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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第153話 電気羊の夢?

 
前書き
 第153話を更新します。

 次回更新は、
 11月2日。『蒼き夢の果てに』第154話。
 タイトルは、『唯ひとりの人』です。

 

 
 微かに水の流れる音がする。
 岩と白砂。そして、緑により作り出された水墨画の如き周囲の風景。多くの日本人に愛されているであろうと言う、枯れた……侘び寂びと言う言葉で表現されたこの場所。
 白い湯気の立ち込める日本式温泉旅館の典型的な露天風呂。

「くちづけの時、鼻がどう言う形になっているのか興味がある」

 遠くを見るような……。過ぎ去って終った何かを見つめるような瞳。普段と同じ抑揚の少ない口調。ただ、何時も以上に感情の籠められたその囁きは、しかし、最後まで口にされる事はなかった。
 但し、これは――

 記憶のかなり深い部分に小さな引っ掛かり。この台詞に似た台詞を確か何処かで――

「それは、少し首を……と言うか、ここから先に台風や地震に結びつけるのは無しやぞ」

 どう考えてもくちづけをねだって来た彼女に対して、まったく意味不明の言葉で答えを返す俺。それに、この時の次の台詞は確か「首を横に傾けてごらん」だったと思う。
 そうそれは何時、読んだのかはっきりと覚えている訳ではない――かなり曖昧な記憶の向こう側に存在する小説の一場面。確かにこの場面に関しては印象に強く残っている以上、人生の何処かの段階で読んだのは間違いない……のでしょうが。
 そして、少し呆れた顔で彼女を見つめ返した。

「ヘミングウェイ。『誰がために鐘は鳴る』のくちづけを交わす際の台詞やな」

 今回は偶々(たまたま)俺が知っていたから良かったけど、もし知らなかったらどうする心算やったんや?
 どうも時折、彼女の発する謎々のような問い掛けも、回数を重ねる毎に次第に難度が上がって来ているようで……。流石に今回は答えが分かったけど、次の問いに真面な答えが返せるかどうかは……。
 もっとも、先ほどの俺の瞳に映った云々と言う台詞も、完全に俺のオリジナルの台詞と言う訳などではなく、古い映画の登場人物の台詞の変形。それを返す刀で切り返されたのですから――

 そう考えると、そもそも自分が悪い……と言う事になるのか。ただ、いくら広くて薄い学問。少しばかり記憶力が良くても、所詮は一般人と比べるとマシかな、と言うレベルのオツムの出来。流石に機械の如き精確さで物事を記憶出来る彼女と比べられる訳もない。そもそも彼女の任務は監視と観察。この任務を確実に熟す為には、物事を忘却する能力があるとかなり問題があると思う。それでは任務に支障を来たす可能性の方が高いはずだから。
 情報統合思念体がどれだけ本気で、自らの進化の道を探っていたのか分かりませんが、それでも彼女ら人型端末たちが得た、経験した情報は普通に考えるとすべて欲していたはず。確か、有機生命体が文明を持つに至った例は、情報統合思念体が集めた情報の中では皆無だったはずなので。
 故に、彼女らの集めて来る情報は、そのひとつひとつが思念体に取ってはとても重要で、その情報収集用の彼女らに物事を忘却するシステムを組み込む訳はないでしょう。

 折角、収集した情報を簡単に忘れさせる訳はありませんから。

「問題ない」

 そう考えた俺の思考を真っ向から否定するかのような有希。
 その表情は今、どう考えてもくちづけをねだって来た少女のソレではない。

 う~む、矢張り、現実にここに居る俺と、有希の心の中に住む俺とでは、人間としてのスペックが違い過ぎるような気がするのですが……。
 気分的には、君の瞳に映った僕に完敗、と言うアホなボケしか出て来ない状態。

「あなたが読んだ本の内容やタイトルは大体、知っている」

 そして、このお互いが持っている情報の齟齬(そご)をどうやって埋めるべきか。お互いの生命を預け合う間柄で有る以上、相手の事を信頼するのは問題ないが、過大に評価し過ぎるのは、それはそれでかなり問題がある。
 そう考え掛けた俺に対して、少し意味の分からない言葉を続ける有希。

 ……と言うか、そもそも、俺の読んだ本を知っている?

 確かに、ふたりで共に過ごす時間はあまりテレビを見ない。そもそも、俺は集中するのに雑音を嫌う。まぁ、修行不足だと言われたら、確かにそうなのだが――
 ただ故に、有希と共に暮らすようになってからも和漢により綴られた紙製の書籍は常に手の中に存在していた。ふたりだけの部屋にただページを捲る音だけが聞こえる。静かで、平和な夜が続いていた。
 しかし、その読んで居た本の中には今回、有希が問い掛けて来た小説はない。
 更に、この世界に武神忍と名乗る俺が初めから存在していない以上、俺の実家の本棚の内容を彼女が知るのは不可能。俺がこの世界で生きて居た時代。水晶宮の長史として生きて居た時に読んで居た本は……おそらく未だ残されているでしょうが、その部屋に彼女が足を踏み入れたとも思えない。

 かなり訝しげに自らの正面に……。俺と同じ目線の高さに存在する有希の瞳を見つめた。
 その視線を受け、小さく首肯く有希。そして、一瞬、何故か躊躇うような感情を発した彼女が身体を動かそうとして……。
 しかし、矢張り思い止まり、俺の太ももの上に横座りとなった体勢は維持する。

 そして、

「本来、わたしには夢を見る機能は存在していなかった」

 これまでの話の流れに直接関係があるのか、かなりの疑問を禁じ得ない内容のぶっちゃけ話を口にする有希。その中にあるのはある程度の決意と、そして、負の感情。矢張り、今宵の彼女は告解を行う罪人の雰囲気がある。

 しかし……成るほどね。つまり彼女は電気羊の夢はみない……と言う事ですか。
 古いSF小説のタイトルに掛けて、そうぼんやりと考える俺。ただ……有希が言うように、本来の彼女に夢を見る機能は必要なかった可能性はある。
 そう、確か以前に彼女はこう言っていた。

「そう言えば、本来、有希には人間のような睡眠は必要としていない。そう言っていたな」

 そもそも眠る必要がないのなら、夜に寝ている間に夢を見る必要など存在しない。それに、人が夢を見る理由と言うのは実は良く分かっていないのだが、おそらく記憶が何らかの形で関わっている事は間違いないと思う。
 眠っている間に行う記憶の整理作業。こう言う側面が夢を見る、と言う行為には確かあったはず。
 そして、有希……人型端末たちは人間とは違う形で記憶を行う、と言う風に朝倉さんが言っていた。確かに、歴史の改変が繰り返される、ループするような世界の観察を行う以上、人間と同じ記憶の方法では時間が巻き戻った瞬間に、以前の時間軸での記憶や経験を失って仕舞うので、彼女らの任務の遂行に齟齬が発生する可能性もある。
 流石に、歴史が変わって仕舞ったので、以前の記憶や経験はすべてパーになって終いました。てへぺろ。……では、自称進化の極みに達した情報生命体作製の人工生命体としては無様過ぎるでしょう。

 ただ、それだと、先ほど有希自身が口にした言葉との間に矛盾が発生する。
 それは……。

「せやけど、さっき有希は確か俺の傍らで眠る時には――」

 ――懐かしい夢に包まれる事が出来る。そう言ったよな。……と聞こうとした俺。しかし、直ぐに彼女の言葉に矛盾がない可能性がある事に気付く。
 それは。そのキーワードは『俺の傍らで眠る時』と『懐かしい夢』。
 先ず、懐かしい夢に関して。俺に出会う以前の彼女の人生に懐かしい思い出……と言える物があるのか、と考えると。

 製造されたのが一九九九年七月七日の夜。それから三年の間、ずっと待機状態で過ごし、今年の四月から涼宮ハルヒの監視と、名づけざられし者からの関心を買う為の任務を開始。この待機任務の間で懐かしいと表現出来る思い出はないでしょう。ただひたすら、時間が経過するのを待つだけの退屈な時間だったと推測出来る。
 その後、朝倉涼子暴走事件などを経て、当の名づけざられし者に因って、九九年の七月七日の夜に記憶だけが作成直後の有希へとインストールされる。
 尚、どうやら、そのインストールに関しては、この十二月に起きるはずであった事件の際にもある程度の記憶がインストールされるらしく、その中には、その三年間の待機モードを繰り返させられるよりも辛いループを繰り返す歴史改竄事件が存在するらしい。
 俺なら、この流れの中で魂が発生したとしても、直ぐに摩耗して消滅して仕舞う。それぐらい苛酷な人生だったはず。
 俺と出逢った時の彼女の瞳が浮かべていた絶望の色は、決して、エネルギー補給の方法が断たれ、自分に残された時間が僅かしかない事に対する物だけではなかったと思うから。もし、俺が彼女の立場ならば……の話なのだが。

 無暗矢鱈と長い人生。しかし、その大半がループする時間。同じ時間を繰り返し、繰り返し経験させられ続け、更に、その時間=経験も、彼女自身が楽しいと感じて居たとは思えない内容。
 もし、少しでも楽しいと感じていたのなら、思念体に対しての反乱に等しい行動など起こすはずはないと思う。
 もっとも、最初は楽しいと感じて居たとしても、それが十回、二十回と続けば、それは単なる苦行とイコールで繋ぐ事が出来るようになるとも思うのだが。

 そしてもうひとつのキーワード。『俺の傍らで眠る時』の方。
 俺と有希の間には霊道と言う、目には見えないけどしっかりと繋がっている道が存在している。基本的にコレは、彼女が生きて行く上で生成し切れない霊気を俺の方から補給する為に使用される物だけに、彼女が現世で実体化している間は常に活性化させている必要がある。
 当然、この霊道を通じて【念話】に因るやり取りも行われる事になる。

 ……そして当然のように、俺は普通の人間と同じように夢を見る。いや、俺が最近見ている夢は単なる夢などではない。
 それは――

「最初は不思議に感じた」

 以前に訪れたあなたが見て居た夢の中にも、確かに過去の記憶に類する物は含まれていた。

「でも、今回のあなたが見る夢はあまりにもリアルで――」

 俺の予想を肯定するかのような彼女の言葉。つまり、有希が見て居た夢と言うのは、俺にインストールされ続けていた過去の記憶。
 常に彼女とは繋がった状態である以上、これはある面では仕方がない事だと思う。確かに、目が覚めている間ならある程度の情報の秘匿は可能なのですが、眠っている間は眠る前に特別な術でも行使していない限り、俺の考えている事、強く感じて居る事が彼女に伝わって仕舞うのは仕方がない。
 もっとも、俺にインストールされ続けていた記憶と言うのは、大半が戦いに必要な記憶。特殊な術や高度な術を習得、行使した際や、その物ズバリの戦いの最中の記憶。何らかの勉強をした思い出や、読んで居た書物の内容などが主だったと思う。

 まして、そもそも、俺に過去の俺の記憶をインストールし続けていたのは、未来の長門有希か彼女の師匠が作り出した記憶媒体。もしかすると、そのアンドバリの指輪から今の長門有希に対しても何らかの記憶のインストール作業が行われていたとしても不思議ではない。
 俺は湖の乙女(=ハルケギニアの長門有希)から言われたように、アンドバリの指輪を常に身に付けて居ましたから。

「成るほど。それなら、俺の読んだ本の種類や内容を知っていたとしても別段、不思議でもないな」

 何を知られて居て、何を知られていないのか。その正確な所は分からないが、一度、見た内容を有希が忘れる訳はないので……。
 普段と変わりのない表情及び雰囲気でそう答える俺。その俺を見つめる有希。

 発しているのは少しの負の感情。更に、かなり大きな疑問。

「どうした?」

 まさか、先ほどのくちづけの際の云々……と言う言葉に対して、具体的な行動が為されていない事に対して不満があるとも思えない。
 そう考えながら、訝しげに問い掛ける俺。もっとも、本当はこの体勢の方。お風呂の中で、とは言っても、直接肌が触れ合う……どころか、俺の太ももの上に直接裸の彼女が座っているような体勢で居られる事の方が、俺的には問題があるのですが。

 色々と……。
 先ほど、彼女が動いた際も実際は……。

「普通の場合、他人の記憶を無断で覗き込むような真似をすれば、責められても仕方がないと思う」

 一瞬、迷いのような気配を発した後、真っ直ぐに俺の瞳を覗き込みながらそう尋ねて来る有希。
 そう言えば、以前に有希自身が、昔の自分の事を俺に知られたくはない、……と言っていたか。彼女の立場からしてみると、当時、自らが為した事はもしかすると少し心に重荷を背負うような事なのかも知れない。
 自分の過去は知られたくはない。しかし、俺の過去は知りたい。
 そして結果、自らの欲望に負けた……と考えても不思議では有りませんから。
 ただ俺の方から考えると、出逢った頃は何の望みもない、……と言う強い諦観の気配を発するのみだった彼女が、現在では普通の人のように某かの欲望を持つに至った事の方が重要だと思うのですが。

 もっとも……。

「今回の場合はどう考えても不可抗力やろう?」

 確かに心の中を無断で覗き込まれて平気な人間などいないでしょう。但し、今回の場合は不可抗力。そもそも、俺が寝る前に思考の部分が漏れ出ないようにする術を組み上げて、行使して置けば良かっただけ。但し、その場合、もし俺が夢の世界の事件に巻き込まれて、精神=魂魄のみが囚われのような状態となった場合には、残された式神たちの対処が遅れる事となるので、思考を完全に遮断して仕舞うのは多少の危険が付き纏う可能性もゼロではないのですが。
 それに……。
 それに、覗き込まれたとは言っても、今回の場合は普段の思考などではなく、俺にインストールされていた過去の戦いや勉学の記憶。健全な男子高校生としての思考まで覗く事が出来たとは思えない。……と言うか、覗く事が出来たとは思いたくない、が正しい表現だけど。
 そう考えると、それらはむしろ、魔法を使用する相手との戦闘経験の少ない有希に取ってはプラスの効果を発揮した……と思う。現在の俺を教育する為に……。おそらく、聖戦の結果、死亡すると言う未来を回避させる為にアンドバリの指輪(前世の俺の記憶)を湖の乙女は渡したのでしょうが、それ以外の効果も発揮した、と言う事なのでしょう。

 もしかすると、前世での湖の乙女(長門有希)が同じような経験をした可能性も否定出来ないのですが。

「まぁ、あまり深く考えない事。どうせ、俺の記憶は何時の日にか、すべてオマエさんの物となるのやから」

 遅いか、早いかの差があるだけ。
 これは別にハルケギニアの聖戦の際に俺が生命を落とさなくとも、そうなる約束と成っている。約束は俺が今回の生命を終えた後の話。生命体であるが故に、何時かは必ず生命を終える時が来る。今の俺に取ってそれは遙かな未来の話……だと思うのだが。

 僅かな身じろぎひとつする事もなく、俺を見つめる有希。
 これは……躊躇い? 
 俺の言葉が終わった後も、変わる事なく、ただ俺を見つめるだけの彼女。但し、それまで発していた疑問と言う感覚は消え、代わりに何かを決意して、しかし、矢張り躊躇する。そう言う、堂々巡りのような感情が流れて来ていた。

 どうも良く分からないけど、先ほどの俺の答えの中に彼女の心の中に何か引っ掛かりのような物があったのでしょう。

「何か俺の言った内容に不審な個所でもあったかな?」

 聞いて良い……のか、どうかは分からない。もしかすると聞かない方が良いのかも知れない。ただ、俺が口にした内容で彼女が迷っているのなら、矢張り聞いて置きたい。
 ――俺はすべてに於いて正しい訳ではないのだから。

 一瞬、俺から視線を外す彼女。僅かに視線を落とし、源泉より注ぎ込み続けられるお湯を見つめた。

 僅かな空白。流れ行く時間と水音。
 湯船から溢れ出し続けるお湯。そして、視界の端の方で儚く散り続ける氷空に咲く花の光輝。今宵、世界は平和で美しいまま、時間だけがふたりを残して過ぎ去って行くかのようであった。

 成るほど、ダメだったのか。
 嘆息混じりに、そう考える俺。確かに、言葉の内容ほど大きくはないが、それでも僅かな落胆を感じているのは間違いない。おそらく、今は話せない内容に彼女は引っ掛かりを感じていたのでしょう。
 まぁ、女性は少々ミステリアスな方が魅力を感じる……と言う物。などと、少し自分を慰めて見るものの、矢張り、少しばかり落ち込む事に変わりはない。

 しかし――

「わたしの事。……あなたと出逢う以前のわたしの事を聞きたい?」

 涼やかな彼女の声。普段通りにしゃんと背筋を伸ばし、真っ直ぐに俺を見つめる今の彼女からは、既に戸惑いの色はない。
 彼女の僅かな身じろぎすらも湯面に小さな波紋を描き出し、その小さな波紋が永遠に注ぎ込まれ、あふれ出し続けるお湯にそれまでと違う流れを作り出した。

 成るほど、そう来るか。

「聞きたいか、それとも聞きたくないか。そう問われるのなら、正直に言うと聞きたい」

 興味があるかどうか、と言う意味で言うのなら、これが今の俺の答え。当然、好奇心もある。確かに水晶宮から渡された資料と、前世の俺からインストールされた情報もある。しかし、彼女から直接、教えられる内容と言う物はまた違った意味も持って居ると思う。更に、彼女の根本を作り出した環境を知れば、これから先、長門有希と言う名前の少女と付き合って行く上で色々な局面での判断材料にもなるでしょう。少なくとも、知らないのと知っているのでは大きな差があるはずですから。
 但し――。
 但し、詳しい内容まで聞きたいのか……と言うか、無理に聞き出したいとは考えてはいない。
 故に――

「もっとも、それは有希が自分から話したいと思うのならば、だ」

 無理をしてまで。心に負担を掛けてまで話す必要は一切、存在しない。
 実際、人工生命体に発生した心がその造物主に対して反乱を企てるまでに至る経過を、直接本人の口から語らせるのは酷だと考えているから。俺ならば、そんな過去があれば忘れたいと思うから。
 俺のように肉親との縁が薄い訳ではない。俺は少なくとも今生での両親との間に溝があった訳でもなければ、良い思い出がない訳でもない。

 確かに多少の反発を覚えた事だってある。それはあって当然だと思うが、自らの親を此の世から消そうとした事など一度もない。そもそも、今回の人生でこう言う道。……水晶宮所属の術者になった理由は、その両親の敵討ちが最初の理由だった。
 俺の立場から考えると、そんな九百年も前に権力の座から転げ落ちた一族の再興などと言うくだらない目的の為に殺された俺の両親や、その他の人々の無念を晴らす為の手段。こいつ等に付いて行けば、こいつ等の術を会得出来れば……と打算的に考えた結果。
 もっとも、冷静に成って考えてみれば、俺にそんな事が出来る訳はなかったのだが……。

 最後の最期の部分で躊躇い、結局、死にたがっていた。……更に言うと自らが仕える主を魔道に堕としたくないが故に、俺の手で止めて欲しがっていた奴の最期の願いにすら気づく事が出来ずに、黄金龍の暴走を引き起こして仕舞ったあの頃の俺に対して、胃から逆流して来た苦い物を再び嚥下した時のような気分に囚われる俺。

 視界の隅では未だ当たり前のように無数の火花が舞っていた。赤が、黄が、そして緑が小さいながらも見事な花を咲かせて、そして直ぐに散って行く幽玄の世界。しかし、それはまるで遠い異国の出来事のように今は感じられた。
 ただ――。ただ、矢張り今宵、世界は美しい。

 成るほど。やや苦笑を浮かべるかのような形に口元を歪めて見せる俺。過去の俺が作り出した陰気を振り払う為にも、気持ちの切り替えは必要。その為には、例えポーズに過ぎなくても皮肉屋の仮面は有効だと思う。
 それに……と、敢えて強く心の中で考える俺。過去を悔やんだとしても、そのやり直しは出来ない。ならば、未来を目指した方が余程建設的だと思うから。
 それに有希もそうなのだが、俺の方も少しばかり我が儘になって良いのかも知れない。
 少なくとも彼女と対する時には。

 そう考え、彼女を胸に抱いたまま再び立ち上がる俺。日本人特有の……いや、その日本人の中でも取り分け張りと美しさを誇る世代特有の肌の表面を流れ落ちる水滴。最初よりも少し朱の帯びた肌が妙な色気を発し始めている。
 ……無理に湯に浸かったのは逆効果だったかも知れないな。一瞬、普段は色素の薄い彼女のくちびるが薄紅色に輝いている様を見て、色々な意味で後悔を感じる俺。
 そう、普段は色素が薄すぎる肌も僅かにピンク色に染まり、呼吸をする度に僅かに動く小さなふくらみ。その上を流れ落ちる水滴のひとつひとつが妙に心をざわつかせ、小振りながらも非常に形の良い双丘の先に息づく蕾は……。
 其処から視線を下げ……る訳には行かない。未だ女性として完成する前の少女と言う存在を模して造り出された彼女なのだが、そのような有機生命体が成熟する前に持つ曖昧な……少女が成長する為に持っている余白のような物を持ち合わせていない、創造物であった彼女は、身長その他は未だ少女と言う形を維持しているのだが、造形は既に女性そのもの。色々と、コチラにも都合と言うか、あまりにも意識し過ぎると理性の(たが)がはずれる可能性が高いと言うか……。

 表面上は冷静な風を装っているが、実際はギリギリの状態。漢って奴は見栄と意地だけで蒼穹と大地の間に立っている、と言う事が丸分かりの精神状態。
 そして――

 湯船を形作る岩のひとつに彼女を腰かけさせた瞬間、かなり不満げな気を発する有希。何と表現すべきか分からないが、これで自らの感情の意味が分からない……などと言うのだから、思わず笑って仕舞うしかない。
 まぁ、彼女が生きて来た人生を考えてみると、それまで誰に対しても抱いた事のない独占欲など感情の意味が分からないと言う事だとは思うのだが――

「スマン、少し湯が熱すぎたみたいや」

 流石にこのままだとのぼせて仕舞うわ。
 顔に向けて手で風を送りながら、本当にすまなかったなどと考えているのかかなり疑問を感じる雰囲気で話し掛ける俺。そのような短い言葉の中にも出来るだけ普段通りの雰囲気を維持するように。
 そして、何時も通りに彼女の傍らに腰かけ、

「それに、話がしたいだけなら、花火を見ながらでも出来るやろう?」

 光っては消える氷空の色彩。その火の子の消えた後に残滓の如く立ち込める白い煙。それらは今宵が風のない、そして、月の蒼い夜である証。
 こんな夜にただ見つめ合うだけでは勿体ない。

「花火も月も、何処で見るかよりも、誰と見るかによって違う記憶を作り出す物やからな」

 気の合う相手ならそれに相応しい楽しい思い出を。もし、その共に見る相手が心に秘めた想いを抱いている相手ならば――
 俺がすべての言葉を口にする前に右手に彼女の左手を重ねて来る。視線は正面、今まさに小さな緑が消えて終った空間を映していた。

「あなたには感謝をしている」

 
 

 
後書き
 長門さんがヤケに難度の高い謎掛けをして、それに主人公が的確に答えられていた理由がこれです。そもそも彼女は答えられる内容しか問い掛けていません。
 もっとも、本好き設定のキャラが小説やアニメ、漫画を問わずかなり存在しているのに、何故、その古典と呼ばれる小説の内容からの台詞や問い掛けが行われる事がないのだろう、と言う疑問を自分で解決する為の自己満足と言う事だけでやって来た事なのですが。
 ただ、もう、この辺りの小説やその他の細かな内容に関してはうろ覚えばかりだけどねぇ。思うに、今よりも中学生の頃の方がレベルの高い小説を読んで居たような気がするな。

 あの頃はテニス部で走ってばかりいたし、放課後は週四で剣道の道場に通っていたから、かなり忙しかったような気もするのだが。

 それでは次回タイトルは『唯ひとりの人』です。
 
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