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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百九十六話 白狐

宇宙暦 797年 1月13日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



『トリューニヒト議長、帝国は同盟より提案のあったフェザーン共同占領案を正式に拒絶する。受け入れる事は出来ないと判断した』
トリューニヒトの表情が歪む。執務室に眼に見えない衝撃が走った……。こちらの提案を拒否する、つまり話し合う余地は無いということか……。

「……では帝国は単独でフェザーンに侵攻すると?」
やや間を置いて放たれたトリューニヒトの声は低く底力に満ちたものだった。レムシャイド伯を厳しい視線で見ている。しかしレムシャイド伯はトリューニヒトの質問に答えることなく、話し始めた。

『帝国政府は次のように考えている。同盟政府はフェザーン回廊の確保にのみ囚われ、現状を正しく認識していないと』
「……」
厳しい言葉だ。ある意味、共に語るに足らず、そう言われたに等しい。ホアンが眉を顰めるのが見えた。

『帝国と同盟は百五十年に亘って戦争をしてきた。同盟はその現実を無視、或いは軽視しようとしている。両国が共同でフェザーンを占領するなど新たに紛争を抱えるようなものでしかない』

「同盟政府はフェザーンでの実を求めていませんぞ、その点を本国に対しお話し頂けたのですかな?」
トリューニヒトの言葉にレムシャイド伯が沈痛な表情で頷いた。

『当然話しましたぞ。これはその上での回答なのです』
「……」

『宜しいか、共同占領を受け入れれば、フェザーンに両国の軍隊が進駐することになる。武力を持ち相手に対して強い敵意を持つ二つの軍隊が一つの惑星に駐留する事になるのです。それは非常に危険な事だと本国は考えている』
「……」

『それとも同盟軍はフェザーンでは丸腰になれますかな、そうであれば話は別だが……』
「馬鹿な! そんな事が出来るわけがない」
吐き捨てるようなボロディンの口調だった。

「落ち着きたまえ、ボロディン本部長!」
「冗談ではありませんぞ、レベロ委員長。そんな事をすれば軍に暴動が起きかねない。反って危険です」
『でしょうな、帝国軍も同様です。つまり共同占領は危険であり、不可能なのです』

「兵を削減すれば良いでしょう」
『?』
ボロディン本部長の言葉にレムシャイド伯が訝しげな表情をした。我々も同様だ。兵を削減?

「フェザーンに大軍をおく必要は無い。占領後は両軍が二千隻程度の軍をフェザーンに置くだけにすれば、問題は無いはずです」
『……そう言い切れますかな? 蟻の穴より堤が崩れるという言葉もある、油断は出来ますまい』

沈黙が執務室を支配した。レムシャイド伯は沈痛な表情のままだ。或いはレムシャイド伯は共同占領案に賛成だったのかもしれない。それが潰えたのは彼にとっても不本意なのか……。レムシャイド伯が首を一つ振ってから話しかけてきた。

『トリューニヒト議長、同盟政府はフェザーンを帝国の一自治領として認める、領土的な野心を持たない、そうでしたな?』
「……その通りです」

『フェザーンの中立を望んでおり、ここ最近のルビンスキーの行動は中立を逸脱した行為だと考えている……』
「その通り……」

レムシャイド伯は一つ一つ確かめるような口調で問いかけてきた。おかしな感じだ。皆視線を交わしている。トリューニヒトだけがスクリーンから視線を外さない。

『同盟政府は帝国に対して共同占領という提案を出してきた』
「……」
『帝国はそれを受け入れるべきではないと判断して拒否したが、拒否する以上それに対する代案を出すべきだろうと考えている』
「……」

代案を出す、つまり話し合いの余地は有るということか。しかし、この時点で一体何を話し合うと言うのか? 残るのは帝国によるフェザーン占領、それだけだろう。トリューニヒトが一瞬こちらに視線を向けてきた。困惑するような色が目に有る、同じ思いなのだろう。

『帝国政府から同盟に対し改めて提案があります』
「……」
『帝国は自由惑星同盟軍のフェザーン自治領への進駐を認める』
「!」

皆、一瞬固まった。帝国が同盟軍のフェザーンへの進駐を認める? どういうことだ? 何かの聞き間違いか? トリューニヒトもホアンもボロディンも皆唖然としている。

我々が唖然とする中、レムシャイド伯の声だけが淡々と流れた。
『本来フェザーン自治領の中立性は帝国が保証するものである。しかし、今現在帝国は内乱状態にありフェザーン自治領への過度の介入は避けたい』
「……」

『また自由惑星同盟政府がフェザーン回廊の中立性に関して抱く不安も理解できる。よって帝国政府はフェザーン自治領の中立性の回復を自由惑星同盟政府に依頼したいと考えている』

「本気ですかな、それは」
『もちろん、これは正式な依頼です』
「……条件は」
『それについては、先ず第一に……』



執務室の中は戸惑うような、そして重苦しいような雰囲気で溢れていた。既にレムシャイド伯との会談は終わってから三十分以上立つがその雰囲気が消える事も無い。

フェザーンへの単独進駐を認める、どういうことなのか? 帝国内の内乱が予想以上に大規模なのか、そのために兵力をフェザーンに取られたくないという事なのか……。それとも他に何か理由が有るのか、皆無言で考え続けている。いや、心の何処かで話す事を躊躇っている。

一つにはメンバーが揃っていない事もあるだろう。レムシャイド伯との会談の後、同盟内部の意見をまとめるためネグロポンティと宇宙艦隊に対して人を出す事を命じた。

ネグロポンティは直ぐ来たが宇宙艦隊は状況を確認するため三十分待ってくれと言いだした。問答無用で呼び出す事も考えたが、それでは会議を持つ意味が無い。我慢せざるを得なかった。

「遅くなりました」
執務室のドアを開け、グリーンヒル総参謀長が入ってきた。急いできたのだろう、この時期に額に汗をかいている。
「座ってくれ、先ずは軍の考えを聞きたい」

トリューニヒトの問いに対してグリーンヒル総参謀長が椅子に座りながら答えた。
「その前に、帝国が提示した条件について再度確認させてください」
「いいだろう」

トリューニヒトがレムシャイド伯が示した条件を説明し始めた。レムシャイド伯が示した条件はそれほど理解するのが難解な代物ではない、但し実行できるかどうかは別としてだが……。

条件は八項目から成り立っている。
1、同盟軍のフェザーン駐留は帝国政府からの依頼によることを宣言する事。

2、同盟軍のフェザーンでの任務は帝国軍に代わってフェザーンの中立性を回復する事であることを宣言する事。

3、同盟軍のフェザーン撤退についてはフェザーンの中立性が確認された後の事とし、帝国、同盟両国の合意をもって行う事、合意無しでは撤退は行わない事。また兵力の増援についても両国の合意を必要とすること。

4、アドリアン・ルビンスキーの捕縛、或いは捕殺とその身柄の帝国への引渡し。

5、フェザーン自治領主を決める際には必ず事前に帝国の承認を得る事。

6、フェザーンにおける帝国高等弁務官の権利、安全、そして行動の自由を保障する事。

7、フェザーンに駐留する軍隊はフェザーンより帝国方面での軍事行動を行なわないこと。

8、自由惑星同盟はいかなる意味でも帝国に対し反帝国的な活動を行なわないこと。もし反帝国的な活動が有ったと帝国が認めた場合、自由惑星同盟はフェザーンに進駐する正当な理由、権利の全てを失う事。

グリーンヒル総参謀長はトリューニヒトが説明する間、一言も口を挟まず黙って聞いていた。時折メモに何かを書き込む。トリューニヒトの説明が終わると大きく息を吐いた。

「どう思うかね、総参謀長」
「正直に言いますと、フェザーンへの我が軍だけでの進駐は危険です」
トリューニヒトの質問にグリーンヒル総参謀長が答えた。

「危険とは?」
「帝国の提案では我々が帝国の代わりにフェザーンの内政に関与する事になります。つまりフェザーンの恨みを買うのは我々であって帝国ではない。そうでは有りませんか、議長」
グリーンヒル総参謀長の返事にトリューニヒトの表情が歪んだ。

「帝国の代わりに我々が汚れ仕事を行うというわけだな……」
「その通りです、ネグロポンティ委員長」
「面白くないな」
全く面白くない事態だった。しかしどうする?

「共同占領ならそのあたりのデメリットは防げました。いえ、それだけでは有りません」
「?」
グリーンヒル総参謀長の言葉にボロディン本部長を除く皆が訝しげな表情をした。私も同じだ、何が有る?

「共同占領を行なった後、両軍は引き上げる事になります。その後、帝国がフェザーン方面から同盟領への侵攻を図る場合には、フェザーン市民に反帝国活動を行なわせるつもりでした」
「反帝国活動?」

「そうです。フェザーン人による組織的なサボタージュ、ゼネラル・ストライキによる社会、経済の運用システムの無力化です。それによってフェザーンを補給基地、中継基地とする帝国の意図を挫く」

ホアンが唸り声を上げた。トリューニヒトが頷きながら口を開いた。
「なるほど、帝国が汚れ仕事をするのであればフェザーン人達に恨まれるのは帝国だ。十分に可能性は有るだろう」

「共同占領中は我々はフェザーンに対して同情的なポーズを取るだけで良いのです。そして彼らとの間に有る程度の親密ささえ確立できれば後は時間をかけてそれを深化させる。そう考えていました」

「フェザーン人によるゲリラ活動か……、君達はそんな事を考えていたのか?」
ホアンが呆れたように声を出した。グリーンヒル総参謀長が、ボロディン本部長が顔を見合わせ苦笑する。そしてボロディン本部長が口を開いた。

「正確にはイゼルローンのヤン提督が考えたのです。同盟軍には戦力が無い、である以上同盟軍は弱者の戦略を採らざるを得ない。味方を多くし、正面から闘わずに敵を撤退させる。我々もそれがベストだと考えています」

「一つ訊いていいかね、ボロディン本部長」
トリューニヒトが沈痛な表情でボロディンに問いかけた。

「何でしょう、議長」
「共同占領した場合、帝国が懸念していた現地での軍事衝突だが、君達は本当に兵力を削減する事で防ぐ事が可能だと考えていたのかね?」
トリューニヒトの質問にボロディン本部長とグリーンヒル総参謀長が顔を見合わせた。

「正直なところ、そこが不安でした。兵力を削減するぐらいしか手が有りません。レムシャイド伯の言う通りなのです」
ボロディン本部長が答えると続けてグリーンヒル総参謀長が口を開いた。

「不可能で有ったとは思いません。私はむしろ帝国がその可能性を故意に無視したのではないかと考えています」
「待ってくれ、総参謀長。故意に無視したと言うのはどういうことかね?」

「つまり、帝国も我々と同じ事を考えているのではないかと言う事です、レベロ委員長。我々を悪者にしてフェザーンを味方につけようとしている。強大な帝国が弱者の戦略を採ろうとしている……」
「!」

執務室に沈黙が落ちた。グリーンヒル総参謀長の言う通りなら同盟は容易ならざる敵を相手にしている。トリューニヒトが誤ったとは思えない。艦隊を派遣したのは間違いではなかった。

あそこで派遣しなければ我々は“フェザーンを見殺しにした”、“フェザーン回廊を捕虜と引換えに帝国に売り渡した”と非難されただろう。

共同占領案も間違ってはいない。軍の考えを見ればベストの選択だろう。ボロディンが共同占領案を受け入れられなければ兵を退けと言った理由も今なら良く分かる。帝国に単独で占領させたほうがフェザーン方面は有利になると考えたからだ。しかしその時には我々は下野する事になったはずだ。

我々が下野する事は構わない、問題はその後だ。後継政権は嫌でも帝国に対し強硬にならざるを得ない。力の無いものが根拠も無しに強硬策を採る。帝国への出兵など自殺行為だろう、八方塞だ。いや、軍は兵力が無いと政府を説得するつもりだったのだろうか、ボロディン達は我々を切り捨てるつもりだったのかもしれない。

沈黙を破ったのはグリーンヒル総参謀長の憂鬱そうな声だった。
「他にも問題があります」
「分かっている、最後の“反帝国的な活動を行なわないこと”だろう。いくらでも言い掛かりをつける事は可能だからな」
ホアンが渋い表情で吐き捨てた。

「いえ、そうではないのです」
「?」
グリーンヒル総参謀長の答えに皆の視線が彼に集中した。どういうことだ、他に問題が有るというのか……。

「フェザーンからの撤退は帝国、同盟、両者の合意が必要となっています」
「……」
「一見するとこれは同盟にとって有利な条件に見えますが、そうとも言い切れません」

「どういうことかね」
ネグロポンティが不思議そうな声を出した。同感だ、何処が問題なのか。
「……帝国が同意しない限り、同盟はフェザーンから兵を撤退させる事が出来ないのです」
「……」

グリーンヒル総参謀長の言葉が執務室に響いた。“帝国が同意しない限り、同盟はフェザーンから兵を撤退させる事が出来ないのです”。

「つまり、イゼルローン方面で軍事的な威圧をかけられても兵の移動は出来ない、そういうことかね?」
「その通りです、トリューニヒト議長。帝国が本当に戦争を仕掛けてくるまでフェザーンからは兵力を移動できない事になります」

呻き声が聞こえた。ホアンとネグロポンティだろう、トリューニヒトは拒むかのように口を引き結んでいる。そして暫くしてから口を開いた。

「ならば最初から兵力を少なくしておけば、いや、駄目だな。それではフェザーンに威圧をかけるか、増援も両国の合意が必要だ」
「その通りです」

執務室に沈黙が落ちた。今日何度目だろう。そして皆が疲れた表情をしている。弱いと言う事がこれほどまでに辛い事だとは思わなかった。そして帝国は内乱状態にありながら、いやそれを利用して同盟を圧倒してくる。

レムシャイド伯、あの男は何処まで知っていたのだろう? 白っぽい頭髪と透明に近い瞳、沈鬱な表情、あれは全て芝居だったのだろうか? 白狐、その異名が思い出された……。



 
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