銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百七十話 共同宣言
帝国暦 487年 11月26日 フェザーン 帝国高等弁務官事務所 ヨッフェン・フォン・レムシャイド
「よろしいかな、ヘンスロー弁務官。自分のなすべきことを覚えられたか?」
「ああ、大丈夫だ」
私はヘンスロー弁務官の答えを聞きながら内心で溜息をつく思いだった。先程から何度も汗をぬぐい、目はキョロキョロと周囲を泳ぐ。何でこんな男が反乱軍を代表する弁務官になどなったのか……。
これから帝国と反乱軍、いや自由惑星同盟軍(今からこの呼称に慣れておかぬと大変なことになる)の間で捕虜交換の共同声明が行なわれる。当初、ホテルを借りて行なうかと考えたが、ルビンスキーに詮索されるのは面白くない、そう考え、同盟か帝国の高等弁務官事務所で共同声明の発表、記者会見を行うことになった。
同盟の弁務官事務所は論外だった。ヘンスローはルビンスキーに飼いならされている。会場の準備などすればあっという間に情報はルビンスキーに伝わるだろう。というわけで同盟の高等弁務官事務所には一切何も知らせず帝国側だけで準備を進めてきた。
私は一度同盟政府に直接連絡を取り弁務官を代えてくれ、ヘンスローを更迭してくれと頼んだのだが、同盟政府はむしろヘンスローをそのままにしてルビンスキーの目をくらまそうと提案してきた。更迭は共同声明の発表後にしようと……。
同盟側の提案は一理あった。今ルビンスキーの注意を喚起する事はいかなる意味でも避けるべきだった。というわけでヘンスローは更迭されず、本国政府の命令で帝国高等弁務官事務所に来るまで何も知らされていなかった。どうやら拉致同然に此処へつれてこられたらしい。
ヘンスローは此処に来てから全てを知らされた。そして共同発表の手順、記者の質問、回答の想定等を叩き込まれた。はっきり言って物覚えの悪い犬にお手とお座りを教えるような感じがしたものだ。こんな馬鹿な犬は見たことが無い。
「ヘンスロー弁務官、ルビンスキーに知らせたいとお考えかな」
「いや、別にそういうわけでは……」
汗を拭くのは大概にしてくれぬか。いい加減鬱陶しい。
「ヘンスロー弁務官、卿はフェザーンの弁務官ではない、自由惑星同盟の弁務官であろう。ルビンスキーが卿を大事にするのは卿が同盟の弁務官だからだ。卿が弁務官を首になればルビンスキーは卿を役に立たぬガラクタのように捨てるであろうな」
「そ、そんな事は分かっている」
「そうか、分かっているか。それならばよい、では少しは同盟のために役に立つのだな。そろそろ共同会見に行くとしようではないか」
分かってはいない。この男がそれを分かるのは首になってからだろう。
会場は記者、カメラマン等、報道機関の人間で溢れていた。予想外の盛況だった。帝国政府から重大発表が有ると彼らに通知したのは一時間ほど前の事だ。帝国が内乱状態に有る事が彼らの好奇心を刺激したのだろう。
私とヘンスローが会場に入ると一斉にどよめきが起こった。“おい、あれは”、“ヘンスロー弁務官だ、何故此処に”そんな声が聞こえる。会場に用意された会見用のテーブルに向かう。ヘンスローと二人並んで椅子に座った。カメラのフラッシュが私とヘンスローを襲う。
「本日はお忙しい中、お集まり頂いた事に感謝します。自由惑星同盟、ヘンスロー高等弁務官です。今日此処に皆さんにお集まり頂いたのは、銀河帝国政府、自由惑星同盟政府、両政府より重大な発表があるからです」
言葉だけなら格好が良いが、汗を拭きながらの発言では格好がつかないことこの上ない。今更ながらヘンスローにうんざりした。
「発表の内容については銀河帝国高等弁務官、レムシャイド伯爵に御願いしましょう」
御苦労だったなヘンスロー、此処から先は私の仕事だ。
「銀河帝国高等弁務官、レムシャイド伯爵です。この度、自由惑星同盟政府と銀河帝国政府は両国が抱える捕虜を交換することで合意しました」
またカメラのフラッシュとどよめきが私を襲う。こればかりは慣れそうに無い。どよめきが静まるのを待ってから言葉を続けた。
「ただ残念な事に現在帝国内では大規模な内乱が発生しております。従いまして捕虜交換につきましては帝国内の混乱が終結してからとなります」
「内乱終結後、両国の軍によって捕虜交換の手続きを調整、調印式を行った後、捕虜を交換するということで両国政府は合意しました」
こちらの発言が終わったと判断したのだろう、記者の一人が早速質問をぶつけてきた。
「この捕虜交換ですが、帝国が内乱の間自由惑星同盟の攻勢を防ぐための謀略では有りませんか、内乱が終結すれば反古になるのでは?」
想定された質問だ。この質問の受け持ちはヘンスロー、卿だぞ。
「そ、そうならないように、こうして共同会見をひ、開いています。皆さんがこの声明の保証人になるわけです。そ、それに帝国にも同盟にも捕虜の返還を待ちわびる人達が大勢居ます。その思いを踏みにじるような事は出来ません」
汗をぬぐい、原稿を棒読みするような調子でヘンスローが答えた。もっと堂々と言ってくれ、それでは少しも感銘が与えられん。
「レムシャイド伯爵はどうお考えですか、帝国のヴァレンシュタイン司令長官は謀略家だと言われていますが、これがその謀略の一つと言う事は有りませんか」
「先程ヘンスロー弁務官が申し上げたとおり、帝国にも捕虜の返還を待ちわびる人達が大勢居るのです。謀略などでは有りません。前回、イゼルローン要塞の失陥で多くの人間が同盟に囚われているのです。彼らを一日でも早く帝国へ帰還させることが急務であろうと政府は考えています」
「では、今回の捕虜交換、これは両国が共存の道を選び始めた、そういうことではありませんか、十月十五日の勅令以来同盟の中でも帝国との共存を考え始める人達が居ると聞きますが」
「どういう形であれ、宇宙が平和になる事は良い事だと考えています」
私がそう答えるとまたフラッシュが激しくなった。おそらく帝国と自由惑星同盟が外交関係を改善しようとしている、そう考えたのだろう。
そう考えてもおかしくない。帝国政府が自由惑星同盟政府を対等の交渉相手として扱っているのだ。これまでなら有り得ない事だった。捕虜交換、そして宇宙が平和になる事は良い事、その言葉を聞けば帝国と同盟が和平への道を模索しているように見えるだろう。しかし、宇宙が平和になるのは和平だけがその手段ではない、統一でも宇宙は平和になる。
その後は適当に質問を切り上げ、会場を後にした。ヘンスローとともに弁務官室に戻る。これからこの物覚えの悪い犬に引導を渡さなければならん。
「ヘンスロー弁務官、御苦労だったな」
「ああ、私はこれで戻らせて頂く」
「そうだな、ハイネセンへ戻られると良いだろう」
「つまらない冗談は止めてくれ、不愉快だ」
ムッとした様に不機嫌そうなヘンスローを見ていると哀れみより、馬鹿馬鹿しさが胸に溢れた。ヘンスローはおそらくフェザーンの用意した女、酒でも楽しもうと言うのだろう。何も分かっていない、お前抜きで此処まで事を運んだという事がどういう事か……。
「冗談ではない、卿には本国への帰還命令が出ている」
「……」
「トリューニヒト議長は卿から直接今回の交渉の紆余曲折を聞きたいそうだ」
「ば、馬鹿な。私は交渉など何もしていない」
「未だ分からんか、そういう口実で帰国しろと言っているのだ。既に船も同盟政府が用意している。宇宙港へ行くのだな」
「ちょっと待て、私は」
見苦しく慌てふためくヘンスローを見ていると溜息が出た。お前は同盟政府からも帝国からもまるで信用されていないのだ。そして今ではフェザーンからも相手にされないに違いない。
「トリューニヒト議長に感謝するのだな。ルビンスキーの期待を裏切った卿がフェザーンに居る事がどれだけ危険か。卿も分からぬではあるまい。命の有るうちにハイネセンに戻ることだ」
「そ、そんな、わ、私は」
「連れて行け」
私の言葉に職員が見苦しく騒ぐヘンスローを連れて行った。さて、嫌な仕事が終わった。気分を入れ替えてもう一仕事しなければならん。
帝国暦 487年11月26日 フェザーン アドリアン・ルビンスキー
捕虜交換か……、やってくれるではないか。これで同盟が帝国に侵攻する可能性は全くなくなった。同盟の力を利用して反乱を長引かせるという目論みは潰えた。記者会見をするヘンスローとレムシャイド伯爵を見ながら俺は思った。
「ヘンスロー弁務官は全く役に立ちませんでした。あれだけ優遇したというのに……」
「……」
ルパートが何処か嘲笑するかのような口調でヘンスローを評価した。それとも俺を間抜けだと評価したのだろうか? だから嘲笑を感じたのか……。
「補佐官、ヘンスローに代わって帝国と交渉をした人間が居るはずだ。誰だと思う?」
「……分かりません。早急に調べましょう」
「うむ」
ルパート、俺を笑う前にそのくらいは調べて欲しいものだな。帝国と同盟にコケにされたのはお前も同じなのだ。
同盟と帝国が手を結ぶ可能性か、帝国は、いやヴァレンシュタインは同盟との共存を考えていない。しかし同盟は今回の一件で帝国との共存を当然考えるだろう。今の同盟は帝国との戦争に自信を持っていない。当然帝国寄りの姿勢を示す。つまり、帝国と関係が悪化しているフェザーンは孤立する事になる。そこまで考えての捕虜交換か……。
帝国と同盟の関係を悪化させる必要があるな。それとやはりあの男を早急に片付ける必要がある。とりあえず内乱は起させた。後は混乱を起しその中であの男を暗殺する……。これからだ、これからが本当の勝負だ……。
宇宙暦 796年 11月27日 ハイネセン ある少年の日記
十一月二十三日
今日、驚くべき事が起きた。帝国で反乱が発生したのだ。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が反乱を起した。いや驚くべき事じゃないかもしれない、前から帝国では内乱が起きるだろうと言われていたのだから。
むしろ驚いた事は帝国軍の宇宙艦隊司令長官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥が暗殺された事だった。当然だけど犯人は、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯だ。
ヴァレンシュタイン元帥はシャンタウ星域の会戦で同盟軍を壊滅させた張本人だ。死んだと聞いたときはザマアミロと思ったけど、出来れば同盟軍の手で殺して欲しかった。
ハイネセンではこれを機に大規模な出兵で帝国領に攻め込むという意見が出ている。元々は内乱を長引かせる嫌がらせ程度の攻撃を、という話だったけれど、ヴァレンシュタイン司令長官が死んだことで今なら帝国を混乱させられるからということらしい。
大規模な出兵といっても三個艦隊を出すのが精一杯だそうだ。少しでも帝国を混乱させ、同盟が国力を回復する時間を稼ごうという事らしい。今、同盟軍が健在なら帝国を一撃で倒せただろう。本当に残念だ。あのシャンタウ星域の会戦さえなければ、帝国を倒す事が出来たのに……。
遅い時間になってから、帝国は内乱状態に入った事を宣言し、軍に鎮圧を命じたようだ。でも簡単に鎮圧できるのだろうか? 周囲の人は反乱は長引くだろうと予想している。司令長官が暗殺されたから体勢を整えるのに時間が掛かるだろうということらしい。出来ればその方が同盟にとってもいい、内乱は長引いて欲しいと僕も思う。
十一月二十四日
暗殺されたと思っていたヴァレンシュタイン司令長官が生きている事が分かった。残念だと思ったけど、むしろこれでいいのだと思った。シャンタウ星域の会戦の仇を討つ。ヴァレンシュタイン司令長官を殺すのは同盟軍だ。
ヴァレンシュタイン司令長官が生きていた以上帝国軍はあまり混乱せずに内乱を鎮圧するに違いない、皆がそう言っている。その所為で出兵論は急速に力を失っているらしい。政府も軍も出兵には消極的のようだ。
「主戦論を唱える事と戦争に勝つ事は別だ。勝つためにはそれなりの準備が必要だ」
トリューニヒト議長の言葉だ。議長によれば今は国力回復の時期、準備の時期で出兵などすべきではない、そういうことらしい。
宇宙艦隊司令長官のビュコック提督も“今は無理の出来る状況ではない。体力の回復に力を注ぐという政府の判断は正しいと思う”と言っている。僕は少しでも帝国に思い知らせてやりたいと思うけど、今は国力回復が必要という事は分かっている、我慢するしかない。でも国力が回復したら必ず帝国に思い知らせてやる。
十一月二十六日
今日、また驚くべき事が起きた。最近驚いてばかりだけど本当に驚いた。同盟と帝国が捕虜を交換することを発表したのだ。政府が出兵論に消極的なのもこの所為だったみたいだ。
フェザーンで行なわれた共同会見を僕も見たけれど、はっきり言ってヘンスロー弁務官がかっこ悪いので見ていて面白くなかった。帝国のレムシャイド伯爵の方が堂々として落ち着いていた。あの二人が逆だったら良かったのに。
ハイネセンでは捕虜交換が謀略なのかどうかで皆が話している。あれだけ大々的に会見を行なったのだから本当だろうという人もいれば帝国など信用できない、謀略に違いない、そういう人もいる。僕にはちょっと判断できないけど本当だといいなと思う。
大体において皆捕虜が返還される事は良い事だと思っている。レベロ財政委員長は“扶養家族が減って稼ぎ手が戻ってくるのだ。財政委員長としてはこれ以上の慶事は無い”と言っていた。余りにも露骨過ぎて皆呆れていたけど。
今日のハイネセンは和平論で大騒ぎだった。帝国は改革を行い変化しようとしている。今回の捕虜交換を機に帝国との和平を積極的に考えるべきだと言うのだ。はっきり言って納得できなかった。暴虐なる銀河帝国を倒し宇宙に民主共和制を広める、それこそが自由惑星同盟の使命の筈なのに……。
トリューニヒト議長が記者会見を開いていたけど、議長の考えは“時期尚早”だった。“帝国がどのような方向に進むかを見極めてからでも和平は遅くない。今はただ国力を充実させるのみ”そう言い切った時の議長は格好良かった。
それにしても昨日までの同盟は出兵論、今日は和平論、明日はどうなるのだろう。誰かが“明日は降伏論でも出るんじゃないか”と言って笑っていたけど、皆“なんだかよく分からないね”と言っている。僕も全く同感だ。本当になんだかよく分からない。
でも降伏論だけは無い。同盟が帝国に降伏するなんて事は無い。今は劣勢だけど必ず盛り返していつか帝国を破り、皇帝を跪かせるんだ。暴虐なる帝国を打倒する、それこそが僕たちの使命なのだから。
帝国暦 487年10月15日
銀河帝国皇帝フリードリヒ四世による「帝国暦487年10月15日の勅令」が発布される。
帝国暦 487年11月23日
エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイム、誘拐される。
オットー・フォン・ブラウンシュバイク公爵、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵、反逆を宣言する。
帝国政府、帝国が内乱状態に入った事を宣言、軍に対し内乱鎮圧を命ずる。
帝国暦 487年11月24日
ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将、帝国軍宇宙艦隊副司令長官に任じられる。
帝国暦 487年11月26日
銀河帝国、自由惑星同盟、内乱終結後の捕虜交換の実施を共同声明にて宣言。
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