授業なんてどうでもいい、なくてもいい
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
多田くんはありえない
土曜日。午前授業を終えてから、私は西尾倫子と図書室で時間を潰した。彼女も私と同じ帰宅部であり、部活に時間を割く必要がない。聴く曲や好きな本のジャンルなど、彼女とはいろいろと趣味が似通っている。明確に違うことといえば、彼女には彼氏がいるというところくらいだ。最近できたのだ。青春色がどうとか男バスはイケメンばかりとか訳の分からないことを言っていた友人が少し遠くなった気がするのは、私が寂しがり屋だからだろうか。あまり自覚はないが、そうなのだろうか。
図書室は出入り口の手前と右奥に本棚があり、手前の本棚の先に机がレストランの席のように並んでいる。中にはパソコンが設置された資料を探すための席もある。さらに奥に進むと、窓際にカウンタータイプや仕切りのついた個室をイメージしたタイプの自習用スペースがある。あまり図書室を利用しない私は、その充実性に心中で驚いた。
私と倫子は本棚近くにある机の一つに腰を下ろして、しばらく本を読んだ。図書室に他の学生はちらほらとしかいない。
どれほど経ったかは分からない。ふと、倫子が私に話しかけた。
「ねえ、咲良」
「なに?」
「多田くんのこと好きなの?」
私は至って冷静に文庫本を閉じた。そうでもないと、文庫本で倫子の後頭部を叩いてしまいそうだった。
「ねえ、倫子」
「どうした?」
「やっぱりバカだったね」
「やっぱりって何よ!?」
倫子がひどいとばかりに私に目を剥いた。私と倫子は3年間同じクラスの仲なので、お互い余計な気遣いをしない。たまにはプールの授業で制服のまま水の掛け合いをガチでやるし、雪合戦をガチでやる仲だ。もはや男子の下らない遊びと変わらない気がする。
私は倫子の顔を見据えて言った。
「もしかして、私と多田くんが二人で教室にいるの見た?」
「うん。一回だけ。うちも急いでたからさあ、何やってるかはよく分からなかったんだけど。で、何してたの?」
「別に大したことじゃないよ。勉強を教えてただけ」
「絶対ウソでしょ。咲良、多田くんとマトモに話したことなかったじゃん。ホントはどうなのよ?」
ここがキーポイントだ。一度簡単な嘘を吐いておいて、後から吐く嘘を本当のように思わせる。ちなみに、私は詐欺師を目指しているわけじゃない。
「さすがに倫子には分かっちゃうか。実は、大学入試のことで相談を受けてたんだ」
「いや、それも嘘でしょ」
待って。それは嘘じゃない。
「本当だよ。多田くん、AO入試で行きたいからその動機を一緒に考えてほしいって」
「えー、ホントに?」
「ホントだって。東京勧善大学ってとこに行くみたい」
「どこよそれ」
「モンゴル」
倫子がツボに入って高笑いし、図書館の先生に追い出されたのはそれから2分後のことだった。モンゴルが寂しそうに笑った気がした。
*****
やむを得ず図書室を後にした私たちは、適当に校内を歩きながら時間の消費方法について語っていた。そして、最終的にのんびり多田くんの家に行くことに決まった。
階段を片足だけで降りるという奇行をする倫子が言った。
「普通に歩いて20分くらいだから、のんびり3時間くらいかけて歩こう」
のんびりのレベルがえげつない。通常の9倍近く時間をかけるなんて、ナマケモノもびっくりのスローモーションだ。
「多田くん家までにファミレスとか時間を潰す場所ないの?」
「うーんとねー、廃工場と廃線跡と廃公園くらいしかないかな」
多田くんの住む場所ってそんなに廃れているのか。バーベキューをする場所に適している気がしない。
校舎を出て、いつもの通学路とは反対の方に足を運ぶ。真横を通り過ぎていく車が相変わらず危ない。ここの道はもう少し歩行者に優しくなるべきだ。
倫子が鉄柵越しに左手のテニスコートを眺めている。
「早いねえ。もう来年の今ごろには大学生かもしれないんだよね」
「倫子はどこの大学に行きたいんだっけ?」
「まだ決まってなーい。江藤に『少し焦りなさい』って言われたけど、やっぱりまだ実感湧かないんだよなあ。まだまだ高校生じゃん、って開き直れちゃう」
「その気持ち分かる」
中学の3年間は呆気なかった。でも、高校の3年間の方がもっと呆気なかった。つい最近に入学式を終えたかのように、1年生のときの出来事を細かく覚えている。振り返れば、私たちは去年の3月まで1年生だったはずなのだ。それが今はもう受験生。実感が湧かないのも無理はないと思う。
倫子が言った。
「だからさ、咲良もちゃんとパートナー捕まえた方がいいよ」
「パートナー?」
いきなり話がぶっ飛んだ。何のことだ。
「そう。受験シーズンになったらいろいろと大変になるでしょ。学校でも塾でも家でもずーっと勉強。もうストレスすごそうだよ。でも、そういうときに素直に相談できる人がいれば少しは楽になるんじゃない?」
倫子がいるから相談相手はいらないけど、と言おうとして口を噤んだ。今の倫子には彼氏がいる。学校ではいつも一緒にいるけれど、今までのように一緒に遊びに行ったり放課後どこかに寄ったりする時間は少なくなるかもしれない。受験期になれば尚更だ。
「そうだねえ、パートナー必要だねえ」
だから私は上の空のような調子で倫子の言葉に賛同した。心の中で、パートナーっておばあちゃんみたいな言い方だな、と思いながら。
倫子が私の目を覗き込んで、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「咲良は、強いね。それが私には羨ましくて、同じくらい愛おしい」
「それはどうも」
どうやら私の適当な相槌に気づいているらしい。さすが、私とずっと一緒にいるだけある。
私たちはしばらくの間、無言で歩き続けた。ペースは最初に決めた通り、目標到着時間3時間を達成するために亀レベルを維持している。
十字路のところで赤信号になり、私たちは足を止めた。そのとき、反対車線側の歩道に1台の自転車が停まった。乗っていたのは桐山くんだった。
「おーい、桐山くーん」
倫子が反対側にいる桐山くんに向かって手を振った。それに気づいた桐山くんが、信号を渡って私たちの方に向かってきた。私たちが目指している場所は同じなのだから、一緒に行くのはおかしくない。
そのとき、倫子がポツリと言った。
「ま、私たちの仲なんだからさ。何かあったら相談してよ。私はバリバリ咲良に頼るつもりだけどね」
そう言って振り返った倫子は屈託のない笑顔を浮かべていた。
倫子にはさすがに敵わない。私が彼女のことをいろいろと知っているのと同時に、彼女も私のことをよく知っている。
困ったら倫子にちゃんと相談しよう。私はそう胸に刻んで、青に切り替わった信号を横目に見た。
後書き
今さらですが、モンゴル出身の読者さんがいらっしゃいましたら、これは創作上の扱いですのでご理解いただければと思います。よろしくお願いします。
ちなみに、自分が行きたい外国はフランスです(モンゴルをフォローしない鬼畜さ)。
ページ上へ戻る