銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第百五十四話 居場所
帝国暦 487年10月28日 オーディン 新無憂宮 ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー
私は最近ほぼ毎日、新無憂宮に来ている。理由はエリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイム、お二方の無聊をお慰めするためだ。
お二方が新無憂宮に移られた直後、陛下より養父に依頼が有った。私としては養父の身体も心配なので断りたかったのだが、養父は最近は具合も良いから心配は要らないと言って私を新無憂宮に行かせることにした。
エリザベート様もサビーネ様も不安そうに毎日を過ごしている。此処に来てから外に出る事も出来ず殆ど軟禁に近い状況らしい。当然だが外の状況も良く分からないようだ。そのあたりを御教えするのも私の役目になっている。私は養父から何故お二人がここに居るのか、大体の事は聞いている。お二人が不安そうにするのも無理はないと思う。
「ユスティーナ、今日はヴァレンシュタイン元帥がこちらにいらっしゃるそうです」
「元帥がこちらに?」
「ええ、お母様がリヒテンラーデ侯に帝国軍三長官の誰かを呼ぶように命じ、それで司令長官が此処に来るそうです」
公爵夫人が帝国軍三長官を呼んだ?ヴァレンシュタイン元帥が此処に来る? 一体何の用だろう。エリザベート様の言葉に不安が湧き上がる。
元帥はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にとってもっとも脅威な存在のはず。公爵夫人も決して元帥に好意は持っていないだろう。厄介なことにならなければいいのだけれど。
元帥は大体週に一度は養父の元を訪ねてくる。陛下の御依頼も元帥が養父に持ってきたものだ。三人で一緒にお茶を飲み話をするけど、どうしても仕事の話が出る事が多い。養父もそれを止めようとはしない。
どうやら養父は元帥の仕事がどういうものか、私に教えようとしているようだ。今回の件もその一環なのだろう。養父は元帥を知った上で付いて行けるのかを私に判断させたいのだと思う。
出来れば二人だけで会いたいのだけれど今は無理だと思う。護衛も付いているし、何よりも忙しくて時間が取れない。
元帥がエリザベート様達のために用意された部屋にいらっしゃったのはそれから一時間ほど経ってからだった。公爵夫人とエリザベート様が元帥を迎える。
三人はテーブルを挟んで椅子に座り、私は少し離れた所で椅子に座った。最初は遠慮しようと思ったのだけれど、公爵夫人が同席するように命じてきたのだ。
私は元帥の左手のほうに座っている。私からは元帥は正面から見えるが元帥からは見えづらい位置に居る。元帥は私に気付いた様子も無く公爵夫人に向き合って座った。
「ヴァレンシュタイン元帥、夫達はどうなりましたか?」
「はっ。既に二十五日にオーディンを離れました。今はフレイア星系に向かっておりましょう。早ければ十一月の二日か三日にはブラウンシュバイク星系に着くものと思います」
「リッテンハイム侯はさらに四、五日かかりますね。それでも十日になる前には着きますか」
「……」
元帥が無言で頷いた。
「元帥、貴方は言いましたね。早ければ早いほど貴族達の暴発から逃れる事が出来ると、遅くとも十一月の下旬には準備を整えておく必要があると」
「はい」
「間に合うと思いますか?」
「……小官には、なんとも判断しかねます」
それからの一時間は元帥にとっては辛い時間だったと思う。公爵夫人は元帥にブラウンシュバイク公を助ける方法を問い続け、エリザベート様は泣きそうな表情で元帥を見詰めている。
元帥は公爵夫人に対してはっきりした事は言わなかった。助ける方法が無いからなのか、それとも助けるつもりが無いからなのか、私には分からない。しかし帰るときの元帥は全くの無表情で、私を見ることも無く部屋を出て行った。気付かなかったのだろうか?
元帥が出て行った後、公爵夫人は一つ大きく溜息をついた。そして私に視線を向けた。
「ユスティーナ、貴女は元帥とは恋仲と聞きましたが?」
思いがけない公爵夫人の問いに思わず頬が熱くなった。どう答えれば良いだろう、わからないまま、ただ顔を見られたくないと思って頭を下げた。
「そのような事は……」
「無い、と言いますか?」
「いえ、良く分かりません」
そう、良く分からない。
「元帥は貴女を見ましたか?」
「……見ませんでした」
「見ませんでしたか……。辛かったのでしょうね」
「?」
「好きな女性の前で情の無い姿を見せるのです。貴女の気持ちを思うとやりきれなかったのでしょう」
「……」
「若いのに手強いですね、元帥は。貴女の前なら多少は情を見せるかと思ったのですが、そんなところは微塵も無い。リヒテンラーデ侯が彼をここへ寄越すのが良く分かります」
「……」
「エーレンベルクやシュタインホフでは私達に同情してしまう、怯んでしまうと思ったのでしょう」
「もしやと思いますが、私に同席を御命じになったのは」
「ええ、少しでも有利になればと思ったのですが無駄でした」
そう言うと公爵夫人は微かに苦笑した。そして天を仰いで呟いた。
「あまり状況は良くないようですね、エリザベート。もしかするとお父様とはもう会えないかもしれません」
「お母様」
エリザベート様が泣きながら公爵夫人に抱きつく。公爵夫人はそんなエリザベート様を優しく抱き寄せた……。
帝国暦 487年10月31日 オーディン 装甲擲弾兵総監部 ヘルマン・フォン・リューネブルク
妙な事になった。オフレッサー上級大将から俺に十一時に装甲擲弾兵総監部へ出頭しろと連絡が入った。オフレッサーは装甲擲弾兵総監でもあるから命令自体は可笑しな物ではない。
しかし向こうは俺を嫌っているはずだ。俺が宇宙艦隊に居るのも良い厄介払いが出来たぐらいにしか思っていないだろう。俺の顔など見たくないだろうにわざわざ呼びつけるとはどういうことか?
まさかとは思うがヴァレンシュタイン司令長官との間を取り持てというのだろうか。どうにもよく分からん。
「ヘルマン・フォン・リューネブルク中将です」
総監室に入ると執務机からオフレッサーがこちらに眼を向けた。相変わらず人相が悪い。せめて左頬の傷を完治させれば少しは印象が変わるのだが、わざと完治させないのだからな。
オフレッサーは席を立つと俺の方に歩いてきた。
「リューネブルク中将か、よく来た。少し付き合え」
そう唸るような声で言い捨てると俺の返事を聞くことも無く総監室を出て行った。俺はこの男の声も好きになれない。
オフレッサーは部屋だけではなく装甲擲弾兵総監部からも出るとこちらを気にする事もなく歩き始めた。やむなく俺も後を追う。
「三十分ほど歩く。いい腹ごなしになるだろう」
三十分? 腹ごなし? 昼飯を一緒に取ろうというのか? そう思ったが
「はっ」
と俺は答えていた。
三十分ほどオフレッサーに付いて歩くと小さな街並みが見えてきた。その中にある一軒のレストラン、いや定食屋といって良い店にオフレッサーは入った。どう見ても帝国軍上級大将が入る店ではない。しかし止むを得ず俺も中に入った。
店に入るとオフレッサーと差し向かいで席に座ることになった。
「俺が注文する。親父、何時ものヤツを二つ頼む」
おいおい、一体何処まで勝手な奴なんだ。それにしても何時ものヤツ? この男、此処にはよく来るのか?
「どうした、驚いたか。どうみても帝国軍上級大将の来る店ではないからな……」
「まあ、多少は驚いております」
「フン、遠慮のないやつだ」
妙な感じだ。オフレッサーは俺の答えにも余り気分を害した風でもない。一体何を考えているのだろう? ただ飯を一緒に取ろうというのだろうか? 有り得ない話ではないが、相手がオフレッサーだ、只の馬鹿とは思わないが、聡明とも思えない。何を考えている?
無愛想な六十年配の親父が出してきた料理はアイスバインを使ったシュラハトプラットだった。塩漬けした骨付きの豚スネ肉を柔らかくなるまで煮込んだアイスバイン、それをザワークラウトの上に載せ蒸し焼きにした料理だ。それに白ワインが一本付いている。一口食べて唸り声が出た。これは美味い、これほど美味いシュラハトプラットを俺は食べた事がない。
アイスバインの煮込み具合によって美味しさに雲泥の差が出る料理だがこの店のアイスバイン、これは間違いなく絶品といって良いだろう。それにザワークラウトもいける。
思わず嘆声を上げた俺にオフレッサーが笑いを含んだ声で話しかけてきた。
「どうだ、美味かろう。この店のシュラハトプラットは間違いなく帝国一だ。皇帝陛下といえどもこれ程の味は知るまい」
「確かに……」
美味い料理というのは有り難い物だ。それだけで会話を生んでくれる。
「俺はな、貴族とは名ばかりの貧しい家に生まれた。食うために軍人になったといって良い。幸いこの身体が有ったのでな、装甲擲弾兵になった」
「……」
思わず手が止まった。まじまじとオフレッサーを見る。オフレッサーは気にした様子もなくシュラハトプラットを食べている。装甲擲弾兵はオフレッサーにとって天職だった。二メートルに達する身長とその身体を覆う筋肉。他者の倍ほどの大きさを持つトマホークを軽々と操り、敵対するものを屠ってきた。同盟に居る頃はこの男とだけは戦いたくないと思ったものだ。
その流した血の量だけで装甲擲弾兵総監になったと言っていい。同盟軍からは「ミンチメーカー」と恐れられ忌み嫌われた。当時同盟の装甲擲弾兵が嫌ったのは味方で有るはずのローゼンリッターとヴィクトール・フォン・オフレッサーだ。
「この店のシュラハトプラットを食ったとき、世の中にはこれほどまでに美味い料理があるのかと驚いた。それ以来、出征前と出征後は必ずこの店によることにしている」
「宜しかったのですか、小官に教えて」
多少の皮肉を込めて言ったのだがオフレッサーは俺の問いに答えなかった。
「このシュラハトプラットを食べて戦場に出る、このシュラハトプラットを食べるために戦場から戻る、その繰り返しだ。人間など大したものではないな、いや、それとも大したことがないのは俺か……」
「……」
「もう直ぐ帝国を二分する内乱が起きる。卿は当然だがヴァレンシュタインに付く、そうだな」
「はい」
質問というよりは確認のような口調だった。緊張したのは俺だけのようだ。オフレッサーは俺に眼を向けることもなくシュラハトプラットを食べている。少し腹が立った、思い切って訊いてみた。
「閣下は如何なされますか?」
「俺はな、帝国が好きだ。俺を装甲擲弾兵総監、オフレッサー上級大将にしてくれた今の帝国がな。卿の主人が作ろうとしている帝国は俺の好きな帝国ではない」
「……」
「分かっているのだ。俺も下級貴族に生まれた。門閥貴族どもの鼻持ちならなさにはうんざりしている。このままでは帝国が立ち行かぬというのも分かる」
「……」
「それでも俺の居場所は此処しかない。新しい帝国では装甲擲弾兵総監、オフレッサー上級大将の居場所はあるまい。そこで必要とされるのは卿のような男だ」
「……」
オフレッサーはワインを一息に飲んだ。俺も釣られるようにグラスを空ける。酸味の強い白ワインだ。オフレッサーと俺のグラスにそれを注ぐ。
「俺は卿が嫌いだ」
「……」
一瞬だがボトルと俺のグラスが音を立てた。何事もないように注ぎ終えボトルをテーブルに置く。ボトルには未だ三分の一程度残っていた。
“俺は卿が嫌いだ” 気負いのない声だった。嫌悪も憎悪も感じられなかった。目の前のオフレッサーを見ても特に敵意は感じられない。無心にシュラハトプラットを食べているように見える。本当に嫌いだといったのだろうか?
「卿は俺に無い物を持っている。俺はトマホークを持って戦うことしか出来ん、人殺ししか能のない男だ。だが卿は違う、卿は自ら戦う事も兵を指揮する事も出来る男だ。会った時から嫌いになった、憎かった」
「……」
「第六次イゼルローン要塞攻防戦で益々卿が嫌いになった。卿が能力だけではなく、主人にも恵まれていると分かったからだ。あの男、俺やミュッケンベルガー元帥を前にしても少しも怯まなかった、小童が」
「……」
あの時の事は今でも憶えている。いや、一生忘れる事はないだろう。もう少しで切り捨てられる所だった。同盟でも帝国でも居場所が無い事を思い知らされた瞬間。それをヴァレンシュタインが救ってくれた……。
「リューネブルク中将、ヴァレンシュタイン元帥は良い主人か?」
「はい」
「卿の命を懸けられるか?」
オフレッサーがこちらを見てくる。見据えるというような強い視線だ。
「懸けられます」
「そうか……。俺には命を懸けられる相手が居なかった。やはり俺は卿が嫌いだ」
そう言うとオフレッサーは苦笑して、ワインを一口飲んだ。
「卿は装甲擲弾兵総監になりたいか?」
また唐突な問いだ。どう答えるかと考えたが正直に答えることにした。
「……なりたいと思います」
「正直だな」
「閣下の前で嘘を吐こうとは思いません」
俺の言葉に微かにオフレッサーが笑った。厭な笑いではなかった。
「装甲擲弾兵には臆病者はおらん、勇者だけだ。総監ともなれば勇者の中の勇者だが卿になら務まるだろう……」
「……」
「新しい帝国が出来れば卿が、今の帝国が続くのであれば俺が装甲擲弾兵総監として勇者を率いるというわけだ。楽しみだな」
「そうですな」
どちらからともなくグラスを掲げた。一息でワインを飲み干す。
内乱が起きればオフレッサーは貴族連合に与する。この男が敵に回れば手強い。白兵戦、一対一ではこの男に勝てないのは分かっている。何らかの策を巡らす必要があるだろう。俺は目の前の筋肉に包まれた男を見ながらどう戦うかを考えていた……。
ページ上へ戻る