満願成呪の奇夜
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第19夜 詭弁
教導師の男性はその言葉を聞き、抑揚のない声で返答した。
「君はもう少し効率を貴ぶべきだと私は思うが、確認作業の重要性は認めよう。何が確認したのかね?」
「俺が交わした契約の有効期限について、まずは確認させてもらいます」
「私の認識では試験の合否が決定する夜明けまでが有効期限だと解しているが?」
「試験合格の正式な決定通知はサンテリア機関で行われることです。この砦で行われるのはあくまで試験まで……初日の夕暮れに試験を開始し、翌日は戻らない試験参加者の捜索と合格者の休息、そしてさらに翌日の朝に集合して学び舎に戻る。つまり試験は正確には三日を要する。そして学び舎に着いた後に改めて機関から『交戦資格』を得ることで試験は正式に終了する。ここまではいいですね?」
確かに二日目である現時点で合否はほぼ決まっているが、正式に呪獣などの敵と戦うことを許可される『交戦資格』――教導師の法衣の左胸部で輝く豹の図柄が刻まれた小さなプレートが配布され、それをもってやっと一連の試験過程が終了することとなっている。
「形式上はそうだ。それで?」
「つまるところ、正式にはまだ試験過程は終了していない訳です」
「それの何が問題だと言うのだ?君の合格は確定していることだ。そして今後、君が命を晒すような過程もドーラット準法師が必要になる場面も存在しないと思うが?」
「いいえ、あります」
実際にはない。そんな事は分かりきっている。これはギルティーネとの関係が一方的に終わってしまうことを避けるための苦しい主張だ。相手を頷かせる根拠がなければ最悪の場合は今後一切相手にされないだろう。だから俺は、考え付く精いっぱいの『それらしい理由』を用意していた。
まったく本心では必要だと思っていないことを必要だと言い張るのには神経をすり減らすものだ。それでも俺は、そんな内心の疲弊をおくびに出さずに喋る技能を不本意ながら持ち合わせている。表情には当然の常識を語るように、俺は自分を騙った。
「――『交戦資格』の授与は個人ではなくそれぞれのグループという区切りで行われます。機関長の前にたった一人で立っては、まるで俺が相方を犠牲にした未熟者のようではありませんか。先生には理解し難いかもしれませんが、こういった重要な儀式で頼りない印象を周囲に与えるのは法師の末席を汚す者として矜持が許さないのですよ」
犬に食わせても構わないちっぽけな矜持を、この一瞬だけ限界まで膨れ上がらせる。
矜持とは便利な言葉だ。『欠落者』の中では矜持を持たない者も多いが、矜持を極めて重視する者もいる。そしてそんな『欠落者』以上に一般人はこうした場面での自分の扱いに敏感だ。たとえこの発言をしているのが俺でなかったとしても、そういった台詞を吐く輩というのは本当にいる。
この男は俺のことは知っているだろうが、俺が矜持に拘るかどうかは知らないだろう。
だから自信満々に、厚顔無恥に、傲慢不遜にそうだとはっきり言いきってしまえばいい。
一般人ならばこの発言は鼻につくだろうが、俺が散々相手にしてきた『欠落者』ならば――。
「呪法師の矜持と来たか……理解できない話ではない。名門連中やエリート気取りの学者共は特にな」
(ほぅら、通じた……!)
息をするかのように無償の善言を吐く人間は胡散臭いから疑われるが、私利私欲を隠しもしない発言は嫌われこそすれ疑われることはまずない。善言は耳に心地よすぎるから裏を探ってしまうが、悪言はその内容こそが裏そのものだ。だからこそ疑われにくい。
「しかし、それがドーラット準法師である必要性はないな。それこそ君と共に行動していたメリオライトという女を代役にすればいいではないか」
「ステディ・メリオライトは有名な3人グループですし、彼女が儀式を受けるのは『鉄の都』ですよ。それに当の本人が俺の顔をじゃがいものようなふくれっ面にした張本人と来れば、俺の方から願い下げです。その点ギルティーネさんは従順で素直だ。隣に置くには丁度いい。ここで彼女の管理権を持っていかれるのは困るのですよ」
「罪人である彼女を横につれる方が余程見栄えが悪いと思うが?」
「俺の帰還先である『朱月の都』に彼女が罪人であることを知る者は殆どいない。だから彼女が罪人でも周囲は気付かない。貴方自身もそう考えていたと記憶していますが?」
「…………………」
教導師の男が黙りこくる。その沈黙は反論の余地を探しているのか、或いは俺の演技を疑っているのか。ここで騙しきれなかったら今度こそ話は終了だ。表情と態度を崩さず、俺は余裕たっぷりに「どうしました?」と声をかけた。実際には余裕など微塵もない。それでも、俺は騙り通した。
やがて黙考した男はゆっくりと顔を上げ、腰に装着していた鍵束を外した。
「予定外の行動は困るのだがな。しかし今回の契約においてどのタイミングで解約が成されるかは明確に決められていない。ならば君が彼女を最後まで利用するためにもう1日彼女を管理することには規則上何の問題もなくなる。………いいだろう、持っていけ」
ひゅっ、と軽い放物線を描いた鍵束が俺の手に収まる。ギルティーネの枷を解錠する重要な代物だ。どうやら彼は俺のことを「利用できるものはとことん利用する存在」として勘違いしてくれたらしい。俺にとっては理由は何でもいい。今回の試験の結末を納得できるものにするためには彼女の存在が必要不可欠だ。
それに、上手くいけば彼女の表での立場を確立させることが出来るかもしれない。仮に罪人であったとしても、正式な教育機関で資格を受け取るのだ。彼女に与えられる資格が本当に用意されているのかは判然としない部分があるが、少なくともそうなればギルティーネの牢獄戻りを見直す流れを引っ張れる可能性が高まる。
何とか急場を乗り切った俺に、準法師の男が踵を返しながら小声で囁いた。
「御し切れるといいな」
「彼女は俺のためにしか動きません」
「………『断罪の鷹』の檻馬車を都に運ぶ手配をしなければならんな」
(……彼女はまたあの馬車の中か)
遠ざかっていく男の背中を見送って、俺も踵を返す。
考えなければいけないことが、山ほどある。
遠ざかっていく気配を感じながら、教導師の男は頭の中で取捨選択する。
トレックという男は論理的な言葉を口にしてるが、その根拠となる価値観には雑音とも言える微妙なずれが垣間見える。男の予測ではトレックは今日中に「取り決めに違反しない形で」何かをする意志があると感じ取れた。
それを止めることも考えた。現状で何かしらのアクションを起こすのはまったく非効率的であり、すり減らした精神と疲労を回復するために休養を取る事こそが効率的な行動というものだ。或いは自己鍛錬も度を過ぎなければいいだろう。そしてそのどちらにも、恐らくトレックの行動は当て嵌まらない。
しかし、男はこうも考える。
口で止めても動くときは動くのが人間という生物だ。それは欠落者、非欠落者のどちらでも起こりうる事象だ。故に自分が口出しをして制止することも無駄になり、効率を損なう可能性がある。
ならば、大事の前の小事として捨て置く。
トレックには多少危険の伴う事であれ好きにやらせ、代わりにギルティーネを傍に置く。こうすれば仮にどちらかに命の危険があったとて、ギルティーネは優先命令に従ってひとまず生きた状態で彼を連れ帰るだろう。結果的には二人とも手元に戻るのだから問題は何もない。
あまり外に出したくない貴重な存在ではあるが、先も言った通りトレックの言葉自体は合理的だ。合理的論理と合理的論理がぶつかり合ったとき、生まれるものは泥沼の論争でしかない。なら泥沼を回避する為に相手の意見を受け入れるそぶりを見せておけばそれでいい。
「保険はあるが……念には念を入れて、な」
生きて都に連れ戻りさえすれば、ひとまず男の役割は終わり、願は成る。
トレックの望みと、この月が照らす世界の誰かの願が重なり、本人の与り知らぬ盤上で回される運命が二人をまた引き合わせる。
= =
前に心理学の授業で聞いた話だが、かつてこの大陸でアルバートという『欠落者』の学者がこんな説を提唱したらしい。
『人間の第一印象はその殆どが視覚的・感覚的印象に依拠し、発言内容などの聴覚的情報が及ぼす心理的印象は少ない』――だっただろうか。これを極めて簡単に解釈すると、人間の第一印象は見た目で決まっているという事になる。
この説は、『欠落者』の性質によって理解できるかできないかが二分され、理解できる側に属する存在は諜報・捜査機関である『追走する豹』の適正が高いらしい。
というのも、この説はアルバートが当時人口を2分するほどに増えていた『無欠者』をひたすら観察して立てた説であり、逆を言えばこれはアルバートが『無欠者』の心理を理解できる珍しいタイプの『欠落者』だったことを意味している。そして『追走する豹』は『欠落者』、『無欠者』を問わず危険因子や潜在的配信者を調査・追跡する存在であるために一定の感情に対する理解力が必要になるため、必然的にこの説に納得できる人間でなければ『追走する豹』には適さないという理屈だ。
さて、その理屈に則るならばギルティーネ・ドーラットという少女は人間が人間を判断する基準の一部が欠落しているということになる。或いは言葉を省き、すべてが外見的特徴で判断されると言った方が正しいのだろうか。学者ならぬトレックには判別のつく話ではない。
トレックには、未だにギルティーネという女の人物像が把握できていない。
もしかすると、彼女が言葉を発しない限りは永遠に不可能なのかもしれない。
だが、それでも共に行動していた間に垣間見えたほんの僅かな人間味が、頭にこびり付いて離れない。
彼女が何を考え何を望むのかはトレックには分からない。
ただ、彼女にとってはあそこにいるより外に出ていた方が都合が良い筈だ。その方が、あの教導師が口にしていた「あのお方から与えられた機会」を有効に利用することが出来る。彼女を連れて何をするかまでは朧げにしか決めていないが、彼女を連れることによるメリットはある。……美女を侍らせることが出来る、などという俗なメリットではない。断じて。
結局、彼女は誰かの都合で動かされている。
トレック自身も恐らくそうなのだろう。
だからこそ、その誰かの都合の中で出来ることを探さなければならない。
トレックはもう一度、『断罪の鷹』の護送車の檻の鍵を開けた。
外の陽光が嘘のように闇に塗りつぶされた空間に光の道が通り、その道が再び鎖に繋がれたギルティーネ・ドーラットを照らす。突然の光を感じ取ったギルティーネの重苦しい鉄仮面が微かに上を向いた。
第一印象と第二印象は全く違うな、とトレックは思った。
最初はこの拘束衣に包まれた鉄仮面の犯罪者の得体がしれず、恐怖ばかりが先行していた。
しかし今はそうではない。この鉄仮面に無理やり髪を押し込められた一人の少女がいることを、トレックは知っている。矢張りアルバートの説は時と場合によっては当て嵌らないものだな、と内心で小さく笑いながら、今度は淀みなく彼女の拘束を一つ一つ外していく。
鉄仮面を外すと、昨日あれだけ梳いたのにまたくしゃくしゃに乱れてしまった黒髪が中からずり落ちる。後でまた梳くか、と考えながら、猿轡を外した。以前は拘束が解かれた途端に立ち上がっていたが、今回は少し待っても立ち上がらなかった。
どうしたのだろう、と首を傾げ、はたと思う。以前トレックが来た際は既にあの教導師に一通りの説明を受けていたのだろうが、今回は突発的な話だ。彼女は事態が飲み込めていないのかもしれない。外した拘束具を床に置き、ギルティーネの目の前へ移動する。相変わらずの無表情の筈だが、トレックにはその表情がどこかきょとんとしているように見えた。
「ギルティーネさん、立って。悪いけどまだ仕事は終わってないんだ」
「……………………」
「はい、鍵。先に外に出てるから、法衣着て武器持って出てきてね」
本来は渡してはならないのだろうが、ギルティーネが鍵を悪用して脱走などすることはないだろうと思ったトレックは、彼女の手に鍵を渡して外に出る。前は突然目の前で着替え始めるものだから精神的に大変だったが、来ると分かっていれば恐れることはない。
………恐れるって何をだ?などと自分に疑問を抱きつつ、トレックは牢屋を出て、馬車内のソファに座る。牢屋の中から布のこすれる音と鍵を開ける音が聞こえ、少しの間を置いて扉が開く。
視線を向けると、そこには昨日出会ったあの時と同じ法衣を身に纏い、サーベルを帯刀したギルティーネの姿があった。いつもの無表情化と思いきや、外の眩しさに少しだけ目を細めている。
トレックの姿を見つけたギルティーネは、自分の命運をも拘束する鍵束を躊躇いもなくこちらに突き出してきた。トレックはそれを無言で受け取り………そして、少し躊躇いがちにギルティーネの頬を手のひらで撫でた。まるで彼女の存在を確かめるかのように。
手の平から伝わるのは、女性的な柔らかさと確かな人間の温かさ――こんな暖かさを持った人間が、いつまでも冷たい牢獄に幽閉されるのは間違っている。そう、自然と思った。
「ごめん、しくじって。今回のチャンスでどこまで挽回できるかは正直分からないけど、俺を信じて着いて来てくれないか」
「……………………」
ギルティーネは首を振らず、声も出さない。ただ、その目線が少しだけトレックの手のひらに落ち――視線はトレックの顔へと戻った。その視線が了承の意を示しているのか、それとも拒絶や飽きれを示しているのかは今のトレックには判別できない。
ただ、考えが少しずつ形になってきたことは確かだ。
今から自分がやる事。ギルティーネの為にやる事。死んだ仲間の為にやる事。それら全てがバラバラのようで、一つの目標を浮き彫りにさせる。
「全てのケチの付き始め――外灯の上に佇む上位種を俺達で討伐する」
それが、納得できる道だから。
後書き
自分勝手すぎる選択。なのに、勝手さを咎めてもらうことは許されない。
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