銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百六十一話 開幕ベルは鳴った
帝国暦 487年 11月20日 オーディン 宇宙艦隊司令部 ナイトハルト・ミュラー
司令長官室に決裁を貰いに行くとエーリッヒは席にいなかった。はて、何処へ行ったのか……。
「フィッツシモンズ中佐、司令長官はどちらへ」
「屋上へ行かれました。気分転換をしたいと仰って」
気分転換?
「お一人で、かな?」
「いえ、リューネブルク中将が一緒です」
さて、どうしたものか……。ここで待つか、出直すか、それとも俺も屋上に行ってみるか……。
「司令長官は先程屋上に行かれたばかりです。お戻りになるのはもう少し後になるでしょう」
「有難う中佐。私も屋上に行って見よう、気分転換だ」
フィッツシモンズ中佐はクスクス笑いながら
「お気をつけて」
と言ってくれた。
司令長官室を出て廊下を歩いていると向こうからメックリンガー提督が歩いてきた。手には書類を持っている。どうやら俺と一緒か。
「メックリンガー提督、司令長官に御用ですか?」
「そうだが?」
「司令長官は居られません。屋上に気分転換に行ったそうです」
「なるほど、で卿は屋上に行くのかな、ミュラー提督?」
「ええ、私も気分転換に」
「フム、では私も同行しよう。たまには気分転換も良いものだ」
メックリンガー提督は穏やかな雰囲気を醸し出している。第三次ティアマト会戦ではメックリンガー提督が全軍の指揮を執ったのだがそんな事はまるで感じさせない人だ。共に歩いているだけだが心地よかった。
「ミュラー提督、もう直ぐ十一月も終わるな」
「そうですね、あの勅令からもう一月が経ちました。早いものです」
屋上に行くまでの間、メックリンガー提督との間に有った会話はそれだけだった。
エーリッヒは屋上にある長椅子に腰掛けていた。夕暮れ時の空を見ている。少し離れた所にリューネブルク中将がいた。俺達を見ると軽く笑みを浮かべて目礼を送って来た。こちらもそれに答え目礼を送る。
エーリッヒは俺達の来た事に気付かずに長椅子に腰掛けている。どうするか? 声をかけるか、それとも待つか……。メックリンガー提督を見ると微かに笑って首を振った。待とうということらしい、なんとなく嬉しくなった。腹の底から温かいものが溢れてくる感じだ。
昔からエーリッヒは考え事をしている事が多かった。士官学校時代も図書室で本を読むような振りをしながら考え事をしていた事が結構有った。それともただボーっとしていただけだったのだろうか、今となっては懐かしい思い出だ。
五分は待たなかっただろう、エーリッヒは俺達に気付くと立ち上がり困ったような表情をして近づいてきた。
「声をかけてくれれば良かったんです」
「いや、私達も気分転換に来たのです。たまたま司令長官と一緒になったというだけで」
メックリンガー提督の言葉にエーリッヒはクスクスと笑い声を上げた。俺もメックリンガー提督も決裁文書を持っている。気分転換といっても説得力は皆無だろう。
「何を御覧になっていたのです?」
「小官もそれを聞きたいですな、ただ夕焼けを見ていたという訳ではなさそうですが」
メックリンガー提督の言葉にいつの間にか近づいてきたリューネブルク中将が和した。
エーリッヒは少し困ったように視線をそらしたが、もう一度夕焼けの空を見て呟いた。
「三十年後の世界です」
三十年後の世界? 思わずエーリッヒの顔に視線が釘付けになった。穏やかな表情をしている。冗談を言っているわけではないようだ。
「三十年後ですか、閣下の目にはどのような世界が見えるのか教えていただけますか?」
エーリッヒはこちらを見ると柔らかい笑みを浮かべた。
「宇宙は一つになって戦争は無くなっていました。皆明るい顔をしていましたよ、メックリンガー提督」
「では、我々は失業ですかな」
「いいえ、戦う軍人ではなく平和を守る軍人になっていました」
平和を守る軍人、その言葉にリューネブルク中将が笑い出した。
「なるほど、それも悪くありませんな。人を殺さなくとも給料がもらえる」
リューネブルク中将につられるように思わず笑いが起きた。なんというかリューネブルク中将らしい人を喰った言い方だった。
「死ねませんね、未だ死にたくない」
「!」
ポツンとした言い方だった。気負いも哀しみも無い、ありのままの気持ち……。
「当然です。閣下には三十年後の平和な世界を作ってもらわなければ成らないのです。死んでもらっては困ります」
「ナイトハルト、私が死んでも三十年後には平和が来る。宇宙は一つになっているよ」
「!」
エーリッヒは微笑んでいる。
「私は自分が死んだからといって潰える様な夢は持っていない。そんな夢は持っちゃいけないんだ」
「……」
「私はただ、三十年後の世界を見たい……」
「……」
そう言うとエーリッヒはまた夕焼けを見た。
「フェザーンを征服し、反乱軍を降伏させる。その後は彼らを帝国の保護国として存続させる」
「保護国、ですか? 占領するのではなく?」
メックリンガー提督の問いかけにエーリッヒは頷きつつ答えた。
「そう、保護国として三十年存続させる。その間にこの帝国の政治改革の基礎を固める。独立色の強かった貴族領を帝国の直轄領にすることで一つの経済圏として再編制し活性化させる」
「……」
「平民をこの国の担い手にするべく権利とそれを行使できるだけの教育を与える。辺境星域を開発し帝国から貧富の差を無くす」
「……」
「そして反乱軍の人間が帝国に併合されても心配は要らない、そう思わせるだけの経済的繁栄と政治的安定を帝国において生み出す」
「……」
「三十年、三十年あればできるはずだ。三十年後には保護国とした反乱軍を併合する。あと三十年で宇宙を統一し、戦争を無くせる……。」
「……」
皆声を失っていた、相槌も打てずにいる。どんな顔で聞いていいのかも分からなかった。夢ではない、空想でもない、エーリッヒには真実三十年で宇宙を統一し平和な世界を作るだけの確信があるのだろう。ただそれを阻もうとする人間たちがいる。
「見られますよ、三十年後の世界」
「リューネブルク中将……」
「我々が閣下を守ります。閣下に死なれてはこれから先がつまらなくなりますからな。大丈夫、必ず見られます」
冗談めかした言葉だったが口調は真面目なものだった。あるいは冗談で紛らわせようとして出来なかったのかもしれない。エーリッヒもそう思ったのだろう。冗談めかしてリューネブルク中将に答えた。
「私は中将を楽しませるために生きているわけではありませんよ」
「分かっています。小官が勝手に楽しんでいるだけです。それに未だ借りを返していません。死なれては困ります」
“借り? また古い話を”、“古くはありません、高々二年です” エーリッヒとリューネブルク中将が話している。エーリッヒは何処か困ったように、リューネブルク中将は真剣に。
「リューネブルク中将の言うとおりです。まだ死なれては困ります。そうではありませんか、メックリンガー提督」
「そのとおりです、一緒に三十年後の世界を見ましょう。必ず見られます」
俺とメックリンガー提督が口々に励ますのが嬉しかったのだろう。エーリッヒは笑顔を浮かべた。
「そうですね、一緒に見ましょう。でもそのためには先ず決裁をしないといけませんね」
帝国暦 487年 11月22日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
殺風景な部屋だな、ベッドに横になりながら俺はそう思った。十月十五日に勅令が発布されて以後、俺は宇宙艦隊司令部に仮の住居を用意し寝起きをしている。官舎では十分な安全を確保できないとキスリングに言われたのだ。まあ確かに宇宙艦隊司令部への行き帰り、それに官舎への攻撃等を考えるとキスリングの言う通りだ。
仮の住居だが、これは宇宙艦隊司令部の地下に有る。理由は簡単、外部から攻撃を受けないためだ。そのため俺は日によっては一度も宇宙艦隊司令部を出る事の無い日もあるし、お天道様を見ない日もある。まるでモグラにでもなった気分だ。安全は安全だがストレスは溜まる。
特に寝るときが苦痛だ。窓の無い部屋、太陽の光の入らない部屋、おまけに天井が低く、圧迫感を感じさせる。目覚めても時計を見なければ朝なのか夜なのか分からない、全くもってうんざりする。
ヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞に着任した。情報部からの通達によると十八日に着いたらしい。まあ当分は引継ぎやら訓練やらでドタバタするだろう。
イゼルローン方面はとりあえず放置だ、問題はフェザーン方面だな。帝国軍がフェザーンに軍を進めたとき、同盟はそれを座視できるか? 難しいだろう、イゼルローン要塞が有る、帝国軍が攻め込むのは不可能、そう思えばこそ同盟市民は帝国の脅威を感じずにすんでいる。しかし帝国軍がフェザーン回廊を制圧するとなれば……。
パニックになるだろう。フェザーン回廊を帝国に渡すなとヒステリックに叫ぶに違いない。同盟がフェザーンを征服してくれたほうがこちらとしては有り難い。フェザーンが同盟の搾取を受ければ、帝国は後々解放者としてフェザーンに侵攻できる。
拙いのは同盟が侵攻せず帝国軍が侵攻する形になることだ。一つ間違えるとフェザーンで独立運動が起きる事になる。鎮圧しフェザーンを安定させるのにかなりの時間が必要になるだろう。同盟領侵攻はその分遅くなる。
同盟の政治家達がその辺をどう読むかだな。レムシャイド伯が同盟に連絡を取った時、応対したのはヨブ・トリューニヒト、ジョアン・レベロ、ホアン・ルイの三人だった。つまりこの三人がトリューニヒト政権でインナーキャビネットを構成しているということだろう。
ヨブ・トリューニヒトか……。あれはなんだったのだろう、原作では政治信条などまるで無かった男だ。ただ権力を、支配する事を、支持されることを望んだようにしか見えない。この世界でも同じなのか?
そうでは有るまい、この世界は原作とはかなり違いが有る。ヨブ・トリューニヒトにジョアン・レベロ、ホアン・ルイが明確な形で協力している。ただの権力亡者にあの二人が付くとは思えない。この世界のトリューニヒトはそれなりの人間だと考えたほうが良いだろう、あるいはただの飾りか。
そしてジョアン・レベロにはシドニー・シトレが付いている。レベロ、シトレ、ヤン、このラインが機能するようだとトリューニヒト政権はかなり戦略的な思考をする政権になるだろう。市民のパニックを抑えこちらの狙いをかわそうとするかもしれない。しかし、抑えきれるだろうか、難しい所だ。
それとホアン・ルイ……、注意が必要だな。俺はこのホアン・ルイという男をかなりの曲者だと思っている。原作ではレベロと親しいように見える。しかし彼はヤンの査問会議にも参加している。という事はトリューニヒトとの間に有る程度の協力関係が存在したという事だろう。だがトリューニヒトに対してもレベロに対しても閣内に入って支える事まではしていない。
あの帝国領侵攻による敗北で同盟はガタガタになった。おそらくホアン・ルイは敗戦後の同盟をまとめるにはトリューニヒトのカリスマが必要だと考えたのだと思うが、信用はしなかったのだろう。いずれ失敗すると見た。それが積極的な支援に繋がらなかったのではないだろうか。
だとするとヤンの査問会議も別な視点が考えられる。ヤンが独裁者足りうるかどうかを確認したのではないだろうか。ホアン・ルイは自由惑星同盟が国家として金属疲労を起こしていると考えた。民主主義を護るには強力な指導者が必要だと思った。シェーンコップではないが、形式ではなく民主主義の実践面を守るには強い指導者が必要だと考えたとしたら……。
トリューニヒトはいずれ失敗する。その後をヤン・ウェンリーは継げるか? 強力な指導者として民主主義を守れるか? それこそがあの査問会に出た理由だとしたら……。
結果はNOだった。ヤン・ウェンリーはルドルフのような暴君にはならない、その意味では安心しただろう。しかし、民主主義を護る独裁者にもなれないと思ったに違いない。その後はホアン・ルイにとっては失意の日々だったろう。彼は徐々に政治的活動が減っていく。
だがこの世界ではトリューニヒトに積極的に協力している。真実協力しているのか、それとも次を見据えての協力か。場合によってはヤン、あるいはビュコックによる軍人政権が出現する可能性もある……。そうなれば脅威だな。だがその時にはレベロがどう動くか、レベロには耐えられないはずだ。同盟内部で熾烈な権力闘争が始まるかもしれない。
いかんな、こんなことばかり考えているとまた寝そびれてしまう。明日も早い、ゆっくりと休んで明日に備えるべきだろう。
そう思って眠った俺だったが、ゆっくりと休む事は出来なかった。TV電話が呼び出し音を立てている。時刻は三時半を回ったところだった。
「始まったか……」
思わず言葉が出た。何が起きたかは分からない、しかし始まったのは間違いない。夜中の三時半につまらない用件で宇宙艦隊司令長官を起こす馬鹿はいない、何かが起こった。
眠気は飛んでいた。俺はベッドを離れ俺を呼んでいるTV電話に向かった。十年前の誓いがこれから果たされようとしている。
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