銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百七十二話 嵐の前、静けさの後
帝国暦 487年 12月 2日 ガイエスブルク要塞 オットー・フォン・ブラウンシュバイク
「御苦労だったな、フェルナー、ガームリヒ中佐」
目の前で頭を下げるフェルナー、ガームリヒ中佐に声をかけた。
「申し訳ありませんでした、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯」
フェルナーは寄り一層頭を下げ謝罪した。ガームリヒも同じだ。
アントン・フェルナー、アドルフ・ガームリヒ、二人はガイエスブルク要塞に着くと直ぐにわしの部屋に来た。わしがリッテンハイム侯と総司令官を誰にするかで打ち合わせをしている所へ……。
「卿らに責任は無い、誘拐の件も、暗殺の失敗もな」
「公の言う通りだ。相手がより狡猾だったという事だ。まさか近衛に内通者を作るとは……」
わしとリッテンハイム侯の言葉にも二人が頭を上げる事は無い。困った奴らだ。
「二人とも顔を上げよ、それでは話が出来ぬ」
「はっ」
躊躇いがちにフェルナーが顔を上げ、それに続く形でガームリヒが顔を上げた。二人とも憔悴しきった顔をしている。
「卿らからヴァレンシュタインを暗殺したと発表しろと言われた時は驚いたが、思いの外の反響であったな。上手い手を考え付くものだ」
「……」
今、ガイエスブルクには大勢の貴族と軍人がやってきている。あの小僧どもの力によってではない、わしとリッテンハイム侯の力によってだ。参加した貴族は約三千八百名、兵力は二千五百万を超える。艦艇にいたっては二十万隻に近いだろう。
「あの人攫いどもに戦の主導権を執られてはたまらぬ。この戦争は私とブラウンシュバイク公の戦争だ。あいつ等はせいぜい扱き使ってやろう。愚かな事をした報いにな」
そう言うとリッテンハイム侯が笑い出した。その通りだ、この戦いは我等の戦いだ。あの小僧どもに好きにはさせん。
「フェルナー、ガームリヒ中佐、今は未だ誰も卿らの失敗を咎めるものはおらん。我等が起った事で満足している。だが負けが続けば卿らを責める者達が増えよう。心無い悪罵をぶつけるに違いない、それだけは覚悟しておけ」
「はっ」
「どれ程苦しかろうと命を粗末にしてはならんぞ、卿らの命は卿らの物ではない。ヴァレンシュタインがエリザベートとサビーネを守るために預けた命なのだ。その事を忘れるな」
「……はっ」
リッテンハイム侯がくすっと笑った。
「まあ、我等が勝てば良いのだ、勝てば何の問題も無い。公が言っておられるのも万一の場合の事、あまり深刻に考えぬ事だな。公も余り若い者を苛めぬ事だ」
そう言うとリッテンハイム侯は笑い始めた。思わずつられてわしまで笑ってしまったではないか、困った男だ。勝てるなど欠片も思っておらぬくせに……。
「そうだな、確かにリッテンハイム侯の言う通りだ。年の所為かな、どうも気が弱くなったようだ。気をつけるとしよう」
「そうだな、気をつけたほうが良いな」
そう言うとまたリッテンハイム侯は笑った。
我等の遣り取りをどう聞いたのか、蚊の泣くような小さな声でガームリヒ中佐が訪ねてきた。
「……エリザベート様、サビーネ様は」
「明日には此方に着くそうだ。ランズベルク伯から連絡が有った」
「では、その時点で直ぐに此方にお引取りしましょう」
「そうだな、二人に任せてもよいかな」
「はっ」
二人の事を考えると胸が痛んだ。どれだけ心細かったか、怖かったか。だが今度は戦場の真っ只中にあの二人を置くことになる。ランズベルクの小僧にどうにもならぬほどの怒りが湧いた。
「お二方にヴァレンシュタイン司令長官からの伝言を預かっております」
「……」
ヴァレンシュタインの伝言……。フェルナーの言葉に思わずリッテンハイム侯と顔を見合わせた。我等が何も言わぬ事にフェルナーは一瞬戸惑ったようだったが、低い声で続けた。
「残念だと……。この上は門閥貴族としての生き様を貫いて欲しいと」
「……」
残念……。門閥貴族としての生き様を貫く……。
門閥貴族として滅べ、これ以上は生にしがみつくなという事か……。小僧め、わしを誰だと思っておる。その程度の覚悟も無しにオットー・フォン・ブラウンシュバイクが反乱を起すと思うのか。
隣にいるリッテンハイム侯が苦笑するのが分かった。同じ思いなのだろう。
「確かに受け取った。御苦労だったなフェルナー、ガームリヒ中佐。下がってよいぞ」
フェルナーとガームリヒ中佐が居なくなるとリッテンハイム侯と二人きりになった。
「門閥貴族としての生き様か、なかなか洒落た事を言うではないか」
「そうだな。しかし我等が死ねば、門閥貴族としての生き様など見せられるものはおるまい」
リッテンハイム侯が深く頷くのが見えた。そして悪戯っぽい笑みを浮かべ問いかけてきた。
「……公に訊きたいのだが門閥貴族としての生き様とは何かな?」
「……卿とて分かっておろう。門閥貴族として死ぬ事よ、意味の無い誇りを抱いて死ぬ、それ以外の何物でもあるまい」
「……愚かな事では有るが、覚悟だけは必要なようだ」
「うむ」
「有り難い事だ、狡賢く生きろ等と言われるよりは遥かにましであろう、違うかな?」
リッテンハイム侯が笑い出した。最近この男は妙に良く笑う、それも朗らかに。困った男だ、わしまで釣られてしまうではないか。一頻り笑った後、侯が問いかけてきた。
「それで、話が途中になっていたが総司令官の人選だがどうするかな? 階級ではオフレッサーだが、あの男は地上戦が専門だ。艦隊戦など出来ぬだろうし、やりたがらぬであろう」
「確かにな、シュターデンがやりたがっているが、大将達の間ではあの男は一番年が若い、皆納得すまい」
「ふむ、かといって味方殺しどもに総司令官などやらせては、皆前の敵より後ろの味方を気にするであろうな」
「……」
顔を顰めながら話すリッテンハイム侯の言葉に全く同感だった。クライストとヴァルテンベルクが此処に仲良く来たのを見たときは何かの冗談かと思ったものだ。あやつらに来られても軍の士気など欠片も上がらぬ。
あのまま軍に居ても活躍の場は与えられぬ。我等に味方すると言うより、ヴァレンシュタイン憎し、の思いなのであろうが、迷惑な事だ。
「ではグライフスか。宇宙艦隊総参謀長まで務めたのだ、誰も文句は言うまい」
「そうなるな、後でわしから伝えておこう」
「総司令官の発表は今日のうちが良かろう、あの小僧どもが来る前に終わらせておく事だ、自分が総司令官に就く等と言いかねんからな」
「人攫いと軍の指揮は違うであろう」
「それが分かるなら良いがな、分かると思うか?」
「……」
「そういうことだ、ではまた後で」
そう言うとリッテンハイム侯は自分の部屋に戻っていった。
やれやれだ。あの小僧どもには本当に面倒をかけさせられる。グライフスに総司令官就任を依頼せねばならんが、その前にあの男と話しておかねばならん。
その男、オフレッサー上級大将がわしの部屋に来たのは彼を呼んでからきっかり五分後だった。目の前に二メートルの巨体が立つと圧倒されるような思いがする。この男がトマホークを振り上げて迫ってくる姿はまさに恐怖以外の何物でもあるまい。
「お呼びですかな、ブラウンシュバイク公」
「うむ、卿に訊きたい事があってな」
「……」
「何故此処に来た? わしと卿は特別親しかったわけではない。むしろ卿は我等を嫌っておろう」
「……」
オフレッサーは何の感情も面に出さなかった。だが分かっている、我等がこの男の持つ血生臭さを何処かで嫌ったようにこの男も我等を嫌っていた。この男にとっては戦場に出ぬ我等など唾棄すべき存在だったろう。
「卿ならヴァレンシュタインの元で十分にやっていける。確かに彼の下にはリューネブルクが居るが卿の居場所が無いとも思えぬ。何故かな?」
「……はて、御迷惑でしたかな?」
微かに笑みを浮かべてオフレッサーが問いかけてきた。
「そうではない、ただ腑に落ちぬ、それだけだ。此処は将来に展望の持てぬ者だけが来る場所なのでな。卿には似合わぬと思っただけよ」
わしの言葉にオフレッサーは苦笑を浮かべた。
「将来に展望の持てぬ者ですか……。そうですな、小官は帝国が好きなのです。小官を装甲擲弾兵総監にまでしてくれた帝国が……。それではいけませぬかな」
「……」
「それにシャンタウ星域の会戦で反乱軍は壊滅しましたからな。骨のある相手がいなくなりました。小官もお払い箱かと思っておりましたが、リューネブルクが居ましたな。感謝しますぞ、あの男と戦う場を与えてくださった事を」
「……酔狂な事だな、好きにするが良かろう」
オフレッサーは敬礼すると部屋を出て行った。オフレッサーの出て行ったドアを見ながら思った。酔狂な男、馬鹿な男、だがわしやリッテンハイム侯と一体何処が違うのだろう。滅びの道を歩み滅びの宴を楽しむ者、同じではないか……。
帝国が好きか、古い帝国が……。不器用な男だ。死に場所を求めてきたか、オフレッサー。ならばわしに出来る事は卿に散り場所を与える事だけか。厄介なことだ。自分の事だけで手一杯だというのに、あの男に美しく華々しい死に場所を与えねばならんとは……。
帝国暦 487年 12月 3日 オーディン 新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「宮中でもブラスターを所持せねばならんとは、物騒な事じゃの」
「仕方がありません。何時、誰が、何処から命を狙ってくるかもしれませんから」
フンと不機嫌そうに鼻を鳴らすとリヒテンラーデ侯は俺の前を歩き出した。これからバラ園に向かう、皇帝フリードリヒ四世と非公式の謁見だ。護衛は俺と侯から少しはなれた位置から囲んでいるだけだ。俺達の話し声が聞こえる事は無い。
「暗赤色の六年間のようじゃの」
「そうですね、近衛兵が当てにならない事も似ています」
近衛兵が当てにならない、おそらくリヒテンラーデ侯は顔を顰めているだろう。
似ている事は他にもある、皇帝の名前がフリードリヒだ。だがそれは言わなかった、言えば老人は怒り出すだろう。
暗赤色の六年間、第二十代皇帝フリードリヒ三世の治世の晩年の事だ。帝国暦三百三十一年から三百三十七年の六年間を指す。この時代、陰謀、暗殺、テロが横行した。
近衛兵が反乱を起す事を恐れて「北苑竜騎兵旅団」、「西苑歩兵師団」が設置されるという信じられない時代だった。
この状態が長く続けば帝国は中枢部の混乱から崩壊していたかもしれない。だが晴眼帝と呼ばれたマクシミリアン・ヨーゼフ二世の登場で帝国は混乱と崩壊を回避し立て直された。マクシミリアン・ヨーゼフ二世が中興の祖と言われる由縁だ。
もっとも帝国が立て直された理由には自由惑星同盟の存在も大きかったと俺は思っている。ダゴン星域の敗戦で帝国は強大な敵を持つ事になった。内輪もめをしている状態ではない。そう考えた人間が多かったはずだ。
彼らはマクシミリアン・ヨーゼフ二世に協力を惜しまなかっただろう。マクシミリアン・ヨーゼフ二世の臣下と言えば司法尚書ミュンツァーが有名だが、ミュンツァーだけの協力で国政の建て直しが出来たわけでは有るまい。
「例の三年前の事件じゃが、犯人は未だ判らんのか?」
「残念ですが」
リヒテンラーデ侯が溜息を吐くのが聞こえた。侯にはあの一件を全て話してある。もちろんケスラーやキスリングの闇の左手の事は伏せてだが……。
「宮内省と内務省か……。ノイケルン宮内尚書もフレーゲル内務尚書も喰えぬ男だからの、油断は出来ぬ」
「……」
ノイケルンはともかくフレーゲルが絡んでいるのは事実だろう。ラング一人で警察まで動かすなどできる事ではない。だが証拠が無い、それに存在が分かっているなら注意は必要だが恐れる事は無い。
問題は宮内省の顔の見えない男だ、この男の特定が最優先だろう。容疑者はギュンターが六人まで絞ったがノイケルンはその中の一人だ。ノイケルンなのか?
それ以上の話は出来なかった。バラ園の入り口が見えてきた。此処からは護衛は付いてこない。彼らは入り口で待機することになる。皇帝の元に行くとフリードリヒ四世はバラを見ていた。侯と二人、皇帝の前で片膝をついて礼を示した。
「御苦労じゃな、二人とも」
「はっ、陛下におかれましては……」
「やめよ、リヒテンラーデ侯。此処はバラ園、虚飾は無用じゃ」
「はっ」
「ラムスドルフが辞めたいと言って来た。自分には近衛兵の取調べは出来ぬと。部下を疑うのは許して欲しいとな。あれは部下思いゆえ辛いらしい。部下が自分を裏切ったとは思いたくないようじゃ」
「……」
「予はあれを死なせたくない、その一心であれに取調べを命じたが酷だったかの?」
「……」
酷では有ったろう、だが助けるにはそれしかなかったはずだ。
「陛下」
「何かな、ヴァレンシュタイン」
「臣が思いますに……」
そこから先は続けられなかった。突然背中に焼ける様な痛みが走った。体が弓なりに反り返り、そして横に倒れこむ。痛みで声も出せない。皇帝と侯の悲鳴が微かに聞こえる。そして今度は脇腹に同じ痛みが走った。今度は呻き声が出た。そして何かが俺に覆いかぶさってきた……。
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