星がこぼれる音を聞いたから
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6. くすんだ指輪
第一艦隊帰投の連絡を受け、俺はドックへと向かった。はじめは普通のスピードで。だけど徐々に足早になり、気がついたら全力疾走していた。
隼鷹たち第一艦隊から連絡が入ったのは、一時間ほど前になる。この鎮守府へ侵攻中の深海棲艦の艦隊を食い止めるべく出撃したわけだが……。
迎撃のために出撃した第一艦隊の連中は、この鎮守府でも練度が高いものばかり。だから俺はてっきり、敵艦隊の殲滅の報告だと思っていたのだが……
「提督、落ち着いて聞いて」
俺に連絡をしてきたのは旗艦の隼鷹ではなく、その随伴艦だった飛鷹だった。声色から、何か緊急事態が発生したことはすぐに理解出来た。
「どうした? 何かあったのか?」
「隼鷹、敵戦艦の三式弾が直撃して、轟沈寸前の損傷を受けたわ」
――隼鷹さんはあんたに似合う淑女だよー……
なんせ必ず帰ってくるからねー……
「……」
「提督、聞いてる?」
「あ、ああ聞いてる。敵艦隊はどうした?」
「隼鷹ががんばってくれたおかげでなんとか撤退させたわ」
「分かった。ならこちらに戻れるな。とにかくいますぐ帰投してくれ」
「了解。……提督」
「ん?」
「隼鷹は大丈夫だから。だからしっかりするのよ?」
「ああ。ありがとう」
飛鷹からの無線が切れた途端、俺の胃袋が急にかき混ぜられ、身体が胃の中のものを必死に吐き出そうと胃袋の中のものを持ち上げた。
「……ッ!」
この場に吐瀉物をぶちまければいくらか楽にはなるだろう。……だが絶対に出さない。大切な仲間が今、瀬戸際で必死に戦っている。ならば俺も耐えなければ……些細な事だが、戦わなければならない。
「……ッ」
飛鷹も『大丈夫だ』と言っている。大丈夫だ。隼鷹は助かる。
隼鷹の無事を信じ、ただひたすら帰投の連絡を待った。やがて第一艦隊は帰投し、俺はドックまで隼鷹を迎えに来た。
「隼鷹!!」
ドックに続くドアを開いた途端、たまらず隼鷹の名前を叫んだ。ドック出入り口には、すでに帰投した第一艦隊の面々がいた。先頭にいるのはビス子と球磨だ。ついで古鷹と暁……
「ビス子! 隼鷹は!?」
「最後尾にいるわ。飛鷹に肩を借りてきてるわよ」
ビス子の説明が終わる前に、飛鷹と隼鷹が入ってくるのが見えた。ビス子と球磨の艤装の死角に入ってしっかりとは見えなかったけど、二人の装束がチラと見えた。それが二人だということはすぐに分かった。
「隼鷹……」
「……提督?」
隼鷹に肩を貸している飛鷹と目が合った。隼鷹自身は相変わらずビス子の艤装の死角に入って、俺からは姿は確認出来ない。でも、飛鷹が肩を貸している人物の装束は見覚えがある。
「飛鷹! 隼鷹は……」
たまらず飛鷹に声をかけた。大丈夫なら隼鷹の姿を見せてくれ。星がこぼれる音が聞きたい。
……だが飛鷹は、俺の姿を見た途端、眉間に皺を寄せ、顔つきを険しく歪ませた。
「見ちゃダメ!!!」
ドック内に、飛鷹のけたたましい怒号が唐突に響く。その声の大きさには俺だけでなく、ビス子や球磨……暁たちもびっくりしたようで、ビス子は目を見開いて飛鷹を振り返り、暁は飛鷹が怒号を上げた途端にビクッと身体を波打たせていた。
飛鷹が俺に『見るな』と言った理由が分かった。……一瞬だけ俺の視界に入った隼鷹の右腕は、痛々しく焼け爛れ、キレイだったはずの肌は黒く焦げていた。
「提督、後ろを向いて」
「……隼鷹は……大丈夫なのか……?」
「大丈夫。でも服がボロボロだから……だから後ろを向いて。絶対に隼鷹を見ちゃダメ」
こちらをキッと睨みつける飛鷹の迫力に押され、俺は2人に背を向けた。水面から上がり、艤装を外してドックに上がったらしい2人が、俺の背後を素通りする音が聞こえる。飛鷹の足音と、ズルズルという何かを引きずる音が俺の耳に届く。
違う。俺が聞きたい音はこれじゃない。俺が聞きたいのは、隼鷹からこぼれる星の音だ。こんな薄汚いズルズルという音じゃない。
「隼鷹……!!!」
「振り返らないで!!!」
振り向きたくて少しだけ首を左に向けたら、すぐに飛鷹が俺を制止した。慌てて首をもとに戻し、再び背後を見ないよう自制する。
「提督」
いつの間にか、俺の目の前に古鷹がいた。古鷹は俺の右手を温かい両手でしっかりと包み込み、力強くギュッと握ってくれる。
古鷹の顔を見た。金色に輝く古鷹の左目が、まっすぐに俺を見つめていた。
「私を見ていてください」
「だが……」
俺の目が再び左を向く。目の自制が効かない。俺の目が隼鷹を視界に捉えようと言う事を聞かない。
目に連動して後ろをふり向こうと動く俺の頭を、古鷹はガシッと押さえた。両手で俺のこめかみを押さえ、勝手に首が動かないようにまっすぐの状態で固定してくれた。
「提督、駄目です。私を見てください」
「隼鷹……ッ!!」
「大丈夫。隼鷹さんは大丈夫ですから」
「俺は何か……何かできないのか……ッ!!」
「後ろを振り向かないで私を見ていてください。それが提督に出来ることです」
俺のすぐ背後を通っている隼鷹の姿を捉えることが出来ない苦しみ……すぐそばに隼鷹がいるのに星がこぼれる音が聞こえない辛さに目が耐えられなくなってきたようで、自分の目に涙が溜まってきたのを自覚した。ボロボロと涙がこぼれてくる。頭が必死に隼鷹を求めて後ろを向こうともがく。
だが古鷹はそれを許さなかった。両手でしっかりと首を固定して、まっすぐに俺を見つめながら俺の頭を固定し続けた。
隼鷹と飛鷹の音が遠ざかり、ドアの前ぐらいの位置まで移動した時だった。
「……ていとくー」
隼鷹の弱々しい声がドック内に響いた。
「隼鷹!!」
たまらず身体が振り返ろうと動くが、古鷹がそれを制止した。古鷹は俺から視線を外さないまま、静かに自分の首を横に振っている。
「ごめんねー。隼鷹さん、ちょこっと風呂入ってくるわ」
「大丈夫なのか……?」
「大丈夫。ちゃんとあんたの隣に帰るから」
「だが……ッ!!」
「あの店主も言ってたろ? 紳士は淑女を待つもんさ」
「……」
「大丈夫。あんたの淑女の隼鷹さんは、ちゃんと紳士のもとに帰ってくるよ」
「……ッ!!」
「あと古鷹……サンキュー……」
隼鷹のそのセリフを最後に、再び鳴ったズリズリという音が俺の耳に届き続け、そして『ドバン!!』というドアの音がドックに鳴り響いた。
古鷹が俺の頭から手を離した。急いでドアを見るが、もうドアは閉じられている。周囲をキョロキョロと見回すが、隼鷹の姿はない。
「提督、ちゃんと耐えてくれてありがとうございます」
古鷹は春先の日なたの匂いが漂ってきそうな温かい笑顔を俺に向けた。全身から力が抜け、俺の身体がその場にグシャリと崩れ落ちる。緊張が解け、身体が筋肉の硬直を解いたようだ。
「……ハァッ……ハァッ……古鷹」
「はい」
「ありがとう。お前が抑えてくれてなかったら、俺は絶対後ろを振り向いてた」
「いいんです」
「隼鷹は……アイツは無事なのか?」
「無事です。ただ……怪我がちょっと酷いだけで。だから大丈夫です」
「……ホントだよな?」
「はい」
その後『シャキッとするクマ』とぶつくさ文句を言う球磨に肩を借り、執務室へと戻った俺。恥ずかしい話だが、まるで歩く力がわかなかった。その場から俺は自力で動くことができなかった。
「おかえりなさい提督」
「ああ……ハァ……ハァ……」
執務室に戻ると、秘書艦の席には飛鷹が座っていた。入渠する際、隼鷹から代わりの秘書艦を頼まれたらしい。
「というわけで、今日と明日は私が代わりに秘書艦をするわね」
さっきの剣幕はどこへやら……いつも通りに戻った飛鷹はそう言いながら、目の前の書類を片付けていた。
「隼鷹は……?」
「入渠させたわ。高速修復材ももう無いから、完治するのは明日の夕方ぐらいね」
「……何か言ってたか……?」
「秘書艦の話以外は何も。入渠させたらすぐ寝ちゃったから。……ぁあそうそう」
何かを思い出したかのように飛鷹は立ち上がり、右手を自分の胸ポケットに突っ込んで何かを取り出し、その黒く汚れた何かを俺に見せてきた。
「隼鷹ね、三式弾で焼かれた時にとっさに左手をかばってたんだけど」
「……」
「これをかばってたみたい。結局は三式弾で焼かれてくすんじゃったけど」
飛鷹が俺に見せてくれたもの……それは、三式弾の炎に炙られ黒くくすんだ指輪だった。
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