Sword Art Rider-Awakening Clock Up
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
白黒の交流
《セルムブルグ》は、第61層にある美しい城塞都市。
規模はそれほど大きくもないが、華奢な尖塔を備える古城を中心とした市街は全て白亜の花崗岩で精緻に造り込まれ、ふんだんに配された緑と見事なコントラストを醸し出している。市場には店もそれなりに豊富で、ここをホームタウンにと願うプレイヤーは多いが、部屋がとんでもなく高価であり、余程のハイレベルに達さない限り入手するのは不可能に近い。
キリトとアスナがセルムブルグの転移門に到着した時はすっかり陽も暮れかかり、最後の残照が街並みを深い紫色に染め上げていた。
61層は面積のほとんどが湖で占められており、セルムブルグはその中心に浮かぶ小島に存在するので、外周部から差し込む夕陽が水面を煌かせる様を一幅の絵画のごとく鑑賞することができる。広大な湖水を背景にして濃紺と朱色に輝く街並みの、あまりの美しさにキリトはしばし心を奪われた。
転移門は古城前の広場に設置されており、そこから街路樹に挟まれたメインストリートが市街地を貫いて南に伸びている。両脇には品のいい店舗やら住宅が立ち並び、行き交うNPCやプレイヤーの格好もどこか垢抜けて見える。空気の味まで《アルゲート》と違うような気がして、キリトは思わず両手を伸ばしながら深呼吸した。
「うーん、広いし人は少ないし、開放感あるなぁ」
「ならキミも引っ越せば」
「金が圧倒的に足りません」
方を竦めて答えてから、キリトは表情を改めた。遠慮気味に訊ねた。
「……そりゃそうと、本当に大丈夫なのか?さっきの護衛……」
「………」
それだけで何のことか察し、アスナはクルリと後ろを向くと、俯いてブーツの踵で地面をとんとん鳴らした。
「……わたし1人の時に何度か嫌な出来事があったのは確かだけど、護衛なんて行き過ぎだわ。いらないって言ったんだけど……ギルドの方針だから、って参謀職達に押し切られちゃって……」
やや沈んだ声で続ける。
「《血盟騎士団》は元々、団長が1人ずつ声を掛けて作った小規模ギルドだったんだけど……人数がどんどん増えて、最強ギルドなんて言われ始めた頃から、なんだかおかしくなっちゃった」
言葉を切って、アスナは体半分振り向いた。その瞳に、どこか縋るような色を見た気がして、キリトは思わず息を呑んだ。
何か言わなければいけない、そんなことを思ったが、利己的なソロプレイヤーであるキリトに何が言えるというのか。2人は沈黙したまま数秒間見つめ合った。
先に視線を逸らしたのはアスナだった。濃紺に沈みつつある湖面を見やり、場の空気を切り替えるように歯切れのいい声を出す。
「まあ、大したことじゃないから気にしなくてよし!速く行かないと日が暮れちゃうわ」
先に立ったアスナに続いて、キリトも街路を歩き始めた。少なからぬ数のプレイヤーとすれ違うが、アスナの顔をジロジロと見る様な者はいない。
《セルムブルグ》は、ここが最前線だった半年前に少し滞在したことがあるくらいで、思えばゆっくりと見物した記憶もなかった。改めて美しい彫刻に彩られた市街を眺めるうちに、ネザーをこの街に住ませてみたいという気が湧いてくる。だがあのネザーが素直に《Yes》と答えるはずがないと思い直す。S級食材の《ラグー・ラビットの肉》まで手放したほどの男だ。誰よりも辛抱強いと見ていいだろう。
アスナの住む部屋は、目抜き通りから東に折れてすぐのところにある小型の、美しい造りのメゾネットの3階だった。もちろん訪れるのは初めてだ。よくよく考えると、今までこのアスナという女とはボス攻略会議の席上で話すくらいが精々で、一緒にNPCレストランに入ったことすらない。それを意識すると、キリトは今更ながら腰の引ける思いで建物の入り口で躊躇してしまう。
「しかし……いいのか?その……」
「何よ、キミが持ち掛けた話じゃない。他に料理できる場所がないんだから仕方ないでしょ」
プイッと顔を背け、アスナはそのまま階段をトントン登って行ってしまう。キリトは覚悟を決めてその後に続いた。
「お……お邪魔します」
恐る恐るドアを潜ったキリトは、言葉を失って立ち尽くした。
未だかつて、これほど整えられたプレイヤーホームは見たことがない。広いリビング兼ダイニングと、隣接したキッチンに明かるい色の木製家具が設えられ、統一感のあるモスグリーンのクロス類で飾られている。全て高級感のプレイヤーメイド品だろう。
そのくせ過度に装飾的ではなく、実に居心地の良さそうな雰囲気を漂わせる。キリトの寝ぐらとは、一言で言って雲泥の差だ。招待しなくてよかった、としみじみ思う。
「なあ……これいくらかかってる?」
「んー、部屋と内装を合わせると400万コルかな。着替えてくるからその辺に座ってて」
サラリと答えるとアスナはリビングの奥にあるドアに消えて行った。
400万コル。キリトも日々最前線に籠もっているからにはそれくらいの金額を稼いでいるはずだが、気に入った剣や怪しい装備品に次々と無駄使いしてしまい、貯まる暇がない。柄にもなく自省しつつ、フカフカのソファにドサッと沈み込む。
やがて、簡素な白い短衣と膝上丈のスカートに着替えたアスナが奥の部屋から現れた。着替えと言っても実際に脱いだり着たりする動作があるわけではなく、ステータスウィンドウの装備フィギュアを操作するだけなのだが、着衣変更の数秒間は下着姿の表示になるため、女性は人前で着替え操作をすることはない。
仮想世界の肉体は3Dオブジェクトのデータにすぎないと言っても、2年も過ごしてしまうとそんな意識すら薄れかけ、今もアスナの惜しげも無く剥き出しにされた手足に自然と眼が行ってしまう。
そんなキリトの内的な葛藤を知るよしもないアスナは、ジロッと視線を投げて言った。
「キミもいつまでそんな格好してるのよ」
キリトは慌ててメニュー画面を呼び出すと、革の戦闘用コートと剣帯などの武装を解除した。ついでにアイテムウィンドウに移動し、《ラグー・ラビットの肉》をオブジェクトとして実体化させ、陶製のポットに入ったそれを目の前のテーブルに置く。
アスナは神妙な気持ちでそれを手に取り、中を覗き込んだ。
「これが伝説のS級食材かー。……で、どんな料理にする?」
「シェフのお任せコースで頼む」
「そうね……じゃあシチューにしましょう。ラグー__煮込むって言うくらいだからね」
そのまま隣の部屋に向かうアスナの後にキリトもついて行く。
キッチンは広々としていて、巨大な薪オーブンが設えられた傍には、一見してこれも高級そうな料理道具アイテムが数々並んでいた。アスナはオーブンの表面をダブルクリックの要領で素早く二度叩いてポップアップメニューを出し、調理時間を設定した後、棚から金属製の鍋を取り出した。ポットの中の生肉を移し、色々な香草と水を満たすと蓋をする。
「ほんとはもっと色々な手順があるんだけど。SAOの料理は簡略化されすぎててつまらないわ」
文句を言いながら、鍋をオーブンの中に入れて、メニューから調理開始ボタンを押す。30秒と表示された待ち時間にも彼女はてきぱきと動き回り、無数にストックしてあるらしい食材アイテムを次々とオブジェクト化しては、淀みない作業で付け合わせを作っていく。実際の作業とメニュー操作を1回のミスも無くこなしていくその動きに、キリトはついつい見とれてしまう。
わずか5分で豪華な食卓が整えられ、キリトとアスナは向かい合わせで席についた。眼前の大皿には蒸気を上げるブラウンシチューがたっぷりと盛り付けられ、鼻腔を刺激する芳香を伴った蒸気が立ち上がっている。照りのある濃密なソースに覆われた大振りな肉がゴロゴロと転がり、クリームの白い筋が描くマーブル模様が実に魅惑的だ。
2人はいただきますを言うのももどかしくスプーンを取ると、SAO内で存在し得る最上級の食い物であるはずのそれをあんぐりと頬張った。口中に充満する熱と香りをたっぷり味わってから、柔らかい肉に歯を立てると、溢れるように肉汁が迸る。
SAOに於ける食事は、オブジェクトを歯が噛み砕く感触をいちいち演算でシュミレートしているわけではなく、アーガスと提携していた環境プログラム設計会社の開発した《味覚再生エンジン》を使用している。
これはあらかじめプリセットされた、様々な《物を食う》感覚を脳に送り込むことで使用者に現実の食事と同じ体験をさせることができるというものだ。
キリトとアスナは一言も発することなく、ただ大皿にスプーンを突っ込んでは口に運ぶという作業を黙々と繰り返した。
やがて、文字通りきれいにシチューが存在した痕跡もなく、食い尽された皿と鍋を前に、アスナは深く長いため息をついた。
「ああ……今までがんばって生き残っててよかった……」
まったく同感だった。キリトも久々に原始的欲求を心ゆくまで満たした充実感に浸りながら、不思議な香りのするお茶を啜った。
キリトの向かいでお茶のカップを両手で抱え込むアスナがポツリと言った
「不思議ね……。なんだか、この世界で生まれて今までずっと暮らしてきたみたいな、そんな気がする」
「……俺も最近、あっちの世界のことをまるで思い出せない日がある。俺だけじゃない………この頃は、クリアだ脱出だって血眼になる奴が少なくなった」
「攻略のペース自体が落ちてるわね。今最前線で戦ってるプレイヤーなんて、500人いないでしょうね。危険度のせいじゃない……みんな、馴染んできてる。この世界に……」
アスナの言う通り、ここ最近攻略に励む人が少なくなってきた。
キリト達が食事を終えた同じ頃、第50層《アルゲート》の転移門付近にポツンと置いてあるベンチに腰を掛け、硬そうなパンを食しているネザーも、夜空を見上げながら同じようなことを考えていた。
「……現実に帰りたいと思ってるのか……俺は……?」
ネザーはふと浮かんできたそんな思考に戸惑った。毎日朝早く起き出して危険な迷宮区に潜り、未踏破区域をマッピングしつつ経験値を稼いでいるのは、本当にこのゲームから脱出したいからなのかと、時々自分の考えに疑問を抱くことがある。
デスゲーム初期はそのはずだった。いつ死ぬかもわからず、《バトルディザイアー》の如く生き残りを賭けたデスゲームから速く抜け出したかった。だがネザーは死を恐れてるわけではなく、むしろ望んでいるほうだ。現実に帰還しても、自身を待っているのは戦いだけ。
その上この世界での生き方に慣れてしまった今は__曖昧に感じている。
でも__
「でも、わたしは帰りたい」
歯切れのいいアスナの言葉が響いた。
アスナは、珍しくキリトに微笑みを見せると、続けて言った。
「だって、あっちでやり残したこと、いっぱいあるから」
その言葉に、キリトは素直に頷いた。
「そうだな。俺逹が頑張らなきゃ、サポートしてくれる職人クラスの連中に申し訳が立たないもんな」
消えない迷いを一緒に飲み下すように、キリトはお茶のカップを大きく傾けた。まだまだ最上階は遠い。その時が来てから考えればいいことだ。
珍しく素直な気分で、俺はどう感謝の念を伝えようかと言葉を探しながらアスナを見つめた。すると、アスナは顔を顰めながら目の前で手を振って、
「あ……あ、やめて」
と言った。
「な、なんだよ?」
「今までそういう顔したプレイヤーに、何度か結婚を申し込まれたわ」
「なっ……」
戦闘スキルには熟達してもこういう場面に経験の浅いキリトは、言葉を返すこともできず口をパクパクさせた。さぞ間抜けな顔をしているだろう。
そんなキリトを見て、アスナはにまっと笑った。
「その様子じゃ、他に中のいい子とかいないでしょ」
「……い、いいんだよソロなんだから」
「せっかくMMORPGやってるんだから、もっと友達作ればいいのに」
その言葉を聞いた直後、キリトは慌てて言葉を返した。
「い、言っとくがな、俺は友達が1人もいないわけじゃない」
「いるの?」
「た、例えば……エギルや、ネザーとか……」
「ふーん」
細くなったアスナの眼が、疑惑へと変貌した。
「な、なんだよその眼は?」
「エギルさんはともかく、ネザー君が友達っていうのはどうかと思うけど?」
「うっ……」
さすがに反発できなかった。キリトも心のどこかで、自分とネザーが本当に友達なのかということに疑問を感じていた。
当初はネザーが自ら《ビーター》という汚名を背負うことを申し訳なく感じていた。自分も元ベータテスターだったのだから、自分がビーターを名乗ってもよかったはずなのだ。
いくら話しかけても、返事は冷たい台詞ばかり。どこか気高いものが感じられるが、顔の傷痕や汚名により悪人という視点で見られ、好んで近づこうとする人はほとんどいない。
キリトは脳裏を駆け巡って1つの言葉を抜き出した。
「確かに、ネザーは冷たい奴だけど……俺、なんとなくあいつの気持ちがわかる気がするんだ」
「え?」
この言葉にはアスナも眼を丸くした。
「俺、ギルドとかに入らないだろ。ベータ出身者が集団に馴染まないって話は聞いてるけど、俺は単にベータ出身者って理由だけでソロを続けてるわけじゃないし……」
更に続く言葉は、どこか悲しげな感じに言う。
「ネザーも同じだと思う。ベータ出身者とか、ビーターとか、そういう理由じゃなくて……大きな何かを背負って生きているんだと思うんだ。うまく言えないけど、誰も本当の彼を見ようとしないから、そのことに気づけてないんだよ」
カップの中に入った紅茶に眼を向けながら、実感がこもったように言う。かつて《月夜の黒猫団》という小ギルドに所属してた頃の自分とネザーを重ねてるのかもしれない。
アスナがどことなく姉か先生のような口調で問いかけてきた。
「……でも、いくらネザー君が誰より強くても、ずっとソロでやり通していけると思う?」
アスナの表情は更に真剣味を帯びる。
「70層あたりから、モンスターのアルゴリズムにイレギュラー性が増してきてるような気がするの」
それはキリトも感じていたCPUの戦術が読み難くなってきたのは、当初からの設計なのか、それともシステム自体の学習の結果なのか。後者だったら、今後どんどん厄介なことになりそうだ。
「ソロだと、想定外の事態に対処できないことがあるわ。当然、キリト君でも長くは持たないと思うよ」
「アスナの言うことももっともだけど、一番の原因は《例のモンスター》だと思うぞ」
「例のモンスターって……?」
アスナは顔を傾けながら言った。
「ほら、前に話しただろ。最前線や中層に時々現れるという謎のモンスターの噂……」
「ああ、あれね」
2人は知らないが、キリトの言うモンスターとはこの世界で唯一ネザーだけが知っている《ヴァーミン》のことだ。
このゲームが開始されてから、何人かのプレイヤーが虫の姿をした人型モンスターを見たと聞いたことがある。実際、プレイヤーがヴァーミンに殺されたという事件も起き、さらにヴァーミンを撃退するという謎の《赤いスピードスター》の目撃情報も寄せられている。この噂は最前線で戦う攻略組、中層よりもっと下の層で暮らすプレイヤーにまで流れるようになり、いつしか情報屋のリストにも載せられるようになった。真相を確かめるため《血盟騎士団》が調査を行ったことがあるが、結局なんの手掛かりも発見できず、調査は煮詰まっていた。
この重い沈黙を破るように、アスナが問う。
「そういえばキリト君、赤いスピードスターを見たって言ってなかった?」
「ああ、言ったよ。何年も前からSNSやブログで見てきたからな」
《ソードアート・オンライン》が発売される何年も前に、ネットである噂が話題になっていた。
火災や銀行強盗の現場にいた人々がなぜか一瞬の内に救い出されるという不思議な現象。その人達全員が、気づいたら外にいた、と証言した。さらに現場で赤い影を見たと言う人も何人か確認されている。
最初はでまかせだと思われていた噂だが、次第に目撃情報も増え、それを立証する映像もネットに流れている。今では何人ものユーザーがSNSで噂するようになり、ブログ記事まで書かれるようになった。
「わたしも聞いたことあるけど、キリト君が見たのが本当に噂の赤いスピードスターなら……ちょっと会ってみたいかも」
「同じ閃光の異名を持つから?」
アスナの心臓が一瞬、ドキッと高鳴った。
「ち、違うわよ!ただ単純に会ってみたいだけ」
半分は疑わしかった。
「まあ、その謎のモンスターを撃退しているのが、その赤いスピードスターのようだし、当面の安全は保障できると思うがな。それに、安全マージンは充分取ってるよ。忠告はありがたく頂いておくけど……さっきも言ったように、ギルドはちょっとな。それに……」
ここでよせばいいのに強がって、キリトは余計なことを言った。
「俺の場合、パーティーメンバーってのは、助けよりも邪魔になることのほうが多い」
「あら」
チカッ、と目の前を銀色の閃光がよぎった。
と思った時には、アスナの右手に握られたナイフがピタリとキリトの鼻先に据えられていた。
細剣術の基本技《リニアー》だ。基本とは言え、圧倒的な敏捷度パラメータ補正のせいで凄まじいスピードである。正直なところ、技の軌道はまったく見えなかった。
引きつった笑いと共に、キリトは両手を軽く上げて降参のポーズを取った。
「……わかったよ。アスナは例外だ」
「そ」
面白くもなさそうな顔でナイフを戻し、それを指の上でクルクル回しながら、アスナはとんでもないことを口にした。
「なら、しばらくわたしとコンビ組みなさい。キミがどれほど強い人なのか確かめたいと思ってたとこだし。わたしの実力もちゃんと教えて差し上げたいし。それに、今週のラッキーカラー黒だし」
「な、なんだそりゃ!」
あまりの理不尽な言い様に思わず仰け反りつつ、必死に反対材料を探す。
「んなこと言ったってお前、ギルドはどうするんだよ?」
「うちはレベル上げノルマとかないし」
「じゃ、じゃああの護衛は?」
「置いてくるし」
時間稼ぎのつもりでカップを口に持っていってから、空であることに気づく。アスナがすまし顔でそれを奪い取り、ポットから熱い液体を注ぐ。
正直、魅力的な誘いではある。アインクラッドで一番、と言ってもよい美人とコンビを組みたくない男なんているとは思えない。約1名__ネザーを除いて。
根暗なソロプレイヤーとして憐れまれているのだろうか。後ろ向きな思考にとられながら、うっかり口にしてしまった台詞が命取りだった。
「最前線は危ないぞ」
再びアスナの右手のナイフが持ち上がり、さっきより強いライトエフェクトを帯び始めるのを見て、俺は慌ててこくこく頷いた。最前線攻略プレイヤー集団、通称《攻略組》の中でも目立つわけでない俺がなぜ、と思いつつも、意を決して言う。
「わ、わかった」
手を降ろし、アスナはフフンと強気な笑みで答えた。
翌日になって迷宮区へと向かう俺は、空を眺めながら物思いに耽っていた。
「今のこの状態、この世界が、本当に茅場の作りたかった世界なのか……」
自分自信に向けた俺自身の問いには、誰も答えることはない。
どこかに身を潜めてこの世界を見ているはずの茅場は、今何を感じているんだ?
当初の血みどろの混乱期を抜け出し、一定の平和と秩序を保つこの現状は、茅場にとって失望と満足のどちらを与えているのか。弟子である俺でさえ、彼の思考全てを理解できたわけではない。
2年近くも経過し、救出はおろか外部からの連絡すらもたらされていない。今のプレイヤー達にできるのは、ただひたすら1日という時間を生き延び続け、前に進んでいくしかない。アインクラッドの結末に待つものは……死か、それ以上の過酷な運命か?
迷宮区へと続く森の小路は、昨夕の不気味さが嘘のようにぼのぼのとした空気に包まれていた。梢の隙間から差し込む朝の光が金色の柱をいくつも作り出し、その隙間を綺麗な蝶がヒラヒラと舞う。残念ながら実体のないビジュアル・エフェクトなので、追いかけても捕まえることはできない。
柔らかく茂った下草を、さくさくと小気味良い音を立てて踏みしめながら、迷宮区へと向かう。
俺は周囲の索敵スキャンを行った。モンスターの反応はない。だが__。
サッと足を止めた。索敵可能範囲ギリギリにプレイヤーの反応があったのだ。後方に視線を集中すると、プレイヤーの存在を示す緑色のカーソルがいくつも連続的に点滅する。
犯罪者プレイヤーの集団である可能性はない。連中である可能性はない。連中は確実に自分達よりレベルの低い獲物を狙うので、最強クラスのプレイヤーが集まる最前線に姿を表すことはごく稀であるし、何より一度でも犯罪行為を犯したプレイヤーは、かなりの長期間カーソルの色が緑からオレンジに変化するからだ。俺が気になったのは集団の人数と並び方だった。
メインメニューからマップを呼び出し、可視モードにした。周囲の森を示しているマップには、俺の索敵スキルとの連動によってプレイヤーを示す緑の光点が浮かび上がった。その数、12。
パーティーは人数が増えすぎると連携が難しくなるので、5、6人で組むのが普通だ。しかし、並び方をよく見てみると、整然とした2列縦隊で進行していた。危険なダンジョンでならともかく、たいしたモンスターのいないフィールドでここまできっちりした隊形を組みのが珍しい。
仮に、集団を構成する者達のレベルさえわかればその正体もある程度推測できるのだが、見ず知らずのプレイヤー同士ではレベルはおろか名前すらもカーソルに表示されない。安易なプレイヤー殺人を防ぐためのデフォルト仕様だが、こういう場合は直接目視して、その装備からレベルを推測することが必要となる。
俺はマップを消し、集団プレイヤーを確認しようと道を外れて土手を這い登り、背丈ほどの高さに密集した灌木の茂みを見つけてその陰にうずくまった。道を見下ろすことのできる絶好の位置だ。
やがて俺の耳に、ザッザッという規則正しい足音がかすかに届き始めた。曲がりくねった小道の先からその集団が姿を現した。
全員が剣士クラスだ。お揃いの黒鉄色の金属鎧に濃緑の戦闘服。全て実用的なデザインだが、先に立つ6人の持った大型のシールドの表面には、特徴的な城の印章が施されている。
前衛6人の武装は片手剣。後衛6人は巨大な斧槍。全員ヘルメットのバイザーを深く降ろしているため、その表情を見て取ることはできない。一糸乱れぬ行進を見ていると、まるで12人のまつたく同じNPCがシステムによって動かされているように思えてくる。
もはや見間違いようがない。彼らは、基部フロアを本拠地とする超巨大ギルド、《軍》のメンバーだ。
彼らは決して一般プレイヤーに対して敵対的な存在ではない。それどころか、フィールドにおける犯罪行為の防止を最も熱心に推進している集団であると言ってよい。ただ、その方法はいささか過激で、犯罪者フラグを持つプレイヤーを発見次第、問答無用で攻撃し、投降した者を武装解除して、本拠である黒鉄宮の牢獄エリアに監禁しているという話だ。投降せず、離脱にも失敗した者の処遇に対する恐ろしい噂も、まことしやかに語られている。
また、常に大人数のパーティーで行動し狩場を長時間独占してしまうこともあって、一般プレイヤーの間では《軍》には極力近ずくな、という共通認識が生まれていた。もっとも、連中は主に50層以下の低層フロアの治安維持と勢力拡大を図っているため、最前線で見かけることはまれだったのだが__。
俺が息を潜めて見守る中、12人の重武装戦士は、鎧の触れ合う金属音と重そうなブーツの足音を響かせながら整然とした行進で眼下の道を通過し、深い森の木々の中に消えていった。
現在SAOの囚人となっている数千人のプレイヤーは、発売日にソフトを入手できたことだけを見ても筋肉入りのゲームマニアだと思っていい。そしてゲームマニアというのは間違いなく《規律》という言葉からは最も縁遠い人種だ。2年が通過するとは言え、あそこまで統制の取れた動きをするというのは尋常ではない。おそらく《軍》の中でも最精鋭の部隊なのだろう。
マップで連中が索敵範囲外に去ったことを確認すると、俺はある《噂》を思い出した。
《軍》が方針を変更して上層エリアに出てくるようになった。《軍》をもともとは攻略組のようにクリアを目指す集団だったが、25層攻略の時に大きな被害が出てから、クリアよりも組織強化を目指すようになり、前線に姿を現すことはなかった。しかし、最近では《軍》の内部で不満が出たらしく、大人数で迷宮に入って混乱するより、少数精鋭部隊を送りその意思でクリアの意思を示す、という方針になった。
迷宮区に来た目的はレベルを上げるためだろうが、本当の目的は、各層に存在するボスモンスターの討伐だろう。一度しか出現せず、恐ろしいほどの強さを誇るが、倒した時の話題性は抜群だ。さぞかしいい宣伝になることだろう。
すると。
いつの間にか《軍》の連中の姿は見えなくなり、すでに内部に行った後だった。俺は灌木の茂みから出て、ようやく近づいてきた迷宮区の入り口を目指した。
ページ上へ戻る