「晩秋の月だけが。」
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月夜の籠城戦
月を観ていた。
満月だろうか。
雲に隠れ、表れては又、隠れ、
今宵は雲が多い…。
なぜか、この静寂は
わざとらしく、
作り出した物の様に
思えるのは気のせいか。
微かな馬の嘶き?
静寂を打ち破る怒号と喧騒。
(何だ?喧嘩か?この夜中に…)
「猫殿、若殿がお呼びです。」
「む。」
…この城に来て、
もうすぐ一年にもなろうか。
「山野越前守に謀叛の疑い有り。」
お館様からの命を受けて
山野越前守が居城、
この北遠の城に監察として
入城したのは
昨年の初雪の少し前だったか。
「大儀です、猫殿。」
「若殿、あれは?」
「囲われました、
おびただしい軍勢です。」
「何と?!」
「お館様の軍勢です、
物見の報告に寄れば、
伊勢崎志摩守が先鋒の様です。
猫殿の言う通り、
兵を集めておいて良かった。」
「商人どもが噂していたのです。
御城下に軍勢が集まっていると。
いよいよ東に出陣するのかと
思いましたゆえ。
…して、山野殿は?」
「それが…、」
「お館様からの御召しで
御城下に向かわれてから、
今日になっても戻らぬとは?」
「申し上げます!!
伊勢崎志摩守殿より御使者!」
「通せ。」
…おかしい。
山野越前親子の謀叛の疑いは
晴れたはず。
田舎武者が単に武具を揃えて
いざと云う時の為に兵糧を
貯えていただけの事。
書状でそれは幾度となく
お館様にお伝えした筈だが。
「これは、伊勢崎殿の御舎弟殿、
御久しゅうござる。
して、今宵は又、随分と
物々しい御立ち寄りで。」
「ふん、裏切り者の息子が。
大した口のききようだわ。」
「伊勢崎殿、若殿に対して、
無礼であるぞ?何を根拠に!」
「猫殿か?そちは御城下に戻れとの
お館様からの下知じゃ。
早う戻られるがよい、
巻き込まれぬ内に、ふん笑、
城に兵を集めておきながら、」
「御当家に謀叛の気など
毛頭ござらん!」
「いや、山野越前守が
白状しおった。」
「父上が?!」
「左様。昨夜、…切腹。
打ち首の所、お館様の恩情にて。」
「何と!!山野殿が?!
ま、誠にござるか?!」
「城を明け渡すなら
死一等は減じて他国追放、
或いは一の姫を側室に出すなら
お館様にもお考えがあろう。」
「姉上を?」
……読めた。
お館様は、一の姫、つまり
若殿の姉君の里香姫を
側室に欲しいのだ。
山野殿はそれが嫌で、、、
何とか断れないものかと
相談された事が有る。
お館様は色を好む。
山野殿は自身の息女を
側室同士の争いに
巻き込みたく無かったのだ。
…里香姫は美しい。
…使者が去った後、
若殿は無言で
天井を見上げていたが、、、
「父上が…、」
「おそらく、
詰腹を切らされたので
ございましょう。」
「うむ、我らに謀叛の意志など、」
「如何に成されます?」
「猫殿、今までの御厚誼に
感謝致す。早急に御城下に
戻られよ。」
「いや、拙者の力不足が
この次第、拙者は、、、」
「いや、色々と骨を折って頂き、
お館様に取り成して頂いた、
父上より、聞いております。」
「若殿は?あ、いや、
殿はどう為されますのか?」
「一戦交えるのみ。
有らぬ謀叛の疑いを
掛けられ、父上は切腹、
その上、姉上を差し出せとの仰せ、
如何にお館様とは云え、
飲める話では無い。」
「御意。ならば御一緒致す。」
、一瞬の沈黙。
「誠にか?」
「若殿を置いて、拙者が
帰るとお思いか?」
「笑、いや。
…姉上も喜びましょう。」
「は??」
「鈍い、鈍い。笑笑
軍議じゃ、皆を集めよ!」
真夜中の軍議の席。
冬が近い。
広間の板の間の床は冷える。
「父上が詰腹を切らされた。
謀叛の疑いだそうだ。笑
姉上を側室に差し出せば
恩情が有ると言う。
その方らの意見を聞きたい。」
「何と!殿が?!」
「誠にござるか?!」
「謀叛とは何たる言い掛かり!」
「一戦交えるのみ!!」
「お館は、石高の高いこの地が
欲しいに違いない!!」
「お静まり下さい。
多勢に無勢、滅亡は免れない。
鎌倉以来の御当家は、失礼ながら
ここに滅び去る。
謀叛人の汚名をきせられてだ。
だが、正義は御当家に有り、
今宵の月は、それを知っている。
…徹底抗戦とあらば微力ながら
この猫、尽力致す所存にござる。」
軍議は紛糾したが
家名を残す方に傾く意見は
徹底抗戦派に押し切られた。
山野越前守は謀叛人として
…断罪されたのだ。
父上の仇を討ちたい若殿は、
ほっと安堵の色を見せ、
「よいか?
交戦で一致でよいな?!
聞いての通り、
猫殿も御味方下さる。
百人力だ!笑笑」
「おー!!これは心強い!!」
「さては猫殿も姫様を
お館に取られたく無いと
お見受け!!笑笑」
交戦の意志を伝えに送った
使者は帰って来なかった。
殺されたのだろうか。
あの伊勢崎兄弟の
やりそうな事だ。
…大手門、搦手門、北の門。
明け方より
いきなり総攻撃を受けた。
月見の門だけが攻撃が弱い。
火薬の臭いと乾いた銃撃音、
法螺貝、陣太鼓、怒号、雄叫び…。
悲鳴と絶叫。
昼前。
本丸より
戦況を眺めながら若殿は、
「猫殿、敵は?」
「おそらく五千。
東の今川の押さえからも
引っ張って来たに
相違無い。」
「十倍か!!笑」
「なんの、一人、十人討てば
良いのでござる。笑」
その時、衣擦れの音が近付いて、
辺りに佳い香りが満ちた。
「義房殿。」
…里香姫だ。
「あ、姉上、」
「ちと、猫殿にお話が、」
「姫様、戦の最中でござる、
姫様には二の丸より、
本丸に御移り頂いた方が、」
「姉上、是非、そうして、、、」
「猫殿は父上から
何も聞いてはおりませぬか?」
「は?何を?」
「義房殿は?」
「…いえ…。」
「そうですか…。」
「御注進!搦手門、坂下殿より!
援軍依頼!!」
「では、殿、拙者が。」
「行ってくれますか?」
「月見の門の兵を御貸し下さい、
あそこは敵兵が薄い。」
「猫殿、討死は許しませんよ、
そなたが亡くなったら
そなたを兄とも慕う義房が、」
「無論、承知、死ぬ時は
必ず、殿と共に、、、、
必ず戻ります、御心配無用。」
…姫様のあの目は?…。
…本丸から見る限り、
お館様は出陣していない。
伊勢崎志摩守兄弟と応援部隊。
伊勢崎志摩は野戦は得意だが
城攻めは苦手のはず。
必ず付け入る隙は有る。
正直、このままでは
勝ち目は無い。
鎌倉以来の名家も
謀叛人の汚名を着せられて
滅亡だ。
山野家と俺の生きる道は?
情報が欲しい。
城を囲まれて、
何の情報も入って来ない。
夕刻、敵兵の攻撃が止んだ。
…疲れた。
城壁を乗り越えて来る
敵の雑兵を何人斬ったのか。
…城兵はよく戦い、
城は持ちこたえたが
先の無い戦いに兵の疲労は
重かった。
援軍も無い籠城である。
夕げ。
兵糧米を掻き込みながら若殿が、
「猫殿、月見の門の攻撃が緩い。
あれを突破して討って出よう。
兵の士気が下がっておる。」
「殿、あれは伊勢崎志摩の作戦、
城門を全て固めては
城兵は死に物狂いになる、
わざと手薄な場所を設けて、」
「百も承知。
猫殿、このままでは、じり貧です。
集落と作物を焼かれて
兵の逃亡が、、、」
殿の表情が曇る。
明るい、優しいお方の。
…心が痛い。
敵の罠だと解っていても。
「討って出ましょう、
山野殿でも、そうしたはずです。」
「火だ!!火がついたぞー!!」
「二の丸だ!!」
「高梨殿裏切り!!」
「高梨殿寝返り!!」
「殿!!」
「やられ申した…。
伊勢崎より調略の手が。」
「姫様方は?」
「こちらに移した。
安心召されい。笑」
「…殿…。」
「うむ。事、ここに及んでは、
是非も無し。城を枕に、」
「ならば、お供致す。
ちと、その前に一働き、
高梨の首など手土産に。笑」
「申し上げます。
殿、姫様が猫殿をお呼びですが、」
襷掛けの侍女。…薙刀を。
…女までが…。
「行ってあげて下さい。
姉上がお呼びだ、笑。」
「しかし、殿、、、」
「その、殿、も、お止め下さい。
言うなれば貴方は客将だ。
有る意味対等の立場、
況してや猫殿は年上、
義房とお呼び下され。
さ、早う姉上の所へ、
今生の別れになるやも
知れません。」
闇夜に赤々と燃える二の丸。
いや、月夜だ。
月だけが見ている。
天守こそ無いが、
難攻不落と言われた、
この田舎の山城も
城内から裏切り者が出て
ここに進退、窮まった。
如何に死ぬか。
見苦しく無く男らしく。
裏切り者と呼ばれても、だ。
「姫。」
「お座り下さい。
お怪我は?お具足が
血塗れではございませんか。」
…何の香りだろう…。
いい匂いだ。
香でも焚いたのだろうか。
いつも姫から香る匂いだ…。
「二の丸の高梨殿が寝返った。
いずれ落城します。
姫様には早急に落ち延びて頂き、」
「仰る意味が判りかねます。
私も覚悟は出来ています。」
「それは…、
亡き父上も義房殿も
望んでおりますまい、
二の姫様と、落城前に、
万が一敵に囚われましても
姫様方を粗略には、、、、」
「そなた無くして
何のこの命でしょうか!
父上から、お話を
聞いていなかったとか、
今ここでお話を、、、」
「姫!!事、ここに至っては
今更、聞いても詮無き事。
…然らば、御免。」
「猫殿、今しばらく。
今生のお別れです、」
「申されますな、
姫様には生きて頂きたい。」
「なぜ?」
「………。」
「城を出ても、何も知らぬ雑兵に
捕まれば慰み物にされます。
それが無かったにせよ、
お館様の側女にされるだけです。
私の意志など関係無い。
…それでも生きろと?」
「………。」
「…そなたには、
想うている人がいますね?」
「あ、いや、、、」
「その人は
今、そなたの目の前にいます。
………、、、
…違いますか?」
「…う。」
「う?笑
猫殿、殺して下さい。
そなたと、貴方と…、
同じ場所に行きたい。」
本丸にも火が付いた様だ。
叫び声と慌ただしい足音、
敵兵を押し止め様と
お味方が必死になって…、
それは遠い場所の出来事の様に。
「姫様、殿の元に参らねば、」
「…私を、
置いて行きますか?」
「……。」
燭台に照らし出された、
姫の不安げで、緊迫した表情が
あまりにも美しく、
思わず目を逸らせた。
…煙が、、、、、
「姫、ここも刻の問題、
ならば、殿の元に、御一緒に、」
「私を、殺して。」
「姫、今は、」
「今がその時。
猫殿は、来世を信じますか?」
「…信じます。」
「ならば、
来世では、夫婦になりたい。
姫などと言う身分は邪魔です。」
「笑、解り申した、
来世ではきっと、必ず。
貴女をきっと、見つけます。」
火の手が…、、
薙刀を持った侍女が
駆け込んで来る、
「姫様!!二の姫様が!!
二の姫様、ご自害!!」
「なんと!!」
思わず立ち上がり身震いする姫、
「早う、お逃げ下さいませ、
敵の者が姫様を、
きゃー!!!!!!!」
「見つけたぞ!!!!!
貴様!!!その女を寄越せ!!
山野越前守の一の姫だな?!」
「猫殿だ!!
猫、おのれ!!
裏切り者めが!!!!」
「見つけたぞー!!
姫君と裏切り者じゃー!!」
「ああ、猫殿!!」
「姫!!!!」
「猫殿!!早く!!!
早く、私を!!!!猫殿!!!猫殿!!」
北遠の名も無き山城は
落城した。
山野越前守親子は
ある日突如として
この地の領主を裏切り滅亡した。
その経緯は誰も知らない。
いや、晩秋の満月だけが
知っている。
…テーブルの上には
氷の溶けたグラスと、
空になった焼酎のボトル。
女が酔い潰れた客に
優しく呼び掛ける。
「猫さん、猫さん、
ちょっと猫さん、猫殿っ!!!笑」
「…へ?」
「もう、
いい加減に起きて下さいな?」
「…あれ??山野は??坂下は??」
「とっくに帰りましたよ?笑」
女が近付いた時、
ふと、
懐かしい香りがした。
「…里香姫?」
「あら??笑
私、本名、教えましたっけ?ママと私で
送って行きますからね?
はい、
ちゃんと靴、履いてね?笑
今夜もお月様がキレイですよ?」
そう言って、
…その女は笑った。
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