銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百十三話 決戦、ガイエスブルク(その3)
帝国暦 488年 3月 3日 19:30 グライフス艦隊旗艦 ヴィスバーデン セバスチャン・フォン・グライフス
「今のところ順調に進んでいる、そう見ていいのかな」
「そう思います。クラーマー大将」
私の後ろでクラーマー大将とプフェンダー少将が話をしている。確かに順調に敵をガイエスブルク要塞に引き付けつつある。
但し、内心では冷や冷やしながらだ。そのあたりをプフェンダーは分かっているのだろうか……。クラーマー大将は憲兵出身だから理解できなくともある意味仕方無いが、プフェンダーが分かっていないようだと参謀としては信用できない。不安な事だ。
「それにしても敵は芸が無いな。このままではみすみすガイエスハーケンの餌食になるだけだろう」
「ここまで戦場が限定されると敵にも打つ手が無いのでしょう」
駄目だな、何も分かっていない。相手を甘く見すぎている。戦場が限定されると敵にも打つ手が無い? 冗談だろう、敵は何かを狙っているはずだ。そしてこちらは未だそれを察知できていない。
「出来ればガイエスハーケンを私の手で撃ちたかったのだがな。あれを受けて四散する敵を見たかった」
「小官も同感です。しかしこちらで連中を追い回すのも悪くは有りませんぞ」
ラーゲル大将、ノルデン少将がキフォイザー星域の会戦で捕虜になった。それ以後、この二人は自分こそが陸戦の専門家、参謀のトップだと自負し始めている。
愚かな話だ、この二人が今要塞ではなく此処にいるのは、要塞に置くのは危険だからだと判断されたからに他ならない。場合によってはエリザベート様、サビーネ様を利用しかねない、そう思われている事に気付いていない。
「敵の右翼、さらに前進してきます」
オペレータが押し殺したような声で報告してきた。
「左翼部隊の後退を命じる。ガイエスハーケンの射程範囲ぎりぎりのラインで留まるようにと伝えろ。それと敵の突破を許すなと」
「はっ」
左翼の後は右翼の後退だ。そしてその後は左翼だけを後退させ敵をガイエスハーケンの射程内に誘い込む。幸い敵の右翼にはヴァレンシュタインも居る、一撃を与えられれば敵は混乱するだろう。その時点で総反撃をかける。問題はそれまで敵の攻撃を防ぎきれるかどうかだ。
敵は必ずこちらの左翼の突破、或いは混戦を狙ってくる。此処からが本当の勝負だ。
「ガイエスブルク要塞、それからブラウンシュバイク公との間に通信を開け」
帝国暦 488年 3月 3日 19:30 ガイエスブルク要塞 アントン・フェルナー
『フェルナー准将、手順を確認しておこう。もう直ぐ味方の左翼が後退を始める。ガイエスハーケンの射程範囲ぎりぎりのラインで留まる。その後右翼が後退する』
「はっ」
スクリーンにはブラウンシュバイク公、グライフス総司令官の姿があった。二人とも表情には疲労の色が有った。だが総司令官の口調はしっかりとしているし、視線にも揺るぎは無い。大丈夫だ、総司令官は落ち着いている。
『その後また左翼を後退させ、敵をガイエスハーケンの射程内に誘い込む。そして機を見て左翼を天頂、天底方向に退避させる』
「右翼は後退させないのですか?」
俺の問いにグライフス総司令官は頷いた。
『ガイエスハーケンで狙うのは敵の右翼だ。幸い右翼にはヴァレンシュタイン司令長官も居る。一撃を与えれば敵は混乱する、それに乗じて総反撃だ』
「分かりました」
「敵は上手く引っかかるでしょうか? こちらが退避すればそれに合わせて退避するかもしれませんが?」
『構わない。最初から敵がそれに引っかかるとは思っていない』
総司令官の言葉に思わず俺はブラウラー大佐、ガームリヒ中佐と顔を見合わせた。二人も訝しげな表情をしている。スクリーンに映る公も同じだ。
「どういうことでしょう? それでは敵に効果的な打撃を与えられませんが」
『ガイエスハーケンは囮だ。極端な事を言えば敵を一隻も撃沈できなくても構わない。敵が退避した後、ガイエスハーケンが放たれた後に予備を敵の左翼の側面に送る。狙いはケスラー、クレメンツ艦隊の撃滅だ。こちらの正面からの攻撃と連動すれば敵の左翼を壊滅状態に追い込む事が出来るだろう』
「!」
『なるほど、壊滅状態は無理でもケスラー、クレメンツ艦隊を撃破できれば敵の中央を突破できる! そういうことか』
ブラウンシュバイク公の興奮気味の言葉にグライフス総司令官は微かに笑みを見せた。
『敵の左翼は混乱するはずだ。当然だがガイエスハーケンを回避した右翼も慌てるだろう。味方の左翼はそこを叩く。全軍で総反撃、これからが本当の勝負だ』
「はっ」
ガイエスハーケンは囮か、どうやらグライフス総司令官は第六次イゼルローン要塞攻防戦のエーリッヒに倣おうという事らしい。総司令官は艦隊決戦で勝利を掴もうとしている。エーリッヒ達がガイエスハーケンを回避すれば当然だがメルカッツ副司令長官は独力でこちらの攻撃を防がなければならない。
問題は敵の予備だろう、ロイエンタール、ミッターマイヤー。だがこちらの予備のほうが距離から見てケスラー、クレメンツ艦隊に先に喰らいつく。ケスラー、クレメンツが崩れればメルカッツ副司令長官も堪えきれないはずだ。十分過ぎるほど勝算は有る。先程まで不安そうだったガームリヒ中佐も今は顔を紅潮させている。グライフス総司令官の言う通りだ、エーリッヒ、これからが本当の勝負だ。
帝国暦 488年 3月 3日 20:00 帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「閣下、敵右翼、ガイエスハーケンの射程内に入りました」
ワルトハイムが俺に注意を促がした。敵は左翼に続いて右翼までガイエスハーケンの射程内に入った。ようやく此処まで来た、来てしまったと言うべきかな。もう引き返せん、連中も指示を待っている……。
「全艦隊に命令、ワルキューレは汝の勇気を愛せり」
「はっ」
ワルトハイムは返事をするとオペレータに指示を出した。オペレータが復唱して命令を確認している。この命令が届くのと同時に戦局は動き始めるだろう。”ワルキューレは汝の勇気を愛せり”か……。確かにこれからは勇気と忍耐が試される事になる。
それにしても敵は予想外にしぶとい。既に戦闘が始まって五時間が経っている。俺としてはもっと早く敵をガイエスハーケンの射程内に押し込めると思っていた。長くうんざりするような時間だったが、これからは忙しくなるはずだ。ココアを飲んでいるような余裕はなくなるだろう。
こちらの右翼は未だ実力の全てを出してはいない。ビッテンフェルトとケンプはせいぜい七割から八割程度の力で攻撃している。そうでもなければとっくに敵を圧倒していたはずだ。
彼らの正面にいるのはカルナップ男爵、ハイルマン子爵だ。実戦経験など無い彼らにとっては手加減した攻撃でも防ぐのが精一杯だっただろう。そんな彼らに本気になった二人の攻撃を耐えられるはずが無い。
面倒な事だ、手加減しながら敵を攻めるなど……。しかし最初から全力で攻めれば敵はこちらの勢いに怯えて要塞付近に撤退し出てこなくなる恐れがある。それでは内乱の早期鎮圧は望めない。何とか耐えられる、ガイエスハーケンの射程内に引きずり込める、そう思わせる必要があった。
まあそれでも左翼部隊よりはましだろう。こちらが全力で攻めていると思わせるために左翼には手を抜いて攻めろといったのだ。そのため指揮権も分けた。右翼は俺が、左翼はメルカッツが。俺が全力で攻め、メルカッツは慎重に攻めている。敵がそう誤解してくれれば良い。
厄介なのはクライストとヴァルテンベルクだ。こいつらは実戦経験が豊富だから中途半端な攻撃では見破られる恐れがある。だからクライストにはファーレンハイトとミュラー、ヴァルテンベルクにはメックリンガーとレンネンカンプをぶつけた。二個艦隊を相手にしているのだ、手一杯で不審に思う暇もなかっただろう。
グライフスはこっちをもっと要塞に引き寄せたいと考えているだろう。今はまだ可能だと考えているはずだ。だがもう直ぐそれは不可能だと理解する。そのときグライフスはどうするか……。
耐えようとすれば粉砕される、逃げれば自陣が崩れ敗戦が決まる、となればグライフスはガイエスハーケンを使って形勢を挽回せざるを得ない。予定よりも早く要塞主砲を撃つ事になる。当然こちらも射程外に逃げ易くなる……。
帝国暦 488年 3月 3日 20:30 ガイエスブルク要塞 アントン・フェルナー
「准将、敵の攻撃が」
「分かっている。主砲の発射準備は」
「いつでも」
ガームリヒ中佐が表情を強張らせている。ブラウラー大佐の表情も硬い、俺もおそらく似たようなものだろう。
味方がガイエスハーケンの射程内に入った頃から敵右翼の攻撃が一段と激しさを増した。おそらく混戦に持ち込みこちらにガイエスハーケンを撃たせないようにしようとしているのだろう。状況は良くない、このままでは突破されかねない。
「准将、予定よりも早く主砲を撃つ事になるかもしれません」
「そうですね、大佐。しかしこちらの狙いは予備を使って敵の左翼を攻撃する事です。問題はないでしょう」
俺の言葉にブラウラー大佐とガームリヒ中佐は頷いた。そう、問題はないのだ。少しぐらい敵の攻撃が強まったからと言って焦る必要は無い。
「ブラウンシュバイク公、グライフス総司令官より通信です。スクリーンに映します」
オペレータの声にスクリーンを見た。スクリーンには緊張した面持ちの公とグライフス総司令官の顔があった。
『敵の攻撃が激しくなった。強引に混戦に持ち込もうとしている』
「……」
『フェルナー准将、敵はもう直ぐガイエスハーケンの射程内に入ってくる。その時点でガイエスハーケンで敵を攻撃してくれ』
グライフス総司令官の表情は苦い。予想以上の敵の攻撃に苦しんでいる。
「もう少し引き寄せる事は出来ませんか。その方が敵を混乱させ易い、逆襲し易いと思うのですが」
俺の意見を却下したのはグライフス総司令官ではなくブラウンシュバイク公だった。
『残念だが無理だ。カルナップ男爵もハイルマン子爵も耐えかねている。先程から予備を出せと悲鳴のような救援要請が届いているのだ』
公も総司令官も表情は苦しい。追い詰められているのだ。予備を出せば敵の左翼を攻撃できない。出さなければ自陣が崩壊する、秩序だった行動などできなくなるだろう。
「分かりました。敵がガイエスハーケンの射程内に入った時点で攻撃します」
俺の言葉に公とグライフス総司令官が頷いた。
『うむ、頼むぞフェルナー。それから間違っても味方を撃たないでくれ』
「はっ」
帝国暦 488年 3月 3日 21:00 グライフス艦隊旗艦 ヴィスバーデン セバスチャン・フォン・グライフス
「間も無く敵右翼、ガイエスハーケンの射程内に入ります」
「ガイエスブルク要塞より入電です。十分前」
オペレータの言葉に艦橋の空気は一気に緊張を高めた。ただしその緊張感には不安のほかに希望も有るだろう。皆の表情には期待するような色が有る。
「残り五分で左翼に退避命令を出せ。間違えるなよ、五分前だ」
「はっ」
私がオペレータに指示を出すとプフェンダー少将が問いかけてきた。
「グライフス総司令官、よろしいのでしょうか。いささか時間が少なすぎると思いますが」
「五分で十分だ」
思わず厳しい口調になった。ガイエスハーケンは囮なのだ。一隻も撃沈できなくても構わない、そうフェルナー准将に言ったのをこの男は聞いていなかった。公も味方に犠牲者を出すなと言っていたではないか、役にたたん。手強い敵よりも無能な味方のほうが苛立つ……。
私が不機嫌だと理解したのだろう。プフェンダー少将は何も言わず引下がった。クラーマー大将も無言で控えている。気まずい空気が漂ったが仕方が無い。後は時間が経つのを待つだけだ。
「残り五分です! 左翼に退避命令を出します!」
「急げ!」
オペレータが残り五分と告げた時、私はいい加減待ち草臥れていた。もう少しで“未だ五分経たないのか”とオペレータを怒鳴りつけるところだった。
「味方左翼、退避行動始めました」
「敵右翼も退避行動を始めています」
あれほど激しく攻めていても敵は冷静だ。こちらの動きを見てガイエスハーケンが来ると判断した。これではガイエスハーケンをもって敵に致命的な損害を与える事は難しい。
やはりガイエスハーケンは決戦兵器足りえない。それは此処最近のイゼルローン要塞攻略戦を見れば分かる。反乱軍はトール・ハンマーを酷く警戒している。滅多な事では射程内に入ってくる事はない。そのあたりはこちらも同様か……。
味方を犠牲にする覚悟がなければ敵を誘引出来ないのだ。そういう意味ではクライストもヴァルテンベルクも正しかったのかもしれない。“味方殺し”の汚名を受けなければ敵に致命傷を与える事は出来なかった。
スクリーンには退避行動に映る敵味方とガイエスブルク要塞が映っている。要塞の一点が急速に白く輝きだした。それと同時に敵味方の退避行動に拍車がかかった。
ガイエスハーケンの発射を待っていた私の耳にオペレータの声が入った。
「敵左翼、後退します!」
「!」
馬鹿な、どういうことだ、何故今後退する! フェルナー准将が私達を犠牲にしても一撃を敵に与えるとメルカッツ提督は判断したのか? それとも念のため危険を避けるため後退したのか? だがこのまま見過ごしては敵を逃がしてしまう!
「敵左翼の予備はどうしている?」
「後退しています!」
後退している……。こちらの動きを読んだわけではないという事か。ならば取る手は一つだ! 迷うな、セバスチャン・フォン・グライフス!
「全軍に命令、反撃せよ!」
「はっ」
「フォルゲン伯爵、ヴァルデック男爵に伝えよ、ガイエスハーケン発射後、敵左翼部隊の側面を攻撃、粉砕せよ!」
「はっ」
私が命令を出すのと同時に白く輝く巨大なエネルギー波が宇宙を切り裂いていった。反撃の開始だ!
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