遊戯王GX~鉄砲水の四方山話~
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ターン58 鉄砲水と精霊の森
前書き
デュエルなし回です。
……いやま、最初は短めでもいいから書こうと思ってたんですけどね。Aパートが終わったらデュエルに持ってこうと思いつつ書き続けてふと気づいたらAパートのみでいつもの1話分書いてたもんで、ここにさらにデュエル加えても長ったらしくなるだけだしもういいかなーって。ねっ?
前回のあらすじ:ゾンビ化しデッキまでいじられたクロノス先生戦。ストラクチャーデッキR-機械竜叛乱-、なんて恐ろしいデッキなんだ……!(ステマ)
「う……痛っ」
目が覚めたのは、固い地面の上……なんかつい最近も同じようなことがあった気がするけど、あの時は下が砂漠の砂だからまだマシだった。今回はただの地面の上なため、そこでずっと寝ていた体のあちこちが痛い。
ぼんやりした頭でそこまで考えたあたりで、だんだん思考がはっきりしてきた。十代達は、あの砂漠の異世界から脱出できたんだろうか。レインボー・ドラゴン、見てみたかったな。
「だけどまあ、まずは自分の心配しなきゃ、ねえ?」
独り言ではない。チャクチャルさんに同意を求めるつもりで声に出したのだが……なぜか、いつまで経っても返事が返ってこない。さっきはあれだけ馬鹿馬鹿しい負け方したわけだし、そうでなくても最近すれ違いぎみだったからついに愛想尽かされたのかな。気にはかかるけども、チャクチャルさんがコンタクトを取らないと決めたのなら今は僕から無理に話しかけることもないだろう。そもそも向こうの方が圧倒的に年上なんだし、下手なことはしないに限る。
気持ちを切り替えて周りを改めて見まわすと、どこかの暗い森の中にいるようだ。頭上にはこんもりと葉が生い茂っていて空が見えないし、いかにも樹齢長そうな木々や僕の寝ていた地面にはうっすらとした苔が覆いかぶさって余計に鬱蒼としている。
「すいませーん、誰かいませんかー!?」
とりあえず大声で怒鳴ってみるが、自分の声がむなしく響くだけで終わる。仕方がない、こういう時はとりあえず川を探せばいいという話は聞いたことがある。なんといっても水があればとりあえず命は繋げられるし、川の流れに沿ってひたすら下流に行けばどんな森や山からも抜け出せるからだそうだ。こんな話を最初に聞いた時にはあくびしながら聞き流してたものだけど、そのおかげでやることができてパニックにならずに済んでいるのだから人生何が幸いするかわからない。
とにかく水の流れる音でも聞こえないかと耳を澄ますと、ほんのかすかに音が聞こえた。といってもそれは期待していた川の流れる音なんかじゃない、何か、かなり大きい犬のような動物が、かすかに唸っているような……。
チッ、と舌打ちし、それに反応するように唸り声がさっきよりも近くで聞こえたことに自分を呪いたくなる。何やってんだ僕、下手に大声を出しただけでなく舌打ちまでして2回も場所を教えるなんて。よく考えればこの世界にだって精霊がいることぐらい予想がつきそうなものなのに、なんでその程度のことを最初に考えなかったのだろう。幸い苔のおかげで足音はほとんど吸収されるはずだし、とにかく距離を取って……いや、それをしたって匂いなりなんなりで追いかけられる可能性の方が高い。ここはひとつ、待ち構えて返り討ちにしよう。
「ハンマー・シャーク、ツーヘッド・シャーク、召か……え?」
腕につけっぱなしのデュエルディスクに手を伸ばし、デッキからカードを取りだそうとして、謎の唸り声とか水場の位置とか、そういうのはもう全部頭から吹っ飛んだ。
確かにデュエルディスクはある。だけどそこにはまっているはずの、僕のデッキが1枚もない。デッキ入れのスペースはぽっかりと空いていて、僕のカードがどこにもない。
「嘘、どこに……」
チャクチャルさんにテレパシーを飛ばすが、よほど遠くにいるのかうんともすんとも帰ってこない。周りを見回しても、当然落ちているはずもない。そして、逃げ出すわけでもなくいつまでもそんなふうに悠長にしている隙を見逃してもらえるはずもなかった。ふと気が付いた時には唸り声の主は既に木を2、3本ほど離したところに移動していて、声どころかその息遣いすら感じられるようになっていた。それと同時に、なぜか肉が腐ったような嫌な臭いが空気に上乗せされる。
「くっ……」
今からでも背を向けて走り出す?いや駄目だ、土地勘は向こうにある。この状態だと、獣型モンスターどころか人間相手でも振りきれないだろう。木の上に登る……のもその間無防備になるし、そもそもあのモンスターに木登りができないなんて保証はどこにもない。地面に落ちていた苔むした石を手に取り、唸り声の方向に向き合ってそれを構える。どうせ何やっても詰むんなら、いっそ真正面から相手してやろう。腐ってもダークシグナー、体力勝負なら僕は並の人間を遥かに上回る。タイマンなら案外追い払えるかもしれない。
石を握りしめながら、そろそろと唸り声が聞こえる木に向かって歩き出す。向こうも、まさか獲物が自分から喧嘩を売りに来るとは思うまい。つまりは先手必しょ……。
「っ!!……こん、のおっ!」
左肩に強烈な痛みと熱い息の感触、そしてかすかに漂う腐臭がのしかかる。どうにか頭を後ろに向けると、黒色の獣の顔とその中に輝く鈍く濁った瞳が見えた。そしてその牙が突き刺さっている僕の肩が、噴き出す血の色でただでさえ赤い制服が真っ赤に染まってきているのを見て、ようやく何が起こっているのか理解した。
つまり、目の前で唸っているのは囮だったわけだ。よく考えればそりゃそうだ、こんな自分の位置がバレバレなのにわざわざ隠れてるんだもん。その隙にもう1匹が後ろに忍びより、目の前の敵に警戒した獲物を安全に襲う。まったくもって合理的だ。
だけど、僕もこんなところで2回目の死を迎えるわけにはいかない。理由はともかくとして、チャクチャルさんはここにいない。いたとしても、1度生き返った人間がもう1度蘇らせてもらえるのかはわからない。だから、ここは自力で生き延びるしかない。右手にまだ握っていた石を手放し、その獣の首根っこを無理やり掴む。牙がさらに深く食い込んできた痛みに泣きそうになるも、背負い投げの要領で身を捻りながら背中の獣を地面に嫌というほど叩き付ける。噛みつきが緩んだすきに強引に傷口を引き離し、駄目押しにその下顎を骨も折れよとばかりの勢いで全力で蹴りつけた。
「ハア、ハア……ざまあみろってんだ!」
起き上がろうともがいている獣から目を離さないまま、じりじりと後退していく。傷口から出る血がぽた、ぽた、とその軌跡をたどってくるのを見て、逃げ出すことは絶対に無理だと改めて悟る。これだけ血が出てると、その後を追いかける事なんて子供でもできるだろう。
このまま向こうが逃げ出してくれれば問題なかったのだが、残念なことにそれは無理だったらしい。顎の骨が砕けたらしく口を歪に開いたままだらんと舌を垂らしながらも、いまだ戦意衰えぬといった様子で立ち上がる黒い獣。そして、相方の苦戦を見かねたらしいこれまで様子をうかがっていただけのもう1匹の獣がその隣に並んだ。
「う、うわぁ……」
結構本気出して蹴ったはずなのに、まさかまだ向かってくるとは思わなかった。しかも増えたし。じりじりと距離を詰められ、今まさに2体の獣が飛びかからんとした、その時。
「トラップ発動、閃光弾!」
「え!?」
瞬間的に辺りに光が弾け、視界がすべて強烈な目の痛みと共に白く塗り替えられる。近くにあったはずの木の幹に寄りかかろうと思わず伸ばした右手の手首が、皺だらけの人間の手に掴まれた。何が何だかわからないままに、その手の主が押さえた声で話しかける。
「早く、私についてきなさい。疫病狼は執念深い狩人だ、閃光弾も長くは持たん」
その声に含まれる不思議な迫力に呑まれ、抵抗する気にもならず引っ張られるままに歩いていく。どこをどう歩いたのか、目が見えないなりに感覚で覚えようとしたもののすぐに諦める。何度やり直しても、さっきから同じところをぐるぐる回っているように感じられてしょうがないのだ。しかし案内人が終始確固たる足取りで歩いていくため文句をつけることもできず、かれこれ30分ほど進んだだろうか。
「さあ、上がるといい。ここに椅子があるのがわかるかね?座って傷を見せてみなさい、今治癒をかけよう」
導かれるまま椅子に座り、言われたとおり血染めの制服を脱いで傷口を出す。何か聞き取れない言語でしばらく呟いたかと思うと、傷の痛みが次第に和らいでいくのを感じた。
「これは……」
「すまないが動かないでくれ。出血は止めたが、疫病狼の牙はその名の通り病気を運ぶ。もう少し様子が見たいから少々ここで待っていなさい、お茶でも持って来よう」
「は、はい」
よくわからないがたしなめられたので、代わりにようやく見えるようになってきた視界で、腕を動かさないようにそっと辺りを確認する。ここは、書斎だろうか。ぎっしりと古めかしい本が詰め込まれた見上げるほど高い本棚が果てしなく並び、ランプの明かりが点々と優しい光でその中を照らしている。今座っている椅子も年代物の木製で、よく手入れされているのが一目でわかる。
傷口に改めて目をやるとさっきまで肉がえぐれて血が溢れていたはずの肩にはすでに新しい皮膚ができていて、傷跡こそくっきり残っているものの動かす分にはちょっとくすぐったく感じる程度で何の支障もない。
この短期間でここまでの治療を成し遂げた謎の技に感嘆していると、書斎のドアがかすかに軋む音を立てて開いた。
「ほれ、飲みなさい。毒などは入れておらんよ」
先ほどから声だけ聞こえていた主の姿をようやく直接見て、思わず目が丸くなった。冗談めかして言ってくれた言葉も聞き流し、その人の姿を穴が開くほどまじまじと見る。
その人は……いや、人、という呼び方も性格ではないのだろうか。ともかく、僕は彼を知っている。白い縁取りがされた緑色のローブと、その左胸に着いた勲章。深い髭と頭髪には白いものが混じり、全体的に濃い灰色となっている。右目に当たる部分には眼球がなく、代わりに開いたまぶたの間からは謎の光がかすかに発せられ、頭にすっぽりとかぶった王冠のような帽子をほのかに照らしている。
「辺境の大賢者……」
あれはもう、1年は前のことだろうか。ある歴史の授業中、雑談の一環として突如話し出されたフリード軍の歴史。ならず者傭兵部隊やら切り込み隊長やらのカードと共に、フリード軍をバックアップする賢者という設定があったと紹介された話をたまたま覚えていたのだ。
そもそも授業中にカードのバックストーリーが雑談とはいえ浮かび上がってくるあたりがさすがのデュエルアカデミアという感じもするが……まあ、その話は今はいい。実際、それを聞いていたおかげで目の前の精霊の正体がわかったのだから。
「その名で呼ばれるのも、随分と久しいな。今の私は賢者なんてものじゃない、ただの隠居の老人さ。さあ、冷める前に飲むといい」
そう言われ、慌てて差し出されたカップを受け取る。ほんのり湯気の立つ中の液体は一見紅茶のような色だが、菓子屋としての僕の人生でも嗅いだことのないような不思議な香りと味がした。
「えっと……ありがとう、ございました。このお茶も、それから、先ほども助けていただいて」
「そう畏まることもない。ただ、君に一体何があったのか教えてもらえないかね?そのデュエルディスクも、私の知っている物とは少し型が違うようだが……」
不思議と断りにくいその声の調子に誘われてか、あるいは砂漠の異世界では飲む余裕のなかった淹れたての熱いお茶にほだされてか、自然と口が開く。気が付くと、あの砂漠の世界であったこと全てを打ち明けていた。当の本人ですらいまだに信じられないような内容にも大賢者は口を挟まず、優しげなまなざしで時折頷きながら最後まで聞いてくれた。
「僕の話はこんなところです。あの、こんな話でも信じてくれるんですか?せめてデッキさえあれば、僕のカードの精霊たちに証明してもらえるのに……」
「ああ、君の目は嘘をついているようには見えない。それに、もし嘘ならもっとそれらしい話を作るだろう。それと君のデッキだが、少なくとも君のいた近くには落ちていなかった。恐らく、次元の壁を超える際に何かの拍子でデュエルディスクから外れてしまったのだろう」
「そう、ですか。せめてチャクチャルさんと連絡が取れるぐらい近くに行ければ……」
もう一度テレパシーを試みるも、やはりあちらからは遠すぎるためか何も伝わってこない。そこで、老人の眉に初めて皺が寄った。
「それなんだがね。君の話を信じないというわけではないが、どうもそこの部分だけ腑に落ちないんだ。君の言うチャクチャルさん、とは、本当にあの『地縛神』なのかね?」
「あ、それなら証拠も出せますよ。ほら」
チャクチャルさんが近くにいないのにエネルギーの乱用をするのはどんなリスクがあるかわからないので、ほんの1瞬だけダークシグナーの力を表面に出す。パッと体中に紫の痣が走るも次の瞬間にはその全てが消え失せたが、地縛神のことを知っているのなら証明はこれで十分だろう。
そんな軽い気持ちで見せた痣だったが、その結果は僕の思った以上のものだった。老人の顔がサッと青ざめ、自分の手にしていたカップが床に落ちるのも構わずよろよろと数歩下がる。その後どうにか落ち着きを取り戻したが、いまだ顔色は悪いままだ。
「あ、あの、大丈夫ですか……?」
「……君は、本当にその神の力をその体に宿しているというのかね?本当にそれでいいのかね?」
「はい?」
本気で訳が分からない、というのが顔に出ていたらしい。軽く息を吸って気を落ち着かせると、質問を少し変えてきた。
「どうやら、君は自分の持つ力の性質も知らずに使っていたようだな。無知は悪ではないが、この場合はいささか危険すぎる。君は、これまでにも自分の中の黒い衝動に突き動かされたことがないかい?」
「えっ、と……」
どうしよう、心当たりしかない。思い返せばカミューラ戦、いやその前のダークネス吹雪さん戦に始まって光の結社洗脳中、近いところだとコブラ戦やゾンビ化したクロノス先生戦などなど、僕がダークシグナーになってから怒りに身を任せたことは数多い。ただその場合、勝率はお察しだけど。
「そもそも、地縛神というものがそもそも何者なのか。これも知らないというのかね?」
「地縛神が……?」
そういえば、そんなこと考えたこともなかった。最近はちょっとすれ違いぎみだったとはいえ僕が生き返ったあの時からずっとそばに居てくれて、辛い時には力を貸してくれたし、何度も何度もその圧倒的な力で絶望的な盤面をひっくり返してくれた、何物にも代えられない大切な仲間にして神様。
そんなチャクチャルさんの過去を本人は特に言いだそうとしなかったし、だから僕もずっと聞かなかった。いや、むしろ聞かないようにしていた。だから昔のチャクチャルさんについて僕が知っていることは五千年前からカミューラ戦の時までずっとナスカの地で地上絵として封印されていたことと、その封印前には先代のダークシグナーとしてある男を僕と同じく死の淵から引っ張り上げていたことぐらいだ。
……この老人が知っている話を聞いてしまったらもう後には戻れない、そんな予感がする。今ならまだ、全ての話を聞かなかったことにしてここから出ていくことだってできる。そうすればチャクチャルさんと再会してもこれまで通りに、過去のことなんて何ひとつ詮索せずにそれなりの関係を保ったままでいられるはずだ。だけど、本当にそれでいいのだろうか。僕の知らないチャクチャルさんの話を知る格好の機会から逃げるのは、正しいことなんだろうか。それに僕が時折暴走するときもチャクチャルさんの過去、というかその力が絡んでいるのだとしたら、もしかするとあの怒りを制御できるヒントが隠れているかもしれない。
しばらく迷った後、僕も覚悟を決めることにした。
「……教えてください、お願いします」
それを聞いて老人が重々しく頷き手を伸ばすと近くの本棚から1冊の本が音もなく抜け出して滑空し、その手にすっぽりと収まった。
「私のしていることは、もしかしたら間違っているのかもしれない。君が何も知らないというのなら、それは知らない方が幸せなのは間違いないだろう。だが、やはり君は知っておいた方がいいと私は思う。自分の力のルーツを知ることでそれを制御する、それは魔法も人生も変わりないことだからな。何も知らずに行使するには、その力はあまりに強大すぎる。君の言う、五千年前に地縛神が封印された際の出来事……それは我々の世界にも、文献として伝わっているのだよ」
そう言いながら慣れた手つきで飛んできた本のページをめくり、やがて目当ての箇所にたどり着いたのかその手が止まる。そのページを開いたままこちらに持ってきて、僕にそっと渡して中を読むように促した。
「こ、これって……」
まず最初に目についたのは、その挿絵だ。古めかしい紙の上に生き生きとした筆遣いで描かれているのは、紫の模様が入った黒いシャチの姿を模したモンスター……まぎれもなくチャクチャルさんが、どこかの石造りの都市を蹂躙しているイラストだった。その隣には見たことのないモンスター、チャクチャルさんと同じような黒い体にそれぞれ違った色の模様がついた、動物をモチーフとしている存在が同じように暴れまわっている。この二足歩行するトカゲのようなモンスターが掴んで口に運ぼうとしているのは、もしかしなくても人間だろうか。握られた拳の隙間から、いくつもの人の手足が覗いている。
「かつて人間界で行われたシグナーとダークシグナー。彼らが操った6体のドラゴンと、地縛神の戦いに関する文献だ。私が直接見たわけではないが、この本の著者は信用できる人物だ」
挿絵からひとまず目を離し、本文に目を通す。そこに綴られていたのは、古代ナスカの地に起きた破壊の記録……字面を追っているだけで目を覆いたくなるような、地獄絵図と呼ぶにふさわしいものだった。たくさんの人の命が地縛神の糧となり、その被害がナスカを飛び出し世界に広がらんとしていた。そんな時に突如現れた、腕に赤き龍の痣を持つ人間たち……シグナーの活躍により全ての地縛神は封印されダークシグナーは灰となり、生き残りのナスカの人々はその跡地である地上絵を祀り、2度と封印が解けないよう祈り続けた、らしい。
読み終えたのを確認し、何も考えることができずにぼうっとしている僕の肩に手を置く大賢者。優しげな声からは、心の底から心配してくれているのが伝わってきた。
「今日はもう遅い。ここに泊まるといい」
大賢者の館の1室、僕にあてがわれた客間。あの後夕食までごちそうになり、勧められるままにベッドに潜り込んだものの、混乱した頭でずっとあの本のことを考えていたせいでお礼すら言えなかったし、何を食べたのかも思い出せなかった。
申し訳ないとは心の中でチラリと思うものの、そんな思考もまたすぐあの本の内容にかき消される。チャクチャルさんが、あのチャクチャルさんが、あんな風に世界を、街を、何の罪もないナスカの人を……何かの間違いだ、と思う一方で不思議とあの内容は本当のことだ、と信じる気持ちもあった。
「寝よう。寝よう寝よう、もう今日は寝る!」
誰もいない部屋の中で自分に言い聞かせるように叫び、無理やり目をつぶる。眠気は全然感じなかったのでしばらくかかるかと覚悟していたが、意外なほどあっさりと意識が薄れていった。
『よお、旦那』
誰かが呼んでる声がする。うるさいなあもう、人がせっかく寝たってのに。また起きたら現実と向き合わなきゃなんだから、せめて寝てる時ぐらい邪魔しないでほしいものだ。
『おいおい、俺のこと忘れっちまったのかい?寂しいねぇ旦那』
いや待て、この声には聴き覚えがある。そうだ、確かあの時もこんな……そこまで考えた時点でいっぺんに前の記憶を思い出し、ベッドから瞬間的に跳ね起きた。にやにやと笑い、だがその目は全く笑っていない目の前の男をあらん限りの敵意を持って睨みつけ身構える。
「生きてやがったのか……!」
『まあな。いやー苦労したぜ、あのクソ神に気づかれないようひたすらじっと存在隠して、お前が奴と離れるこの瞬間をずっと待ってたんだからよぉ。なにせ、前回は奴が勘付いたせいでとんだ邪魔が入ったからな』
あの時と同じく夢に出てきた……夢といっても、嘘の存在というわけではない。体を失った後も精神体となって害虫以上のしぶとさで生きながらえてきた、先代ダークシグナー。
あの時はチャクチャルさんが助けに来てくれたし、メタイオン先生が覚醒することで存在ごと消し去った、はずだったのだが。目の前で気楽そうにしているこの男はいかなる方法を使ってか、神々の攻撃をも耐え抜いてしつこく僕の頭の中にいたらしい。
「それで、何しに来たのさ」
悔しいけど、チャクチャルさんも他の仲間もいない今の僕ではこの男にはどうやっても勝てっこない。僕は大賢者にも指摘されたように自分の持つ力がどんなものかすらロクに把握できていないのに対し、相手はその力を5000年間研磨しつづけてきた化け物だ。こうして夢の中に入り込んで話をする技ひとつとってみても、僕には一体どうやっているのか見当もつかない。力づくで追い出せない以上、黙って相手のペースに乗るしか方法はない。
『いやいや、そう警戒しなさんなよ旦那。あの老いぼれの話はなかなか面白かったが、どうやらお前は半信半疑だったみたいだからな。せっかくだから、面白いものを見せてやろうと思ってよぉ』
「面白い……?」
その言葉に含まれた不穏な調子に、咄嗟に目を閉じようとして……できない。目を閉じるどころか、指1本ピクリとも動かせない。強引に力づくで動こうともがいている僕を嘲るように笑い、ぱちりと指を鳴らす先代。突然周りの景色が真夜中の、妙に古めかしい街に切り替わった。
「こ、ここは……」
『我が麗しの今は亡き故郷、今でいうところのナスカの地さぁ。ククク、ほれ、あっちで火事が起きてるだろ?』
指さした方を反射的に見ると、石造りの建物から盛大に火が上がっていた。月明かりが霞むほどの光を放つその火事のせいで、電灯のひとつもないのに周りの景色はくっきりとよく見える。その2階部分には逃げ遅れたらしい人がいて懸命に外に助けを求めているが、周りはみなパニックになっていて誰も上の叫び声に耳を傾ける者はいない。
幻覚か何かだ。そう頭ではわかっているのだが、その光景の余りのリアルさについ助けを求めている人のもとへ1歩を踏み出しそうになる。すると突然、雲もないのに上空に影がかかった。
『ほれ、俺のお出ましだ』
その言葉に上を見ると上空に浮かんでいたのは、巨大なシャチのシルエット。その上には、僕と同じフードつきのローブをすっぽりとかぶった男が座り込んで愉快そうに笑っている。
「チャクチャルさん!」
僕の声が聞こえないかのように……いや、実際聞こえないのだろう。これはあくまで映像、今起きていることじゃない。悠然と紫色の軌跡を引きながら星の海を泳ぐその姿は、まぎれもなく見慣れた地縛神のものだ。そして上に乗った男が下を指さして何事か叫ぶと、チャクチャルさんも動きを止めて燃え続ける家を見下ろして口をゆっくりと開く。
次の瞬間、目の前の家が吹き飛んだ。呆然としてチャクチャルさんを、たった今中に人が残っていた家に向かって攻撃をぶちかました地縛神を見る……上の男は今の光景がたいそうお気に召したようで、体を震わせて大笑いしていた。周りでパニックになっていた人々も全員上を見て、その場にどっしりと浮かぶ神の姿を捉えていた。
それに気づいた男が、眼下の人々をざっと手で指し示してチャクチャルさんに何事か呟く。再びその巨体を震わせ、まるで水中を泳ぐかのように流麗な動きで神が動こうとする。その次に起きることが予想できていながらも、僕の体は動かない。僕の声も、今ここにいる人たちには届かない。目の前の人たちの表情ひとつひとつまではっきり見えていながら、どうすることもできない。
「や、やめ……」
そしてまた、破壊の嵐が吹き荒れる。人が、家が、木が、岩が、全てがなすすべなく吹き飛ばされ、打ち付けられ、その後には廃墟すらも残らない。もはや動くものが何もなくなったことを確認した男が、暇そうにしながらまた別の方角を指す。その先には、また別の街が。
そこで急に視界が暗転し、気が付くとまた最初の部屋の中に戻っていた。
『おっと、終わったと思ったか?残念だったな旦那、まだ終わりじゃねえときたもんだ。そーらよっと』
また指を鳴らすと再び視界が暗転し、今度は別の街……山のふもとの小さな街が燃えているど真ん中に切り替わる。あちらこちらで火の手が上がる上空には巨大な2羽の鳥の地縛神がその翼で月を覆い隠し、山の向こうからは人型の地縛神がその上半身を突き出してあのラビエルに勝るとも劣らない太さの剛腕をゆっくりと逃げ惑う人々めがけて伸ばしている。トカゲの地縛神はその細い腕と伸びる舌で人間を目につくままにその口へ運んでいるし、蜘蛛の足元では目がうつろな人々が操られているかのようなぎこちない動きで逃げる人に襲い掛かっている。猿の地縛神も、長い尾をクルクルと巻いたまま器用にバランスを取って跳ね回っては足元を無邪気そうに破壊し続けている。
このままだとこの小さな街に住む人が全滅するまでにはそう時間もかからないだろう。そう思った矢先、僕のすぐ横をすり抜けて何人かの地縛神の宴から逃れた人が街の出口に向かって走っていくのが見えた。お互いを励まし合い、物陰に隠れながらなんとかここまで来たのだろう。外に出たからといって助かる保証などまるでないが、それでもここにいるよりは未来があると踏んだらしい。あと少し、あと少しで壊れていく街から外に出られる……そこまでたどり着き、彼らの顔にもようやく希望の色が見えてきたところで突然集団の先頭が足を止めた。その見上げる先には、いつの間にか出口に回り込んで外から覗き込む巨大なシャチの姿。
ああ、そうだ。こんなわざわざ持ち上げてから叩き落とすようなやり方で心を徹底的に折っていくなんて、いかにもうちの神様ならやりそうなことだ。絶望の色を張り付けて膝から崩れ落ちる生き残りの人たちに、そっとチャクチャルさんが上空から近寄ってゆく。彼らの姿が闇に飲まれたところで、こちらの視界も再び暗くなった。
『はっはぁ!どうだい気分は、最高だろう?お前ご自慢の地縛神は、ずっとお前の前じゃ猫被ってて何も言わなかったからなぁ?いやあ、なかなかあの様子は傑作だったってーもんよ』
「うるさい……」
もうこんな話、これ以上は聞きたくない。だけど、拒否する声にも力が入らない。
裏切られた、というのは少し違う。僕はチャクチャルさんから過去を問いたださなかったしあちらも言わなかった、それだけのことだ。それはわかってはいるけれど、やっぱりなぜ言ってくれなかったのかという悲しみが大きい。僕はチャクチャルさんのことをずっと信用して……いや、そもそもそれは僕だけの勝手な思い込みじゃなかっただろうか。
最初からずっとチャクチャルさんの目的は5000年前の復讐を果たし、再びあの文献や今の映像のような世界を作り出すこと……そのために、こうしてその機会をうかがっているのだとしたら?だとすれば僕を生き返らせたわけにも説明がつく。自身のカードを突破口としてナスカの封印を破るために利用されたのだとしたら?三幻魔を共に撃退したのも、邪神アバターを闇に葬り還したのも、光の結社と敵対したのも、単に地縛神とダークシグナーの世界には不要な存在だったから、というだけの理由なのだとしたら?
仲間を、それも命の恩神を疑うなんて最低だ、そんな声が自分の中から聞こえてくる。僕自身も、やっぱりチャクチャルさんのことを信じたい。だけど、そんな思いを丁寧に打ち砕くように、先代の言葉ひとつひとつが胸に突き刺さる。
『いやまったく、ひでえ話だなぁ、オイ?あいつはずっとお前を騙してたんだ。流石の俺も同情するぜー、なぁ?お前がこれまで必死こいて守ってきた世界は、最後には誰よりも信じてた、あの味方面したクソ神の手でおじゃんになるって寸法なんだからよお。だがこいつは効果的だ、それは俺も認めるぜ。何しろ持ち上げて落とすこの方法なら確実にお前にのしかかる絶望はそれだけデカイ、それまでの間にお前が勝手になまっちょろい信頼関係を築いた気になってたんならなおさらだ。見事な計画ってもんだぜ』
「し、信じないよ、そんな話……」
『そうか?じゃあ聞かせてもらうがね旦那、そもそも俺が最初にダンナの夢に出てきたとき、あいつはなーんであんなに怒ってたんだい?簡単だよ旦那、俺とあいつが会えば、遅かれ早かれ俺はあいつが何を企んでるかに気づく、それがよーくわかってたのさぁ。おまけにお前は馬鹿だから、あいつがお前のことを心配してくれたんだと思い込んでますます信用するようになる。あいつにとっちゃあ願ったり叶ったり、一石二鳥狙いの寸法だったのさ』
何か言い返さないと。そう思うのに頭が麻痺したようになって、何も口に出すことができない。振り切りたいのに振りきれない、闇がずぶずぶと底なし沼のように僕の足元から包み込んでいくような錯覚を感じながら、どうすることもできずにただ黙っていた。
……もしかしたら、そうなのかもしれない。先代は僕よりもはるかにチャクチャルさんとの付き合いが長い、僕よりもずっとあの神様の気持ちを汲み取ることができるのかもしれない。一度そんな思いが湧き上がるともう止められず、次から次に悪いことばかりが頭に浮かんできた。チャクチャルさん、答えてよ。どこにいるのかわからないけど、今すぐここに来て全部否定して。僕の命を助けてもらったのに、そんな相手を恨んだり憎んだりなんて、僕はしたくないよ。お願いだから早く来て、僕が手遅れになる前に。
『……んぁ?おいおい無粋な真似してくれんじゃねえか、一体なんだってんだ?』
突然先代がベッドの横から立ち上がり、ドアの向こうをじっと見つめる。そんな様子を僕は気にも留めなかったが、そのドアの向こうから叫び声が聞こえてきたときは流石にそうも言ってられなかった。
「……何っ!?」
自分の声の大きさにようやく目が覚め、当然のごとく誰もいない部屋の中でがばっと起き上がる。全く気が付かないうちに凄い汗をかいて呼吸も荒くなっていたが、部屋の外から何度も物のぶつかるような音とくぐもった悲鳴が断続的に聞こえてくるためそれをぬぐうことすら考えつかなかった。
「大丈夫ですか!?今そっちに……」
「いや、来てはいかん!」
ドアノブに手をかけた時点で向こう側から聞こえてきたのは、苦痛を帯びながらもきっぱりとした静止の言葉。その迫力に、思わず手を離して1歩退く。また魔法を使ったらしく、内側からしか閉められないはずの鍵がゆっくりと回ってロックされるのが薄暗い部屋の中でも見えた。
「いいかね、よく聞きなさい。この森を抜けたら、南西の方角に向けてまっすぐ進むのだ。私の記憶通りの場所に今も拠点を構えているのなら、徒歩で1日の位置にフリード軍の非戦闘員たちの街があるはずだ。そこに行き、匿ってもらいなさい。そしてこう伝えるのだ、辺境の大賢者はすでに死んだと」
「死んだ?一体何を……!」
「説明している暇はない、早く逃げるのだ!君のためだけではない、私自身のためにも!私は敗れた、すでに時間はなイ……!」
その言葉を最後に、急に老人の口調が変わる。声そのものは本人の物で間違いないが、そこに宿った意思だけが別の存在に入れ替わったような……まるで悪魔のようなけたたましい笑い声が聞こえてきて、ドアノブがものすごい力でガチャガチャと回される。見た目以上に頑丈な代物らしく今はまだ侵入を食い止めているが、このままでは数分と持たずに破壊されるだろう。
どうやら本当に、悠長に話すことはできないようだ。ドアの正面にある窓のそばに走り、鍵がかかっていないことを確認して全力で引き開ける。涼しい夜の空気が流れ込んでくるのと入れ替わりに、2階から外に身を躍らせた。
飛び出す寸前後ろのドアが破壊された音がしたが、もう振り返る暇はない。デッキのないデュエルディスクだけを腕に、来た時の格好のままで森に飛び出した。
後書き
こんな局面で「助けて」なんて他力本願なこと抜かしてるところが清明はダメなんだと書いてて思います。
それと、ちなみにこれが今回の参考文献(?)です。唯一の収録場所が場所なもんだからやたら影の薄いカード。
疫病狼
効果モンスター
星3/闇属性/アンデット族/攻1000/守1000
1ターンに1度だけこのカードの元々の攻撃力を倍にする事ができる。
この効果を使用した場合、エンドフェイズ時にこのカードを破壊する。
最後に、ちょっと次回の投稿には注意点があります。詳しくは活報にて。
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