銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百二十三話 キュンメル事件(その1)
帝国暦 488年 8月 16日 オーディン キュンメル男爵邸 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ
「では、ヴァレンシュタイン司令長官はピーマンとレバーが嫌いなのですか?」
「そのようですわ、男爵。入院中は良くぼやいていらっしゃいました」
「まあ、本当ですの、ユスティーナ様?」
「ええ、本当ですわ、ヒルダ様。そうでしょう、お養父様?」
「ピーマンとレバーは健康には良いのだがな」
苦笑混じりのミュッケンベルガー元帥の言葉だった。ヴァレンシュタイン司令長官はピーマンとレバーが嫌い、まるで小さい子供のような好き嫌いに皆の笑いが起きた。
「それでは結婚されたら食事には苦労しそうですね?」
「それも有りますけど元帥は無理をされるのでそちらの方が……」
「まるで本当に小さな子供のようですわね、ユスティーナ様」
私の問いかけにヴァレンシュタイン元帥の婚約者、ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーは少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。彼女は婚約者の事を言われると気恥ずかしいようだ。そんな彼女をハインリッヒは羨ましそうに見ている。
ハインリッヒ・フォン・キュンメル男爵、私の三歳年下の従弟。先天性代謝異常で生まれたときから半ば寝たきりの青年……。銀色の髪、血色の悪い顔、そして肉付きの薄い華奢な身体……。今日は具合が良いらしくベッドでは無く電動式の車椅子に腰掛、居間で話をしている。しかし彼の命はもう長くはないだろう……。
その所為だろうか、レオナルド・ダ・ビンチ、曹操、ラザール・カルノー、トゥグリル・ベグ……、ハインリッヒには強い英雄崇拝の傾向がある。特に多方面で業績を上げた人物に憧れを持つ。
内乱終結直後、メックリンガー提督に頼んでハインリッヒと会って貰った。軍人であり、同時に芸術家であるメックリンガー提督はハインリッヒにとって理想の人物だ。そしてハインリッヒが会いたがっている人物がもう一人いる。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥……。軍人であり、政治改革者、当代の英雄。ハインリッヒが憧れるのも無理は無いと思う。
でも元帥とハインリッヒを会わせる事は出来ない。元帥の両親がカストロプ公に殺されたのはキュンメル男爵家が原因だった。より正確に言えば、ハインリッヒが病弱な事が……。
ハインリッヒはその事を知らない。だからヴァレンシュタイン元帥に会いたがる、しかし元帥はどうだろう……。多分全てを知っているのではないかと思う。カストロプ公爵家が反逆に及んだのは元帥がそう持っていったからかもしれない、両親の復讐をするために……。
ハインリッヒには、元帥は内乱終結後の混乱収拾のため多忙であり此処に来る事は出来ないと言ってある。だから代わりに元帥の事を良く知るミュッケンベルガー元帥父娘に来てもらった。彼らはヴァレンシュタイン元帥の事を良く知っている。そしてミュッケンベルガー元帥も当代の英雄……。二人からヴァレンシュタイン元帥の事を聞き、ミュッケンベルガー元帥と話せればハインリッヒも満足するだろう……。
「フロイライン・マリーンドルフ、キュンメル男爵はお疲れのようだ。我等はそろそろ失礼させていただこうと思うが」
ミュッケンベルガー元帥が辞去をほのめかしたのは歓談が一時間ほど経過した頃だった。確かにこれ以上はハインリッヒにとって負担になりかねない。
「そうですね。ハインリッヒ、今日はこのくらいにしましょう」
私の言葉にハインリッヒはクスクスと笑い始めた。突然の事にミュッケンベルガー元帥父娘も訝しげな表情をしている。
「どうしたの、ハインリッヒ」
「残念だけど、皆は此処から帰れない」
「どういうことだ、キュンメル男爵」
ミュッケンベルガー元帥の厳しい問い詰めにハインリッヒは唇を歪めた。
「この屋敷の地下室にはゼッフル粒子が充満しているんです。これを押すと爆発して此処は吹き飛ぶでしょう」
そう言うとハインリッヒはポケットから起爆装置を取り出した。
「ハインリッヒ、あなたは……」
「御免、ヒルダ姉さん。でも、こうでもしないとヴァレンシュタイン元帥とは会えない……。姉さん、僕は彼と会いたいんです。ヴァレンシュタイン元帥と連絡を取ってください」
「その必要は無い。あれには知らせるな、フロイライン・マリーンドルフ」
「そうです、知らせてはいけません」
元帥とユスティーナが口々に止めた。
「ハインリッヒ、馬鹿な真似は止めて。ヴァレンシュタイン元帥とは後で会えるわ、だから……」
止めようとした私をハインリッヒが遮った。
「嘘だ!ずっと彼と会いたいと姉さんに頼んでいたのに、姉さんは取り合ってくれなかった。彼と会いたいんです……、僕には時間が無いんだ! 分かってるでしょう、ヒルダ姉さん」
「……」
私は間違っていたの? もっと早く元帥に御願いすればこんな事にはならなかった?
「姉さん、ヴァレンシュタイン元帥は婚約者と未来の義父を失いたくは無いと思いますよ。連絡してください」
「……ハインリッヒ」
「姉さんが連絡しないのなら僕がします。但し警察にです。もっと大事になります、それでも良いですか」
「……」
帝国暦 488年 8月 16日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
TV電話には蒼白になったヒルダの顔が映っている。嫌な感じだ、何が有った?
『元帥、今キュンメル男爵邸にいます』
「……」
何となく想像がついたが、考えたくない……。
『私のほかに、ミュッケンベルガー元帥とユスティーナ様も一緒です』
「それで」
『キュンメル男爵邸の地下にはゼッフル粒子が充満しているそうです。起爆装置はキュンメル男爵が持っています』
やっぱりそうか……。傍にいるヴァレリーが息を呑むのが分かった。
「それで、キュンメル男爵は何を望んでいるのです」
『元帥閣下に会いたい、此処に来ていただきたいと……』
ヒルダの背後から“来てはいかん”、“来ないでください”と叫ぶミュッケンベルガー元帥とユスティーナの声が聞こえる。やれやれだ、あの二人を見殺しにはできない。内乱を生き延びたと思ったが、今日が命日になるかな。
「分かりました、これからそちらに向かいます。男爵にそう伝えてください」
『閣下……』
「フロイラインが気にすることではありません。ココアを用意してください、直ぐ行きます」
通信を切るとヴァレリーが血相を変えて詰め寄ってきた。
「行ってはいけません、相手は元帥を殺すつもりです」
「だからと言ってミュッケンベルガー元帥とユスティーナを見殺しにする事は出来ませんよ、大佐」
私の言葉にヴァレリーは唇を噛んだ。
「ですが……、危険です」
「そうですね、でも考えを変えるつもりは有りません」
そんな唇を噛み締めてこっちを睨むなよ、ヴァレリー。美人が台無しだ、男が近付かなくなるぞ。
「分かりました。私もご一緒します」
「大佐」
「この件については私も考えを改めるつもりは有りません」
「……」
「キスリング少将に知らせますか?」
俺が頷くとヴァレリーは自分の机で憲兵隊本部に連絡を取り始めた。それを見ながら俺もアンスバッハに連絡を入れた。地球教が絡んでいるのは間違いない、こいつは帝国広域捜査局の出番だ。
『元帥閣下、どうされました』
「厄介な事が起きました」
『と言いますと』
「ミュッケンベルガー元帥とユスティーナがキュンメル男爵邸で人質になりました」
『人質?』
アンスバッハは訝しそうな表情をしている。キュンメル男爵邸で人質と言う事がピンと来なかったのだろう。
「犯人はキュンメル男爵です。彼の屋敷の地下はゼッフル粒子で充満しているそうです」
『!』
たちまちアンスバッハの顔が緊張に包まれた。
『閣下、キュンメル男爵の要求は?』
「私に来て欲しいと言っています」
『閣下! 行ってはなりません。今閣下を失えば帝国は……』
「そうは言っても、あの二人を見殺しには出来ません」
『閣下!』
そう騒ぐな、アンスバッハ。冷静沈着なお前らしくない。
「そんな事より、大事な事が有ります。知っているかと思いますが、キュンメル男爵は病弱で動く事さえ儘なら無い。つまり彼一人で出来ることではありません。協力者が居るはずです」
俺の言葉にアンスバッハはゆっくりと頷いた。
『なるほど、閣下は例の連中が協力者かも知れないと考えているのですね。分かりました、フェルナーをそちらに向かわせましょう』
「よろしく御願いします。現地には憲兵隊も行く事になっています。アントンに伝えてください」
『分かりました。閣下、無茶はしないでくださいよ。閣下一人の命ではないんですから』
やれやれ、保護者がまた増えたか……。俺ってそんなに頼りないかね。
帝国暦 488年 8月 16日 オーディン キュンメル男爵邸 アントン・フェルナー
キュンメル男爵邸に行くと既に憲兵隊が屋敷を包囲していた。約二千名ほどは居るだろう。レーザーライフルを持って待機している。こっちは五十名程、全員特殊警棒のみだ。それとは別にゼッフル粒子の探知機を用意している。
「遅いぞ、アントン」
「さすが、憲兵隊だな、ギュンター」
俺の言葉にギュンターは軽く笑った。
「甘く見てもらっては困るな、全員此処まで靴下はだしで走ってきた。音を立てないようにな」
「驚いたね、俺達は近くまで地上車で来たよ、エーリッヒは?」
「もう直ぐ来る、こっちの準備が出来るまで待ってくれと頼んだんだ」
俺達が話していると五台の地上車が近付いて来て止まった。前方二台の車、後方二台のから装甲擲弾兵が、中央の車からエーリッヒがフィッツシモンズ大佐、そして装甲擲弾兵総監リューネブルク大将と共に降りてきた。
「皆、揃っているようだ」
エーリッヒの言葉に皆が頷いた。
「エーリッヒ、屋敷の中に入るのか」
「招待されてるからね」
エーリッヒは俺の言葉に仕方ないといったように肩を竦めた。
皆が顔を見合わせる。全員が不承知といった表情だ。
「最初に言っておくが止めても無駄だよ」
「……」
「ギュンターは周囲を固めてくれ、逃げ出すものは逮捕するんだ、決して殺してはいけない。アントンは中に入って使用人を調べてくれ、キュンメル男爵の協力者を探すんだ」
「協力者?」
エーリッヒの言葉にギュンターが訝しげな声を出した。エーリッヒがキュンメル男爵が病弱で動けないことを告げ、内部に協力者がいるはずだと話した。
「まだ、居ると思うか?」
俺の質問にエーリッヒは一瞬小首を傾げた。このあたりは士官学校時代と変わらんのだな。そう思うと修羅場にもかかわらず一瞬だが微笑ましくなった。
「分からない。しかしここ数日で居なくなった人間がいたら、その人物が協力者の可能性は高い。突きとめて必ず捕まえるんだ」
「分かった」
「それじゃ、私は行くよ」
エーリッヒはそう言うと屋敷の中に入っていった。その後を、フイッツシモンズ大佐とリューネブルク大将がそして装甲擲弾兵が数名続いていく。俺も捜査局の人間を連れて中に入った。
ギュンターが心配そうな顔をしていたが、あえて知らぬ振りをした。ゼッフル粒子が爆発したときは俺とエーリッヒはおそらく死ぬ事になるだろう。生き残るのはギュンター達憲兵隊だけだ。辛いだろうな、ギュンター。こんな時は一緒に吹っ飛ぶ方が楽だ。でも出来る事なら吹っ飛びたくは無い。上手くやってくれよ、エーリッヒ。
帝国暦 488年 8月 16日 オーディン キュンメル男爵邸 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
キュンメル男爵邸の居間には四人の男女がいた。ミュッケンベルガー元帥父娘、フロイライン・マリーンドルフ、キュンメル男爵。司令長官が居間に入っていくと一斉に視線が向けられた。
「馬鹿な、何故来た」
「そうです、私達のことなど……」
「そうもいきませんよ、陛下が選んでくれた婚約者なんです。大事にしないと」
「しようの無い奴だ」
司令長官がおどけたような口調で、ミュッケンベルガー元帥が苦い口調で話す。
「司令長官、申し訳有りません。こんな事に巻き込んでしまって」
フロイライン・マリーンドルフの言葉に司令長官は気にするなと言うように手を振りながら椅子に腰をかけた。私とリューネブルク大将達装甲擲弾兵は司令長官の後ろに立った。
「フロイライン、先ずはココアを頂きましょうか」
フロイライン・マリーンドルフが司令長官にココアを用意した。司令長官が一口ココアを口に含む。それを見てからキュンメル男爵が話しかけてきた。
「ヴァレンシュタイン元帥、御来訪いただき有難うございます」
「男爵、私以外の人間は退席させても構いませんか?」
「私は動かんぞ」
「私もです」
「……困ったものです。誰も私の言う事など聞こうとしない」
溜息交じりに吐かれた司令長官の言葉にキュンメル男爵は面白くもなさそうに笑った。時折咳き込みながら。
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