銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第百九十八話 負の遺産
帝国暦 488年 1月14日 オーディン 新無憂宮 アマーリエ・フォン・ブラウンシュバイク
クリスティーネと共にバラ園に向かった。父、フリードリヒ四世は最近バラ園に行く事が多い。グリューネワルト伯爵夫人が憲兵隊に捕らえられてからは特にだ。今日もバラ園でバラの手入れをしている。
愛妾に裏切られたのだ、お辛いのかもしれない。そして父が引き立てていたローエングラム伯も簒奪の意思有りとして捕らえられている。父にとっては二重のショックだったろう。
「お父様、アマーリエです。クリスティーネも一緒ですわ」
「うむ」
バラの花を見ていた父は私達をチラと見ると視線をバラに戻した。私達からは父の横顔しか見えない。
「御気分は如何ですか」
「そうだな、悪くは無い……。お前達が此処へ来るなど珍しい事だが、どうかしたかな?」
「……」
父の言葉にクリスティーネと顔を見合わせた。妹は困ったように微かに苦笑している。父の言うとおり、私達がこのバラ園に来る事は余り無い。結婚してからだけでなく、結婚する前から余り此処へは来なかった。
理由は私にもクリスティーネにも父がバラの世話をするのを心から楽しんでいるように見えなかったから……。何処かで心此処に在らず、そんな感じがして余り一緒にバラ園に居たいとは思えなかった……。
「予の事を案じておるのか、アンネローゼの事で気落ちしているのではないかと」
「そういうわけでは……。いえ、そうです。お父様が心配で」
「私もですわ」
私とクリスティーネが答えると父は私達を見て微かに笑った。
「心配は要らぬ、いずれはこうなると思っていたからな」
「お父様……」
「来るべき時が来た、それだけだ」
「……」
父はバラに視線を戻している。薄いピンク色の花だ、ローゼンドルフ? 秋に咲くバラだけれどまだ咲いていたのか……。
「アンネローゼの弟が、ローエングラム伯が簒奪を考えていた。それも分かっていた事だ、いずれは予の首を取りに来ると」
「……」
宮中では密かに囁かれていた。ローエングラム伯は危険だ、いつか簒奪の意思を明らかにするのではないかと。彼が宇宙艦隊司令長官になった時、その噂が現実味を帯びた。もっとも直ぐ彼は降格し、ヴァレンシュタイン元帥が司令長官になった。貴族に対して敵対してはいたが、父に対しては従順だった元帥が司令長官になった事で私も妹もほっとした。あの時は今日のような事態になるとは少しも思わなかった。
「弟が弑逆者になる、そして予が惨めに殺されるなどアンネローゼには耐えられまい。そうなる前に予を自らの手で殺す、そう思っておった……。哀れな女よ……」
「お分かりなら、何故あの者達をお傍に置いたのです?」
妹の問いに父は答えることなくバラを見ていた。何処と無く寂しげな、哀しげな表情だ。私達が嫌いな父の表情……。バラを育てる事など本当は楽しんでいない。
「お父様、クリスティーネの問いにお答えください。……もしやお父様は伯爵夫人に殺される事をお望みだったのですか?」
躊躇いがちに発せられた妹の問いに父は微かに笑みを浮かべた。
「昔はの、それでも良いと思っておった」
父の言葉に私は妹と顔を見合わせた。何処と無く投げやりな、虚無的な響き……。それも私達が嫌うものだった。
「今は違うのですか?」
「今は違う、希望があるからの」
父が横顔に微かに笑みを浮かべた。希望? 希望とは……。
「帝国は滅ぶ」
「!」
「銀河帝国、ゴールデンバウム王朝は滅ぶのじゃ」
私は思わず父の顔を見た。隣でクリスティーネが息を呑む気配がしたが妹を見る余裕は無かった。父は笑みを浮かべたままバラを見ている。本当に帝国は滅ぶと言ったのだろうか?
「父、オトフリート五世陛下の治世の下、帝国はすでに崩壊への道を歩み始めておった。貴族達が強大化し、政治は私物化された。帝国は緩やかに腐り始めておったのじゃ」
「……」
「予にはそれが判った。いずれ帝国は分裂し内乱状態になり、銀河帝国は存在しなくなると」
「……」
父は穏やかな表情で話している。帝国は今改革を進めようとしている。改革が進めば帝国は再生するに違いない。そのために今、内乱が起きているはずだ。それなのに滅ぶ?
思わずクリスティーネを見た。彼女も困惑したような顔で私を見ている。本当に帝国が滅ぶと思っているのだろうか? それともこれは過去の想いなのだろうか……。
「残念だが予にはそれを止めるだけの力は無かった……。出来るのは滅びを遅らせる事だけじゃ」
「……遅らせる事、ですか?」
「うむ」
「そのためには何でもした。その方らをブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にも嫁がせた。いずれルードヴィヒの両翼になってくれればと思っての……。だがそれも潰えた……」
「ルードヴィヒが死んだからですね?」
ルードヴィヒ、私達の弟。あれが生きていれば帝国の混乱はもっと小さかったはずだ。だが父の答えは違っていた。
「そうではない、アマーリエ。その方らも知っておろう、あれがシュザンナの子を殺したからじゃ」
「……」
シュザンナ、ベーネミュンデ侯爵夫人、幻の皇后……。
「愚かな話よ、アスカン子爵家が政治的に力を振るうなど有り得ぬ事……。だが疑心暗鬼になったルードヴィヒは自分がいずれ廃されると思いシュザンナの産んだ子を殺したのじゃ……。生きておれば、あれの力になったやもしれぬのに……」
「……」
「おまけにその罪をその方らの夫に被せようとした。あれではもう誰もルードヴィヒに協力しようなどと思うものは在るまい。あれが皇帝になっても誰も従わぬ。自ら傀儡皇帝になると宣言したようなものじゃ……」
「……」
父は首を振っていた、声には徒労感がある。
「挙げ句の果てに後ろ盾の無い息子を産んで死ぬとは……。帝国の崩壊を決定したようなものじゃ。済まぬの、そちたちを嫁がせた事が反って仇となってしまった、あのたわけが……」
「……」
「予とて、兄と弟が死んだから皇帝になった。殺さなければ殺される、ルードヴィヒはそう思ったのかの……」
「そうかもしれませぬ」
問いかけるような口調で父が私を見た。何処と無く遣る瀬無さそうな表情だ。父は帝国の滅びを少しでも先へ伸ばすために手を打った。しかしルードヴィヒは父のその想いを理解できなかった。ただひたすら皇位を望んだ、或いは生き延びることを望んだ。
帝国が滅ぶなど考えなかったのかもしれない。愚かだとは言えないだろう、私だって帝国が滅ぶなど考えなかったのだ。むしろ帝国が滅亡すると思った父のほうが異常だ。父は凡庸ではなかったのか、私達に見えない何かを父は見ていたのだろうか?
「帝国は滅ぶ、貴族達はブラウンシュバイク、リッテンハイムを中心に徒党を組み始めた。おそらくは内乱が起き、政府の統制力は衰え分裂し崩壊する。もう止める術は無かった」
「そんな時、あの者に会った。ラインハルト・フォン・ミューゼル。誰もが予に媚び、少しでも私腹を肥やそうとする中、あれはまっすぐに予に、そして貴族達に憎悪を向けてきた、心地よかったぞ。あの憎悪と覇気、才能。あれならばこの帝国を再生、いや新たに創生させるかも知れぬ、そう思ったのだ」
父は嬉しそうな表情をしている。私は思わず父に問い掛けていた。
「お父様はそのためにローエングラム伯を引き上げてきたのですか?」
「そうだ」
「ゴールデンバウム王朝が滅んでも良いと?」
思わず父を責めるような口調になった。ゴールデンバウム王朝が滅ぶ、それは私達も滅ぶと言う事、父はそれを望んだのか。私の言葉に父は哀れむような表情を浮かべた。
「違う、そうではない」
「?」
「ゴールデンバウム王朝など滅びるべきなのだ!」
「!」
強い口調で発せられた父の言葉に思わず身体が凍りついた。父は、皇帝フリードリヒ四世は帝国を憎んでいたのか……。重苦しい空気が私達を包み込んだ。
「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝……、笑止よの」
そう言うと父は顔を歪めて笑った。禍々しい、自分の言葉を侮蔑するかのような笑い……。
「人類の歴史の中でゴールデンバウム王朝ほど忌わしい王朝は有るまい。ルドルフ大帝が創ったこの帝国は人類を二つに切り裂いた……、帝国と自由惑星同盟にな。二つの国は百五十年に亘って戦い続け、憎悪を募らせている。全人類の支配者にして全宇宙の統治者? 恥ずかしくも無くようも名乗れるものよ」
父が私達を見ながら大きな笑い声を上げた。嘲笑、侮蔑、憎悪、それら全てが入った笑い。私も妹も何も言えず、黙って父を見ている。
「……」
笑うことを止めた父が今度は陰鬱な表情をした。
「そして皇帝は自らの力で立つ事が出来ぬほどに弱体化した。何のための帝国、何のための皇帝なのか……。我等は滅びるべき一族なのだ、それほどまでに我等の犯した罪は重い……」
父の言葉にバラ園に沈黙が落ちた。私も妹も父に圧倒され言葉も出ない。そして父は詰まらなさそうにバラを見ている。隣で大きく唾を飲み込む音がした。クリスティーネが恐る恐ると言った口調で父に言葉をかけた。
「ですがお父様、今の帝国は……」
「再生に向かっておると申すか?」
「はい。ローエングラム伯は捕らえられ、帝国はヴァレンシュタイン元帥の下、改革を進めようとしています。元帥はお父様の信頼厚い忠臣ではありませんか」
「確かに、予はヴァレンシュタインを信じておる。しかし、ゴールデンバウム王朝が滅びつつあるのも事実……。分からぬか? 帝国は今生まれ変わろうとしているのじゃ。ルドルフ大帝の創った帝国ではなく、ヴァレンシュタインの創った帝国にの」
どういう意味だろう。私にはヴァレンシュタイン元帥は野心家には見えなかった。それとも父は何かを知っているのだろうか?
「……元帥は簒奪を考えているとお考えなのですか?」
半信半疑の思いで問い掛けたが父は首を横に振って否定した。
「あれは皇帝になろうとはするまい、ローエングラム伯とは違う、野心は無いからの。ただ銀河帝国五百年の負の遺産を消し去ろうとしているだけだ。門閥貴族、自由惑星同盟、フェザーン。それら全てを滅ぼし、新たに宇宙を統一する。新銀河帝国の成立よ」
「……」
「ヴァレンシュタインが創る新たな銀河帝国はルドルフ大帝の創った帝国とは全く別のものであろう。例え皇帝が予、フリードリヒ四世であろうともな。外見はゴールデンバウム王朝かもしれんが中身はヴァレンシュタイン王朝じゃ」
「……」
「アンネローゼもラインハルトもそち達の夫も皆、銀河帝国五百年の負の遺産として滅ぼされようとしている」
「……」
「ヴァレンシュタインを恨むな。恨まれるべきは予であり、此処まで帝国を治めてきた代々の皇帝じゃ。あれはその後始末をしているに過ぎん……」
父の声は詫びているようでもあり、何処か悲しんでいるようでもあった。
誰に詫びているのだろう。私達? それとも滅ぼされようとしている夫達? 或いは後始末をしているヴァレンシュタイン元帥に対してだろうか? 悲しんでいるのは……御自身の無力さに対してか。
「シャンタウ星域の会戦の後、言っておった。帝国を守るため一千万人殺した、もう逃げられぬと」
「……」
「これから先、あれが歩む道はさらに血が流れよう。権力など望んでおらぬのに権力者の道を歩まねばならん。哀れなものよ」
「……」
父はヴァレンシュタイン元帥を気遣っている、哀れんでいる。ふとある噂を思い出した。
「お父様、ヴァレンシュタイン元帥はお父様の血を引いていると聞いた事が有りますが……」
私の問いに父は直ぐには答えなかった。黙ってバラを見ていたがやがて呟くように言葉を出した。
「予の血など引いてはおらぬ。あれは我等のような罪深い人間ではない。新たな帝国を創る輝かしい人間なのだ……」
ページ上へ戻る