銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百十六話 内乱の終焉
帝国暦 488年 3月 4日 3:00 帝国軍総旗艦 ロキ ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
敵艦隊は既にガイエスハーケンの射程内に入った。味方は司令長官の命令で射程外で待機している。各艦隊の中には並行追撃による混戦をと意見を具申してきた艦隊もあったが司令長官は許さなかった。余り追い詰めると敵は味方殺しも辞さないと言って……。
「閣下、敵艦隊の大部分が要塞から離れていきます」
ワルトハイム参謀長が驚いたように大きな声を出した。スクリーンにはガイエスブルク要塞に向かう艦隊とガイエスブルク要塞から遠ざかる艦隊が映っている。艦隊の規模は要塞から遠ざかるほうが圧倒的に多い。
指揮官席に座っていたヴァレンシュタイン司令長官はじっとスクリーンを見ていたが、一つ頷くと指示を出し始めた。
「参謀長。ルッツ、ワーレン、ロイエンタール、ミッタマイヤー提督に命令を、戦場を離脱する艦隊を追撃、彼らがオーディンを目指すようであれば撃滅せよと」
「はっ」
「彼らがイゼルローン、フェザーンを目指すのであれば、それが確認できた時点で追撃は中止すること。なお追撃部隊の総司令官はコルネリアス・ルッツ提督に命じます」
「はっ」
ワルトハイム参謀長は一瞬訝しげな表情をしたがオペレータに指示を出し始めた。それに合わせてオペレータがルッツ、ワーレン、ロイエンタール、ミッタマイヤー提督に命令を送り始める。不思議な命令だ、イゼルローン、フェザーンを目指すのであれば見逃すといっているように聞こえる。
「閣下、宜しいのですか、彼らを逃がしてしまって」
「構いませんよ、男爵夫人。オーディンにさえ行かなければ問題ありません」
「ですが反乱軍に合流すれば厄介な事になりませんか」
心配そうな顔で男爵夫人が問いかけた。私も同感だ、良いのだろうか?
「反乱軍に合流すれば二度と帝国に戻れなくなる。多くの兵はそうなる事よりも降伏を選ぶでしょう。反乱は起しても帝国を捨てる事は出来ないはずです。イゼルローン要塞に行くのはほんの一部の艦隊でしょう。問題は有りません」
男爵夫人が私を見ているのが分かった。国を捨てる、それがどういうことなのかを知っているのはこの艦橋では私とリューネブルク中将だけだ。人目が無ければ問いかけてきたかもしれない。
私が国を捨てたのは唯一つ、司令長官を放っておけなかったからだ。今でもその気持に揺らぎは無いが他人に話すことでもない、チラチラと時折私を見る男爵夫人の視線が煩わしかった。司令長官がスクリーンを見ている。私も男爵夫人の視線に気付かない振りをしてスクリーンを見続けた。
十分ほどすると追撃部隊が動き始めるのがスクリーンで分かった。
「閣下、追撃部隊が動き始めました。その他の艦隊はどうなさいますか」
ワルトハイム参謀長が司令長官に問いかけた。
参謀長は要塞を攻めたいのかもしれない、周囲も皆司令長官に視線を集中している。戦勝の興奮がまだ艦橋には漂っているのだ、皆好戦的になっていてもおかしくは無い。しかし司令長官はスクリーンから視線を外さなかった。
「各艦隊は現状のまま待機。敵は降伏する可能性があります。短兵急に攻めると反って敵を自暴自棄に追い詰めかねません。必要以上に危険を冒す事は無いでしょう」
「しかし、敵が降伏しなかった場合は如何なさいますか?」
ヴァレンシュタイン司令長官がワルトハイム参謀長を見た。穏やかで落ち着いた目だ、司令長官にとって戦闘はもう終わったのかもしれない。
「そのときはまた考えましょう」
「はあ」
司令長官の答えにワルトハイム参謀長は毒気を抜かれたような声を出した。それが可笑しかったのかもしれない、司令長官はクスッと笑うと席から立ち上がった。
「参謀長、私は疲れましたのでタンクベッド睡眠を一時間程取らせてもらいます。後は御願いします」
そういうとヴァレンシュタイン司令長官は艦橋から出て行った。その後をリューネブルク中将が追う。相変わらず過保護なんだから。
帝国暦 488年 3月 4日 4:00 ガイエスブルク要塞 オットー・フォン・ブラウンシュバイク
旗艦ベルリンを降り疲れた身体に鞭打って要塞司令室に行く。後からシュトライト、アンスバッハが続いた。司令室に入るとフェルナー達が敬礼をして迎えてくれた。何処と無く照れくさかったが答礼した。
「ブラウンシュバイク公、御疲れ様でした」
「フェルナー、やはりわしは及ばなかったようだ」
それきり沈黙が落ちた。誰もこれからどうするかとは言わない、言うまでも無い事だ。後は自分の身の始末をつける、それだけだ。
「お父様」
「伯父上」
エリザベートとサビーネがおずおずと近付いて来た。二人とも蒼白な顔をしている。やれやれ娘達の前で敗残の姿を見せるか、情けない事だ。
「エリザベート、サビーネ……。すまぬな、負けてしまった」
「いいえ、いいえ、そんな事は良いのです。それより皆酷い、お父様を見捨てて逃げてしまうなんて……」
エリザベートが身を震わせて逃げて行った者達を非難した。
「そうではない、エリザベート。少なくともグライフスは違う」
わしの言葉にエリザベート、サビーネだけでなくフェルナー達も不審そうな表情をした。
「わしがグライフスに逃げるように頼んだのだ。これ以上はたとえ要塞に篭ろうと敗北する事は決まっている。だが人には見栄というものがあってな、分かっていても逃げる事が出来ぬ。このまま要塞に篭れば最後は悲惨なものになるだろう。お前達も巻き込んでしまう。だからグライフスに逃げてくれと頼んだのだ。総司令官が逃げれば皆逃げ易かろう」
わしの言葉に皆が頷いた。
「グライフスにはすまぬことをした。あの男は皆から非難されるだろう。だが敢えてその汚名を負ってくれた。決して忘れるでないぞ、今我等がこうしていられるのもあの男のおかげだ」
フェルナーが沈んだ声で尋ねてきた。
「グライフス総司令官はどうするのでしょう」
「汚名をかぶって逃げたのだ、降伏はするまい。おそらくは亡命だろう」
皆グライフスの事を想ったのだろう、しばらくの間沈黙が落ちた。
「ブラウラー、ガームリヒ、卿らはリッテンハイム侯よりサビーネを守れと命を受けているな?」
わしの問いに二人は顔を見合わせた。そしてブラウラー大佐が答えた。
「はい」
「他には?」
「……降伏しろと言われました」
サビーネを守るためか……。親と言うものは考える事は皆同じか。
「シュトライト、アンスバッハ、フェルナー」
「はっ」
「わしは卿らにも同じ事を命じる、良いな」
「はっ」
「お父様、お父様はどうされるのです」
そんな顔をするな、エリザベート。
「……わしはこの反乱の首謀者なのでな、けじめは付けなければなるまい」
「けじめ……」
不安そうな娘の表情に敢えて気付かぬ振りをした。
「シュトライト、一時間後に降伏をしてくれ」
「はっ」
「後を頼むぞ」
わしが自室に戻ろうと歩き始めると小走りに追いかけてくる足音がした。エリザベートだろう。
「お父様!」
「来てはならん!」
足音が止まった。わしも足を止めた、だが振り向かなかった。娘の泣き顔など見たくない。
「以前言った事を覚えているな、たとえ反逆者の娘になろうとも俯く事は許さん。胸を張って顔を上げて生きるのだ」
「……はい」
「エリザベート、幸せになれ。父はそれだけを祈っている」
歩き始めたが今度は追ってくる足音は聞こえなかった。代わりにすすり泣く声だけが聞こえた。聞きたくない、その音から逃げるかのように足を速めた。
部屋に戻り椅子に腰掛けた。
「終わったな、ようやく終わった。後は己の始末だけか」
思わず呟きが漏れた。しばらくぼーっとしているとアンスバッハが部屋に入ってきた。
「失礼します、何かお手伝いできる事は有りませんか」
「そうだな、酒の用意をしてくれるか」
「はっ」
「グラスは二つ用意してくれ、わしとリッテンハイム侯の分だ」
「リッテンハイム侯の……、分かりました」
アンスバッハがグラスと酒を用意し始めた。テーブルの上にグラスが二つ、そしてグラスにワインが注がれる。色は赤、美しい色だ、ワインとはこんなにも美しい色をしていたのか……。
「他に何か御用は?」
「いや、無い。御苦労だった、アンスバッハ」
「はっ」
アンスバッハが一礼すると部屋を出て行った。それを見届けてから胸元のポケットからカプセルを取り出した。遅効性の毒、苦しまずにゆっくりと死ねる薬だ。この反乱を起したとき用意した。やはりこの薬を使う事になったか。
カプセルを口に入れ、ワインで飲みこむ。後は死が来るのを待つだけだ。
「リッテンハイム侯、やはり我等は勝てなかったな。それでも門閥貴族らしい最後は迎えられそうだ。その事だけは自慢できる」
もう一口ワインを飲んだ。人生最後のワインだ、楽しませてもらおう。
「グライフスには済まぬ事をした。いずれヴァルハラで会った時謝ろうと思っている」
「多くの者が死んだ。門閥貴族の誇りなどと言う馬鹿げたもののためにな。愚かな事だと思う。唯一の救いは娘達を巻き込まずに済むということだけだ。大勢を死なせてそれだけが残った。罪深い事だ、やはり我等は死ぬべきなのだろう」
少し眠くなってきたか……。
「我等は何処で間違ったのかな、あの男をエリザベートの婿にと考えた事も有った。そうすればこのような事にならなかったかもしれん……。いまさら悔やんでも仕方ないな」
眼を開けているのが辛くなった。どうやら迎えが来たようだ。
「侯、少し眠くなってきた。悪いが休ませて貰うぞ、ヴァルハラで会おう」
眼を閉じた。
……声が聞こえる、エリザベートの楽しそうな笑い声だ。声だけではない顔も見えた。アマーリエもクリスティーネもリッテンハイム侯もサビーネも居る。フレーゲル、卿も居るのか。オーディンの屋敷か? そこに皆集まっている。
ヴァレンシュタイン、卿もいるのか。相変わらず酒は飲めんのか、困った奴だ。酒が飲めずに困惑しているヴァレンシュタインを皆が笑ってみている。ようやくヴァレンシュタインが酒を飲んだがむせ返った。エリザベートが慌てて背中をさすった。その姿を皆がやさしく見ている。夢だな、美しい夢だ……。
帝国暦 488年 3月 4日 6:00 ガイエスブルク要塞 エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク
討伐軍がガイエスブルク要塞に進駐してきた。ヴァレンシュタイン司令長官は大広間にいるらしい。私とサビーネはシュトライト准将、フェルナー准将、ブラウラー大佐、ガームリヒ中佐に付き添われて大広間に向かった。アンスバッハ准将は父の部屋にいる。
大広間の正面には司令長官が立っていた。そして大勢の将官達が左右に分かれて並んでいる。司令長官の元に行くには彼らの前を通らなければならない。彼らがこちらを見ているのが分かった。見世物にされているようで嫌だったがそれ以上に恐怖感が身を包む。サビーネも同じ気持なのだろう。私の手を握ってきた。
前に進もうと思ったときだった。司令長官がこちらへ歩いて来た。黒一色の司令長官がゆっくりと近付いてくる。恐怖から思わず後ずさりしそうだった。懸命に堪えると数メートル先まで迫った司令長官が跪いた。そして左右の軍人達が皆一斉に跪く。
「エリザベート様、サビーネ様、ご無事で何よりでした。これよりオーディンへ御連れいたします。御母上方、そして陛下がお二人をお待ちです」
「元帥……」
「それから御父上方の事、御悔み申し上げます。やむを得ぬ事とはいえ、残念な事でございました」
「……」
ヴァレンシュタイン司令長官が立ち上がった。それに合わせる様に左右の軍人達が立ち上がった。
「メックリンガー提督、お二人をオーディンへ御連れしてください」
「はっ」
「アントン、公の下に私を案内してくれ」
「はっ」
父の下? 私は思わず司令長官とフェルナー准将を見た。私の様子に気付いたのかもしれない。
「御安心ください。公の御遺体もメックリンガー提督にお願いする事になります。決して辱めるような事はしません。では失礼します」
司令長官は私を安心させるように言うとフェルナー准将と共に大広間を出て行った。軍人達が皆私達を置いて司令長官に続く中、身だしなみの良い軍人が私達に近付いた。
「エルネスト・メックリンガーです。御二人をオーディンまで御連れします。小官の艦に乗艦していただきます。どうぞこちらへ」
メックリンガー提督が歩き始める。私とサビーネは顔を見合わせその後に続いた。
帝国暦 488年 3月 4日 6:00 ガイエスブルク要塞 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
ブラウンシュバイク公の自室の前に来るとそこにはアンスバッハ准将が居た。一瞬だが原作の事を思い出して不安になった。大丈夫だ、こちらはエリザベートを押さえている。俺を殺せばあの二人の立場が悪くなる。アンスバッハはそんな事はしないだろう。そして公もそんな事を命じるとは思えない。
アンスバッハが敬礼してしてきた。答礼を返すと
「ブラウンシュバイク公はこちらです」
と彼が答え、部屋のドアを開けた。
俺が入る前にリューネブルクが先に入って中を確認した。問題ないのが分かったのだろう。頷いて部屋に入る事を促がす。部屋に入るとブラウンシュバイク公が項垂れて椅子に腰掛けているのが見えた。テーブルにはワインボトルにグラスが二つ置いてある。おそらく服毒自殺だろう。
公は安らかに死んだのか、それとも苦しんだのか、公の顔を上げて確かめるべきかとも思ったが止めた。安らかにしろ、苦しんだにしろ無念の死であった事は間違いない。家族を残して死ぬ事がどういうことか、俺の両親の死顔を見れば分かる。確かめるまでも無い。
「アンスバッハ准将、エリザベート様、サビーネ様はメックリンガー提督がオーディンに御連れします。公の御遺体も一緒に運びますので準備を御願いします。准将もオーディンに同行してください。アントン、卿もだ」
「はっ」
フェルナーはかしこまって答えた。以前のようにフランクには答えない。何処と無く寂しさを感じた。今だけだ、いつか元に戻る。
「ブラウンシュバイク公は皇帝陛下の女婿です。それに相応しい待遇をしてください」
「はっ、有難うございます」
ようやく此処まで来た。後は辺境星域を平定して反乱は終了だ。此処からは全軍で平定に当たれる。予定通り今月末までには内乱の終結を宣言できるだろう……。
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