真田十勇士
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巻ノ七十 破滅のはじまりその七
「お話しておきましょう」
「わしもそう思う、ではな」
「その様に」
「うむ、太閤様にお話をしておこう」
兵や銭を集めておく理由をというのだ、秀次は幸村の言葉を受けて実際にそうした。すると秀吉も秀次自身から大坂城でそう言われてだった。
笑みを浮かべてだ、彼に答えたのだった。
「ははは、そんなことか」
「宜しいですか」
「わしに言わずともよかったわ」
そうした話だったというのだ。
「御主は関白じゃ」
「だからですか」
「わしの跡を継ぐ、そうしたものが火急に備えていなくてはな」
それこそというのだ。
「その方が駄目じゃ」
「では」
「うむ、よいぞ」
やはり笑って答えた秀吉だった。
「断りを入れるまでもない」
「それでは」
「そして兵や銭だけではないな」
「兵糧や武具も」
そうしやものもとだ、秀次は答えた。
「蓄えております」
「尚よい、兵や銭を置いておいてもな」
「飯や矢、槍がなければ」
「とても戦えぬ、そして御主自身もじゃな」
「はい、刀を集めています」
「そうしておるな」
「百姓あがりですが」
豊臣家自身がだ、だがそれでもと秀次は言うのだ。
「それがしも武士」
「だからじゃな」
「刀を集めて手に入れております」
「それもよい、義輝公程でないにしても」
足利幕府の十三代将軍だ、天下の剣豪でもあり松永久秀に殺される時に思う存分集めた刀を振るい戦った末に死んでいる。
「それでもな」
「刀を集めることはですな」
「武士のしかも高い場所におればな」
「嗜みですな」
「そうじゃ」
まさにというのだ。
「だからな」
「刀を集めていることも」
「よい」
まさにというのだ。
「これからも集めよ」
「さすれば」
「わしもな」
ここでこうも言った秀吉だった。
「五十五を過ぎた、ならばな」
「そこから先は」
「よい、人間五十年という」
信長が愛していた敦盛の言葉も出す。
「それならばな」
「五十五を超えられたからには」
「何時どうなるかわからぬ」
そうしたものだというのだ。
「だからな」
「後は、ですか」
「頼むぞ」
こう言うのだった。
「わしの跡は大坂に入りじゃ」
「そして」
「天下とな」
そして、というのだ。
「ねね、そして茶々達もな」
「はい、それでは」
「任せるからな」
「わかり申した」
「治部、刑部にじゃ」
この二人にというのだ。
「徳川殿に前田殿もいる」
「お二人も」
「頼れ、わかったな」
「はい、ですが」
「徳川殿じゃな」
「あの方は」
「律儀ではあるが」
天下の話通りだ、確かに家康は律儀である。しかしというのだ。
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