銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百十八話 内乱終結後(その2)
帝国暦 488年 5月 30日 オーディン 新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
リヒテンラーデ侯と別れた後はバラ園に向かった。侯の言う事ではフリードリヒ四世はそこで待っているらしい。俺がフリードリヒ四世と最後に会ったのもバラ園だった。危うく死に掛けたがあれから半年か、早いものだ。
フリードリヒ四世はバラ園でバラの手入れをしていた。黄色い花が咲いている、思わずミッターマイヤーのプロポーズを思い出した。これと同じバラかな、まあ此処に在るのは皇帝陛下の育てるバラだ。その辺のバラとは違うかもしれん、いや花などどれも同じか……よく分からん。
近付いて跪いた。
「陛下、ヴァレンシュタインです」
「ヴァレンシュタインか、内乱鎮圧、御苦労であったの」
「はっ」
「随分と会わなんだ……」
「最後に謁を賜ってから半年が経ちました」
「そうか、あれから半年か……」
あの襲撃事件から半年だ。フリードリヒ四世の声には懐かしむような色がある。確かにあの当時は生き残るのに必死だったが今となっては夢のようだ。懐かしさを感じても可笑しくない。
「臣が今こうして生きているのは陛下の御蔭です。心より御礼申し上げます」
「気にするでない、そちが無事で良かった」
穏やかな優しい声だった。残念だが俺が顔を伏せているため表情は見えない。フリードリヒ四世は俺に立つようにと言った。非公式の場なのだ、遠慮は無用だろう。躊躇無く立ち上がった。皇帝は俺に横顔を見せている。そして正面に咲いている黄色いバラを見ていた。
「ヴァレンシュタイン、宮中は寂しくなったであろう」
「はっ。リヒテンラーデ侯もそのように言っておられました」
「賑やかなのはバラ園だけよの、このアルキミストが咲きだすとバラ園が急に賑やかになる」
フリードリヒ四世は微かに苦笑している。アルキミスト? バラの名前だろうか?
「昔はこの花が嫌いじゃったが、今ばかりは有り難いの」
「……陛下、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の事、残念でございました」
俺の言葉に皇帝は首を横に振った
「そちの所為ではない、勅命を出したのは予じゃ。こうなると分かっていて出した……」
「ローエングラム伯、グリューネワルト伯爵夫人の事もございます。何と言って良いか、陛下に近しい方を臣が皆排除する事になりました」
門閥貴族の生き残りどもは、俺の名前は悪人列伝、佞臣列伝に載るべきだと騒ぐだろう。流血帝アウグスト二世におけるシャンバークか、或いはオトフリート一世におけるエックハルトか。どちらにしても碌なもんじゃない。
「それもそちの所為ではない。あれの野心を知りながら引き立てたのは予じゃ。引き立てながらあれを捨てそちを選んだ。あの時からラインハルトが、アンネローゼが滅びるのは分かっておった。予があれらを破滅させたのじゃ」
フリードリヒ四世は寂しそうにバラを見ている。
「救う事など出来なかった。そんな事をすれば反ってあれを辱める事になるであろう。そうは思わぬか?」
俺は黙って頷いた。覇者ラインハルトにとっては死を賜るよりも皇帝の命によって死から救われる事のほうが屈辱だろう。彼らは今取調べを受けている、裁判は何時頃になるのか……。
「そちは振り返るな、振り返ってはならぬ」
「陛下……」
フリードリヒ四世が俺を見た。寂しそうな表情、そして優しそうな瞳。切なくなるような気持になった。皇帝は悲しんでいる、それでも俺を励まし背を押してくれる。思わず視線を伏せた。
「面を上げよ、ヴァレンシュタイン。そちが切り捨てたものは本来なら予が切り捨てるべきものだったのじゃ。そちは予に代わってそれを切り捨てたまでのこと。そちが気にする事ではない。そちはただ前を歩け」
「しかし、それでは」
「良いのじゃ。新しい帝国を創る、そちはその事だけを考えよ。それこそが我が望み……、忘れるな」
「……はっ」
しばらくの間お互い喋らなかった。ただ黙ってバラを見ていた。美しく華やかに咲く黄色いバラを……。
フリードリヒ四世が口を開いたのは十分程経ってからだった。
「そち、結婚せぬか」
「はあ?」
いきなり何を言い出すんだ、この老人……。フリードリヒ四世の顔には先程までの寂しそうな表情は無い、何処か面白がっているような色がある。
「軍中央病院がそちの事を心配しておるそうじゃ」
「心配ですか?」
俺の言葉にフリードリヒ四世は嬉しそうに頷いた。よく分からんな、結婚と病院? どう繋がるんだ?
「そちの健康管理は万全かとな」
「……健康管理」
「そちは無理をするからの、傍でそちを見張る人間が必要という事じゃ」
頼む、そう嬉しそうな顔をするな、何処かの爺様と同じ表情をしているぞ。
「しかし、だからと言って結婚ですか」
「そうじゃ、どの道結婚は避けられぬからの」
「?」
俺は不審そうな顔をしたのだろう。皇帝フリードリヒ四世は俺を見て笑い出した。
「そちは自分の事になると鈍いの。今のそちは帝国きっての実力者なのじゃぞ。生き残った貴族達が自分の家を守るために何を考えるか……、分かるじゃろう?」
なるほど、俺に娘を押し付けて生き残りを図るか、クズみたいな連中だな。俺は顔を顰めていたのだろう、フリードリヒ四世は俺を見てもう一度笑った。
「貴族が生き残りをかけるなら臣ではなく陛下の下に薦めてくるのではありませんか?」
俺の言葉にフリードリヒ四世は重々しく頷いた。
「その通りよ、いささか面倒での。そちに一人遣わそうと思うのじゃ」
「臣は平民です、貴族である事を鼻にかけるような女性は御免です」
フリードリヒ四世がまた笑った。頼むから俺に女を押し付けるな、自分で何とかしてくれ。それにしても貴族ってのは何考えてるんだか……。
「好きな娘でも居るかの?」
「……特にそういうわけでは……」
「ならば予が選んでも問題は有るまい。貴族である事を鼻にかけぬ娘なら良いのじゃな」
いや、その、俺にだって恋愛する権利はあるだろう。好きとは言えなくても気になる女性が居ないわけじゃない。いくらなんでも“この娘と結婚しろ”はちょっと……。大体そんなのは貴族の世界だろう、俺は平民だ。
「不満そうじゃの、恋愛結婚でも望んでおるのか? そちは平民かもしれんが宇宙艦隊司令長官、元帥なのじゃ。そのような事、できると思うか?」
「……」
「これから先はそちに皆が娘を薦めて来るであろう、誰を選ぼうと厄介な事になる。じゃが予が娘を薦めれば皆諦めよう。そちのためでもあるぞ」
「……それは、そうですが」
この爺、結構交渉上手じゃないか。何で皇族なんかに生まれた? フェザーンに生まれていれば財団の一つぐらい作っただろう。フリードリヒ四世がフェザーンの自治領主だったら手強かっただろう。
「ミュッケンベルガーの娘はどうじゃ? そちは親しいそうじゃの」
「……それは」
「予も知っておるが良い娘じゃ、悪くは無いと思うが」
老人、ニヤニヤするのは止めてくれ。どうして年寄りっていうのは若い連中をからかって楽しむのかね。確かに悪くは無いよ、ユスティーナは。しかしね、養父は怖いしそれに向こうは軍の名門だ、ちょっと気が引ける……。ミュッケンベルガーが俺に好意を持っているのは分かっている。だがそれは軍の後継者としてだろう。娘婿としてかどうかは正直疑問だ。大体押し付けられるのは苦手なんだ。
「しかし相手はどう思うか……」
「ミュッケンベルガーも娘も喜んでおったぞ。特に娘がの」
「……はあ」
汚いぞ、老人。外堀は全て埋めた後かよ。俺に拒否できないように持って来る。
「ヴァレンシュタイン、この結婚を拒否する事は許さぬ」
「……」
突然だがフリードリヒ四世は厳しい表情をした、先程までの何処かふざけたような表情は無い。
「貴族が平民であるそちとの結婚を望む、その意味はそちにも分かろう」
「それは……」
貴族とは何よりも遺伝子を、血統を重んじたルドルフによって作られた制度だ。彼らが平民との血の混合を望むなど本来ありえない。
その彼らが平民との結婚を望む、つまり遺伝子、血統の否定だ。脱ルドルフという事に他ならない。
「真の意味で貴族と平民の壁を無くすつもりであれば、血の交流は避けられぬ。避ければ新たな壁が、差別が生ずる。新たな帝国にはそのような壁は不要じゃ。そうであろう」
「それは、……そうです」
ミュッケンベルガー家は伯爵家の分家だ。そして代々軍の名門として存在してきた家でもある。そのミュッケンベルガー家が平民を娘婿に選ぶ……。俺の結婚は当然同盟でも話題になるだろうな、そのあたりも考慮しての事か……。まさに政略結婚だな。ユスティーナはそのあたりを理解しているのか……。
「予はこれを機に劣悪遺伝子排除法を廃法にするつもりじゃ」
「!」
俺が驚いてフリードリヒ四世を見ると可笑しそうな顔で笑った。
「遺伝子や血に拘らぬのであれば必要ないからの、帝国が変わったという何よりの証拠になろう。そのためにもそちはミュッケンベルガーの娘と結婚せねばならん。良いな」
「はっ」
これからミュッケンベルガーに会うんだが、どんな顔をすればいいんだ。その時のことを考えると思わず溜息が出た。そんな俺を見てフリードリヒ四世がまた笑い声を上げた。オーディンは魔界だ。食えない爺ばかりいる。
帝国暦 488年 5月 31日 オーディン ゼーアドラー(海鷲) アルベルト・クレメンツ
「こうして二人で酒を飲むのは久しぶりだな、クレメンツ」
「ああ、前に飲んだのは内乱が起きる前だからな。半年前か」
「うむ」
あの時は内乱を前に皆が何処かピリピリしていた。酒を飲んでいても寛ぐという事は無く、何処かで何かが起きるのを待っている、そんな感じだった。今はそれは無い。ゼーアドラー(海鷲)にいる人間は皆、落ち着いた表情で酒を飲んでいる。
ゼーアドラー(海鷲)にいる人間も変わった。内乱前は門閥貴族出身の貴族と下級貴族、平民は席を一緒に座る事は無かった。そこには厳然とした差別があった。だが今はない。
「何時出撃する?」
「一週間後だ、卿は」
「こちらも一週間後だ」
一週間後に出撃。内乱終結にも関わらず間をおかず出撃するのは国内の治安維持のためだ。門閥貴族が滅んだ事で新たな混乱が生じている。その混乱を解消しなければならない。
彼ら門閥貴族は領地を持っていた、つまりその地方の安全保障を受け持っていたのだがその貴族が滅んだ事で安全保障を受け持っていた存在が居なくなった。そしてもう一つ、彼らはその地方の物流、通商の主要な担い手だった。それが居なくなった。各星系内、星系間の経済活動が極端に低下しはじめている。
ここから何が生まれるか? 簡単だ、極端な物不足、物価の高騰、密輸、非合法活動(海賊行為)だ。これを放置すれば政府に対して不満が高まり、門閥貴族達への支持になりかねない。改革は挫折する。
軍は既に兵站統括部に命じて各星系に輸送船を派遣している。しばらくの間は軍が帝国内の物流を支えなくてはならないだろう。そして我々の役目はその護衛、海賊行為の取り締まりだ。
海賊達の中には今回の内乱に参加した者達も居る。降伏もせず、亡命もせず賊になった。かなりの装備を持っており油断は出来ない。正規艦隊を動かすのもその所為だ。作戦期間は三ヶ月、またしばらくはメックリンガーとも会えなくなるだろう。
「メックリンガー、司令長官がフロイライン・ミュッケンベルガーと婚約したが結婚は何時になるのかな」
「捕虜交換が終わってからだと聞いたが」
「ふむ、となると半年は先か」
「そうなるな」
ヴァレンシュタイン司令長官がミュッケンベルガー元帥の娘と婚約した。陛下の口添え、まあ命令が有ったそうだが。
「元帥閣下もこれで少しは無理をしなくなるかな」
「そうであって欲しいよ、閣下は余り身体が丈夫ではない」
メックリンガーの言葉に俺は頷いた。ヴァレンシュタイン司令長官は宇宙艦隊の総司令官として我々を指揮統率している。その事に俺は十分に満足している。メックリンガーもそれは同じ思いだろう。だが完璧な人間など居ない……。
司令長官の欠点は二つ有ると俺は思っている。一つは健康面で不安が有る事だ、そしてもう一つは自分が帝国屈指の重要人物だという意識が希薄な事。内乱鎮圧においても自分を囮にするなど無茶な行為が多かった。無謀なのではない、何と言うか自分の命に関して執着が薄いように思えるのだ。
「貴族と平民の結婚か、これから増えるのかな」
俺の問いにメックリンガーは頷いた。
「増えるだろう、門閥貴族の多くが居なくなったのだ。結婚相手を選ぶ余裕は無くなったはずだ」
「なるほど」
「フロイライン・マリーンドルフがルッツ提督と親しくしているらしい」
メックリンガーの言葉に思わず口笛を吹いた。周囲から視線が集まるのが分かった。メックリンガーを見て片眼をつぶる。彼が俺を見て静かに笑った。
「聞いているか、クレメンツ? 劣悪遺伝子排除法が廃法になるそうだ」
「なるほど、世の中は変わるか」
「変わる、良い方向にな」
“誰もが安心して暮らせる国家”、“新しい時代を我等の手で切り開く”、第五十七会議室で司令長官が言った言葉だ。その言葉が実感できた時、無性に乾杯したくなった。出撃は一週間後だ、出撃すればまた当分は会えなくなる。
「メックリンガー、乾杯しよう」
「構わんが何に対して乾杯する?」
「そうだな、新しい帝国に、と言うのはどうだ」
俺の言葉にメックリンガーが嬉しそうな表情をした。
メックリンガーがグラスを掲げた。俺もグラスを掲げる。
「新しい帝国に!」
俺の言葉にメックリンガーが続いた。
「新しい帝国に!」
一瞬顔を見合わせるとグラスのワインを一息に飲み干した。
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