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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百三十七話 敗戦の爪跡

宇宙暦796年10月 7日    ハイネセン ユリアン・ミンツ


遠征軍が十月四日にハイネセンに帰ってきた。シャンタウ星域で大敗北を喫した遠征軍の最終的な損害は信じられないほど酷いものだった。動員した艦隊九個艦隊のうち戻ってきたのは四個艦隊、しかもどの艦隊も定数を大きく割り込み残存兵力は三万隻に満たず未帰還兵は一千万人近い。

当然だけれど今回の遠征に対する同盟市民の非難はとても厳しい。帝国軍に誘い込まれて帝国領奥深くまで侵攻し、そのあげくに挟撃された。この失態は偶然ではなく、最初から帝国に踊らされた結果なのだと皆考えている。

さらに同盟市民を怒らせたのは、今回の遠征軍総司令部の無責任さだった。総司令官のドーソン大将は敗戦後の指揮を放棄しグリーンヒル中将に押し付けたし、作戦参謀のフォーク准将は無謀な進撃を進言したあげく敗戦時には小児性ヒステリーを起し、人事不省になっていた。

しかもこの無責任な二人が今回の無謀とも言える進撃を命じたとなれば皆が怒るのも無理は無いと思う。マスコミは皆チョコレートを欲しがって泣き喚く子供とその子供を叱れずに振り回された馬鹿な保護者が一千万人を見殺しにしたと言っている。

ヤン提督の第十三艦隊は戻って来た四個艦隊のうちの一つだ。最後まで最後尾を守り遠征軍の撤退を助けた。僕はヤン提督は最後まで出来る事をしたと思っている。

だがそんなヤン提督を責める人たちも居る。味方を見殺しにして自分たちだけ戻って来たと言うのだ。今回の遠征ではイゼルローン組と呼ばれる、ヤン・ウェンリー、ビュコック、ウランフ、ボロディンの四人の提督が総司令部から何かとひどい扱いを受けた。

ドーソン総司令官、フォーク作戦参謀の嫉妬心の所為なのだが、他の艦隊司令官も関わり合いになるのを避け、イゼルローン組は孤立しがちだった。戦闘でも無茶な命令を度々受けた。それが感情的なしこりとなって味方を見殺しにして逃げ帰ってきた、と言うのだ。

ヤン提督はそんな人じゃない、戦場で味方を見捨てて逃げる人なんかじゃない。グリーンヒル総参謀長は包囲されている味方に構わず撤退せよと命令を出したのは自分だと言ってヤン提督たちを庇ってくれた。

シトレ元帥もあのままでは九個艦隊全てが全滅しかねず撤退命令は正しかったと言ってくれている。ヤン提督たちを非難する人は九個艦隊が全て全滅したほうが良かったのだろうか? ヤン提督たちがどんな気持ちで逃げてきたか分かろうとしないのだろうか?

ヤン提督が戻って以来、シャンタウ星域の敗戦の事をインタビューしようと大勢のジャーナリストが押しかけて来る。味方を見殺しにして逃げてきた気分はどうか、それを聞きたいらしい。

提督を苛むのは人だけじゃない。文章伝送機は秒単位で文章を吐き出している。その中にもヤン提督を卑怯者と非難する文章もあった。全滅した艦隊の家族からのようだ。遠征から帰って以来ヤン提督は食事も碌にせず、お酒ばかり飲んでいる。

もう直ぐ、キャゼルヌ少将、ラップ少佐、アッテンボロー准将がやってくる。ヤン提督の事を話したら心配して来てくれるようだ。本当にありがたいと思う。

どうやら来たみたいだ。玄関が騒がしい。多分、ジャーナリストを押しのけているんだと思う。こっちもお茶の準備をしなくっちゃ。



宇宙暦796年10月 7日    ハイネセン アレックス・キャゼルヌ



「おい、ヤン。何時まで寝ているつもりだ、もう十一時だぞ」
「……ん、ん、あれ、キャゼルヌ先輩、どうして此処に?」
酷い顔だ。眼の下に隈が出来ているし、顔色も悪い。これは重症だな。

「お前さんが酒ばかり飲んでいるとユリアンが教えてくれてな、心配だから見に来たんだ。いい加減着替えて来い、ラップもアッテンボローも来ている。待っているからな、早くしろよ」
そう言い捨てて寝室から居間に戻った。

十分程たってからヤンが居間に現れた。こうしてみると良く分かる。顔色の悪さと隈だけじゃない。目も少し充血している。碌に眠っていないのだろう。困った奴だ。

ヤンは少し困ったような顔で頭をかいた。
「すみません、先輩、ラップ、アッテンボロー」
「俺たちよりユリアンに謝るのが先だろう」

「そうだね、ラップの言うとおりだ。ユリアン、心配かけてすまない」
「そんなことは……」
ユリアンはお茶の用意をすると奥に引っ込んだ。俺たちだけで話をさせようと言う事らしい。本当に良く出来た子だ。

ヤンは紅茶を、俺たちはコーヒーを飲みながら顔を見合わせる。
「ヤン、何を悩んでいるか想像はつく。あれはお前さんの所為じゃない。気にするのは止せ」
ラップの言葉に俺もアッテンボローも頷いた。

「そうですよ、先輩の所為じゃありません。大体先輩は出兵に反対していたんです。それを戦場に行かせたのは同盟政府とそれに賛成した同盟市民、それを煽ったジャーナリズムじゃないですか」
「……」

「今になって味方を見殺しにしただなんて、無責任な……。あのシャンタウ星域で一体何があったか、誰も知りはしないでしょう。見殺しにされたのはこっちです。味方からは使い捨てにされ、敵からも追われ続けた……。あの地獄を知らない人間に俺たちを非難する資格なんてありませんよ!」

吐き捨てるように言った言葉にアッテンボローの怒りが見えた。余程腹に据えかねているらしい。ジャーナリスト志望だっただけに無責任な報道に我慢できないのかもしれない。

ヤンは黙ったままだ。少し俯きながら紅茶を飲んでいる。皆顔を見合わせ黙り込んだ。あの撤退戦を思い出しているのだろうか。重苦しい沈黙が落ちる。

あそこで撤退命令を出したグリーンヒル総参謀長が誤っていたとは思えない。誤っていたのは無理な進撃をしたドーソン総司令官とフォーク作戦参謀だろう。そのつけを生き残ったヤンたちに背負わせるのは俺もおかしいと思う。

黙り込んでいるヤンを見ていると思わず溜息が出た。その溜息がきっかけになったのだろうか、ヤンが口を開いた。
「そうじゃないんだ。同盟が敗北したのは間違いなく私の所為なんだ」

苦しそうな搾り出すような口調だった。
「ヤン、自分を責めるのは止せ。お前の悪い癖だ。あれはどうしようもなかったんだ」
「そうですよ、ヤン先輩。ラップ先輩の言うとおりです」

ラップ、アッテンボローがどこか切なそうな表情でヤンに声をかける。
「違うんだ、ラップ、アッテンボロー。今回の敗戦はイゼルローンで勝ちきれなかった私の所為なんだ」
「?」

イゼルローンで勝ちきれなかった? どういうことだ? 思わずラップ、アッテンボローの顔を見たが、彼らも不思議そうな顔をしている。ローエングラム伯を生きたまま帰してしまったことか? しかし、それが何故今回の敗戦に繋がるのだ?

「どういうことだ、ヤン。イゼルローンが何故関係する? 大体あれは大勝利だろう、勝ちきれないとは何のことだ?」
俺の質問にヤンは少しずつ答え始めた。

「今回のシャンタウ星域の会戦もそうですが、帝国は過去二回、ヴァレンシュタイン元帥の力で救われています」
ヤンはイゼルローンの事ではなく別のことを話し始めた。過去二回か……。ヤン、一体何を言いたい。

「一度は、フリードリヒ四世が重態になったときです。あの時帝国は内乱に突入してもおかしくありませんでしたが、ヴァレンシュタイン元帥の力で内乱を回避しました」

憶えている。あの当時ヴァレンシュタイン元帥が戦場に居ない事に注目していたのは一部の人間だけだったろう。ミュッケンベルガー元帥が国内安定のために彼をあえてオーディンに置いた。今では誰もが知る事実だが当時はヤンを含め一部の人間だけがその事を重視していた。

「もう一度は第三次ティアマト会戦です。あの戦いでミュッケンベルガー元帥は戦闘指揮が執れない状態になりました。本当なら帝国軍は混乱し大敗北を喫してもおかしくなかった……」
「……」

「しかし、現実には帝国軍は混乱せず勝利を収めました。ヴァレンシュタイン元帥が集めた男たちがそれを防いだのです……。彼は常に帝国の危機を防いできました。まるでそのためだけに帝国に生まれてきたかのようにです」

帝国の危機を防いできた……。確かにシャンタウ星域の会戦を入れれば三度帝国を救った事になる。普通なら有り得ないだろう。帝国の危機を防ぐために生まれてきた、ヤンがそう言いたくなるのも理解できる。

長く喋ったので喉が渇いたのだろうか、ヤンはゆっくりと少しずつ紅茶を飲んでいる。

「イゼルローン要塞攻略戦は二つの狙いがありました。一つは要塞の奪取、もう一つはヴァレンシュタイン元帥の失脚です」
「!」

静かなヤンの声だったが俺達を驚かすには十分な内容だった。思わず、ラップ、アッテンボローと顔を見合わせる。彼らの顔にも疑問が浮かんでいる。ヴァレンシュタイン元帥の失脚? どういうことだろう。

「私は彼が居る限り同盟は帝国に勝てない、同盟は彼の前に滅びるだろうと思ったんです。同盟を、民主主義を守るために彼を倒さなければならないと思った……」

俺もラップもアッテンボローも声も無くヤンの独白を聞いている。ヤンは何か重大な事を話そうとしている。気になるのはヤンの表情に何処か自虐的に見える笑みがあることだ。

「前線に出てこないヴァレンシュタイン元帥を倒す事は私には不可能でした。だから帝国人の手で彼を倒そうと思った……」
「待ってくれヤン、その事とイゼルローン要塞攻略がどう繋がるんだ、ローエングラム伯の失脚を狙ったというなら分かるが」

ラップの言葉にヤンは何処か凄みのあるような、禍々しいような笑みを頬に浮かべた。顔色の悪さがその印象を余計に強めている。居間の空気が何処か張り詰めたように感じられた。

「ラップ、ローエングラム伯が死ねば彼の姉、グリューネワルト伯爵夫人はどう思うかな。自分が宇宙艦隊司令長官になるために、弟をわずか一個艦隊で同盟領に送り込んだ、そして弟を戦死させた……」
「!」

何処か笑っているようなヤンの言葉が張り詰めた空気をさらに重苦しいものにした。俺たちは皆声も無くヤンの言葉を聞いている。

「上手く行けば、彼を帝国人の手で排除できるでしょう。それが無理でも失脚させる事が出来るかもしれない。彼が失脚すれば帝国軍はその支柱を失います。そして内乱を防ぐ人材を失うことになる」

いつの間にかヤンは呟くような口調で彼が考えた謀略を話していた。有り得ない事ではない、やりようによっては不可能でもないだろう。帝国という国ならば、君主制国家に対してならば仕掛けることは可能だ。

「帝国との間に和平が結ばれるかどうか分らない。しかし結ばれなくても、帝国が混乱してくれれば同盟が回復する時間は十分に取れる、そう思ったんですが、失敗しました。ほんの僅かな差で私は失敗したんです」

俺の目の前で何処か自らを嘲笑うかのような口調で話しているのは戦略家ではなく謀略家としてのヤン・ウェンリーだった。この男にそんな顔が有ったのか……。

「その後は知っての通りです。ヴァレンシュタイン元帥は私が何を考えたか、あのイゼルローン要塞攻略戦が何を目的として行なわれたか、全てを察したのでしょう」

「そして、シャンタウ星域の会戦が行なわれました。同盟が二度と帝国に対しふざけたまねをしないようにとヴァレンシュタイン元帥が脚本を書き、その通りに全てが動いた。同盟は十万隻の艦艇と一千万の兵を失ったんです……」

搾り出すような声だった。ヤンは苦しんでいる。この男がこんな姿を見せることがあるとは想像もしなかった。いつも飄々として何処か頼りなげなこの男がまるで毒を飲まされたかのように苦しんでいる。

「もう、分かったでしょう。私はヴァレンシュタイン元帥に負けたんです。これ以上無いほど完璧に。この敗戦の責任は私にあるんです……」




 
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