詰まりやその他異常が無いかをチェックしていく。何か異常があれば、明石や夕張、そして工廠の妖精さん達が修理を施す。
「あ、金剛さん。おはようございます!」
整備をしていた第8駆逐隊の旗艦・朝潮が金剛を見つけて敬礼してきた。ここ最近悩んでいたようだが、何かのきっかけで吹っ切れたようで、めきめきと錬度を上げてつい先日、第二次改装を経てめでたく改二となった。更に錬度を上げれば対空・対潜に優れた改修も出来るらしいが、どうするかは提督と相談中らしい。その妹達も整備の手を止めてこちらに敬礼してくる。流石は朝潮、妹達への教育もよく行き届いている。
「頑張ってマスねー、朝潮。……でも、鼻の先に油を付けてたら折角のcuteな顔が台無しデスよ?」
「え?……あっ!」
金剛に指摘されるまで気付いていなかったらしい。鼻の先に機械油が付いていて、黒くなっている。顔を真っ赤にしながら拭っている姿は、何とも微笑ましい。そんな姉とは対象的にいつもマイペースな荒潮は、金剛の隣に立つアイオワが気になったらしい。
「あらぁ~?そちらの金髪さんはぁ、新顔さんですかぁ?」
「えぇ、そうよ。今日着任したアイオワよ、よろしくね♪えぇと……」
「私ぃ、荒潮です~」
「大潮です!」
「あ、朝潮ですっ!」
「……満潮よ」
第8駆逐隊のメンバーはそれぞれ、元気一杯に自己紹介をしている。……満潮に若干の刺々しさを感じるが、まぁいつもの事だ。満潮はあまり他人と馴れ合おうとしない。何となく提督にはなついているようだが、照れ隠しなのか言葉は乱暴だ。
「アラシオ、オオシオ、アサシオ、ミチシオ……OK。頑張って覚えるわ」
「さて、明石を怒らせると後が面倒デス。そろそろ行きますよ、アイオワ」
そう言って第8駆逐隊のメンバーに別れを告げ、2人で工廠の奥へと歩みを進める。
『うぅ~、日本の艦娘は似た名前の娘ばかりで覚えにくいわ……』
『それを言ったらアメリカのフレッチャー級の方が覚え切れないと思いますが?』
『あの娘達は例外よ、例外。数が多すぎるもの』
『流石に175隻は在籍していた人でも覚え切れませんか……』
そう、アメリカ海軍で最も多く作られた駆逐艦・フレッチャー級。その総数は175隻にも及び、日本に配備されている艦娘全種類と同じ位の姉妹艦がいる。顔と名前を一致させるだけで苦労しそうだ。
『でも、あの娘達は似た名前の娘は居なかったもの。まだ覚えやすかったわ』
アラシオ、オオシオ、アサシオ、ミチシオ……と先程聞いたばかりの駆逐艦の名前をブツブツと繰り返し呟いて必死に覚えようとしている姿は、自ら進んで馴染もうとする素晴らしい取り組みだ。だが、
「あ、漸く来た!待ちくたびれましたよ~。こっちも忙しいんですからね!?」
急いでいない時ならば、だが。
「まったくもう、工廠班も大規模作戦前は忙しいんですからね!?その辺解ってますか金剛さん!」
「そ、ソーリー、ソーリーよ明石ぃ。アイオワを色々案内してたら時間かかっちゃったのヨ~」
腕組みしてプリプリ怒る明石に、平謝りする金剛。そう、観測部隊からの報告で、近々深海棲艦が大規模侵攻を企てている可能性が高い、との報告が入った。それを受けて大本営は大規模作戦に備えて各鎮守府は相応の準備をされたし、との通達を各鎮守府に発布。それで我が鎮守府でも在庫の装備の点検や、新規装備の開発、既存の装備の改修等でてんてこ舞いだ。そんな忙しいスケジュールの中にアイオワのメディカルチェックを無理矢理捩じ込んだので、明石はご立腹らしい。
「まぁいいですよ。さてアイオワさん、早速ですが身体のデータを採らせて貰いますね。奥の部屋へどうぞ」
明石に促されてアイオワも奥の部屋へと向かう。手持ち無沙汰になってしまうが、ここは大人しく待つしかないだろう。
「よぅ、金剛の嬢ちゃん。新人さんの付き添いか?大変だねぇウチのエースだってのに」
声を掛けてきたのは、工廠で働く数少ない男性職員の繁(しげ)さん。70歳を超えているハズなのに未だに現役の整備兵さんで、皆からは『おやっさん』の愛称で親しまれている。中でも溶接は一級品らしく、明石や夕張が出来ない箇所も繁さんなら難なくやってしまうらしい。今は休憩中なのか、くわえ煙草をふかしながら、缶コーヒー片手ににこやかに近付いてきた。
「繁さんも元気そうだネー?暑くてダウンしてるかと思いました!」
「馬鹿言っちゃいけねぇよ、おめぇの旦那の小僧がへばってねぇのに俺が倒れてたまるかってんだ!」
ハッハッハ、と笑いながらコーヒーを啜る繁さん。提督もいい歳してるのだが、繁さんから見れば『小僧』らしい。
「ホレ、嬢ちゃんも飲みねぇ」
繁さんはそう言って金剛にもよく冷えた缶コーヒーをくれた。金色の缶に、パイプを加えた男性の肖像がプリントされた物だ。
「頂きマス」
プルタブを起こし、一口。キリッと冷えた液体が口から喉を通って胃の腑に落ちていく。紅茶とは違う仄かな苦味とミルクのまろやかさ、砂糖の甘味が絶妙のバランスだ。
「たまにゃあコーヒーもいいだろ?」
コーヒーを飲み、煙草をふかしてニカッと笑う繁さん。金剛自身もコーヒーが嫌いな訳ではない。だが、イギリス生まれは紅茶党という既成概念が邪魔をして、食わず嫌い的に避けていた所があったのだ。
「そうデスね、冷やして飲むなら紅茶よりいいかもしれません」
にこやかに笑いながらそう繁さんに返してやる。
「……にしても、また大規模作戦の時期か。何度来ても、この忙しさと薄ら寒さは慣れねぇぜ」
繁さんは元々、横須賀の近くに小さな鉄工所を構えていたらしい。そこを深海棲艦に襲われて、全てを失った。残ったのは己の腕だけ……そこで海軍に整備兵として志願し、ウチの提督が引き抜いて来たらしい。深海棲艦が攻めてくる、と聞けば思い出すのも無理はない。
「大丈夫よ、繁さん。私達がGHQにしてやるネ!」
「GHQ?なんだそりゃ?」
「Go home quickly(とっとと帰れク〇野郎!)ネ!」
暫くきょとんとしていた繁さん、途端に笑い出し、
「ハッハッハ、そいつぁいい!傑作だ!……まぁ、元々心配なんざしてねぇさ。嬢ちゃん達とあの小僧なら、絶対に勝つと信じてるからな」
朗らかに笑う老整備兵の目尻には光る物が見えた。
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