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艦隊これくしょん【幻の特務艦】

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第二十三話 和解に向けて

沖ノ島攻略作戦が完遂してのち、新たな艦隊編成が発表されてから数日が立っていた。この間、変則艦隊・混合艦隊等と呼ばれた不規則な編成については、賛成よりも不評の方が圧倒的であったが、葵は頑としてこれを変更しなかった。それでも何人かの艦娘は葵に直訴しに来たが、彼女の鋼鉄の意志に阻まれ、すごすごと部屋を退散していった。
「あ~もう!!」
葵の執務室を出た麻耶はこらえきれないように叫んだ。
「どうしてなんだよ!!どうしてアタシが戦艦の指揮をとらなくちゃならないんだ!?」
「あらあら、いいじゃないの。こういうのって新鮮でしょう?」
麻耶の退出を廊下で待っていた愛宕がにこやかに言った。
「姉貴にはわかんないだろ!?旗艦じゃないんだから。・・・・艦隊旗艦の重圧ってとっても大変なんだぜ。戦艦ならともかく、重巡がそれをやるなんて――。」
「あら、いつもいつも『戦艦には負けねえ!』って言っていたのは誰だったかしら?」
麻耶が凍り付いたように動かなくなった。
「それは――。」
「まぁまぁ、何かあれば私に相談してくれていいから、一時の提督たちの気紛れだと思って頑張りましょうね。」
「・・・・・・・。」
先ほどの憤りが嘘のように消えた麻耶の肩を抱くようにして愛宕は執務室を離れていく。その様子を物陰からじっと見ていたのは、榛名、そして紀伊だった。
「やっぱり皆さん面白く思っていないようですね。」
榛名はと息を吐いた。
「そうみたいです。でも、乱暴な手だと承知の上で葵さんたちにお願いしたのですから、もう少し様子を見ましょう。」
そういう紀伊自身も複雑な思いを持っていないわけではなかった。


* * * * *

「旗艦ですか!?」
掲示板に張られた編成表を見、そして葵から直々に申し渡された時、思わず聞き返してしまった。葵は執務室の自分の机の前にある椅子に腰を下ろし、紀伊をソファに座らせている。
「そうよ。あなたが旗艦を務めるのよ。」
「ですが!その、私が・・その・・私、経験がありません!!」
「当り前よ。誰だって最初から旗艦として生まれてきたわけじゃないわ。」
「そうじゃなくて!!」
「どうじゃというの?」
そう言ってから葵は面白そうに笑った。反対に笑われる側にとっては面白くもなんともない。むしろ危機感ばかりが募り始めていた。
「紀伊。」
葵は先ほどまでの笑みを打ち消して、真顔になっていた。
「あなたのことは皆から色々と聞くわ。戦術眼に優れ、皆の特性を理解し、かつ自軍をいつも思いやる。それらを念頭に置いてあなたは常に戦う。もちろんあなた個人の技量も素晴らしいわ。でも、あなたには決定的にかけているものがある。わかる?」
「・・・・・・・。」
「あなたには自信がないわ。」
やはりというか、呉鎮守府でもここ横須賀でも異口同音に言われるのはその言葉だった。
「それは・・・よく言われました。今だってそうです。私には自信なんてないです。何も・・・・。艦隊を指揮するだけの器だって・・・・。」
葵は探るようにじ~っと紀伊の顔を見ていたが、突然すばりと、
「あなたもしかして前世の記憶がないとか何とかをずっと気にしているわけ?」
「――――!」
思わずうろたえた紀伊に畳みかけるように、
「あなたには前世の記憶なんてなくてよろしい。諦めなさい!」
「そ、そんなにはっきりとおっしゃられると――。」
「当り前よ。いい?何故なら紀伊型空母戦艦は前世に存在しないからよ。紀伊型戦艦だって計画倒れ。だからあなたは全くのオリジナルなの。」
「それは・・・・ここに来る前に色々な方から伺いました。でも、それとこれとは・・・・。」
「どうだというの?」
「・・・・・・・。」
紀伊は詰まってしまった。前世の記憶がない、自分には積みあがった物がない、それは自身がない事の原因の一つなのかもしれない。だが、それがあるから自信がない事への言い訳になるのかと正面切って問い詰められれば答えは否である。前世の記憶がない云々以前の問題だった。要は自分の心構えの問題なのだ。
 紀伊が黙っていると、葵がキッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「紀伊。あなたもさっき言ったけれど、よく人間は器ということを口にするわね。『自分はその器ではありません。あの人はできる人だ、他の人を抱擁する器がある。』なんて。」
紀伊はうなずく。
「でもね、器器という人は、同時に自分や相手の可能性を狭めていることに気が付かないのよ。器って言ったら、要は物を入れるわけでしょ。それには当然入れられる限度ってものがあるわ。形をとどめておくことや尺度を現す分にはいいのかもしれないけれど、人間ってそんなに単純に割り切れるのかしらね。私はそうは思わないわ。」
「・・・・・・・。」
「あなたのさっき言ったことも同じよ。あなたはああいったことで自分の可能性を否定してしまったのよ。器なんてぶち壊してしまいなさい。そんなものに左右されないの。艦隊指揮官なんて千差万別、いろんな人がいて当然なんだから。」
もし、紀伊がこの時葵の正体を知っていたら、きっとこう質問しただろう。


―――あなたはどういう総旗艦だったのですか?総旗艦を引き受けた時、どう思いましたか?その重責はどれほどのものだったのでしょうか?・・・・。

 だが、そう聞かれたところで、葵はこう答えるだけだろう。

「私は私。あなたではないわ。だからあなたの参考になることは答えられないし、あなたの立場になってこたえようとも思わない。今あなたが口にした質問は、あなたが見つけてこそ意味のある質問よ。誰かに答えを求めようと思ってはいけないわ。」


「・・・・・・・。」
黙り込んでしまっている紀伊の肩をそっと葵はたたいた。そのたたき方には葵の心情がこもっていた。
「あなたは、あなたらしく、あなたにしかできないことをやってほしい。そのためにあなたを選抜したの。」
葵は最後に優しく紀伊に言ったのだった。


* * * * *


艦隊旗艦としての職務も不安いっぱいだが、紀伊にはもう一つ大きな不安要素がある。何しろ、あの尾張と艦隊を組んでいるのだから。最初の一日は紀伊が何を言っても尾張は無視を決め込んでいた。二日目は紀伊の哨戒プランに対して真っ向から反対を唱え、そして昨日の三日目の艦隊訓練では単独行動をしばしば行うので、ついに紀伊は旗艦権限をもって尾張を航行禁止にするというところまで言わざるを得なかった。こんな調子なので、同じ艦隊の阿賀野たちもやりづらく思ったらしい。ひそかに再編成の願いを葵に出したと葵本人から聞かされた。

これからどうしていけばいいのだろう。

これらのことを思い返していた紀伊は不安で胸が苦しくなるほどだった。
「紀伊さん?」
榛名が心配そうに顔をのぞき込んでいた。どうやら顔に不安が出ていたようだ。紀伊は自分を現実に引き戻そうと、軽く首を振った。
「すみません。何でもないです。榛名さんの方はどうですか?」
「私のところは・・・・やっぱり武蔵さんと矢矧さんが反発しあっていますし、野分さんに対しても・・・・・。しょっちゅう口論しますから、他の皆さんも居心地悪く思っていらっしゃるようです。」
私もそうですけれど、と榛名は苦笑交じりに言った。
「それに野分さんが慣れない艦隊旗艦の仕事で体調を崩していて・・・・。私も手伝っているのですが・・・・。」
艦隊旗艦というのは実際やってみると大変な仕事だった。平素の報告関係の仕事から哨戒の航路設定、物資補給の手配や戦闘訓練の内容スケジュールの決定、戦略会議への出席等となんでもやらなくてはならない。これだけでも大変なのに、妹のことまで考えなくてはならなくなると、負担が増すばかりだ。紀伊は第七艦隊に在籍していた当初のことを思いだしていた。こことそう大差はなかっただろうに、榛名はつらそうな顔一つ見せていなかった。本当にすごいことだと思うと、紀伊はあらためて榛名を尊敬する思いだった。
「私もです。旗艦の仕事もそうですし、妹のことも。あの子のことを理解しようとするんですが、うまくいかなくて・・・・。」
「紀伊さん、焦ってはだめです。」
榛名が優しく言った。
「焦っても何も出ません。最初からできる人なんてそんなにいませんし、すぐに関係が改善されるなら、そもそも悩む必要もないです。」
「でも・・・・。」
「私、以前ある本で読んだ言葉があるんです。」
榛名は陽光の降り注ぐ鎮守府中庭の窓を開け放った。さわやかな風が吹き込み、小鳥のチチチという音が聞こえてきた。榛名は窓から少し身を乗り出して青空を見あげた。
「その本が何だったのか、もう思い出すことはできないのですが、その言葉だけは頭の中に残っています。『神様は乗り越えられない試練はお与えにならない。』って。」
そういう榛名の顔はとても澄み切って見えた。
「もちろん。」
榛名は紀伊を振り返って言葉をつづけた。
「100%そんなことはありません。そうであれば、戦争で人は死にません。病気で人は死にませんし、自殺する人もでません。その言葉が絶対じゃないっていうことは私にもわかっています。でも・・・・。」
榛名は紀伊を正面から見た。
「試練全部が乗り越えられない。そういうことでは決してないともいえると思います。私、紀伊さんを見ていて思いました。あきらめたらそこで終わりだって。あと少しで壁を乗り越せるところまで来ているかもしれないのに、あきらめたらそこで終わりだって。」
「榛名さん・・・・。」
榛名は人を和ませるあの微笑を顔に浮かべた。
「紀伊さんならきっと大丈夫です。私、そう信じていますから。もし旗艦のお仕事でわからないことがあったら遠慮なく言ってください。妹さんのことも相談してくださいね。」
眩しい榛名の言葉に紀伊は口ごもりながら礼を言った。榛名はうなずき返したが、ふと気が付いた顔になって言葉をつぎ足した。
「でも紀伊さんはもう一人じゃありませんから。」
えっ、と紀伊は榛名を見た。
「紀伊さんは一人じゃありません。だって紀伊さんの周りには・・・・。」
榛名は紀伊の後ろに視線を移した。思わず振り向いた紀伊の後ろに二人の艦娘が立っていた。この間までその存在すら知らず、そして今かけがえのない存在になりつつある二人――近江と讃岐。

 紀伊と視線が合うと、二人はそろってにっこりとうなずいてみせた。それを眺めながら紀伊は誓っていた。今はここに3人しかいない。だが、必ず尾張を入れて4姉妹として頑張っていくのだと。



「どうしてそんな航路をとるわけ!?」
第五艦隊会議室で尾張の声が上がった。あれから何日もたっていたが状況は一向に良くならない。尾張はことあるごとに作戦に口出ししていた。作戦最中も、作戦後も。紀伊はいちいち相手になっていたが、あまりにも強引だと感じた場合には黙って聞き流すだけにしておいた。だが、それももう限界に近づいていた。
「どうしてって・・・ここが今まで敵と最も多く会敵しているから――。」
「それは今までの話でしょう!?航空隊の報告だと、近頃はそこから西、この地点で敵艦隊の跳梁が報告されているわ。ならそこを重点的に捜索すべきでしょう!」
阿賀野たちは二人のやり取りを居心地悪そうに聞いている。
「どうしてあなたみたいなのが艦隊旗艦になったのか、ものすごく不思議だわ。最悪よね。航路設定もまともにできない旗艦なんて百害あって一利なしよ。」
「だったら!!!」
紀伊は思わず大声を出していた。出しながらはっとなっていた。これまでずっと我慢していたがついに限界を踏み越えてしまった。だが、いったんついた怒りはそう簡単に消えるものではない。
「だったらあなたがやれば!?」
「は?」
尾張が地図から顔を上げた。
「あなたは私よりも上なんでしょう!?完璧なんでしょう!?だったらあなたがやればいいじゃない!!!きっとさぞかし100%完璧な指揮ぶりを見せてくれるんでしょう!?」
「バカなことを。そんなことをしたら二人とも共倒れよ。一方は旗艦の指揮権を放棄したことで、一方は指揮権を無断で使ってしまったという理由で。」
「怖いの?」
言ってしまってからしまったと紀伊は思った。紀伊の言葉に尾張は目を開いていた。それは動揺ではなく怒りだったと気が付いた時には、もう手遅れだった。
「怖い?私が!?バカを言わないで!!!」
尾張は紀伊を正面から睨んだ。
「ならいいわよ。私が今度の哨戒作戦を指揮する。一人の犠牲も出さずに完璧な指揮ぶりで完遂させて見せる。その時は・・・・。」
尾張は紀伊をにらんだ。
「その時は提督と梨羽一等海佐に、あなたの旗艦の解任を要求する。そしてあなたはそれに反対しない事。」
紀伊は何か言いかけたが、それは言葉にならなかった。あまりにも断定的な尾張の言葉に委縮してしまったようだった。
「尾張さん、そんな勝手に――。」
「黙っていなさい!!」
「ぴゃあっ!!」
止めようとした酒匂があまりの尾張の迫力にびっくりして飛びのいた。
「1時間後にドックに集合!!その前に今回の哨戒ポイントを説明するから、しっかり頭に叩き込んでおいて!!」
尾張は一同をにらみ渡した。



「紀伊さんっ!!」
悄然とドックに足を向けた紀伊は背後から呼び止められて振り向いた。阿賀野、そして吹雪が立っていた。
「紀伊さん、あんな言われかたをされていいんですか?」
阿賀野がきつい調子で言った。日頃温厚でほんわりしている彼女からは想像できなかった。阿賀野もここ数日のイライラがたまっているのかもしれない。
「ごめんなさい・・・・。不快な思いをさせてしまって。」
「私たちは別にかまいません。でも、紀伊さん、悔しくないんですか!?あんな失礼な言いかたされて、ずっと我慢して!!今日だってもっと言ってやればよかったんです。紀伊さんは尾張さんなんかに見下されるような人じゃないんですから!!」
「でも、私は・・・・。」
「紀伊さん、その、うまくいえないですけれど・・・。」
吹雪が口を挟んだ。
「私たちも尾張さんの事、あまり好きじゃないです。でも、誰か一人のけ者にするのはもっとずっと嫌です。紀伊さん初日におっしゃっていましたよね?訓練の時も、任務の時も、ご飯食べる時も、お茶をする時も、みんなで一緒に過ごしたいって。私たちそういう艦隊でありたいんです。」
「吹雪さん?」
「そうです。吹雪の言う通りです。だから紀伊さん、私たちも頑張りますから、一緒に尾張さんを叩き直し・・・・じゃなかった!!」
阿賀野はしまったというように口に手を当てたが、首を振って言い直した。
「皆で一緒にいられるような艦隊にしましょうね!!」
その声にはまだ怒りの余韻がこもっていたが、阿賀野は本気でそう思っている。そう紀伊は感じた。目が真剣だったからだ。そうできればいいと紀伊は心から思っていたが、どうすればその目標にたどり着けるかどうか、まったくわからなかった。

 紀伊たちがドックに行くと、尾張がもう来ていた。遅いと言いそうな顔だったが、彼女は珍しいことに何もいわず、無言でそれぞれの配置につくように促した。そのわけは紀伊にはわかった。ドックにいたのは尾張だけではなかったからだ。
「hey!!キー!!」
金剛が元気そうに手を上げた。そばに比叡、大鳳、讃岐、近江、そしてやや離れたところに高雄がいる。
「金剛さん!どうされたのですか?」
「私たちも哨戒任務に出マ~ス。ちょうどキーたちの海域のすぐ隣ネ~。」
「姉様!!哨戒任務が終わったら、一緒に帰りましょうね!!」
讃岐が金剛に負けない声で叫んだので、居合わせた皆は笑ったが、紀伊は真っ赤になり、尾張は反対に怒りのために顔色を青くした。
「・・・・ったく、仮にも紀伊型空母戦艦なんだからもうちょっとしっかりしてほしいわ。あんなはしたない大声出したりして!!」
「ふ~んだ!!尾張姉様には関係ありませんよ!!」
「讃岐ったら!!」
近江がたしなめた。
「ごめんなさい。紀伊姉様。尾張姉様。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
『別に近江が謝ることじゃないと思うわ。』
期せずして尾張と紀伊の言葉がシンクロした。二人は思わず目を見合わせていたが、気まり悪そうにすぐに視線を外しあった。
 ゴホン、と咳払いが聞こえた。見ると高雄が冷たい目で皆を見ている。
「用意はよろしいですか?行きますよ、戦艦、空母の先輩方。」
「Oh!高雄、そんなにcoolにしなくてもイイじゃないですか。あなたが旗艦なのですから、もっと気持ちを楽にして指揮してくださいネ。」
「そうできたらどんなに楽か・・・・・。」
つぶやくようにいった高雄がはっと顔を上げて首をブルブルと振った。
「出撃します。では後ほど。」
第四艦隊の艦娘たちは高雄を気の毒そうに見たが、結局何も言わなかった。不用意な言葉を放てば余計彼女を傷つけてしまうと思ったのかもしれない。第四艦隊のメンバーは発着台に立つと、次々と大海原に向けて出撃していった。
「私と同じ、か・・・。」
紀伊はそうつぶやいたが、内心、違う、と思っていた。何故なら紀伊には阿賀野、酒匂、吹雪、清霜たちがいる。戦歴は彼女たちの方がはるかに上だが、そのような先輩風は吹かず、紀伊と一緒に頑張ろうという空気を出してくれている。対するに高雄の下にいるのは戦艦・空母ばかりだった。しかも金剛型の大先輩二人が付いている。金剛たちはとてもいい艦娘なのだが、重巡は高雄一人だけだった。紀伊自身は艦種のことを気にしないのだが、客観的に見て重巡と空母戦艦は立ち位置が違う。空母戦艦は艦隊の中核攻撃力を担う存在だが、重巡は火力では戦艦に劣るし、航空戦にも加わることはできない。
 そのような立場に立った高雄は紀伊以上に旗艦としての責務を重苦しく受け止めているはずだった。あの表情の硬さがそれを物語っている――。
「何をしているの!?さっさと行くわよ、私たちも!」
尾張が紀伊をにらんでいた。いつの間にか各艦娘たちは発着台にたって準備している。紀伊は慌てて自分も発着台に乗った。

 人のことを気にしている場合ではない。まずは目前の作戦を成功させ、なんとか尾張と和解したい。紀伊はそれのみに集中しようと気を張り詰めはじめた。

 足元の発着台が下がり、足元を波が浸し始めた。この感覚はもう何回も慣れているのに、ふと紀伊は不安感を覚えた。今日の出撃は無事に戻れるだろうか。ここ数日そんなことを考えもしなかったのに、ふと胸騒ぎを覚えたのだ。紀伊は胸元に手をやった。これを感じる時は悉く何かが今まで起こってきている。
(今回はそうならないように願いたいわ。ただでさえ尾張やみんなに気を遣わなくてはならないのに・・・・お願い!!)
紀伊は一瞬祈るようにぎゅっと服をつかむと、手を離し、姿勢を伸ばした。
「紀伊型空母戦艦一番艦紀伊、出撃します!!」
その言葉と共に紀伊は陽光きらめく大海原に走り出ていった。他の艦娘たちも後をおう。その姿はきらめく初夏の陽光の中に解けるように消えていった。

 30分後――。
 夏の熱気と湿気を含んだ風も大海原に出ればいくらか涼しさすら感じる程度になる。その中を紀伊たちは快調に、だが慎重に偵察海域を進んでいた。
「尾張。」
紀伊は妹に声をかけた。尾張は紀伊のやや左斜め後ろにいて腕を組んだまま前方をにらんでいる。とはいえ方位警戒は怠っておらず、時折あたりを見まわしているのはさすがと言えた。
「なに?」
「そろそろ哨戒海域最深部よ。偵察機を発艦させて、周辺警戒に当たらせる?あなたのプランではそうなっていたわよ。」
「私の指揮権に勝手に口出ししないで!!ったく!!」
紀伊はむっとしたが、ここは我慢することにした。
「もちろん偵察機を出すわ。あなたは12時から6時方向に飛ばして。私は6時方向から12時方向を担当するわ。」
「わかった。」
二人は飛行甲板を構えると、偵察機を次々と放った。尾張の放つ偵察機をみて紀伊は驚いた。通常偵察は艦上戦闘機などが行うが、尾張の放ったのは武装が後尾にしかついていない見慣れないタイプだったからだ。
「あの・・・。」
「なに?」
「あれでいいの?武装、後尾にしかついていないようだったけれど・・・。」
「知らないの?」
尾張は驚いた顔をし、ついで軽蔑したような冷たい目を向けた。
「あれは彩雲よ。武装は確かについてないけれど、航続距離は三千キロ、最高速度は前世のF6Fヘルキャットとやらを凌ぐわ。ということは、あなたの烈風よりも上かもね。」
「なっ!?」
「偵察はね、戦闘が目的じゃないわ。いかに敵艦隊を発見し、有利な状況で攻撃するか。正面から戦って勝つなんて言うのはもう時代遅れよ。」
「・・・・・・・。」
「前にも言ったかもしれないけれど、航空機を捨て駒みたいにする作戦は私は最低だと思ってるわ。この前の沖ノ島攻略作戦なんかがいい例ね。」
いつになく尾張は多弁だった。
「航空機を犠牲にする作戦は私も反対だけれど、でも・・・・。」
尾張の言うことは正しかった。だが、どうも紀伊にはそれをすんなり受け入れることができなかった。確かに事実としては撃墜された航空機は多かった。だがそれは本当に捨て駒にされたのか?
「だからこそ最新鋭の紀伊型空母戦艦が艦隊の中核を担うべきなのよ。航空艦隊として艦載機を有効に運用し、かつ自身も砲撃戦に参加できる戦艦並の火力を持った次世代艦娘が。だから、もう水雷戦隊や空母、戦艦すらも時代遅れだわ。」
「それは、違うと思う。」
紀伊は言った。
「個性は必要よ。確かに水雷戦隊は近接戦闘が主流だわ。でも、彼女たちの力がなくては接近戦は戦えないし、護衛もしてもらえない。重巡はその速度と火力を活かして通商破壊、護衛等あらゆる面で頼りになる存在。空母もそう。私たちと比べて運用能力は高いわ。戦艦の砲撃能力と装甲は強固な盾となって全軍の中核を担う力になるし、安定感もある。こういった個性を活かしてこそ――」
「何言ってるの?マイナスを戦略戦術に入れたら、とんでもないことになるわよ。」
「マイナスって・・・・!!」
紀伊はこぶしを震わせた。どうしてこうなるのだろう。紀伊が言おうとしているのは、各艦娘の長所は誰もが真似できない不動のものだということだった。それに対して尾張の言葉は、それらの長所の裏返しのみをとらえ、マイナスとしてしか認識していないというものだった。
「じゃあ、尾張は私たちが万能だと言うの?一人で敵艦とまともに渡り合えるって言うの?」
「私にできないことはないわ。」
そのあまりの自信ぷりに紀伊は言葉を失った。その時だった。尾張がはっと顔を上げた。
「偵察機から入電・・・・前方10時の方角に敵艦隊。軽巡2隻、駆逐艦5隻からなる水雷戦隊・・・・。ちょうどいいわ!」
尾張は腕組みをといた。
「そこで見ていればいいわ。もっとも近接戦闘に向いていない戦艦と空母に対して空母戦艦の性能がどう違うかを。そこで黙ってみていなさい。」
「あっ!!ちょっと待っ――」
紀伊の言葉は空を切った。尾張はいち早く速力を上げると艦列から離脱していった。
「紀伊さん!」
紀伊の周りに阿賀野、酒匂、吹雪、清霜が集まってきていた。
「ど、どうするんですか?尾張さん、艦列離れちゃいましたけれど。」
と、阿賀野。
「これ、下手をしたら軍法会議ものだよね。」
清霜が吹雪を見た。
「いいえ、今回は尾張に作戦運用を任せたから、彼女の思う通りにしても問題ないわけで・・・・・。」
紀伊のため息交じりの返答を聞いた4人は色めきだった。
「でも――!」
「そんなこと――!」
「旗艦の命令もなしに勝手に離れるなんて――!」
「駄目な感じだと思いますけど・・・・。」
最後に阿賀野が締めくくった。
「でも・・・・・。」
「紀伊さん!」
吹雪が叫んだ。
「紀伊さん、尾張さんに何か後ろめたいことでもあるんですか?!」
「えっ!?」
「どうして尾張さんに遠慮するんですか?お姉さんならお姉さんらしくするべきです!!」
紀伊は目を見張り、愕然となった。そういえば、今ここにいる吹雪は特型駆逐艦として世界の駆逐艦常識を超えた艦隊駆逐艦の祖となった艦娘だった。つまり、すべての駆逐艦の姉というべき存在になる。まっすぐな彼女からそういわれると、紀伊は頬が赤くなってくるのをこらえられなかった。
「そっか・・・・私は何を遠慮していたのだろう・・・・・。」
紀伊はここ数日のモヤモヤしたものの正体を思い知った。尾張に対して何も言えなかったことや委縮していた事、それを煎じ詰めれば、姉らしく振る舞えなかったことだったのだ。
「わかりました。今からでも遅くはないです。申し訳ないですが、尾張を・・・・妹を止めに行きます。手伝っていただけますか?」
4人は一斉にうなずいた。


尾張は全速力で大海原を走り抜けながら、艦載機を次々と発艦させていた。前方距離2万足らずのところに敵艦隊が単縦陣形を組んでいる。敵がこちらに気が付いたとき、尾張は既に攻撃態勢を整えていた。
「まずは一撃で、敵の旗艦を轟沈させてあげるわ。」
不敵な冷笑を浮かべた尾張は次の瞬間顔を引き締めて指令した。
「艦載機、第一小隊は前方の敵第一の艦を攻撃!!第二小隊は後方の艦をかく乱、陣形を乱しなさい!!」
向かった艦載機は次々と低空で海面を飛行、あるいは急降下を開始し、一気に先頭艦に集中攻撃を浴びせた。轟音と共に先頭艦が爆発、四散し、敵は動揺の色を見せて色めきだった。すかさずそこに艦載機たちが突撃し、爆雷撃を敢行する。これに耐えられず数隻の駆逐艦が撃沈された。
「よし、全機退避!!あとは私が!!」
41センチ3連装砲が旋回し、ぴたりと狙いを付けた。
「主砲!!発射、テェ~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!」
轟音と共に放たれた巨砲弾は殿の軽巡に続けざまに命中し、粉みじんに吹き飛ばした。
「フン。」
尾張はまだ黒煙を上げている海上に漂う残骸を見ながら鼻を鳴らした。
「近接戦闘の名手?そんなものこちらから先制攻撃をかければ、物の数ではないわ。どうしてああいうことをいうのか、理解できない・・・・・。」
尾張は腰に手を当て、飛行甲板を水平にして艦載機の着艦をさばいた。
「口ほどにもなかったわね。これで私の旗艦昇格は確定。もう誰にも文句は言わせない――。」
その時左わき、左足にものすごい痛みと衝撃を感じた尾張は吹き飛ばされそうになり、よろめいた。顔を向けた彼女は信じられないものを見た。

水柱が立ち上り、それが力なく自分の頭上に落ちかかってきている。

「雷撃!?まさか、そんな――どうして!?」
はっと尾張は海面を見た。そこにゆらゆらと揺蕩うようにしているのは深海棲艦だった。それも3隻いる。
「生き残り!?バカな!?だって艦隊は私がすべて撃破・・・・まさか!?」
尾張はある可能性に行きあたって愕然となった。
「潜水艦!?」
その言葉が引き金になったのか、深海棲艦は再び魚雷を発射してきた。
「くっ!!回避、しないと・・・!!でも、体が!!」
それでも何とか回避した尾張の前に水柱が噴き上がった。
「ぐっ!!」
腕でかばった顔に水しぶきが落ちかかる。それを払いのけた彼女の前に、展開していたのは、戦艦2隻、重巡2隻をはじめとする敵艦隊だった。流石に不利だと思った尾張は反転しようとした。ところが先の雷撃で推進装置に損傷があり、思うような速度が出せない。このままでは敵艦隊に追いつかれてしまう。
「こうなれば艦載機を・・・・しまった!!」
雷撃を受けた時、飛行甲板が大破して、艦載機が発艦できなくなっていたのだ。
「こんな、こんなバカなことって!!」
尾張は叫びながら、残った唯一の武器――主砲、副砲――を撃ちまくり始めていた。


「尾張!!!」
紀伊は後方からはるか遠くで魚雷命中の水柱が立ち上がるのを見て、愕然となった。前方にやがて敵艦隊が出現したが、尾張が被弾した方角には敵影はない。となれば考えられるのは潜水艦が付近にいるということだ。
「尾張、尾張!!!」
「紀伊さんっ!!!」
走り出そうとした紀伊は吹雪の声を聴いて、頭を振った。
「私一人では・・・お願いします!!皆さん、力を貸してください!!」
「もちろん!潜水艦掃討作戦は私たちにお任せよ!みんな、いい!?」
阿賀野が3人を振り向いた。3人は力強くうなずく。
「紀伊さん、敵艦隊は紀伊さんにお任せします!!」
「はい!」
とまっている暇はなかった。すばやく打ち合わせを済ませると、紀伊は右に迂回して敵艦隊に右翼から突撃し、阿賀野たちは左翼から潜水艦隊に向かった。
「艦載機隊、発艦してください!!」
最高速度で走りながら紀伊は飛行甲板から艦載機を次々と放ち、攻撃態勢を整えた。それが済むと、主砲仰角を直し、敵艦隊に向ける。紀伊はちらっと左を向いた。早くも尾張に接近し、潜水艦の進路を阻むようにした4人が一斉に爆雷攻撃を仕掛けるのが見えた。尾張が何か叫んだようだったが、4人はやめようとしなかった。
「尾張!!」
紀伊が叫んだ。反対側から突撃してきた姉に驚いた尾張がまた何か叫ぼうとした。
「尾張、どきなさいっ!!!」
その気迫に思わず進路を譲った尾張の向こうに敵艦隊がいた。その時には既に紀伊の発艦した艦載機隊が攻撃を開始し、陣形が乱れていた。
「今よ、全主砲、斉射、テ~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!」
轟然と41センチ砲が火を噴き、次々と敵艦に命中する。だが、敵艦隊も突撃をやめない。艦載機隊に果敢に応戦し、火を噴き上げながらなおも尾張めがけて接近してきた。
「まずい!!」
紀伊は尾張を庇うようにして前面に出ると、至近距離からの砲戦に転換した。次々と敵艦が炎上して没していくが、紀伊も無傷では済まなかった。特に前方の最前線にいる敵戦艦は相当な練度だった。何度も至近弾が彼女をかすめ、時には砲弾が彼女の艤装を傷つけた。
「これほどの練度、並の戦艦じゃない・・・あれは、あれは・・・!?」
一つの可能性に思い当たった紀伊の眼が見開かれた。
「あれは・・・・ル級フラグシップ!?」
旗艦級戦艦はその火力と装甲に加えて、練度において艦娘たちに劣らなかった。下手をすれば戦艦クラスでも一撃で大破に追い込まれることもあるという。このことは紀伊は以前榛名たちから聞いていたが、実際に実物を見るのは初めてだった。
「何をしているの・・・・!!」
不意に後ろから肩をつかまれた。尾張が顔をひきつらせながらあえいでいる。
「私はいいから・・・早く逃げなさい!!このままじゃ二人とも死ぬわよ!!」
「何言ってるの!?そんな馬鹿なこと!!!」
紀伊は尾張の手を振りほどいた。
「バカなこと?!このまま戦えば二人とも死ぬわ!!主砲も艦載機も放つことができない私なんか、おいていけばいい!!私は・・・・。」
紀伊は驚いた一瞬だったが尾張の声が湿っていたからだ。この瞬間紀伊は尾張の胸の内を読み取った。プライドの高すぎるこの妹が深海棲艦にやられ、軽蔑する姉や艦娘たちに助けられている。

それ以上に自分が「お荷物」と化している。
それが妹にはどんな傷よりも耐え難かったに違いなかった。

「私は、もう――。」
「違う!!!」
紀伊は叫んだ。そして尾張の肩をつかんで無理やりに顔を向けさせた。
「あきらめないで!!まだ戦える!私はやる!!やって見せる!!!絶対にここから生きて帰る!!!」
きっと敵艦隊をにらんだ紀伊の姿を尾張は呆然と見つめていた。

ル級フラグシップの体からは金色のオーラが立ち上っている。砲塔が指向してきたが、それでも紀伊は尾張の前から離れなかった。

 だが、敵はル級だけではなかった。炎を吹き上げながら左に傾斜した深海棲艦駆逐艦が戦列を離れ、落後するその後ろから敵の重巡がその主砲を紀伊に向けてきていた。
「第一主砲、正面敵戦艦、第二主砲以下は敵重巡に、指向!!テ~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!」
紀伊が叫ぶのと、敵戦艦が発砲したのがほぼ同時だった。すさまじい砲煙が海上を包んだ。
「ぐうっ!!」
突然紀伊がよろめいた。至近直撃弾が紀伊を襲ったのだ。第一主砲が損害を受けていた。3連装主砲の2門がへし折られていた。

「姉様!!!」

不意に自分を呼ぶ声がした。近江か讃岐かが自分を呼んでいるらしい。そうちらっと思った紀伊だったが、なおも眼前に突撃してきている敵艦に一歩も引かなかった。
「まだ、やれる!!」
紀伊は無事だった砲塔を旋回させて敵に狙いをつけ、連射し続けた。その砲弾は敵重巡を消し飛ばし、敵後続戦艦を撃破したが、依然としてル級フラッグシップは目前に迫ってきている。
「ここで、撃ち負けるわけには!!!」
紀伊がこぶしを握り、残る主砲を旋回させて狙いを付けた。正面対正面。戦艦同士のぶつかり合いだ。
「テ~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
轟然と主砲が火を噴き、敵戦艦に続けざまに命中。だが、敵も相当の腕を見せ、紀伊の飛行甲板や副砲に命中、艤装が機能しなくなった。
「まだ、まだ!!まだ!!!」
紀伊は波をけって走り出した。このまま打ち合えばこちらが不利だ。こちらの高速を活かし、敵に接近し至近距離からの一撃を叩き込むしかない。

紀伊の進路に合わせるかのように敵艦隊が発砲を再開した。大小の水柱が紀伊の周りを囲み、波しぶき、飛沫、すぐわきを砲弾が飛翔し、その風圧と衝撃波が飛んでくる。その中を突っ切った紀伊は左手を向けた。その動きに合わせて砲塔が旋回する。
「距離7000・・・・6000・・・・。」
敵艦隊の砲撃が集中し始めたが、紀伊はまっしぐらに目標を目指す。戦艦ル級フラッグシップ。それさえ倒せればこの戦局は変わる。紀伊はそう信じていた。

 双方の距離が縮まる。ル級フラッグシップは紀伊の動きを見切ったようだった。敵砲が指向し、狙いをピタリとつける。
「3000・・・・完全有効射程・・・・!!」
紀伊の左手が振りぬかれた。
「テ~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!!」
砲弾が炸裂し、ル級を爆炎が包んだ。
(やった・・・・ル級を・・・・!!)
紀伊が気を抜きかけたその時だ。
「危ない!!」
誰かが叫んだ。吹雪か、阿賀野か、誰かもわからなかったが、その直後紀伊は強烈な衝撃を受けていた。
「・・・・・・!!」
幸い体には命中しなかったが、41センチ3連装砲第二砲塔の砲身が2本、根元からねじまがっている。
「しまった!!」
砲撃を敢行したのは、右翼にいた敵の残存艦だった。軽巡と重巡一隻ずつ。普段ならば苦戦もしない相手だったが、この時の紀伊は連戦で疲労しきっていた。おまけに主砲6門のうち、4門は攻撃を受けて機能しない。しかも艦載機隊も雷爆撃を敢行した後で、攻撃能力を失っている。紀伊の顔から血の気が引いた。
「もう、駄目・・・・!!」
そう思った直後、不意に横合いから突き飛ばされた。よろめいた紀伊の視界の隅に銀髪とそれに隠れる様な青い髪が靡いた。
「主砲、テェ~~~~~~~~~~~~ッ!!!」
尾張が叫んでいた。彼女もまた主砲を折られながらも、なお残った主砲で敵艦隊を砲撃していたのだ。同時に潜水艦隊を掃討した阿賀野たちが紀伊たちを庇うように前面に突出して、雷撃を敵艦隊に浴びせた。
轟然と軽巡、そして重巡が爆発し、海上を一瞬炎で染めた。

 ハァ・・・ハァ・・・・ハァ・・・・・という息遣いが聞こえる。

それが自分とそして尾張のだと、しかも疲労だけではなく恐怖からだということに気が付くまで時間がかかった。
「・・・・・・・・。」
紀伊は尾張の後姿を見た。主砲は折れ曲がり、飛行甲板は損傷大破。さらに推進装置も破損していた。尾張がこちらを見た。制服もボロボロで左腕を抑えていた。
「こんな・・・こと・・・・。」
尾張は唇をかみしめ、頬が汚れていた。艦隊との砲撃戦闘の火薬煙だけではなさそうだった。
「こんなこと・・・こんなことって・・・・・うっ!!!」
平手打ちの音が響き、尾張が頬を抑えていた。
「バカ!!!」
紀伊が返す右手で尾張の頬をもう一度叩いた。
「いった・・・・!!!な、何を――!!」
「バカ!!!バカ!!!バカ!!!!!」
紀伊が叫び続けていた。悔しかった。もどかしかった。そして、とても頭に来ていた。そのいっしょくたの感情を全部まとめて尾張に叩き付けていた。
「何が新鋭艦よ・・・・何が無敵よ・・・・!!!そんな虚飾に踊らされて、あなたは自分の命さえも失うところだったのよ!!!バカ艦娘!!!!」
「―――!」
最も軽蔑する相手から、ものすごい罵倒を浴びせられた尾張は声も出ず立ち尽くしていた。
「今の自分の姿を鏡で見なさい・・・・・。そうすれば嫌でも自分は万能ではないと知るわ。」
「・・・・・・・。」
「どうしようもなくあなたは・・・・。」
紀伊は不意に激しく首を振ると、尾張を抱いた。
「でも・・・良かった・・・・良かった・・・・良かった・・・・!!無事で、生きていて・・・・本当に・・・・!!!」
紀伊は涙を流してしゃくりあげていた。
「紀伊・・・・姉・・・様・・・・。」
抱かれながら尾張は初めて姉の名前を口にしていた。とてもぎこちなかったけれど、間違いなく姉の名前を口にしていた。

 その様子を阿賀野たちはうなずき合いながら見守っていた。
 
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