| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第百二十八話 才気ではなく……

帝国暦 487年9月 30日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


「期待させていただきましょう。ところでフロイライン、貴女が説得してくださる友人たちにも公文書が必要ですか」

「自主的に求める者にはお出しください。それ以外のものには必要ないと考えます。それに、閣下のおやりになることにそうした物がたくさん有ってはお邪魔でしょう」

その瞬間、ヴァレンシュタイン元帥は微かに苦笑し口を開いた。
「フロイライン・マリーンドルフ、貴女は聡明な方だが二つ誤りを犯しました。今のままではマリーンドルフ家の安泰は難しいでしょうね」


元帥の言葉にメックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が驚いた表情をしている。
「……それは、どういう意味でしょう?」

「どういう意味もありません。その通りの意味です、フロイライン。マリーンドルフ家は危ういと言っています」
マリーンドルフ家は危うい、ヴァレンシュタイン元帥の苦笑は止まらない。

怒っているわけではない、恫喝しているわけでもない。元帥は本気でマリーンドルフ家を危ぶみ、私を哀れんでいる。私は何か失敗したのだろうか? 見落としたのだろうか?

「フロイライン、貴女は私が何をしようとしているか分かりますか?」
「……貴族という特権階級の一掃でしょうか?」
ヴァレンシュタイン元帥は無言で頷いた。

「私は貴族の持つ特権を廃止し、政治勢力としての貴族を無力化しようとしています。貴族たちが全ての特権を捨て、この帝国を飾る無力なアクセサリーになるというなら、その存続を認めてもいい」
「……」

「マリーンドルフ家に対しても家門と領地の安堵を認めてもいいと考えています。特権の廃止を受け入れ、政治勢力として無力な存在であるなら」
「……」

ヴァレンシュタイン元帥の言葉が応接室に静かに流れる。その言葉が表すのはいかなる意味でも特権は認めない、そういう事だった。

「貴女は知人縁者を説得してくると言った。私が内乱の勝利者になれば、彼らは貴女に感謝し、何かにつけ貴女を頼るようになるでしょう。マリーンドルフ家を中心とした新しい政治勢力の誕生ですね」

柔らかい微笑みを浮かべながらヴァレンシュタイン元帥は淡々と話す。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が厳しい表情でこちらを見た。先程までの驚きの表情は、もうどこにも無い。

「元帥閣下、私は閣下のお役に立ちたいと思っただけです。決して貴族間の横の連帯を図ったりは致しません。第一、公文書が無い以上、生殺与奪は自由ではありませんか?」

そう、公文書が無い貴族は生殺与奪は自由なのだ。元帥の非難はいささか考えすぎだ……。だが、元帥はまた苦笑すると首を横に振りながら言葉を発した。

「公文書が無いからといって直ぐ処断できるわけではありません。彼らが実際に失態を犯すまでは無理です。失態を待たずに処断すれば、政府は恣意的に処断を行なったと非難を受けるでしょう。新体制に対する不信を起させるだけです」
「……」

「私は貴女を高く評価しているんです。貴女の力量なら、彼らを制御して失態を起させないように、あるいは庇う事も可能でしょう。連帯を強化することも難しくない……」
「……」

思わず唇を噛んだ。そんな事をするつもりは無い、そう言いたかった。でも何の根拠も無い。私を信じてくれ、その言葉だけで納得するほど甘い相手ではない。何処で間違ったのだろう。

「リヒテンラーデ侯は貴女を許さないでしょう。侯は貴族階級を一掃することにかなり葛藤がありました。でも受け入れた。そんな侯にとって内乱を自家の勢力伸張に利用する貴女は敵です」
「!」

敵、その言葉に空気が一瞬で重くなった。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が同情と憐憫の視線を向けてくる。リヒテンラーデ侯が敵に回れば、元帥も同調するだろう。その状態で公文書が何処まで役に立つだろう。

「それが、誤りの一つでしょうか?」
声が掠れているのが分かった。そんな私に元帥は一つ頷くと言葉を続けた。

「そうです。貴女は説得する必要など無かった。ただ、私に自分の知人で頼りになる人物が居る、一度会って欲しい、そう言うだけで良かったんです」
「……」

「後はこちらで判断しました。頼りになる人物なら貴女の人物鑑定眼は評価され、良い人物を紹介してくれたと皆に感謝されたでしょう。マリーンドルフ家は勢力を伸ばすことは出来なくとも信頼を得ることは出来た」
確かにそうかもしれない。しかし私は……。

「焦りましたね、フロイライン。貴女にとって現状は満足いくものではなかった。貴女の能力に比べマリーンドルフ家は、その影響力が小さすぎる。自家の勢力を少しでも伸張させたい、その思いが貴女を誤らせた……」

寂しそうな、哀しそうな声だった。元帥は私を非難しているのではなかった。ただ哀れんでいる。

その通りだった。これほど面白い時代に生まれたのに、マリーンドルフ家は小さすぎる。誰も私達に注目などしない。私は父を愛している、温厚で誠実で誰からも好かれている父。

しかし父の性格ではこの乱世を乗り切るのは難しいだろう。だから私がマリーンドルフ家を守る、より大きく育てる、そう思った……。

もう一つの誤りを聞かなければならない。大体想像はつくが、聞かなければならない……。次の機会のために、もっともそんなものが有ればだが。
「閣下、私が犯したもう一つの誤りとは?」

ヴァレンシュタイン元帥はちょっと困ったような表情を見せたが、言葉を出した。
「もうお分かりでしょう。貴女が言った、公文書がたくさん有ってはお邪魔でしょう、その一言です」
「……やはりそうですか」

「あれは言うべきでは有りませんでした。貴女は自分が説得した知人縁者を私のために切り捨てると言ったんです。私に恩を着せるような言い方で、貴女は自分の才気を私に認めさせようとした、違いますか?」

確かにそうだった。目の前の青年に自分を認めさせたかった。目の前の元帥は私とそれほど年も変わらない。それでも、その力量を疑う人間はいない。そして私は何処にでも居る貴族の娘でしかない。

自分が他者に比べ劣るとは思わない。ただ、機会が無かった。自分の力量を示す場が無かった。帝国は女性の地位が低い、私が自分を認めさせるには今回の内乱が最大の機会だと思った……。

「……そうかもしれません」
「今の貴女は危険です。自分を認めさせようとするあまり、やたらと才気を振り回している。そして周りだけではなく自分まで傷付けている。一番拙いのはその事に気付いていない事です」

「……」
「今のままでは、皆貴女を忌諱するようになります。誰にも受け入れられなくなった貴女はますます暴走し破滅します」

「……」
「マリーンドルフ家は危険な位置に居るのです。伯爵領はオーディンから僅か六日の距離にあります。そんな近距離にある伯爵家が信用できないとなったらどうなります」

味方を裏切るようなことを言った私をヴァレンシュタイン元帥は責めている。一度裏切ったものが二度裏切らないという保証は無い、露骨に言わないのは他にメックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐がいるからだろう。

「……」
「軍は先ずマリーンドルフ家に向かい、制圧するでしょう。マリーンドルフ家は伸張どころか消滅しかねません」
「……」

ヴァレンシュタイン元帥は一つ溜息を吐いた。そして言葉を続けた。
「フロイライン、今貴女がすべき事は才気を示す事では有りません。覚悟を示す事です」
「覚悟、ですか」

「ええ、そうです。貴女は裏切らない、マリーンドルフ家は裏切らない、私達と一緒に最後まで戦ってくれる、その覚悟です」
「……」

覚悟、その言葉にメックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が微かに頷く。感じるところがあるのだろう。それを見ながらヴァレンシュタイン元帥は静かな口調でを言葉を続けた。

「私はメックリンガー提督もフィッツシモンズ中佐も信じています。この二人に私は背中を預けられる。もし、それで死ぬ事があっても後悔することなく死んでいけるでしょう」
「……」

メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐がヴァレンシュタイン元帥を見ている。強い視線ではなかった、ただ思いの篭った切ないような視線だ。

「フィッツシモンズ中佐は元々は自由惑星同盟の兵士でした。色々と有って私の副官をしています。シャンタウ星域の会戦では一千万もの敵を殺しましたが当然その中には中佐の友人も居たでしょう。私は彼女に部屋で休むように、戦闘を見るなと言いました」
「……」

「しかし、中佐は見続けました。最後まで蒼白になりながら見続けた。帝国軍人だから、私の副官だから……。あの時私は……」
「……」
ヴァレンシュタイン元帥は言葉を詰まらせ、首を横に振った。フィッツシモンズ中佐は少し顔を伏せ気味にしながら聞いている。その肩が微かに震えていた。その中佐をメックリンガー提督が切なそうに見ている。

「そしてメックリンガー提督、第三次ティアマト会戦で六百万の兵士を救うため、彼には危険な道を歩ませてしまった。彼は少しも嫌がらずに私の策を実行してくれた。もし、あそこで六百万の兵士が死んでいたら私は自分を許せなかったでしょう。提督には感謝しています」

「それは違います。あの時、閣下は自分の身を犠牲にして私達を守ろうとしました。しかし私達は勝つ事に夢中で閣下の御気持ちに少しも気付かなかった。其処まで我々の身を案じてくれていたのかと思うと……」

メックリンガー提督はやるせなさそうに表情を歪ませ、そのまま視線を落とした。メックリンガー提督の手が強く握り締められている。
「色々、ありましたね……」

ヴァレンシュタイン元帥の呟くような言葉を最後に沈黙が落ちた。三人とも身じろぎもせず沈黙している。

羨ましかった。目の前の三人は強い絆で結ばれている。私には無い。私は貴族の間でも変わり者、可愛げが無いと言われ続けてきた。私と強く結ばれたものなど誰もいない……。

彼らの前で味方を裏切るような事を言った私はヴァレンシュタイン元帥にとってどのように見えただろう。自分の才気に酔った愚かな女、そのためになら味方も裏切る厭らしい女だろうか……。

「フロイライン、内乱が起きた場合私達とともに戦場に出られますか?」
「戦場に、ですか」
「そうです……」

「ですが、私は軍務の経験など……」
「それは心配しなくていいのです。軍を率いる事はありません。幕僚として参加してくれればいい。マリーンドルフ家の次期当主が戦場に立つ、その事に意味があるのです」

人質、だろうか。信用できない私を常に傍において監視する。そう考えているのだろうか。

「……」
「その上でマリーンドルフ伯にも協力をお願いしたい」
「協力と言いますと?」

「政府部内にもブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に味方する人が居るでしょう。当然人手が足りなくなる。マリーンドルフ伯が宮中に出仕しリヒテンラーデ侯を助けてくれれば侯もマリーンドルフ家を信頼するでしょう」

「……」
「マリーンドルフ家の親子が揃ってこちらの味方になった、積極的に参加している。その意味は決して小さくないと思います」

ヴァレンシュタイン元帥の目には嫌悪も哀れみも無かった。いたわる様な、いとおしむ様な柔らかい眼だ。ヴァレンシュタイン元帥は私を助けようとしている。どうしようもない愚かな失敗をした私を。

「分かりました。マリーンドルフ家は元帥閣下と共に戦わせていただきます。閣下のご厚意に感謝します」
「期待していますよ、フロイライン」

ヴァレンシュタイン元帥は柔らかく微笑んでいる。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐は表情を見せない。この二人は、いや元帥も私を信用しているわけではない。信用はこれから築かなければならない。示すべきは才気ではなく覚悟……。

応接室のドアがノックされ、女性下士官が部屋に入って来た。
「御用談中申し訳ありません。元帥閣下、只今宮中より至急参内せよと連絡が有りました。陛下の御命令だそうです」

一瞬にして応接室の中が緊張に包まれた。皇帝が元帥に至急の参内を命じた。一体何が有ったのだろう。

「分かりました。フロイライン、私はこれから宮中に向かいます。いつか今日の日を笑って話せるようになるといいと思います、では」
そう言うと元帥はしなやかな動作で立ち上がった。

元帥はマントを少し気にしながらドアに向かう。マントを着けていても華奢な後姿が分かる。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が後に続いた。私は少し後から出たほうがいいだろう。部屋を出る間際、元帥は振り返り私を見た。

「フロイライン、貴女の過ちはもう一つ有りました。私に忠誠は無用です。私は皇帝陛下ではありません。貴族でもない、平民です。貴女の友人、上官にはなれても主君にはなれません。良い友人になれるといいですね」

悪戯っぽい表情で言うと、あっけに取られている私をそのままに体を反転させ部屋を出て行った。誰も居なくなった応接室で私は思わず苦笑した。敵わない、改めてそう思う。でも少しも残念ではなかった。


 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧