「藍い帽子(Dark blue belet)」
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〈特筆する人物〉
・張光祖(チュン・コンヅァオ)
香港警察機動部隊(本家PTU)の教官で、階級は警司。かつては精鋭特殊部隊SDUの副指揮官も努めていた。
訓練・任務・戦術の基礎指導等を行い、「J-PTU」の設立と良性質維持に貢献する。
町民との交流も多く、日本への理解も深い人物であったが、不満を持った隊員らに殺害される。
・垂葉良介(たれば・りょうすけ)
「J-PTU」大隊長。階級は警視。長野県出身で、過去にも長野県警から警視庁等への出向経験がある。
一時退職し、警視庁に入庁。地域課や白バイ隊、機動隊などで指揮官を務めた後、「J-PTU」の統括指揮官に任命された。
ミリタリーやプラモデル、クルマ関係などに明るく、プライベートでは親しい隊員も多かったという。
部隊解散後は長野に戻り、妻子と素朴に暮らしているらしい。ちなみに、愛車はスバル・ヴィヴィオRS。
・栗戸東樹(くりど・とうき)
「J-PTU」112分隊(第一中隊-第一小隊-第二分隊)第二班長。巡査部長。
「ミリポリ・クリント」の異名を持つ射撃の名人。
それだけでなく、交番時代の巡回経験も豊富で、リーダーシップも持ち合わせる頼れる人物の1人だった。
帝丹小立てこもり事件の後、仲間や部下達が追っ手を食い止める中、国外逃亡を図る。
・富良野半次(ふらの・はんじ)
112分隊第二班員。巡査。安藤とは白バイ隊時代からの仲。破天荒でおちゃらけだが、正義感は強く、不平を言うことはあっても警官の仕事を好いていた。
栗戸や安東と行動を共にし、帝丹小から脱出するも、晴洲で襲ってきたチンピラに心臓を撃ち抜かれ死亡。
・安藤醸三(あんどう・じょうぞう)
112分隊第二班員。巡査。富良野とは白バイ隊時代からの旧友。
性格は正反対で優等生的だが、名コンビを組んでいた。
栗戸と行動を共にし、最後は彼を逃がすための"食い止め役"となった。
・真久井拾雄(まくい・ひろお)
112分隊第二班員。巡査部長。栗戸とは同期の華。市民への接し方は、栗戸以上に丁寧だった。
栗戸と共に"反乱"に加わり、帝丹小に篭城後、脱出するが、晴洲で襲ってきたチンピラとの銃撃戦で銃弾を喰らい、出血過多で死亡する。
・三島遥(みしま・よう)
112分隊第二班員。巡査。"反乱"に加わったメンバーでは唯一の女性隊員。
佐藤美和子刑事や陳何蓮督察とは仲がよかった。
最後は栗戸を逃がすための"食い止め役"となり、佐藤達に逮捕された。
・松田鉄(まつだ・てつ)
・最中松雄(もなか・まつお)
112分隊第二班員。いづれも巡査。
松田はミニ四駆好きで、大隊長とウマが合う部分も多かった。最中は誰でも公平に接する人柄の持ち主。
帝丹小に立てこもった7名のうち、栗戸たちを逃がす"食い止め役"を引き受けた。
最中はSATとの撃ち合いで死亡。松田は、栗戸たちの脱出を確認後、瀕死の最中の勧めで投降・逮捕された。
・董田忠衛(とうだ・ちゅうえ)
元112分隊第一班長。
元は機動隊員だったが、身勝手な行いが多く、上司からも部下からも信頼の無い存在だった。
加えて女癖、および男癖が悪く、部下や他部署の女性警官に隙あらばちょかいをかけていた。
町の見回りという警察官の原点からたたきなおすべく「J-PTU」に送られるも、その意図などクソ喰らえ状態。
張光祖警司主導の厳しい訓練には反発、巡回任務では町民に当り散らす。篠崎警部補とも折り合いが悪く、次第に隊内で孤立。
ついには張警司を殺害し、その罪を篠崎警部補になすりつけようとするも、"某少年"の仲間達によって露呈。ヤケクソとなり、部下3人と共に警察署に篭城するも、突入部隊に加わっていた篠崎警部補に射殺される。
第一班はその後、解散まで篠崎警部補が班長を兼任する形になった。
・篠崎翔(しのざき・かける)
「J-PTU」112分隊隊長兼第一班長。警部補。
実は「J-PTU」を含む「香港警察モデル化計画」の真の立案者(正確には、警官だった母親から受け継いだ)。
部隊の詳細企画原案は、彼と兄妹分とも言える陳何蓮督察と二人でほぼ完成させたと噂される。
町民や部下への接し方もそこそこ柔和だったが、「J-PTU」の任務や存在意義に異を唱える隊員や部外者に対しては、ことごとく冷たく当たり、結果的に張光祖警司の死の遠因を作ってしまったという。
部隊解散後は依願辞職。陳督察と共に香港に渡り、彼女やその夫、子供達と共に暮らしているという。
・陳何蓮(チャン・ホーリン)
香港警察刑事情報科より来日していた女性警官。階級は督察。
厳密には「J-PTU」ではなく、捜査一課SIT部隊の指導に赴任していた。
また、夫は香港を始め、各国の警察装備(当然銃器以外)の中古売買を営んでおり、彼女の赴任に合わせ、日本でも商売をしていた。
篠崎翔警部補と幼少時から仲がよく、「翔哥(カケル兄ちゃん)」「阿何」と呼び合う関係。
「J-PTU」解散後しばらくして、彼女もSITへの指導期間を終え、夫や篠崎と共に香港へ帰国。
その後は二児の母となっているらしい。なお、一人目は来日中に妊娠していたという噂もある。
後書き
・・・本当のあとがきは次のページからです。
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