渡り鳥が忘れた、古巣
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渡り鳥が忘れた、古巣【D】
前書き
※フィクションに付き、内容は架空で事実と異なる処があります
渡り鳥が忘れた、古巣【D】
※フィクションに付き、内容は架空で事実と異なる処があります
一行は、無事、成田空港に到着した。季節は、1月の下旬の夕方で、外は暗かった。直弘は、小型ワンボックスカーを取りに、空港の駐車場に行った。直弘が、到着ロビーの外の、乗降場に、小型ワンボックスカーを、停めた。一行が、ロビーの外に出た。Mary(メアリー)が「寒い!」と言って、魁に抱き付いた。魁は、自分の防寒具を、Mary(メアリー)に着せた。定員8名の小型ワンボックスカーは、Mary(メアリー)が一人増えたので、9名に成ってしまった。魁が「私達は電車で帰ります」と、言った。直弘が「9名の内、2名は、幼児だから大丈夫だ」と、言ったので、一行全員で帰路に付いた。途中、レストランで夕食を摂って、青年議員の魁の、ワンルームマンションに立寄り、魁とMary(メアリー)を降ろしてから、古民家に向かった。古民家に着き、玄関を開けたら、猫のグレー2、イエロー2が出迎えた。一佳とDREAM(ドリーム)は、猫達を抱き、頬擦りをした。旅行中の、猫達と、安藤家の動物達の餌やりは、博史と由実子が、担当してくれた。直弘はマニラの泰弘にスピーカーモードで電話した。直弘は無事、到着した事を言い、MARIA(マリア)は、礼を言ったが、直子の電話は、長かった。次に、Miss.MILAI(未来)に電話した。彼女は[父・泰弘からの、テレビのプレゼントが着いた。子供達が、テレビとインターネットに、夢中に成り、少々、困惑している。魁に、パソコンの礼を、言って於いて欲しい]との、話だった。その夜は、旅の疲れで、皆、直ぐに床に付いた。翌々日、小型トラックに、家財道具を積んで、魁とMary(メアリー)が、古民家に来た。「昨日、一日中、Mary(メアリー)が、私のワンルームマンションに、一人ぼっちで居たら、寂しくなり[ずっと、私と、一緒に居たいと]と、言い出した。[私も、仕事が有るから、一日中、一緒に居る事は出来ない]と、宥め(なだめ)ても、解って貰えない」と、魁言い、「古民家に、二人、同居させて貰えないか?」と、言った。「屋根裏部屋は、広いから、良いよ。家族が増える事は、楽しい」と、直弘が言い、安藤家全員も、魁の引越しを、承諾した。良く見ると、Mary(メアリー)の耳に、補聴器が在った。「魁が、買ってくれたの。今、私、皆の声が、聞こえるしスマートホンも、使えるよ」と、口パクで嬉しそうに言い、魁に抱き付き、口に強烈なキスをした。魁が、面食らって、照れていた。全員で、小型トラックから、家財道具を降ろし、手渡しで、屋根裏部屋に運び込んだ。独り者の魁は、家財道具が少なく、運び込みには、時間が掛からなかった。運び込みを終え、魁とMary(メアリー)は、市役所に行き婚姻届を出した。斯して、安藤家は、9名の、大所帯に成った。夕方、各々の仕事を終えた同好会の仲間達が、古民家に来た。直弘は、フィリピン土産のパパイヤと、ミニチュアのジープニーを、彼等に配った。同好会の仲間達の、演奏が始まった。Mary(メアリー)は、始めて自分の耳で聴いた曲に乗って、魁と、チークダンスをした。彼女は、始めての曲の音色に、うっとりした。ヨネとキクは、10日間の休みを取っていた。公園のトイレ清掃の仕事を、再開した。二人は、休みが長かったので、トイレは相当汚れているのでは、と想像していた。トイレ清掃は、皆から敬遠され、二人の休みの間、代行する者は、いなかった。青年議員の魁は、現場主義だと思い、作業着姿で、二人のトイレ清掃に参加した。1月末で、公園は、小雪が舞っていた。予想通り、トイレは、ひどく汚れていた。ヨネとキクと魁の三人は、公園のトイレ清掃の仕事を、開始した。トイレ内の、落書きや、便器に、こびり付いた汚れや、床に付着したゴミを、取り除く作業は、大変だった。そこへ、公園緑地課の、市の職員が、三人現れた。「市の御情けで、高齢者の二人に、トイレ清掃の仕事を出している。10日間も、休みを取るから、トイレの汚れは、この有り様だ。二人共、もっと、責任を持って下さい」と、市の職員が言った。ヨネとキクは、便器の汚れを取りながら「すいません」と謝った。「貴方達も、傍観していないで、トイレ清掃を手伝ったら?」と、魁が言うと、「このような、部落民がする様な、下衆な仕事は、私達の仕事では、ありません」と職員は、差別用語を混じえ、言った。「下衆な仕事?仕事に、良し悪しが、有るのか?貴方達も、トイレを、利用するだろう!」と怒鳴って、魁は言った。「ヨネさんとキクさんの、賃金は、市が出しますが、貴方の賃金は、負担が出来ません。貴方は、トイレ清掃から、立ち退いて下さい。貴方が、手助けすると、二人の甘えに、繋がります」と、冷酷な口ぶりで言って、市の職員は、公園を後にした。彼等は、作業着姿の青年市会議員の魁を、全く、覚えていなかった。翌日、青年議員の魁は、背広姿で、市役所に登庁した。早速、魁は公園緑地課を訪れた。昨日の職員達と、視線が合った。彼等は背広姿の魁を見て、昨日の公園での作業着姿の男が、市会議員の山田 魁で或る事を思い出した。彼等は、魁との視線を、逸らした(そらした)。公園緑地課長が彼等3人を、個室に呼び出した。個室で3人は、魁を目の前で、課長から、厳重注意を受けた。課長は「職員の差別用語は、停職・減給・戒告に当たる。私も、部下の不祥事で、訓告を受けるかもしれない。今回は、山田魁議員の温情で、私の処で、止めてくれた。3人は、明日付で、1ヶ月公園の、トイレ清掃の任務に就く様に」と、言った。3人は茹だられ(うだられ)「分かりました」と、言った。二・三日後、ヨネとキクは、体調を崩し寝込んだ。高齢の二人には、寒空のトイレ清掃は、きつかった様だ。ところが、二人の熱は上がる一方で、9度に達した。不可解に思った直弘は、救急車を呼び、二人を病院に搬送した。病院で診察した結果、二人は、インフルエンザだった。旅行の準備で忙しく、安藤家全員が、インフルエンザの予防接種を、していなかった。その冬、インフルエンザは、猛威を振るっていた。高齢のヨネとキクは、重症だった。二人は、肺炎を併発、相次ぎ他界してしまった。二人の遺品の中から、可なりの数の、手紙と、子供の写真が出て来た。子供の写真は白人、黒人、アジア人など、人種は色々だった。ヨネとキクは、トイレ清掃の給料の殆どを、チャイルドスポンサーとして、寄付をしていた。トイレ清掃で得た金は、清らか金に、変わっていた。二人の死に顔に.安らかな笑みが、毀れ、聖人の様だった。魁は、二人の生涯を推測して、感無量だった。直弘と、直子と、魁は、二人に合掌し、MARIA(マリア)と、Mary(メアリー)は、十字をきった。二人の葬儀に、泰弘は、現れなかった。
次期を同じくして、安藤家に、JATCのフィリピン支店のスタッフより、一本の連絡が入った。安藤家が、日本に帰国してから、泰弘との電話が、繋がり難く成っていた。連絡は[JATCの東南アジア統括最高責任者の泰弘が、フィリピン当局から、所得隠しの疑いで、拘束され、取調を受けている]との、内容だった。安藤家に、激震が走った。その頃、JATCは、代表取締役・相川一夫が、一線を退き、後任に、一人娘の相川一美が就いていた。一美は、就任と同時に、香港に、ダミーの会社を設立し、社長命令で、フィリピン支店の利益を、ロイヤルティーの名目で、ダミー会社に、送金させていた。東南アジア統括本部の、所得の激変に、注視したフィリピン当局が、東南アジア統括最高任者・安藤泰弘を拘束し、取調べた。結局、泰弘は、法人所得の、隠蔽の罪で、3年間、服役する事に成った。JATCは、膨大な違約金を、フィリピン政府に支払ったが、代表取締役の一美は、泰弘一人に、罪を被せ、一美は、告発されなかった。船長を失った、JATCの、東南アジア統括本部丸は、迷走した。株価は大暴落、違約金の支払いに、苦慮した代表取締役の一美は、金融機関から、多大な借金をし、窮地に追い込まれた。ほぼ同時期に、JATCのフィリピンでの業績を、注目していた大手商事会社から、吸収合併の話が舞い込んだ。一美が、自分の、役職保全を引き換えに、吸収合併の話を受け入れた。同時に、東南アジア統括責任者の泰弘は、解雇された。折しも、吸収合併した大手商事会社は、昔、泰弘が、内定を取り消された、商社だった。安藤家には、傍観するしか、なす術が無かった。直子は「泰弘と、一緒に、住んで遣らなかったから、自分が悪いとか、ヨネ婆ちゃんとキク婆ちゃんの仕事を、手伝って遣らなかったから、自分が悪いとか」極度に、自分を責める様に成った。その上、直子は食事も細くなり、うつ病に掛かってしまった。服役中の泰弘は、鉄格子の外の夜空に、流れ星を見た。泰弘は、不吉な予感を感じた。
或る日、直弘と、MARIA(マリア)と、魁と、Mary(メアリー)の4人が、農場に居た。農場の一角に、大きなプレハブ倉庫が、建てて在った。直弘と魁が、二人で、市の農業委員会と談判し、農地から雑地に地目を変え、官公庁や学校の、不要となった備品を、収納する倉庫を、市の予算で造った。倉庫は、周辺の市町村からも、多くの、不要となった備品が、運び込まれる様になった。備品は、学習机や本棚やパソコンなど、多岐に亘った。二人は、NGO未来の倉庫を立ち上げた。代表に直弘、副代表に魁が就いた。人員は、ボランティアを募り、確保した。初出荷は、フィリピンのMILAI of the houseだった。同好会の仲間達も、集まっていた。学習机と本棚を解体し、国際貨物業者に委託して、船便で送った。フィリピンでの組み立ては、日本人オーナーの明弘が、手配した。次第に、インターネットで、色々な国より、備品送付の依頼が、来る様になった。問題が生じた。海外送付に掛かる運賃だ。NGO未来の倉庫のメンバーが、市内の学校を、全て回り、募金を集めたり、街頭募金などで、海外送付運賃を、賄った。NGO未来の倉庫の活動が、企業の目に止まり、企業からも、募金が集
まる様に成った。さながら、NGO未来の倉庫のプレハブ倉庫は、流通センターの様に成った。倉庫の事務所で、MARIA(マリア)が、海外と、英語でビデオ通信し、Mary(メアリー)が、英文のメールの処理をした。最近、直子の言動に、変化が現れた。意味深や、不可解な言葉が多くなり、物忘れも多く成った。病院で診察して貰ったら、アルツハイマー病(認知症)だった。医師が「老人に、発症率が多いが、直子さんは、未だ、50歳半ばなので、年齢としては早いです」と、言った。直子の持病は、うつ病と、アルツハイマー病の、二つに成った。
その年の、夏の始めの午後3時頃、一佳とDREAM(ドリーム)が、前触れも無く、二人で、農場に現れた。トラクターに乗って、畑で、農作業をしていた直弘が、気付き、二人の処に来た。隣のNGO未来の倉庫から、MARIA(マリア)とMary(メアリー)も、出て来た。MARIA(マリア)が二人に「直子婆ちゃんは?」と聞くと、一佳が「お昼頃から直子婆ちゃん居ない。お昼、食べていない。お腹、減った」と、言った。直弘はNGO未来の倉庫の仕事をスタッフに任せ、大急ぎで、MARIA(マリア)とMary(メアリー)と一佳とDREAM(ドリーム)の4人を、小型ワンボックスカーに乗せた。車は急発進した。市内の心当たりを、隈なく(くまなく)探したが、直子は、何処にも居なかった。小型ワンボックスカーは、市内の私鉄の駅前を、通り過ぎようとした時、DREAM(ドリーム)が、叫んだ「直子婆ちゃんが、居る」。直子が改札口で、猫のプリント入りのEKYYNのワンピース姿で、手に、昔の、縫製工場の、傷物のトートバックを持ち、立って居た。直子が「3時に約束したから、ヤッチャン、待っているの。もう直ぐ来るよ。これから、ヤッチャンと、映画を観て、焼肉屋さんに行くの」と、嬉しそうに言った。時刻は、夕方の6時を回っていた。直弘の目から、大粒の涙が流れた。直弘「父さん、今日は、仕事で遅く成るから」と言って、直子を宥め、小型ワンボックスカーに乗せた。直子の指に、ピンクの指輪が、光っていた。
直弘は、直子の、アルツハイマー病に依る徘徊と、子供達の食事が心配になり、翌日から、MARIA(マリア)が、古民家に居る様にした。翌日の昼頃、MARIA(マリア)から、直弘のスマートホンに、電話が有った。「直子の姿が、見当たらない」との、電話だった。直弘は、即、古民家に戻り、MARIA(マリア)と、一佳と、DREAM(ドリーム)を、小型ワンボックスカーに乗せ、私鉄の駅に向かった。駅に、直子の姿は無かった。改札口で待った。1時間程で、直子が現れた。節約主義の直子の、私鉄の駅に来る術は、徒歩だった。直子は例の如く、EKYYNのワンピースを着ていた。直子が「ヤッチャンと、3時に約束したから、これから待つの」と、言った。直弘は、直子を宥め、古民家に連れ帰った。次の日、直子は、炎天下の歩道を、駅に向かって、足早に歩いていた。直子が、言った。「遅く、成っちゃた。ヤッチャン、御免ね」歩道が、上り坂に成った。直子の額か、幾筋もの、汗が流れていた。真夏の歩道の路面に、幾粒もの、汗が落ちた。「すぐに行くから、待っててね。御免ね、ヤッチャン。すぐに行くから。御免ね、ヤッチャン。御免ね、ヤッチャン。すぐに行くから。急がないと、すぐに行くから、すぐに行くから、・・・・・・・」直子の胸に、激痛が走った。直子は歩道に、俯せに倒れた。「ヤッチャン、今、すぐに、行・・・・・」直子と泰弘との、心の愛の糸が、切れた。
昼過ぎ、又しても、MARIA(マリア)から電話が入った。「お母さんが、居ないよ。昼食を、4人で一緒に食べた後、お母さんは、古民家の畑を、耕したり、山羊や鶏に餌を遣っていた」と、MARIA(マリア)は言った。直弘は、急ぎ、古民家に戻り、MARIA(マリア)と一佳とDREAM(ドリーム)を乗せ、小型ワンボックスカーで、私鉄の駅に向かった。直子は、居なかった。しかし、午後の4時まで待っても、直子は現れなかった。不審に思い、直弘は、MARIA(マリア)を改札口で待機させ、一佳とDREAM(ドリーム)を乗せ、警察署に向かった。警察で、直子の服装を言い、捜索願いを、出そうとしたら、「似たような服装で、熱中症で倒れた遺体が、安置室に或る」と、言われた。その日は、真夏で、日中の気温は、35度を越していた。一佳とDREAM(ドリーム)を婦人警官に預け、直弘は、安置室に入った。遺体は、面覆いを被っていた。面覆いを外した。母の、直子だった。直弘は遺体に、泣き崩れた。直子は、路上で倒れていた処を、発見された。死因は、熱中症に依る、心不全だった。来る筈も無い、泰弘に、逢いに行く為の、悲しい出来事だった。暫くして直弘は、安置室を出て、駅で待機しているMARIA(マリア)に、電話を掛けた。警察署の玄関に、一台のタクシーが、停まった。MARIA(マリア)が、飛び降りてきた。彼女は、安置室に入り、直子の遺体に、泣き縋った(すがった)。
古民家の居間に、EKYYNのワンピースを着た、遺体が、布団の上に寝かされていた。同好会の仲間達や、彼等の親達が、次々と、弔問に訪れた。遺体を見て、仲間達全員が、床に泣き崩れた。由実子が、面覆いを外した。直子の死に顔は、寂しい悲しい顔をしていた。「小母ちゃん、嫌、嫌、駄目、駄目」と、由実子は泣き叫び、直子の遺体に、しがみ付き、離そうとは、しなかった。直弘が、直子の大好きな曲を、レコードで掛けた。その曲は、霊歌の様にも、聴こえた。直子の指のピンクの指輪が、物哀しげに、光を放っていた。服役中の、泰弘の処には、直子の訃報は、届かなかった。
三年の月日が流れた。泰弘は刑期を終え、マニラ近郊の、ビリビッド(Bilibid)刑務所を出所した。刑務所に、Miss.MILAI(未来)と、ナイト・クラブの日本人オーナーの遠藤明弘と、MILAI of the houseの子供達が、出迎えた。しかし、JATCの関係者の出迎えは、一人も無かった。泰弘は、MILAI of the houseに行った。MILAI of the houseの室内には、泰弘が贈ったテレビは元より、日本のNGO未来の倉庫から贈られた、学習机や本棚が入っていて、庭には、井戸も掘られていた。子供達が泰弘に、インターネットで、日本の画像や、動画を見せてくれた。泰弘は、一週間程、MILAI of the houseに滞在して、日本への、帰国の途に付いた。マニラ空港を発ち、眼下に広がるマニラを見て、泰弘[自分は、この国に、何の為に、来たのだろうか?]と、疑問を感じていた。暫くして、眼下の景色は、雲海に阻まれて、消えた。4時間半の、フライトだった。成田空港に、到着した。空港に直弘、MARIA(マリア)、魁、Mary(メアリー)、一佳、DREAM(ドリーム)の、6人が出迎えた。Mary(メアリー)が、日本語で「お帰りなさい」と、笑顔で喋った。泰弘はMary(メアリー)が、唖の、口パクで無く、発音での言葉だったので、驚き、日本語の、上達ぶりにも、感心した。直弘が、黄色の小型ワンボックスカーを、乗降場に回し、皆が乗り込んだ。車内で、Mary(メアリー)が「私、今、泰弘の声、聴こえるよ。皆の声も、聴こえるよ。魁が、補聴器を、プレゼントしてくれたの」と言って、魁に抱き付いた。「私、日本に来た時、凄く寒かった。ビックリした。今日は、夏だから、フィリピンと同じだね」とMary(メアリー)は、耳で会話が出来る事を、楽しむかの様に、話した。泰弘が「一佳もDREAM(ドリーム)も、大きく成ったね。子供は、成長が早いな」と、一佳とDREAM(ドリーム)の、頭を撫でて、言った。一佳とDREAM(ドリーム)は、6歳に達していた。車内は、終始、和やかだった。古民家に到着した。泰弘は仏壇に線香を上げ、合掌、礼拝をした。仏壇には栄吉、キク、ヨネ、直子の、位牌が在り、部屋の鴨居に、4人の遺影写真が、掛かっていた。その夜、泰弘は、仏壇に飾って在る、フィリピンから持ち帰った、ハガキ大の、EKYYNのワンピースを着た直子の写真を、自分の枕元に、置いた。
帰国後、二・三日して泰弘に、JATCを吸収合併した大手商事会社より、フィリピン支店への、復職の要請が来た。フィリピン支店は、カリスマ東南アジア統括責任者の、泰弘を失い、過度の業績不振に、陥っていた。相川一美は、業績不振の責任を取らせ、解雇したそうだ。泰弘は、自分が安藤家の家族を顧みず、直子を、死に追いやったと、悔いていた。泰弘は、復職の要請を、辞退した。
泰弘は、古民家の縁側に座って一人、庭を眺めていた。秋の安藤家の庭は、紅葉の最中だった。黄昏が、優しく庭を照らし、黄金色の銀杏の葉が、地面に覆い被さっていた。一佳とDREAM(ドリーム)が、山羊を追い回していた。そこには、妻・直子の姿は無かった。軒下に、ツバメが子育てに使った古巣が見えた。雛鳥は巣立って、今頃、両親鳥と一緒に、南の国に居るだろう。何年ぶり古民家だろう?縁側の踏み石の脇に、ひと夏の生涯を終えて、地に戻る、カブト虫が見えた。泰弘には、カブト虫が、自分と同じ、老兵の様に思えた。日が沈んだ。直弘と、MARIA(マリア)と、魁と、Mary(メアリー)が、畑やNGO未来の倉庫から帰って来た。7人で一
緒に、夕食を摂った。食後、居間でCD
を聴いた。書棚から、アルバムを、取り出した。それは、妻、直子と一緒に撮った写
真や、安藤家の、絆で結ばれていた、家族写真だった。泰弘の目に涙が流れた。[ナオに逢いたい、逢いたい]それは、泰弘の、仕事に、邁進したが上の、直子や、家族との絆を軽視した、後悔の念と、追憶の涙だった。居間から、夜空を仰いだ。天の川が、観えた。夜空には、一年に、一度しか逢えない、織女星と、牽牛星が、在った。暫くして、泰弘は、アルバムを書棚に戻し、仏壇に合掌してから、布団に入り眠りに付いた。泰弘は、役目を終えた渡り鳥、老いた企業戦士の、姿だった。
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