銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百八十八話 武器無き戦い
帝国暦 487年 12月28日 オーディン ギュンター・キスリング
時刻は午前一時を過ぎ、静寂が夜の街を支配している。地上車の中からは分からないが外はかなり寒いに違いない。その街の中を一人の男がゆっくりと歩いていく。長身、コート姿が良く似合う男だ。
「准将、ターゲットを確認しました。間違いありません、フロトー大佐です」
スピーカーから声が聞こえた。マイクを口元に寄せ、小さく囁く。地上車にいるのは信頼できる味方だけだが自然と声が小さくなった。
「了解、手はずどおり確保しろ。油断するな」
部下達が自分を見ている。軽く頷き声をかけた。
「車を出してくれ、ゆっくりとな」
「はっ」
地上車がゆっくりと動き出した。前方を歩くフロトー大佐の姿が見える。
そのフロトー大佐が立ち止まった。前から二人、後ろから二人、フロトー
大佐を囲むように人が現れる。
「スピードを出せ、もう遠慮はいらん」
地上車が急速にフロトー大佐に近づく。これで奴は慌てるだろう。多少無理をしてでも逃げようとするはずだ。
案の定だ、フロトー大佐が一瞬後ろを振り返り、前を強引に突破しようとした。しかし阻まれ逆に右腕を捻られ体勢を崩す。あっという間に取り押さえられた。残念だったなフロトー大佐、その四人は憲兵隊でも選りすぐりの格闘術の達人達だ。卿の敵う相手ではない。
フロトー大佐が取り押さえられている場所に近づいた。地上車を降りフロトー大佐に近づく。大佐がこちらを睨むのが見えた
「御苦労だった、怪我は無いか?」
「有りません、案外なほどに……」
「容易かったか」
「はい」
微かに苦笑を浮かべながらフロトー大佐を取り押さえている男が答えた。その途端にフロトー大佐が身を捩って暴れたが、反って腕を極められ呻き声を上げる。
「フロトー大佐、私は憲兵隊のキスリング准将だ」
「……」
「卿を逮捕する。卿の友人達も間も無く捕まるだろう。全て喋ってもらうぞ、内務省との繋がり、誘拐事件についてな」
「……」
フロトー大佐の目に絶望の色が浮かんだ。
「宇宙港では俺達に成りすますなど随分とふざけた真似をしてくれたようだが、憲兵隊を舐めるなよ、きっちりとけじめは付けさせて貰う」
「……」
「卿に名前を騙られたボイムラー大佐も憲兵隊本部で待っている。覚悟するのだな」
「……」
宇宙暦 796年 12月28日 ハイネセン 最高評議会ビル ジョアン・レベロ
「どういうつもりですかな?」
「どういう、と言うと?」
「とぼけないで頂きたい。フェザーン回廊方面に向けて同盟政府が艦隊を派遣している事は分かっているのだ。どういうつもりかと訊いている」
トリューニヒトの答えにスクリーン映るレムシャイド伯は厳しい表情で迫った。透明な瞳が今は冷たさを浮かべている。大分怒っているようだ。
「帝国は事前に同盟政府に対してフェザーンに軍を派遣することをお伝えした、そうですな?」
「……」
「その際、帝国がフェザーンの中立を犯すつもりも無い事もお伝えしたはずです。それなのに同盟政府は帝国に何の断わりも無くフェザーンに軍を派遣している。背信、いや敵対行為と言って良い」
レムシャイド伯の口調が厳しさを増した。こちらに裏切られたと言う気持ちが有るのかもしれない。トリューニヒトが私を見るが、私にもどうにもフォローのしようがない。この件に関してはレムシャイド伯の言葉に理があるし、その事はトリューニヒトも分かっている。
大体交渉相手を口先で丸め込むのは私よりトリューニヒトのほうがはるかに上手い、私の手助けなど必要ないだろう。どうやってレムシャイド伯を丸め込むやら、お手並み拝見と言ったところだ。
「レムシャイド伯爵、確かに軍の派遣についてそちらに知らせなかった事についてはこちらの落ち度としか言いようが無い。それについては心から謝罪する。しかし、軍の派遣についてはこちらにも事情が有っての事、そちらに対する敵対行為ではないことを御理解いただきたい」
トリューニヒトは誠実そうな表情でレムシャイド伯爵に話しかけた。
「敵対行為では無いと言われるか」
「その通りです。帝国がフェザーンのルビンスキーに対して不信感を持つ気持は分かります。同盟政府も彼には随分と煮え湯を飲まされている」
「……」
「レムシャイド伯、帝国はルビンスキーに反帝国活動を止めさせると言っていますが現実にはルビンスキーの排除という事になると思いますが、違いますかな」
「……だとしたらどうだと言うのです、反対だとでも?」
レムシャイド伯の目が一層厳しさを増した。
「とんでもありません。ルビンスキーを排除するだけというなら、それに対して同盟が反対する事は有りません」
「……」
トリューニヒトが穏やかに話しかけたがレムシャイド伯の表情は厳しいままだ。
「但し、帝国がフェザーンを占拠すると言うのは困ります。我々は同盟市民に捕虜を取り返すためにフェザーンを見殺しにした等と言われかねない」
今度はトリューニヒトの表情が厳しくなった。
「……それで」
「そうなれば同盟市民は捕虜交換よりもフェザーン回廊の確保、あるいは中立化を優先するべきだと言い出すでしょう。先日の共同宣言などあっという間に反古になりかねないのです。お互いにとってそれは不幸な事でしょう」
「関係有りませんな」
「関係無いと?」
「左様、帝国には関係有りません。いまトリューニヒト議長が仰られた事は同盟内部の問題でしょう。同盟政府が自らの力で解決する事であり帝国には関わり無い事です。違いますかな?」
スクリーンを通してトリューニヒトとレムシャイド伯はにらみ合っている。確かに同盟内部の問題だ、レムシャイド伯は同盟内部の問題を帝国に持ち込むなと言っている。
しかし内政問題は常に外政に密接に関係してくる。伯がそれを知らないとも思えない、つまりは建前論を出す事でフェザーンに手を出すなといっているだけだ。
「……」
「それに誤解があるようですが、フェザーンは帝国の一自治領です、独立国ではない。その成り立ちの特異性から帝国はフェザーンの中立を認めてはいるが独立は認めていません」
「……」
「これはあくまで帝国内部の問題です。同盟政府が関知するところではない。これ以上軍を進めるのであれば、帝国領への侵犯であり敵対行為であると判断せざるを得ません。直ちに兵を退いて頂きたい」
上手いものだ。内政問題は自分の力で片付けるべきであり他者の力を借りるべきではないか……。首尾一貫している。これではヘンスローなどまるで相手にならなかっただろう。
「……」
「これ以上同盟が軍を進めれば喜ぶのはルビンスキーだけです。結果として同盟はルビンスキーに与していると言う事になる」
「……」
「ここ近年のルビンスキーの反帝国活動も実際には同盟政府の唆走によるものでは有りませんかな。我々がルビンスキーを捕らえればそれが知られてしまう、だから軍を派遣して我々を牽制している……」
「馬鹿な、そのような事などありえません」
「ならば、それを証明していただきたい。口ではなく行動でです。期待しておりますぞ、トリューニヒト評議会議長」
「手強いな」
「ああまったくだ、さすが帝国の白狐というべきかな」
「褒めるのは良いがね、これからどうするつもりだ、トリューニヒト」
議長室にコーヒーの香りが漂う。不毛といってよい会話に疲れきった神経が少しずつ癒されていく。出来れば強い酒が欲しいものだ。
レムシャイド伯との会話は全く実りの無いものだった。伯は兵を退けと言い、トリューニヒトは退かぬと言う。何時決裂してもおかしくは無かった、決裂せずに済んだ事が不思議なくらいだ。
「収穫は有った。戦争は防げるだろう」
「本当か?」
我ながら疑い深そうな声が出た。トリューニヒトが苦笑して私を見ている。そしてコーヒーを口に運びながら自分に確かめるような口調で話し始めた。
「同盟は戦争を望んでいない、そして帝国も戦争は望んでいない。あれだけ衝突しても決裂しなかったことがそれを証明している。互いに戦争を望んでいない人間が交渉しているのだ、落としどころは有ると思う」
「それで、どう決着を付ける」
「……フェザーンの共同占領、そんなところだな」
「共同占領? そんな事を帝国が認めると思うのか?」
共同占領、建前からすればフェザーンは帝国の自治領だ。自国の領土を何故同盟と共同占領しなければならないのか、当然反発するだろう。だがトリューニヒトは可能だと考えている……。
「帝国の望みはルビンスキーの排除だ、フェザーンの占領じゃない。フェザーンの占領等すれば同盟が反発するのは帝国だって理解している。戦線をこれ以上広げたくない帝国にとってはフェザーンの占領は良い手とは言えない」
「……」
「しかし、占領しなければルビンスキーを排除するのは難しいだろう。となれば同盟との関係を維持しつつルビンスキーを排除するにはフェザーンの共同占領と言う答えが出てくる、そう思わないか」
「いささか自分に都合の良いように解釈しているように思えるがな」
私の答えにトリューニヒトは微かに苦笑した。そして“まあ聞いてくれ”と言葉を続けた。
「もちろん共同占領と言っても形だけだ。占領後のフェザーンについては帝国が主導権を握る。同盟政府は同盟の安全保障が脅かされない限りそれに反対する事は無い」
「……つまり同盟は名を取り、帝国は実を取る。そういうことか」
「そういうことだ」
「しかしそれで納得するか、帝国も同盟も」
口に含んだコーヒーが苦く感じるのは、トリューニヒトの考えに納得していないからだろうか。帝国、同盟よりも自分が一番納得していないのかもしれない。
「我々にとって何よりも避けなければならない事はフェザーンを帝国単独で占領される事だ。そしてフェザーンを見殺しにしたと非難される事、違うか、レベロ」
「……」
確かにトリューニヒトの言う通りだ。何よりも避けるべき事はそれだろう。
「フェザーンの独立を守るなど今の同盟には無理だ。正義の味方になるのが無理なら、悪党になってでも同盟の利益を確保すべきだろう」
トリューニヒトが自嘲気味に話した。そしてコーヒーを口に運ぶ。どんな味がするのか……。
「確かにそうだが、フェザーンでは帝国が主導権を握るのだろう。それを同盟市民はどう思うかな……」
「正直に言うしかないだろうな、今の同盟には帝国の単独占領を防ぐのが精一杯だと。だからこそ捕虜交換で兵力を補充する必要があるとね」
「つまり帝国との協力関係は崩せない、そういうことか」
「そういうことだ」
議長室に沈黙が落ちた。帝国との協力関係、その先にあるのは和平だろうが可能だろうか? 問題は帝国だ、帝国が今回の内乱でどのように変化するのか……。
「その帝国だが共同占領を受け入れると思うか?」
「帝国は専制君主国家だ。市民の支持など必要ない、そして帝国の指導者達は馬鹿じゃない、受け入れるのは難しくないだろう。私はそう考えている」
「君の悪い所は楽観的なところだな。トリューニヒト、何故レムシャイド伯に共同占領を持ちかけなかった?」
「今はまだ駄目だ。もう少し互いの軍が近づいてからのほうが帝国にとっても受け入れ易いだろう」
なるほど、切羽詰ってからのほうが受け入れ易いには違いない。しかし綱渡りではある。果たして上手くいくのか……。シトレに相談してみるべきだろう。帝国では軍人の力が同盟よりも強い、そのあたりをシトレはどう見るか……。
「ところで例の件どうするつもりだ、トリューニヒト」
「ルビンスキーからの救援要請か」
「ああ」
昨日、ルビンスキーが助けてくれと言ってきた。フェザーンの独立を侵そうとしている帝国軍を追い払ってくれと。見返りは当然だが経済協力と資金援助だった。何でも金で片付けようとするフェザーン人らしい見返りだ。もっとも彼らが提示できるのはそれ以外に無いのも事実だが。
「残念だが、フェザーンの独立などのために同盟を危機にさらす事は出来んな」
「同感だ」
多くの同盟市民がそう思うだろう。同盟と帝国が血を流して戦っているときにその血を啜って太ってきたのがフェザーンなのだ。賢い生き方なのかもしれないが尊敬される生き方ではない。皆何処かでフェザーンの在り方を疎んじている。
「フェザーンの独立などこの国では政治的大義になりえない。せいぜいこれまで楽しんできた付けを払う準備をするべきだろう。取立ては大分厳しいものになりそうだがね」
そういうとトリューニヒトは笑い出した……。
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