銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第百七十四話 未発
帝国暦 487年 12月 6日 オーディン 軍務省 尚書室 エーレンベルク元帥
「国務尚書閣下にわざわざお運びいただくとは、恐縮ですな」
「何の、宮中よりも此処のほうが安全じゃ」
苦い表情で出された国務尚書リヒテンラーデ侯の言葉には実感があった。三日前の出来事を思えば当然だろう。シュタインホフ元帥の表情も厳しい。
十二月三日、新無憂宮のバラ園でヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官を暗殺しようとする者が有った。陛下が身を以ってヴァレンシュタインを庇い、リヒテンラーデ侯が暗殺者を撃つことで何とか命は取り留めたが事はそれだけでは終わらなかった。
近衛兵の一部が暴動を起し、宮中の警備に加わっていた憲兵と衝突、新無憂宮での銃撃戦になったのだ。暴動を起した近衛兵達が目指したのは東苑とバラ園、偶発事故ではない、明らかに意図的なものだった。
「それで暴動の首謀者が自供したと聞いたが?」
「暴動を起したのは三人の中隊長でしたが、やはりノイケルン宮内尚書が裏に居ました。金で動いたようです」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。
「近衛が金で動くか、ヴァレンシュタインとも話したがまさに暗赤色の六年間じゃの」
リヒテンラーデ侯が吐き捨てた。うんざりしているらしい。
「暗赤色の六年間の後は晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下の御世です。これから良い時代が来る、そう思うことにしましょう」
「そうだといいの」
シュタインホフ元帥の言葉にリヒテンラーデ侯は自分を納得させるような表情で頷いた。
「三人は例の誘拐事件にも関わっています。彼らはラムスドルフが罷免されると思っていたようです。そして憲兵隊が取り調べをするだろうと。それなら仲間が庇ってくれると考えた。しかし……」
私の後をシュタインホフ元帥が続けた。
「ラムスドルフは職に留まり、捜査は近衛兵の手で行われる事になった。最初のうちは何とか誤魔化していたが、徐々に誤魔化しきれなくなってきた……」
「ラムスドルフが近衛兵の取調べを辞めたいと言ってきたのもそれが原因か……。自分が嘘を吐かれている、そう思うのが辛かったのじゃな……」
国務尚書がやるせないといった表情をした。あの日のラムスドルフを思い出しているのかもしれない。
暴動を起した近衛兵を抑えたのはラムスドルフ近衛兵総監だった。ラムスドルフは彼らの前に単身立ちふさがり、涙を流しながら説得した。
“光輝ある帝国近衛兵がその規律を忘れ、街の暴徒となんら変わらぬ行動をしている。卿らは陛下に御仕えするという名誉を何処へ置き忘れたか、その誇りを何処へ捨てたのか、この上さらに見苦しい行動をしようとするのであれば、先ずこの私を殺してから行なうが良い”
暴動を鎮圧した事でラムスドルフは陛下よりお褒めの言葉を賜った。だがラムスドルフが望んだのは近衛兵総監の辞任だった。陛下もそれ以上は職に留める事は出来ぬと考えたのだろう。
“よくやってくれた、御苦労であった”
それが陛下が最後にラムスドルフにかけた言葉であった。翌々日早朝、ラムスドルフの家族から彼が病で死んだと報告があった。陛下はその日一日南苑から出てくる事は無かった……。
分かっている。誰もが分かっている。ラムスドルフは死ぬしかなかった。エリザベート、サビーネ、両令嬢の誘拐、ヴァレンシュタインの暗殺未遂、陛下の負傷、そして近衛兵の暴動……。
近衛兵総監たるラムスドルフの責任は重い。誰が何を言っても彼の死を止める事は出来なかっただろう。陛下もわかっていたはずだ。“よくやってくれた、御苦労であった”その言葉にどれほどの想いが込められたのか……。そしてラムスドルフはその想いをどう受取ったのか……。
暴動鎮圧後、憲兵隊は宮内省高官の身柄を拘束するべく動いた。だが肝心の宮内尚書ノイケルンは既に死体になっていた。服毒死、但し自殺か他殺かは分からないままだ。
「例のヴァレンシュタインを撃った男ですが、ようやく取り調べが一段落しました」
「……」
暗殺者は宮内省の職員だった。リヒテンラーデ侯に撃たれ丸一日病院で治療を受けた後、憲兵隊の取調べを受けた。陛下を負傷させた事で怯えていたが、ノイケルンが死んだ事を知ると積極的に自白をした。最も自白の内容は自分は脅されて犯行を行なった犠牲者で悪いのはノイケルンということになる。
「やはりノイケルン宮内尚書に頼まれたそうです。標的はヴァレンシュタインとリヒテンラーデ侯……」
「……」
私の言葉にリヒテンラーデ侯は微かに頷いた。
「ヴァレンシュタインに止めを刺すため三射目を撃とうしたのですが、陛下が庇って負傷した。その事でどうして良いか分からなくなってしまい、迷う内に侯に撃たれたそうです。そうでなければ侯も撃ち殺していただろうと……」
「私もヴァレンシュタインも陛下に助けられたというわけか」
「そういうことになりますな」
リヒテンラーデ侯の溜息混じりの言葉にシュタインホフ元帥が相槌を打った。
「ノイケルン尚書はこう言っていたそうです。ヴァレンシュタイン元帥、リヒテンラーデ侯が死ねばそれを機に宮中の実権を掌握する。だから心配は要らない、捕まっても直ぐ逃がしてやると……」
私の言葉にリヒテンラーデ侯は苦笑を漏らした。
「それは嘘じゃな。その男は殺されておったろう」
「と言うと?」
「あの医師よ、あの男の役目は負傷したであろう我等を確実に殺す事、そして同じように負傷して取り押さえられたであろう暗殺者を治療すると見せかけて殺す事であろうな」
「なるほど、そういうことですか……」
納得したようにシュタインホフ元帥が頷いた。
「あの医師の素性は」
「一ヶ月ほど前、ノイケルン宮内尚書の推薦で宮内省の職員として雇われました」
私の言葉にリヒテンラーデ侯もシュタインホフ元帥も訝しげな表情をした。
「医師ではないのか?」
「リヒテンラーデ侯、宮廷医として雇われたわけでは有りません。但し医師の資格は持っています」
「なるほどの、医師として雇えば身元調査も厳しいからの。肝心なのはあそこに医師としている事か……。医師として雇われる必要は無いということじゃな」
何処か感心したように頷いているリヒテンラーデ侯にシュタインホフ元帥が顔を顰めた。
「閣下、感心している場合ではありませんぞ。お分かりでしょう、彼らが何をしようとしたか」
「分かっておる。クーデターじゃな」
クーデター、その言葉が尚書室に響いた。
「私とヴァレンシュタインを殺し実権を握るつもりだったのじゃろう」
何処と無く他人事のような侯の口調だった。
「しかし、近衛兵の一部だけでそんな事が可能だと考えるとは……」
「そうでもない、内務省が協力すればの。戦争をするのではない、卿らの拘束、オーディンの掌握だけなら可能じゃ」
思わずシュタインホフ元帥と顔を見合わせた。
「では、内務省もこの一件にかんでいたと?」
「多分の、近衛の暴動がラムスドルフによって鎮圧された事で成功する目が無くなったと考えたのじゃろうな。だから動かなかった」
「となるとノイケルン宮内尚書の死は……」
「口封じ、と言う事かの」
「……」
尚書室に沈黙が落ちた。やはりそうか、疑ってはいたがリヒテンラーデ侯とシュタインホフ元帥の言葉に溜息が出る思いだ。
「しかし、警察の力だけで権力の維持が可能だと思ったわけでもありますまい」
「当然じゃの」
リヒテンラーデ侯とシュタインホフ元帥が私を見た。彼らが何を言いたいのかは分かる。
「軍の力が必要ですな。接触したのはローエングラム伯でしょう」
「それ以外はあるまいな」
「それで、どうであった。卿に接触してきたと聞いたが」
厳しい目だ。リヒテンラーデ侯もシュタインホフ元帥もこちらを厳しい目で見ている。
「おかしな点は有りませんでしたな」
「……」
「ヴァレンシュタインの安否の確認、作戦の続行、変更の有無を確認してきました」
「……それで」
探るような表情でシュタインホフ元帥が訪ねてきた。
「それから宇宙艦隊全軍の指揮統括を小官に御願いしたいと」
「……」
「ただ、気になったのはこちらに接触してきたのがかなり早かったと思います」
リヒテンラーデ侯は天井をシュタインホフ元帥は床を見ている。
「誰かが積極的に情報を流しましたな」
暫くしてからシュタインホフ元帥が呟いた。
「エーレンベルク元帥、ローエングラム伯におかしな様子は」
「いえ、特にはありませんでした。前回の暗殺騒ぎに比べれば至って落ち着いていました」
私の言葉に国務尚書は何度か頷いた。
「無関係かの……」
「或いは……」
「しかし、ノイケルン宮内尚書が軍の支援無しに動くとも思えませんが?」
シュタインホフ元帥の質問にリヒテンラーデ侯が答えた。
「周りかもしれんの」
「確かに、良くない人物が居ると聞きます」
「なるほど……。オーベルシュタインですか……」
自然と皆顔を見合わせた。
「それにしてもオーベルシュタインはノイケルンと組んで権力を維持できると考えたのでしょうか、確かに内務省が味方につけば心強いでしょうが宇宙艦隊はそっぽを向きかねませんぞ」
「小官もシュタインホフ元帥と同じ思いです。ノイケルンが権力を得るために侯とヴァレンシュタインを暗殺したのは誰でも想像が付きます。となれば反ってローエングラム伯は孤立するでしょう。その辺をどう考えたのか……」
「甘いの、卿ら。ノイケルンは捨て駒よ」
「? 捨て駒ですか」
私の言葉にリヒテンラーデ侯は頷いた。そして凄みのある笑顔を見せた。
「ノイケルンはローエングラム伯にオーディンに戻るように連絡をする。連絡を受けたローエングラム伯はオーディンに戻り、宮中でクーデターを起し、私とヴァレンシュタインを暗殺したノイケルンを捕らえクーデターを鎮圧する」
「!」
「どうじゃ、これならローエングラム伯は救国の英雄になるじゃろう。次の宇宙艦隊司令長官はローエングラム伯、オーベルシュタインがそう考えたとしてもおかしくはあるまい」
「……なるほど、彼は次の司令長官がメルカッツに決まっているとは知りませぬからな」
シュタインホフ元帥がリヒテンラーデ侯の言葉に頷いた。確かに次期司令長官が決まっていなければローエングラム伯が司令長官に就任しただろう。オーベルシュタイン准将、そこまで考えたか……。切れるとは聞いていたが、恐ろしいほどの切れ味だ。思わず背筋に寒気が走った。
「脚本は書いた。しかしローエングラム伯は踊らなかった。まあ、ノイケルンがあっという間に殺されてしまったからの、踊る暇が無かったのかもしれん」
国務尚書の言葉に頷きながらシュタインホフ元帥が問いかけてきた。
「ではローエングラム伯の処分は」
「今回は難しいだろう、証拠もないし不自然な動きも無い。多少早く連絡が有ったがそれだけでは処断は出来ん」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が頷いた。
「まあ、軍務尚書の言う通りじゃの。今回は見送るしか有るまい」
「……」
シュタインホフ元帥がこちらを見てくる。“良いのか”、そんな感じの目だ。“仕方が無い”、そんな意味を込めて頷いた。向こうも頷き返してくる。
「それにしてもヴァレンシュタインは何時になったら目覚めるのかの」
「昨日遅く、一度目覚めたと聞きましたが……」
私の答えにリヒテンラーデ侯は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「全く年寄りばかり働かせよって、さっさと起きんか、怠け者めが。少しは年寄りを労わらんか!」
悪態をつくリヒテンラーデ侯に一瞬目を奪われたが、次の瞬間どうしようもなくおかしくなって笑い声を上げた。シュタインホフ元帥も笑っている。
私達が笑っているのが面白くないのだろう。リヒテンラーデ侯が不機嫌そうに叫んだ。
「何がおかしい!」
やれやれだな、ヴァレンシュタイン。卿はおちおち眠る事も許されぬようだ。せめて今だけは良い夢でも見るのだな。目覚めればリヒテンラーデ侯が怖い顔で待っているからの。私はもう一度笑い声を上げた……。
ページ上へ戻る