あの熱を、もう一度 ~響け!ユーフォニアム~
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第1回 惰性のサクソフォン 前編
シン、と静まり返った広いホール。
そこでは、審査員たちの発表を今か今かと待っていた。
その中にあって彼、水上和樹はどこか他人事のようにその中にいた。
一瞬一瞬に自分の情熱をかけているほかの人と、それを忘れてしまった自分。
他人から見たら、どこか空虚でかわいそうに思われるだろう和樹の思考。
それでも和樹はそこに後悔はない。情熱を精一杯ひとつの物に向けても、たった一度の失敗
それだけですべてを失い、自分が惨めになることを知っているからだ。
だから、期待しないし高望みもしない。
それだけが常に頭にあった。
何にも熱くなれず、本気で取り組めない。
でも、それでいいと和樹は考えている。もう二度と、自分の思いに裏切られたくないから。
その時、ホールの二階席から何人かの審査員が顔を出し、
静まり返っていたホールが、俄かに騒めき出す。
審査の結果が記された紙が、勢いよく二階席から広げられる。
それを見て、悔しさに頬を涙で濡らすものや、歓喜のあまり友達と抱き合い喜びを共感するもの
はたまた、歓声を上げ自らの達成感に浸るもの。
多くの喜怒哀楽が生まれる中で、水上和樹はぼんやりと結果を見る。
その後の審査員の言葉をただただ受け止めた。
「(ま…こんなもんか。ダメ金だけど)」
和樹の通う中学は、吹奏楽では名の知れる南中学校。
去年は残念ながら府大会銀賞に終わってしまったが、広い歴史で見れば強豪と称される学校だ。
そう、強豪。強豪なのだ名門ではない。それならこれで十分だろう。
行ける時もあれば行けない時もある、それが強豪だ。なぜなら、名門ではないから。
それでも、彼の隣や後ろでは、同じ部の仲間のすすり泣く声が聞こえる。
それを耳に入れながら、和樹は思った。それだけ、本気で熱を入れて何かに取り組めるなんて、なんて
「羨ましい……。」
本気で、自分の全てをかけて情熱の限り取り組んだ先で敗れる。
そのくやしさや、惨めさを知らないでいられることがどれほど楽で、楽しいことなのか。
和樹はそれを知っているから、熱くなれないし熱くなれる人を羨ましいと思うのだ。
「あたしは悔しい!めちゃくちゃ悔しい!!」
涙交じりで、けど力強い声が隣から確かに聞こえ、目の前を長髪の少女が横切った。
なんとなしに、和樹はそっと少女が来た方に目を向ける。
そこには、くせ毛の少女が唖然とした顔で少女が走り去った方向を見つめている姿があった。
「(今の子、これにすべてをかけてたんだろうな。)」
なんとなしに手元の楽器ケースに目を向ける。
小6のあの日、怪我をした日以降友達に誘われるがままに始めた吹奏楽。
今の和樹には情熱を注ぐものがない。けど、きっと彼が野球に向けていたのと同じぐらいの情熱を
彼女は、この吹奏楽に向けていたのだろう。
一度自分の情熱に裏切られた身としては、彼女には自分のようになってほしくないと和樹は思った。
取り返しがつかなくなって、あとからそれを悔やんでもどうにもならないのだから。
「(ま、今後会わないだろう人の事は、いいか……)」
先ほど走り去った少女の心配を、頭の片隅に追いやり和樹は部の仲間たちへと声をかける。
あたかも自分も悔しいのだと、全力を尽くした結果なのだと心に言い聞かせ、それを装いながら。
こうして、水上和樹の中学での部活は一度も本気になることのないまま終わりを迎えた。
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真新しい詰襟に袖を通し、和樹は自室の姿見の前に立つ。
今日は高校の入学式。和樹の新しい門出だ。
だからなのかいつもはそこまで気にしない髪の毛や身だしなみを何となしに整えるが、
「なれなことはするもんじゃないな……。」
整えた髪は、お世辞にも整っているとは言い難い。
鏡越しにそれを見て、苦笑を浮かべ髪の毛を整えるのを諦める。
昨夜のうちに準備しておいた荷物を取ろうと膝を曲げた。
「っ!!」
膝が曲がりきる瞬間、左足に鈍い痛みが走り軽くうずくまる。
和樹はそれを感じると、目を落とし自身の左ひざに手を当てる。
和樹はあの怪我をして以来、季節の変わり目にはこうして傷跡が傷むのだ。
医者の話では、この痛みはどうやら体の成長が終わるころにはなくなるらしいが、
少なくともあと5年間は、この痛みと付き合うことになる。
それを考えるだけで、和樹は憂鬱な気持ちになり
あの日の光景を昨日のことのように思い出してしまう。
「和樹ー!まだ行かなくていいのかいー?」
暗くなる思考は、階下からの母親の声によって中断される。
ふと、時計を見れば時刻はすでに8時になろうとしていた。
余裕をもって、登校できる時間としてはギリギリである。
「っと、行く行く」
膝に痛みが走らないよう注意しながら、急ぎ足で階段を下り玄関へと向かう。
真新しい詰襟に、下し立てのローファーに足を入れる。
しっかりと靴を履いたことを確認してから、振り向き母親へと声をかける。
「それじゃ、いってきます。」
玄関の戸を開けて、もう一度荷物を背負いなおす。
暖かな太陽に照らされながら、ゆっくりと駅へと歩き出す。
向かう先は、京都府立北宇治高等学校。
水上和樹の高校生活は今日なんの代わり映えもなく、
いつも通りに始まりを告げたのだ。
後書き
早速、第一回は投稿させていただきました。
しかし、思いのほか膨らんでしまい、切りどころが無くなりそうなので
3部構成にして、お送りさせていただきたいと思います。
続きもなるべく早いうちに投稿させていただきますので、どうか続きも読んでくださるとうれしいです。
では次回も、読了お願いいたします。
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