或る皇国将校の回想録
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第四部五将家の戦争
第六十二話天下の乱れんことを悟らずして
前書き
新城直衛少佐 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊大隊長
藤森弥之介大尉 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊首席幕僚
馬堂豊久 独立混成第十四聯隊 連隊長
大辺秀高 独立混成第十四聯隊 首席幕僚
皇紀五百六十八年八月五日 午前第十一刻
六芒郭南突角堡 六芒郭防衛隊兵站部糧食班、配食担当第三席当番将校補 丸枝敬一郎中尉
さて、事ここに至るまでの経緯を語る上で誰もが理解し、でありながら無視してきた障害がある。六芒郭は未完成なのだ。彼らが目にしたそれがその現実を雄弁に語っている。
二千名近くの兵が塹壕を掘ったり土嚢を積み上げたりと迫りくる〈帝国〉軍への備えを積み上げている。寄せ集めの兵を集団で動かすには丁度良いといったところであろう。
問題はそれが六芒郭、即ちこの〈皇国〉防衛戦略の要地となる六芒郭の突角塁であるという事だ。
六芒郭は所謂、星型要塞と言われる形式である。つまりは極めて強固な砲塁・銃郭で構成された突角塁が相互に支援し、本郭を護る事で要塞としての機能を十全に果たすことができるのだが――その一角がいまだ盛り土でしかないのである。
このままでは要塞として機能するかは怪しい、今まで誰もが見向きをしなかった理由はまさにこれである。兵站拠点として使うだけならさして問題はなく、かといって防戦に利用するには割くべき労力と時間が必要であり、なおかつ龍州をほぼ完全に放棄した事を想定せねばならない――主要街道をすべて扼する事ができるといっても、〈帝国〉軍を相手にそれほど積極的な行動をとれる規模の兵力をここに張り付け、なお虎城防衛線を維持できるかという問題もある。
“兵力が足りない”これは〈皇国〉軍の誰もが呻いた言葉であり、古今東西の将達が幾千幾万と繰り返した言葉であろう。
平時においては政治という現実と戦争という悪夢の板挟みの中で運営されている軍隊というモノは一朝有事において必ず戦力不足という悪夢と戦争という現実の板挟みの中で苦しむことになる。
笑い話にもならないが〈帝国〉軍もその長大な国境と不安定な内情の最中で苦しんでいる。のである。事実、勝ち戦であるという認識があっても本領から二個師団を中核とした十万超の軍団が増派されたことからもわかるだろう。
――閑話休題
龍州の夏は既に佳境を迎えている。汗を流し、盛り土に張り巡らされるであろう壕を掘り返している兵達は、ぐったりと寄り集まって手拭いで体をぬぐっている。
将校と下士官は図面と実際の進捗を見比べて頭を掻いている。どうあがいてもここが主攻正面になるのは目に見えている。とはいえ寄せ集めの兵達にてきぱきと動けというのも難しいものだ。
「配食です!」
三十余対の視線を受けた男は酷く頼りない姿をしている。
痩せた――というより未発達な体に頭が乗っかっている。顔立ちも小さく顎が小さいからか、横まわりが開いた頭ばかりが目立つせいで酷く頼りなさげな男であった。
それを裏付けるようにおどおどと落ち着きのない目をしており、肌の色は真夏の龍州を駆けずり回っている癖に生白く、いかにも頼りない風貌であった。名を丸枝敬一郎という銃兵中尉である。
姿かたちだけでなく立ち居振る舞いもまたその印象を裏切らない。万人が求める将校像のそれとは大きくかけ離れており、逆さに振っても威風、自信、泰然といった用語が出てこない。逆に萎縮、不安、戦々恐々といった単語ばかりが出てくるような有様であった。
配置もそれを物語っている。彼の配置は兵站部糧食班の配食担当。要するに前線への食事の配達を担当する指揮官の末席‥‥‥要するに軍を動かす血液の一滴であった。
欠けては困る――だが優秀な者をあてるべきところではない、そうした役回りである。発達した兵站組織が作り出した枝葉末節の一部である。より強固な戦闘力を持つ〈帝国〉軍では存在すらしないといえば分かってしまうだろう。
大尉が大隊を率い、少佐が9千を超える兵を率いているこの新城支隊であってもそういう処におさまっている男なのだ。
だがそれを丸枝の能力だけが要因であるという事は不公平であろう。彼らが飯を渡す相手である中尉も似たような者である。そもそも彼らは近衛ですらない、龍州軍の泉川撤退戦で本隊からはぐれた(もしくは上級本部が壊滅した)不運な落伍部隊であった。さもありなん、というよりも階級だけで自発的な行動をとれるような者達ではなかった。そもそもの指揮系統からして全く違うのだから無理もない。
形は九千からの軍勢でも大半は小中隊単位で新城直衛――というよりも五○一大隊本部直属とでもいうべき有り様なのであった。
しかし、それはそれとして丸枝は誰からも軽く見られているのは厳然たる事実として自他ともに認めるものであった。とりわけ丸枝自身は、このような扱いを、今日のこの日の不快な暑さ、或いは冬の凍てつく寒さと同列の自然環境のようなものだ、と受け止めていた。
「え、あ、あれは――?」
だからこそ、彼はおたおたと臆面もなくたじろいでみせた。思うがままに振る舞うそれに将校としての見栄などかけらもない。
血相を変えた近衛衆兵の騎兵中隊が丸枝中尉達の目と鼻の先を駆け抜けていった。
近衛衆兵に騎兵隊は“編制上”存在しない、つまりは――新城直衛の側近達の一人、塩野大尉が率いる部隊だ。
「あれは」
丸枝が目を凝らした先に浮かび上がってきたのは馬匹、工兵、騎兵、銃兵、剣牙虎、剣虎兵が織りなす長蛇の列だ。
「きゅ、救援かな?」
皇紀五百六十八年八月五日 午前第十三刻
六芒郭本郭 司令部庁舎作戦室 独立混成第十四聯隊首席幕僚 大辺秀高少佐
六芒郭はこの数日間で庁舎建立されて以来の喧騒に満ちている。八月の猛暑に晒されている中でも万を超える兵達が常に何かしらの用事を抱えて動き回り、喧騒を生み出している。虎城から集成された輸送部隊が大量の物資と装備を持ち込んだからであった。中には少数ながら嗜好品も持ち込まれている。
だが、だからといってこの喧騒はただの喜びのそれではなかった
近衛の後衛戦闘を取り仕切る為に美蔵准将から預かった第5旅団の人員も吸収しているが管理を行う人員の不足を補いきれるものではない。むしろ本部要員が半壊しており、悪化したというのが実情である。故に大量に持ち込まれた物資の配分、備蓄管理という降って湧いた仕事は部隊の規模をはるかに超える大仕事であった。
だが六芒郭の中枢であるはずの司令部庁舎が作戦室は周囲の喧騒から切り離されたかのような静寂に満ちている。この場にいるのは独立混成第十四聯隊と新城支隊、双方の部隊長と首席幕僚、副官だけである。輜重段列の指揮官らと新城支隊の他の指揮官幕僚達はみな降って湧いた大仕事の段取りをつけようと悪戦苦闘している。
新城直衛はいつもと変わらぬ態度であった。一方の馬堂中佐もにこにこといつもの笑みを浮かべている。これもいつもと変わらぬ態度だ。米山はそのそばに控え、帳面を手にとっている。
この三人は北領で第十一大隊として悪戦を共にした者達であるが、今は友誼を温めようとする様子もない。
藤森は噂こそ聞くことはあっても初めて顔を合わせるのであろう、馬堂中佐を露骨に値踏みするようにジロジロと眺めている。 天霧個人副官は新城のそばに控えているが常の個人副官のような艶っぽい様子はない。
本来ならここに天龍の観戦武官が居るはずなのだが天龍族の政情が怪しいらしく、天龍たちの住まう龍塞へと帰っている。
大辺は軍人というよりも学者上がりといった目つきで双方の様子を観察しながら思考を紡いていた。彼は聯隊首席幕僚であるが政治的な意味でも馬堂豊久の参謀役として活動している。要するに馬堂家の家臣として軍に所属している心積もりなのである。
「さてさて、直接、顔を合わせるのは何か月ぶりだろうな、新城司令」
この場における最上位の指揮官である馬堂豊久中佐が口火を切った。彼と彼の聯隊は延々と龍州で戦い続けていた。その彼らの部隊がまともな補充も受けず、龍口湾から指揮下に組み込み続けた第十一大隊も切り離されてここにいる。
何故かと問えばそれはある種きわめて当然の帰結である。ようするに独立完結した戦力で動ける部隊が彼らしかいないからだ。
痛打を受けたとはいえあまりにも情けない状況ではあるが〈皇国〉軍からすれば致し方内面もある。そもそもからして軍の存在意義が薄れていた太平の世において、兵站管理が面倒で費用のかかる諸兵科連合部隊を新設しようなどという軍官僚は出世できない。それに天狼会戦敗走から始まる一連の敗走劇が戦争の定石を塗り替えてしまったのだ。
〈帝国〉軍相手に会戦形態において勝ち目がない以上、軍監本部として明確に打ち出せる形態は導術と野戦築城を活用した静的防御、そしてまだ新編部隊ばかりの剣虎兵を利用した夜間浸透突破――これも匪賊討伐などの経験を積んだ下級指揮官がいる〈皇国〉になじみやすい戦闘教義であるが洗練とは程遠い状況である――しか存在しない。
そしてこの二つのやり口から会戦形態とことなり一定の独立戦闘力を持った部隊が必要となる。
要するにあれこれと想定すべき戦況が一挙に広がり、下級部隊に高度な対応力が求められるようになったのである。
だが――どのような思惑が産んだ結果であれ、籠城戦を命じた以上は兵站の手当てをせねば護られる対象の身すら危うくなるのは当然至極、故にこそ一時的に築かれた後方連絡線を護り抜かねばならない。
〈帝国〉軍は新城支隊と第十四聯隊の伏撃によって追撃の手を緩めている。だがいつ行軍を早めるか分からない。この兵站線を護れるほどに戦慣れをした諸兵科連合部隊であり、指揮官が六芒郭防衛作戦における上層部の意図――派閥抗争と妥協の果ての結論――を理解し、なおかつ新城直衛と密接な連携をとれる希少な人物であるという条件を満たすのは馬堂豊久率いる独立混成第十四聯隊だけであった。
「お久しぶりです、聯隊長殿」
新城直衛はそれに輪をかけて特異な状況にある。もともとは1,500名と聯隊規模とはいえ大隊指揮官に過ぎない筈であった。それが今では一万に届かんとする兵を率いて一国の運命を担わされている。
何故かと言えば北領からの数奇な運命――或いは産まれて駒州公爵家に拾われてからその全てか――とその環境が産んだのか生来の物か或いは双方が奇跡的に合致したのか判然とせぬが〈皇国〉軍の中でも随一ともいえる決断力と独自の観点が齎す異様な軍才を発揮し続けているからだ。
「あぁ、また顔を合わせることができて嬉しいよ、本当に」
豊久は一瞬だけ笑顔を消していった。
「さて――それでは早速、目録を渡すとしようか」
そういってパチン、と指を鳴らした時にはいつもの笑みを浮かべている。
「まずは工兵の増強大隊。南部突角塁をどうにか要塞化する事が主軸だ、従事可能な期間は5日から10日といったところか。〈帝国〉軍の動き次第だが、可能な限り安全なうちに脱出させたい、虎城防衛線構築においても彼らは重要な戦力だからな」
「要塞用大型平射砲と擲射砲各二十一門、計四十二門。玉薬はこの四十二門に各門5基数分、そして南部突角塁回収のための資材が第一便の内容だ。
これからは玉薬を優先して輸送する。それと元来の備蓄分を合計して各門に十三万発分を用意するべきである、と軍監本部は考えている」
そう云って豊久は顎を撫でる。
「兎にも角にもここの防備体制を整えたいということだ」
「‥‥‥第三軍はどのような状況ですか?」
「蔵原に集まった面子も中々見るに堪えない有り様だ、砲兵隊の装備は壊滅状態だ。実際のところ補充を受けないと戦力が保てないのは同じだ。だがその中で相応以上の比重を置いた資源がここに割り当てられている、それを念頭においてくれないと困るのよ、我々としては」
「――はい中佐殿」
「宜しい、司令。――この六芒郭に集積される物資はかなりの物だ、敵の方囲に備えるために万全の態勢を整える為にな」
「つまり節約が必要だ。とおっしゃりたいのですか?」
新城が口元を歪めて云った。
弾薬消費量の増加に未だ軍の対応は追い付いていない。勿論、改善自体はされているのだが、それでも単純な生産量において効果があらわれるにはまだ時間がかかり、前線では未だに厳しい状況だった。
「さてな、それは貴官が判断する事だ、司令」
馬堂中佐は唇を吊り上げて云った。
「だが、これ以上物資を輸送すると防衛線――取り分け皇龍道の防衛に支障をきたす、そう護州軍が強く言っている。悪いがこれ以上のお代わりはなしだ――実際余裕がないからな。
彼らが来てくれただけでも相当の博打なのさ」
大辺は内心溜息をついた。結論に至るまでの過程を豊守から書状で伝えられた時、豊久の荒れようは相当な物であった。
――要塞が陥落しても困る、だが直衛達が脱出しても困る。護州共め!主導権欲しさに皇龍道などに出張るからこうなるのだ。クソッ!誰も彼もが他人の命で博打を張りやがって
――いや、俺も同じ穴の狢か。護州の息がかかった佐脇を抑えるためだけに兵どもに死ねと命じたこの俺も。
「――まぁ、いいさ。兎にも角にも持久戦を行えるようにこの要塞を整備する必要がある」
作戦室の窓から角塁を眺める。
本来なら虎城防衛線各所から引き抜いた工兵達と新城支隊の兵達が未完成の南突角塁を大規模な火力陣地へと改造している。数日前までは単なる丘であったが既に一回り大きなものとなっている。
新城支隊の兵達だけではなく大規模工事の訓練を受けた工兵大隊が加わり、より能率的に築城作業が行われている。
あれこれと砲の接収と頭数をそろえる事だけはできたが流石に新城直衛が作り上げた大隊であっても要塞の改修と七千を超える敗残兵たちの再戦力化を同時の行うことはできない、そして何より専用の装備、それに技術者が複数いる事はそれだけで応急改修がより素早く進む。
「さてさて、それでは改めて確認させてもらうよ。
貴官ら“新城支隊”は、このままこの六芒郭を根拠地とし、遅滞戦闘を続けてもらう」
閉じた扇で皇都まで通じる皇龍道をなぞる。
「期限は雨期まで、戦略的な目標は虎城防衛線をより強固に構築し、皇都を防衛する事だ。
帝国軍の内、現在動いているのは本領軍の猟兵二個師団を主力とした十万、そして龍口湾で損耗をしたとはいえ東方辺境領軍の猟兵二個師団に騎兵集団がいる。こちらも損耗が回復すれば十万規模になるだろう。
龍口湾から虎城までに消耗した戦力は甚大だ。護州単体で皇龍道を防衛しているが、十万の兵を相手にする事は不可能だ」
「つまり、だ。兎にも角にも時間を稼がねばならん。〈帝国〉軍も雨期に入る前に虎城を貫きたいだろう。だからこそ戦力の拡充と虎城の主要三街道の防衛体制を構築せねばならない。
雨期までなんとしても連中に虎城を貫けると思わせてはならない、そうなったら皇都を失う、生産力を失う。つまりは、国として生き延びる目はなくなる」
「その為には〈帝国〉軍の主攻正面となりうる皇龍道、及び内王道の後方を扼する事ができる六芒郭を維持せねばならない。ここに、六芒郭に兵力を誘引せねばならなない」
「この六芒郭で、ですか」
新城少佐が言葉を繋ぐ。
「正に然りだな、要塞司令殿。故に可能な限り支援を行なっている」
豊久が細巻をくわえると副官の米山が素早く火を着けた。
「こちらからも新城支隊の救援作戦を実行する予定だ。雨期に入り、戦力の増強が整えば虎城の軍も動く。
それも迄は何としても持ちこたえてくれ」
紫煙を吐き、豊久は満足げに頷いた。
「派遣参謀みたいな真似をしてしまったね。あれこれと言ったけど、結局は貴様らの受けた通信の通りさ。
新城支隊は六芒郭要塞の防衛並びに遅滞戦闘の継続を任務とする。それが陸軍軍監本部並びに近衛総軍司令部の指令だ。
よろしく頼むよ、新城少佐」
「はい、聯隊長殿。確かに拝命致しました」
「よろしい大変結構!――っとこんなもんだな。後の話は輜重将校連中としてくれ、俺の部隊はあくまで護衛と後衛戦闘用だからな。しばらくの間、主力と共にこちらで世話になるよ」
皇紀五百六十八年八月五日 午後第九刻
六芒郭本郭司令部庁舎司令室 独立混成第十四聯隊 連隊長 馬堂豊久中佐
〈帝国〉軍のカミンスキィ少将曰く――かの蛮軍は夜をも戦争に動員をかけている。――これは導術、剣牙虎の活用という〈帝国〉軍ですら経験したことのない奇怪な戦争を謳った言葉である。
しかしながら六芒郭は敵もおらず、大半の導術兵も朝を迎えるまで一時の休息に浸っている。
だが六芒郭――とりわけ南突角塁はちらちらと篝火が焚かれ、千近い影が動き回っている。
司令部庁舎も明かりがともった窓が多く、やはり戦時の軍という物はやるべきことが途切れることはけしてないのだと主張していた。
六芒郭のすべてを采配する司令の私室もいまだ不夜城の構えを見せている部屋の一つであった。
「やることは山積み、先行きは不透明――なかなか素敵な戦争だな、まったく」
同じ庁舎ではあっても別の部屋を割り当てられている筈の馬堂中佐は景気よく細巻をふかしながら言った。昼下がりの時とは全く異なる声色と口調であった。
「それで――貴様はどうするつもりなんだ」
部屋の主である新城も千早の眉間を揉みながら細巻をふかしている。
「――ん、どうすると言われてもなぁ。これが終わったら。連隊の補充に再戦力化。後は内王道防衛体制の構築じゃないかね。
無論、ここの救援に引っ張り出される可能性も多々あるが……
ま、俺は駒城が重臣たる馬堂家の嫡男。〈皇国〉陸軍の将校。そういうことですよ」
「変わらないか」
「あぁ変わらないともさ、俺は馬堂家の嫡男だ」
豊久が笑みを消して首肯する。
「なら俺はどうだ。馬鹿正直にあの言葉を信じるべきか?」
豊久は軽く声を上げて笑い、肩をすくめた
「少なくとも、あの見通しのように動くかどうかは怪しいだろうな」
「貴様もそう思うか――龍口湾のやり口を見れば〈帝国〉軍が馬鹿正直にこの要塞に大層な戦力を張り付けるとも思えない。
本隊が動けば三個師団を動かせる。兵站の負荷があるならば余計に短期決戦を挑むだろう。
そのまま皇龍道へなだれ込んでもおかしくない、僕はそう考えるが」
「散々時間をかけて決まったのは時間稼ぎの方策だけだよ、後の事は軍監部ですらまとまっていないじゃないか?御上の方じゃさぞ横車ばかりで渋滞が起きているだろうさ。
だが――」
「思惑はどうであれ五将家も近衛も貴様に投資をしている。
ハッ!羨ましいと言ったら大嘘になるが奇跡のような存在だよ、この“新城支隊”は」
「“奇跡”、か」
算術の教科書を朗読するかのような口調で新城はその言葉を舌先で転がした。
「奇跡なぞ、頼るものではないという事だ。特に誰かの気分が変われば消え去る類の奇跡には」
そういって豊久は短くなってきた細巻をもみ消した。
「――まぁ現実、この奇跡をどうにか地に足がついたものにする必要がある。
十月になれば虎城は雨期だ。雨と泥の中、虎城に侵攻する持久力を〈帝国〉軍持っているのかは怪しい。策源地からも離れ、兵站の負担は限界に近いだろう。という軍監部の読みも程度の問題はあれども事実なのは違いない
後は〈帝国〉軍の動き次第だが」
「そうなれば六芒郭の包囲にかかずらってはいられない、だから包囲部隊は短期決戦を狙う。特にあの姫様は勝利の美酒に酔っているからな。全てが自分の思い通りに動いているつもりだ。――我々はその通りに動いてしまった。この新城支隊以外は」
「――耐えてくれ、と言うしかないが。向こうが虎城突破を狙わない限り救援作戦は必ず実行される、それだけは俺が馬堂豊久として確約する」
燐棒を擦り、火を灯す。
「‥‥‥」
「あとはどれだけこの件だけでも連携できる味方をつくるか、だな。所詮は五将家の寄せ集めだった事を思い知らされてるよ――後十年あればもう少しましだったろうに」
「面倒の性質が変わるだけではないか?」
新城の鋭い言葉に豊久は苦い笑みを浮かべた。
「そりゃそうだろうな、それでも多少はマシになると信じたいところだが――あぁそうだ」
真新しい煙を目で追い、天井を眺めながら豊久は言葉を継ぐ
「――性質が変わる前の面倒の話をしよう。近衛禁士から組み込まれた連中がいるだろう?」
「‥‥‥あぁ」
近衛禁士は五将家の貴族達が将校を務めている。ここからは聞かなくてもよく分かる話である。
「できるだけ生かして返せるよう気を配ってやってくれ。特に若い奴を。そちらへの救援作戦を楽にしたい」
そういいながら新城に視線を戻したとき、豊久の顔にはにこやかな笑みが張り付いていた。
「――豊久、貴様はいつから人質をとって稼ぐようになった」
新城直衛の冷え切った視線を受けても馬堂の嫡流は笑みを崩さない。崩してはいけない、新城直衛は執念深い人間である。新城直衛は必要であれば殺人を犯すほどに果断である。だがその判断を下す前にかならず徹底的に情報を集める、感情的な決断を避けようとする。
であればこそこの男と敵対するような真似は避けねばならない。必ずどちらかが破滅するその瞬間まで争い続ける羽目になる、馬堂にとっても自分自身にとっても
――少なくとも自分は好悪を抜きにしても目の前の男が恐ろしくてたまらない。
「や、いいたい事は分かるけどさ。
俺の戦争には貴賤がないなどと見得を切られてもね、困るのよ――ここで駒城家が孤立したら貴様も俺も共倒れだ」
だからこそ、豊久は笑みを張り付けて嘘のない言葉を紡ぐ。新城直衛の戦場を荒らしまわり、静かに煮えたぎる怒りに焼かれぬように舞ってみせねばならない。
「直衛、お前さんだってさ、若菜の命の値段を見切ってみせたじゃないか。
同じ口でこちらを断罪するような真似をしてくれるな、誰かの命の価値を落とすか上げるかだけの違いだろうに。
理由がどうであれ値札をつけて生き死にを決めるならば同じ穴の狢だろうよ。
目あさましいやり口はお互いさまじゃないか」
重々しくもなく、軽くもなく、ユーリアと対面した時よりもはるかに逼迫した恐怖を背中に張り付けながら語りつづける。
「ま、頭に入れておいてくれるだけでいいさ。制約の所為でここが陥落したら話にならないからね。
だが無用に五将家から反感を買う真似はしないでくれ、いま背後にいるのは五将家の私兵であり、〈皇国〉陸軍の主力なんだ」
「―どちらにせよ、〈帝国〉軍砲兵の前に貴賤もなにもない、例外はない。
それに俺も貴様も兵達の命を預かっている、それも貴様の語るそれとは違うが紛れもない現実だ」
新城の無感情な視線を交わらせ、それでもなお笑みを浮かべ、穏やかな声で最後のひと押しを放った。
「それでも可能な限り努力してくれ、頼む。見込みの少ない作戦を敢行する羽目になるのは御免だ――この国で戦争するならこんなものだ。“好き好んでこの国の軍隊で将校になった”責務だと思ってくれ」
ぬるま湯のような気怠い空気のなかで静かに光帯の光を受けながら、六芒郭は“その時”に備え、徐々に徐々にその牙を研ぎ澄ましている。
後書き
前回までのあらすじ
守原英康「化け物には化け物をぶつけるんだよ!」
……はい、また例によって例のごとく遅刻です。
誠に申し訳ありませんがまた次回も楽しんでいただけるよう可及的速やかに書きますので、ハイ
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