Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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二刀流
運悪くリザードマンの集団に遭遇してしまい、俺達9人が最上部の回廊に到達した時には安全エリアを出てから30分が経過していた。途中で軍のパーティーに追いつくことはなかった。
「ひょっとしてもうアイテムで帰っちまったんじゃねぇか?」
おどけたようにクラインが言ったが、俺達は皆そうではないと感じていた。わざわざマッピングデータまで手に入れたのだから。長い回廊を進む足取りが自然と速くなる。
半ばほどまで進んだ時、不安が的中したことを知らせる音が回廊内を反響しながら俺達の耳に届いてきた。咄嗟に立ち止まり耳を澄ませる。
「あぁぁぁぁ……」
かすかに聞こえた声は、間違いなく悲鳴だった
モンスターのものではない。俺達は顔を見合わせると、一斉に駆け出した。敏捷力パラメータに勝る俺、キリト、アスナの3人がクライン達を引き離してしまう恰好になったが、この際構っていられない。青く光る濡れた石畳の上を、先ほどとは逆の方向に風の如く疾駆する。
やがて、彼方にあの大扉が出現した。すでに左右に大きく開き、内部の闇で燃え盛る青い炎の揺らめきが見て取れる。そしてその奥で蠢く巨大な影。断続的に響いてくる金属音。そして悲鳴。
「バカッ……!」
アスナが悲鳴な叫びを上げると、更にスピードを上げた。俺とキリトも追随する。システムアシストの限界ギリギリの速度だ。ほとんど地に足を付けず、飛んでいるに等しい。回廊の両脇に立つ柱が猛烈なスピードで後ろに流れていく。
扉の手前で俺達3人が急激な減速をかけ、ブーツの鋲から火花を撒き散らしながら入り口ギリギリで停止した。
「おい!大丈夫か!」
キリトが叫びつつ半身を乗り入れる。
扉の内部は、地獄絵図だった。
床一面、格子状に青白い炎が噴き上げている。その中央でこちらに背を向けて屹立する、金属質に輝く巨体。青い悪魔《ザ・グリームアイズ》だ。
禍々しい山羊の頭部から燃えるような呼気を噴き出しながら、悪魔は右手の斬馬刀とでも言うべき巨剣を縦横に振り回している。まだHPバーは3割も減っていない。その向こうで必死に逃げ惑う、悪魔と比べて余りにも小さな軍の部隊。
もう統制も何もあったものでもない。咄嗟に人数を確認するが、2人足りない。殺られたか、結晶で転移したか__。
そう思う間にも、1人が斬馬刀の横腹で薙ぎ払われ、床に激しく転がった。HPが赤い危険域に突入している。どうしてそんなことになったのか、軍と、俺達のいる入り口との間に悪魔が陣取っており、これでは離脱もままならない。キリトは倒れたプレイヤーに向かって大声を上げた。
「何している!速く転移アイテムを使え!」
だが、男はサッとこちらに顔を向けると、炎に青く照らし出された明らかな絶望の表情で叫び返してきた。
「ダメだ……!ク、クリスタルが使えない!!」
「な……」
思わず絶句するキリト。この部屋は《結晶無効化空間》。迷宮区で稀に見られるトラップだが、ボス部屋がそうであったことは今までなかった。
「なんてこと……!」
アスナが息を呑む。これでは迂闊に助けにも入れない。その時、悪魔の向こう側で1人のプレイヤーが剣を高く掲げ、怒号を上げた。
「何を言うか……ッ!!我々解放軍に撤退の二文字はない!!戦え!!戦うんだ!!」
間違いなくコーバッツの声だ。
「愚かだ……」
俺は思わず呟いた。結晶無効化空間で2人いなくなってるということは、2人は死んだということだ。それだけあってはならない事態なのに、あの男は今更何を言っているのか。全身の血が沸騰するような憤りを覚える。
その時、ようやくクライン達6人が追いついてきた。
「おい、どうなってるんだ!?」
キリトは手早く事態を伝える。クラインの顔が歪む。
「な……何とかできないのかよ……」
「俺達が斬り込んで連中の退路を開くことはできる。だが、転移結晶が使えないこのエリアで、こちらが全滅する可能性もある」
あまりにも数が少なすぎるこの状況で、俺がキリト達と話してるうちに、ボスの向こうでどうにか部隊を立て直したらしいコーバッツの声が響いた。
「全員、突撃!」
10人のうち、2人はHPバーを限界まで減らして床に倒れている。残る8人を4人ずつの横列に並べ、その中央に立ったコーバッツが剣をかざして突進を始めた。
「やめろ……っ!!」
だがキリトの叫びは届かない。
余りに無謀な攻撃だった。8人で一斉に飛び掛かっても、満足に剣技を繰り出すことができず混乱するだけだ。それよりも防御主体の態勢で、1人が少しずつダメージを与え、次々にスイッチしていくべきだ。
ボスモンスターは仁王立ちになると、地響きを伴う雄叫びと共に、口から眩い噴気を撒き散らした。どうやらあの息にもダメージ判定があるらしく、青白い輝きに包まれた8人の突撃の勢いが緩む。そこに、すかさず悪魔の巨剣を突き立てられた。1人がすくい上げられるように斬り飛ばされ、悪魔の頭上を越えて俺達の眼前の床に激しく落下した。
コーバッツだった。
HPバーが消滅していた。自分の身に起きたことが理解できないという表情の中で、口がゆっくりと動いた。
「……あ、あり得ない」
そう言った直後、コーバッツの体は、神経を逆撫でするような効果音と共に無数の断片となって飛散した。余りにもあっけない消滅に、アスナが短い悲鳴を上げる。
リーダーを失った軍のパーティーはたちまち瓦解した。喚き声を上げながら逃げ惑う。既に全員のHPが半分を割り込んでいる。
「ダメ……ダメよ……もう……」
絞り出すようなアスナの声に、キリトはハッとして横に向いた。咄嗟に腕を掴もうとする。
だが一瞬遅かった
「ダメーーーッ!!」
絶叫と共に、アスナは疾風の如く駆け出した。空中で抜いた細剣と共に、一筋の閃光となってグリームアイズに突っ込んでいく。
「アスナッ!!」
キリトは叫び、やむなく抜剣しながらその後を追った。冷静さを保っていた俺も、腰の後ろに装備していた片手剣を抜剣してキリトに続く。
「どうとでもなりやがれ!!」
クライン達も雄叫びを上げつつ追随してくる。
アスナの捨て身の一撃は、不意を突く形で命中した。だがHPはろくに減らない。
グリームアイズは怒りの叫びと共に向き直ると、猛烈なスピードで斬馬刀を振り下ろした。アスナは咄嗟にステップでかわしたが、完全には避けきれず余波を受けて地面に倒れ込んだ。そこに、連撃の次弾が容赦なく降り注ぐ。
「アスナーーーッ!!」
キリトは身も凍る恐怖を味わいながら、必死にアスナと斬馬刀の間に身を躍らせた。ギリギリのタイミングで、キリトの剣が悪魔の攻撃軌道をわずかに逸らす。途方もない衝撃。
擦れ合う刀身から火花を散らして振り下ろされた巨剣が、アスナからほんの少し離れた床に激突し、爆発音と共に深い穴を穿った。
しかしここで、俺が悪魔に接近する。
「ネザー、下がれ!!」
叫ぶキリトに構ってる暇もなく突っ込んで行く。
「俺がやる!!」
珍しく叫び声を上げ、自分が倒すと主張した。俺は片手剣を構え、悪魔の腹に剣技を叩き込んだ。
「グルルァァアアア!!」
雄叫びを上げたグリームアイズは瞬間的に俺を睨み付け、致死と思える圧倒的な勢力で、剣が次々と襲い掛かってくる。
グリームアイズの使う技は基本的に両手用大剣技だが、微妙なカスタマイズのせいで先読みがままならない。俺は全神経を集中して防御に徹っするが、一撃の勢力が凄まじく、時々体をかすめる刃によってHPがジリジリと削り取られていく。
視界の端では、クラインの仲間達が軍のプレイヤーを部屋の外に引き出そうとしているのが見えた。だが中央で俺とグリームアイズが戦っているため、その動きは遅い。
とうとう敵の一撃が俺の体を捉えた。瞬時に両腕の籠手でどうにか悪魔の大剣による一撃を受け止めているが、大剣の重さと痺れるような衝撃に苦戦させられる。HPバーがグイッと減少するのがわかる。
「ぐ、重い!!」
たかがデータ状のモンスターにここまで苦戦されたのは初めてじゃないが、このままではとても支えきれない。離脱する余裕もない。一瞬、《カブトゼクター》を呼んで変身しようとも考えたが、運悪くキリト達がここにいる。正体を知られないため変身はできない。
だがみすみす殺られるつもりはない。そう思った時、キリトの叫び声がこのエリア全土に響いた。
「ネザー!アスナ!クライン!10秒だけ持ちこたえてくれ!」
キリトが叫ぶと、俺が右手の剣を強調して悪魔の攻撃を弾き、無理矢理ブレイクポイントを作って床に転がった。間髪入れず飛び込んできたクラインが刀で応戦する。
だが奴の刀も、アスナの細剣も速度重視の武器で重さに欠ける。とても悪魔の巨剣は捌ききれないだろう。キリトは左手を振り、メニューウィンドウを呼び出す。
何か《切り札》の登場か、と思いながら俺はキリトを直視する。だがそんな暇もなく、片手剣でグリームアイズの攻撃に応戦するので精一杯だった。
ウィンドウの操作にはワンミスも許されない。早鐘のような鼓動を抑えつけ、キリトは右手の指を動かす。所持アイテムのリストをスクロールし、1つ選び出してオブジェクト化する。装備フィギュアの、空白になっている部分のそのアイテムを設定。スキルウィンドウを開き、選択している武器スキルを変更。
全ての操作を終了し、OKボタンにタッチしてウィンドウを消すと、背に新たな重みが加わったのを確認しながらキリトは頭を上げて叫んだ。
「いいぞ!!」
クラインは一撃喰らったと見て、HPバーを減らして退いている。本来ならすぐに結晶で回復するところだが、このエリアではそれができない。現在悪魔と対峙している俺とアスナも、数秒のうちにHPは5割を下回ってイエロー表示になっている。
キリトの声に、背を向けたまま頷くと、俺は全身の気合を解放するように、剣技を突き放った。
「ハアァァァ!!」
蒼き残光の一撃は、空中でグリームアイズの剣と衝突して火花を散らした。大音響と共に両者がノックバックし、間合いができる。
「スイッチ!!」
そのタイミングを逃さず叫ぶと、キリトは敵の正面に飛び込んだ。硬直から回復した悪魔が、大きく剣を振りかぶる。
炎の軌跡を引きながら打ち下ろされてきたその剣を、キリトは愛剣《エリュシデータ》で弾き返すと、間髪入れず左手を背に回して新たな剣の柄を握った。抜きざまの一撃を悪魔の胴に見合う。初めてのクリーンヒットで、ようやく奴のHPバーが眼に見えて滅少する。
「グォォォォ!!」
憤怒の叫びを漏らしながら、悪魔は再び上段の斬り下ろし攻撃を放ってきた。今度は、両手の剣を交差してそれをしっかりと受け止め、押し返す。奴の体勢が崩れたところを、キリトは防戦一方だった今までの借りを返すべくラッシュを開始した。
右の剣で中段を斬り払う。間を開けずに左の剣を突き入れる。右、左、また右。脳の回路が焼き切れんばかりの速度でキリトは剣を振るい続ける。甲高い効果音が立て続けに唸り、星屑のように飛び散る白光が空間を焼く。
そんな光景に、俺やアスナ、部屋にいる者全員が驚きと呆然の虜になっていた。
しかし、キリトの攻撃を眼にして、俺はようやく悟った。あれはキリトの隠し技、エクストラスキル《二刀流》だということを。その上位剣技《スターバースト・ストリーム》。連続16回攻撃。
「うおおおあああ!!」
途中の攻撃がいくつか悪魔の剣に阻まれるのも構わず、キリトは絶叫しながら左右の剣を次々と悪魔の体に叩き込み続けた。視界が灼熱し、最早敵の姿以外何も見えない。悪魔の剣が時々キリトの体を捉える衝撃すら、どこか遠い世界の出来事のように感じる。全身をアドレナリンが駆け巡り、剣撃を敵に見舞う 度たびに神経がスパークする。
速く、もっと速く。限界までアクセラレートされた俺の神経には、普段の倍速で二刀を振るうそのリズムすら足りない。システムのアシストをも上回ろうかという速度で攻撃を放ち続ける。
「ぁぁぁああああああ!!」
雄叫びと共に放った最後の16撃目が、グリームアイズの胸の中央を貫いた。
「ゴァァァアアアア!!」
気づくと、絶叫しているのははキリトだけではなかった。天を振り仰いだ巨大な悪魔が、口と鼻から盛大な噴気を漏らしつつ咆哮している。
その全身が硬直した__と思った瞬間。
グリームアイズは、膨大な青い欠片、ポリゴン片となって爆散した。部屋中にキラキラと輝く光の粒が降り注ぐ。
「終わった……のか……?」
キリトは戦闘の余熱による眩暈を感じながら、無意識のうちに両の剣を斬り払い、背に交差して吊った鞘に同時に収めた。ふと自分のHPバーを確認する。赤いラインが、数ドットの幅で残っていた。他人事のようにそれを眺めながら、キリトは全身の力が抜けるのを感じて、声もなく床に転がった。
意識が暗転した。
「……くん!キリト君ってば!!」
悲鳴にも似たアスナの叫びに、キリトの意識は無理矢理呼び戻された。眼をゆっくりと開けながら少しずつ見えてきたのは、ペタリとしゃがみ込み、今にも泣き出す寸前のように眉根を寄せ、唇を噛み締めているアスナの顔と、その隣でしゃがみ込んだままキリトの顔をジッと覗いている俺の顔があった。
頭を貫く痛みに頭をしかめながら上体を起こす。
「いててて……」
見渡すと、そこは先ほどのボス部屋だった。まだ空中を青い光が 残滓ざんしが舞っている。
「どのくらい、意識を失ってた?」
グリームアイズを倒した後のことは何も覚えていないため、目の前の2人に質問し、アスナが泣きながらも答えた。
「ほんの数秒よ。……バカッ……!無茶して……!」
叫ぶと同時にすごい勢いで首にしがみついてきたので、キリトは驚愕のあまり頭痛も忘れて眼を白黒させた。
「……あんまり締め付けられると、俺のHPがなくなるぞ」
どうにか冗談めかしてそう言うが、アスナは離れようとしない。自分の泣き顔を隠すようにキリトの肩に額を当てた。
直後、俺が立ち上がり、それに乗せられるようにキリトが顔を上げた。同時にクラインが遠慮がちに声を掛けてきた。
「生き残った軍の連中の回復は済ませたが、コーバッツと……あと2人死んだ」
「……そうか」
「ボス攻略で死人が出たのは、67層以来だな」
という俺の言葉に、周りの連中は皆弱音を吐く。
「こんなの攻略って言えるのかよ。コーバッツのバカ野郎が……。死んじまったら何にもなんねえだろうが……」
吐き出すようなクラインの台詞。頭を左右に振ると太いため息をつき、気分を切り替えるように訊いてきた。
「そりゃそうと、オメエ何だよさっきのは?」
「……言わなきゃダメか?」
「ったりめえだ!見たことねえぞあんなの!」
気づくと、部屋にいる全員が沈黙してキリトの言葉を待っている。しかし、戸惑ってなかなか話さないキリトに代わって俺が答えた。
「……あれはエクストラスキル。《二刀流》だ」
おお……というどよめきが、軍の生き残りやクラインの仲間の間に流れた。
通常、様々な武器スキルは系統だった修行によって段階的に習得することができる。例えば剣なら、基本の片手直剣スキルがある程度まで成長して条件を満たすと、新たな選択可能スキルとして《細剣》や《両手剣》などがリストに出現する。
当然の興味を頭に浮かべ、クラインが顔をキリトに向け、急き込むように言った。
「しゅ、出現条件は?」
「わかってるよ。もう公開してる」
首を横に振ったキリトに、刀使いも、まあそうだろうな、と唸る。
出現の条件がハッキリ判明していない武器スキル、ランダム条件ではとさえ言われている、それがエクストラスキルと呼ばれるものだ。身近なところでは、クラインの《刀》も含まれる。もっとも刀スキルはそれほどレアなものではなく、曲刀をしつこく修行していれば出現する場合も多い。
そのように、十数種類知られているエクストラスキルのほとんどは最低でも10人以上が習得に成功しているのだが、キリトの持つ《二刀流》と、ギルド《血盟騎士団》団長《ヒースクリフ》の持つ《神聖剣》だけはその限りではなかった。
この2つは、おそらく習得者がそれぞれ1人しかいない《ユニークスキル》とでも言うべきもの。今までキリトが何かを隠し通してきたというのに気づいていた俺は、敢えて何も言わなかった。自分自身の身に宿る力は、ある意味キリトの《二刀流》よりも強大なスキルだ。その自分とキリトの部分を無意識のうちに重ねたのかもしれない。
これでキリトの名が2人目のユニークスキル使いとして巷間に流れることになるだろう。これだけの人数の前で披露してしまっては、隠しようもない。
「ったく、水臭えなキリト。そんなスゲェ裏技黙ってるなんてよう」
「……半年くらい前、スキルウィンドウを覗いていたら……いつの間にか、《二刀流》の名がそこにあったんだ」
以来、キリトは二刀流スキルの修行は常に人の眼がない所で行ってきた。ほぼマスターしてからは、例えソロ攻略中、モンスター相手でも余程のピンチの時以外使用していない。
俺はなぜか、そんなキリトの気持ちが痛いほどよくわかる気がしていた。誰にだって触れられたくないことはある。《二刀流》はいざという時のための保身だったと思うが、それ以上に無用な注目を集めるのが嫌だったのだろう。
《カブト》としての自分が注目を集めているのも同じことだ。だが誰も俺がカブトだということは知らない。それが不幸中の幸いだと言うべきだろう。正体が明るみに出れば、キリト以上の注目が集まるのは眼に見えてる。そればかりか、立ち所に俺は__《化け物》呼ばわりだ。
だが俺は今それ以上に、あのキリトが《二刀流》を持っていたことに驚きを隠せなかった。
かつて《茅場晶彦》と共にSAOを開発した時、それぞれのユニークスキルの出現条件を聞き、記憶していた。最前線に挑むプレイヤーの誰かが所持しているのではないかとは思っていたが、よりにもよってキリトが二刀流スキルを持っていたのは意外だった。
当のキリトは指先で耳の辺りを掻きながら、ボソボソ言葉を続けた。
「……こんなスキル持ってるなんて知られたら、しつこく聞かれたり……色々あるだろう……」
クラインが深く頷いた。
「ネットゲーマーは嫉妬深いからな。俺は人間ができてるからともかく、妬み嫉みは、そりゃあるだろうな。それに……」
そこで口を噤むと、キリトにしっかりと抱きついたままのアスナを意味ありげに見やり、ニヤニヤ笑う。
「ま、苦労も修行のうちと思って頑張りたまえ、若者よ」
「勝手なことを……」
クラインは腰をかがめてキリトの肩をポンと叩くと、振り向いて《軍》の生存者達のほうへと歩いていった。
軍のプレイヤー達はヨロヨロと立ち上がると、座り込んだままのキリトとアスナに頭を下げ、部屋から出て行った。回廊に出たところで次々と結晶を使いテレポートしていく。
その青い光が収まると、クラインは、さて、という感じで両手に腰を当てた。
「俺達はこのまま75層の転移門をアクティベートして行くが、お前はどうする?今日の立役者だし、お前がやるか?」
「いや、任せるよ。俺はもうヘトヘトだ」
「そうか。ネザー、おめえはどうする?」
未だにキリトの側に立っていた俺は、「行く」という一言と共に頷いた。
「そうか。……じゃあ行こうぜ」
クラインは頷くと仲間に合図した。6人で、部屋の奥にある大扉のほうに歩いて行く。その向こうには上層へと繋がる階段がある。扉の前で立ち止まると、刀使いはヒョイと振り向いた。
「その……、キリトよ。オメエがよ、軍の連中を助けに飛び込んでいった時な………」
「……なんだよ?」
「俺ぁ……なんつうか、嬉しかったぜ。そんだけだ、またな」
まったく意味不明だった。クラインはグイッと右手の親指を突き出すと、扉を開けて仲間と共にその向こうへ消えていった。
「……お前は愚かだ。……だが……愚かゆえに、なかなかしぶとい男だ。今回の件で、お前に借りができた。いつか返す」
と、俺も口から一言だけ放ち、クラインの後に続いた。
だだっ広いボス部屋に、2人だけが残された。床から噴き上げていた青い炎はいつの間にか静まり、部屋全体に渦巻いていた妖気も嘘のように消え去っている。周囲には回廊と同じような柔らかな光が満ち、先ほどの死闘の痕跡すら残っていない。
まだキリトの肩に頭を乗せたままのアスナに声をかける。
「おい……アスナ……」
「………怖かった……キミが死んじゃったらどうしようかと……思って……」
その声は、今まで聞いたことがないほどかぼそく震えていた。
「……何言ってんだ、先に突っ込んだのはそっちだろう」
言いながら、キリトはそっとアスナの肩に手を掛けた。あまりあからさまに触れるとハラスメントフラグが立ってしまうが、今はそんなことを気にしている状況ではない。
ごく軽く引き寄せると、右耳のすぐ近くから、ほとんど音にならない声が響いた。
「わたし、しばらくギルド休む」
「や、休んで……どうするんだ?」
「……キミとパーティー組むって言ったの……もう忘れた?」
その言葉を聞いた途端。
胸の奥底に、強烈な渇望としか思えない感情が生まれたことに、キリト自身が驚愕した。
俺は__ソロプレイヤーのキリトは、この世界で生き残るために、他のプレイヤー全員を切り捨てた人間だ。ネザーに愚か者呼ばわりされても仕方ない卑怯者だ。
そんな俺に、仲間を__ましてやそれ以上の存在を求める資格などない。俺はすでに、そのことで取り返しのつかない形で思い知らされている。同じ過ちを二度と繰り返さない、もう誰の心も求めないと、俺は固く誓ったつもりだった。
なのに。
強張った左手は、どうしてもアスナの肩から離れようとしない。触れ合う部分から伝わる仮想の体温を、どうしても引き剥がすことができない。
巨大な矛盾と迷い、そして名付けられない1つの感情を抱えながら、キリトは短く答えた。
「……わかった」
コクリ、と肩の上でアスナが頷いた。
翌日。
キリトは朝からエギルの雑貨屋お2階にしけ込んでいた。揺り椅子にふんぞり返って足を組み、店の不良在庫なのだろう奇妙な風味のお茶を不機嫌に啜る。
既にアインクラッド中が昨日の事件で持ち切りだった。
フロア攻略、新しい街へのゲート開通だけでも充分な話題なのに、今回は色々オマケがあった。曰く《軍の大部隊を全滅させた悪魔》、曰く《それを単独撃破した二刀流使いの50連撃》。尾びれが付くにもほどがある。
どうやって調べたのか、キリトのねぐらには早朝から剣士やら情報屋が押しかけてきて、脱出するのにわざわざ転移結晶を使う破目になったのだから。
今だけは、あの謎の《赤いスピードスター》が羨ましく思える。彼のことがアインクラッド中に知れ渡った時も、今のキリトと同じ状況にあったのだろう。情報屋なんかも、もっと詳しい情報を入手しようとしていたくらいだった。だが比べるなら、キリトのほうが最悪だった。プレイヤーの中にはスピードスターをデマ呼ばわりする者と、その存在を信じる者の2つに別れていた。《二刀流》ほどの信憑性があまり感じられないため、何かのバグまたはコスプレをしたプレイヤーなどと言われている。その上、キリトの二刀流は《ユニークスキル》であるが故に信憑性が高かった。
「引っ越してやる……どっかすげえ田舎フロアの、絶対見つからないような村に……」
ブツブツ呟くキリトに、エギルがニヤニヤと笑顔を向けてくる。
「まあ、そう言うな。一度くらいは有名人になってみるのもいいさ。どうだ、いっそ講演会でもやって大儲けするのは。会場とチケットの手筈は俺が」
「するか!」
叫び、キリトは右手のカップをエギルの頭の右横50センチを狙って投げた。が、染み付いた動作によって投剣スキルが発動してしまい、輝きながら猛烈な勢いですっ飛んだカップは、部屋の壁に激突して大音響を撒き散らした。
幸い、建物本体は破壊不能なので、視界に【Immortal Object】のシステムタグが浮かんだだけだったが、家具に命中したら粉砕していたに違いない。
「おわっ、殺す気か!」
大げさに喚く店主に、ワリィ、と右手を上げてキリトは再び椅子に沈み込んだ。
エギルは今、キリトが昨日の戦闘で手に入れたアイテムを鑑定している。時々寄声を上げているところを見ると、それなりに貴重品も含まれているのだろう。
下取りしてもらった売上げはアスナと山分けすることにしていたが、そのアスナは約束の時間を過ぎてもさっぱり現れない。フレンドメッセージを送ったのでここに居ることはわかってるはず。
既に待ち合わせの時刻から2時間が経過している。ここまで遅れるからには何かあったのだろうか。やはり無理矢理にでもついて行くべきだったか。込み上げてくる不安を抑え込むように茶を飲み干す。
キリトの前の大きなポットが空になり、エギルの鑑定があらかた終了した頃、ようやく階段をトントンと駆け上がってくる音がした。勢いよく扉が開かれる。
「よ、アスナ……」
遅かったじゃないか、という言葉をキリトは呑み込んだ。いつものユニフォーム姿のアスナは顔を蒼白にし、ハァハァと息切れをしながら大きな眼を不安そうに見開いてる。両手を胸の前で固く握り、2、3度唇を噛み締めた後。
「どうしよう……キリト君……」
と泣き出しそうな声で言った
「大変なことに……なっちゃったよ……」
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