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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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50.第一地獄・千々乱界

 
前書き
7/12 
すいませんごめんなさい思いっきり書きかけのまま投稿しちゃいました!!
というか投稿されてることに気付いていませんでした!!
うああ、多分スマホで誤字修正した時だ。スマホでやると下書きボタンが一度解除されるんです。

と言う訳で今度のは完成版です。 

 
 
 人間は、本当に美味しいと感じる食べ物を口にした時、言葉を失う。
 人間は、本当に美しい物を目の前にした時、行動を失う。
 人間は、想像を絶する状況に突然立たされたとき、言葉と行動の両方を失う。

 では、今自分の立たされている状況は何だというのだろう。

 想像を絶する環境の中で、それでも雄叫びをあげて邁進する今という刻は、夢と現のどちらなのだ。

「――ッおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーッ!!!」
『להרוג אותך כדי לשרוד――!!』

 背中から出現した『死望忌願』がその漆黒のコートの内より夥しい量の鎖を放出し、虚空で出鱈目に軌道を変えながら黒竜に殺到する。それは鉄の雨と形容すべきか、灰色の嵐と形容すべきか、まるでそれ自体が巨大な生物であるかのように大小様々な鎖が鉄砲水のように噴出し、ひとつの巨大な鎖と化して黒竜の前足を猛烈なパワーで殴りつける。

 人間なら『よくて』粉微塵になる、この世の物理法則を越えたエネルギーの塊による破滅の殴打。それは吸い込まれるように黒竜に命中するかと思われた。だが、黒竜はまるで下らない手品を見るようにそれを一瞥し、家どころか小さな村なら一撃で更地に変えかねない巨大な後ろ足を振るい、鎖に叩きつけた。

 ゴガジャラララララララッ!!と金属の山が盛大にぶちまけられるような異音を立て、大樹のように密に固まっていた筈の鎖の結合が砕かれる。この世で絶対とされる不壊の理に最も迫ると言われた不可避の力が、砕き裂かれる。

「まッッだッッだぁぁぁあああああああああああッ!!!」

 鎖が黒竜に接触するや否や、俺は下腹部にあらん限りの力を込めて放った鎖を手前に引き戻した。
 刹那、バラバラに引き裂かれた鎖が黒竜の脚の元で巻き戻し映像のように再構成され、黒竜の脚を掴む世界最大の枷が顕現する。貪り喰らう獣を縛る魔枷(グレイプニル)と化した実体のない概念の塊がけたたましい軋みの音色を奏で、黒竜の体のバランスが僅かにずれる。

 これだけの力を込めても『僅か』。されど100Mを越えた規格外の巨体における僅かは、矮小な人間にとっては大きな差を生み出す。この鎖を引いた瞬間、既に俺の親友が黒竜のほぼ直角の身体を獣のような速度で駆け上がっていた。最早曲芸を越えて神懸かったクライミングの末、口にヘファイストス製の直剣を咥えたオーネストが辿り着いたのは黒竜の潰れた眼球の近く。

 間髪入れずにオーネストは剣を手に握り、幾千の敵を屠った斬撃を叩き込む。
 グオオオオオオオンッ!!と、剣を振って発生するとは思えない怪音を立てて音速を突破した殺戮の刃が迫る。バランスを崩した黒竜にとっては致命的な隙だった。

 筈だった。

『グルルルロロロロロロオオオオオオオオオオオッ!!』
「――野郎ッ!!」

 黒い硬殻に覆われた光沢のある首が鞭のようにしなり、音速を越えた速度でオーネストに突っ込む。空中から斬撃を放つオーネストの剣と、地に足をついたうえで死角をカバーするように振るわれた黒竜の角が、激突した。

 ――ィィィィィイイイイイインッ!!

 鼓膜を削るような甲高い振動音が響き、刃が停止する。いや、重量とパワーで押し切られたオーネストが弾き飛ばされる。飛ばされながらオーネストは空中で体勢を立て直し、二本の投げナイフを投擲し、投擲の反動で空中を疑似的に移動する。本来ならば移動方法となりえない行動によって加速するのがオーネストという男の出鱈目な部分だろうが、更に出鱈目なのはこれほどの威力を込めて放たれた投げナイフの価値だ。

 投げナイフには大砲並みの威力と速度が込められている。
 逆を言えば、『たかが大砲程度の威力しかない』。
 オーネストの斬撃には速度も威力も到底及ばす、当然ながらそれをあしらった黒竜にとっては豆鉄砲以下の価値しかない。二本のナイフは全く同時に黒竜の眼球に向かったが、黒竜はそれを『まばたき』することで弾き飛ばし、更に麒麟のようにしならせた首を袈裟に振り抜いた。

 轟ッ!!!と、竜の首の形をした空気の塊が――僅か1秒にも満たない時間ではちきれんばかりに圧縮されて無理やり押し出された大気の爆弾が、空中を移動するオーネストに迫る。

凍てつけ(ヘイル)ッッ!!」

 直後、オーネストの真下から、突如として巨大な『氷山』がせり上がる。しかも一つではない。オーネストと大気の爆弾を遮るように、100Mをゆうに超える人工アルプスの山々がたった一人の人間の思うままに連なり続ける。オーネストへの直接攻撃を阻む重複防壁だ。
 これほど瞬間的、かつ大規模に氷魔法を発動させて狙い済ました形状に仕上げる事が出来る魔法使いはこのオラリオの何所を探しても一人しかいない。その気になれば一人で街を厳冬の季節に変貌させることが出来る、白銀の姫君(リージュ)唯一人だ。

 刹那、氷山と大気の爆弾が接触し――空間全ての音を置き去りに、爆ぜた。

 ほぼ無意識に、獣のような自己保存機能を頼りに、俺は『死望忌願』の鎖で作り上げた巨大な盾を形成して両足を大地に突き刺すほどに踏ん張っていた。

「くおおおおおおおおッ!?」

 盾は表面が高速回転する円錐状の――ありていに言えば平べったいドリルのようなもので、このサイズと表面を高速回転する鎖ならばこの世の粗方のものは防ぐことが出来る。しかして、黒竜の放った大気の爆弾は、既にこの世にある存在として破綻した破滅力を以てして空間を埋め尽くし、盾が綻び、千切れ始める。
 盾を維持する力がないなら、もう体で相殺するしかない。俺は盾で拡散させきれないエネルギーに身を任せ、脚を浮かせた。

 瞬間、俺は不気味な浮遊感と白んでいく視界を自覚し、気が付いたら内臓を吐き出しそうな衝撃と共に壁に叩きつけられていた。

「ご、がっ」

 漏れるのは、受けた衝撃とは余りにも不釣り合いな短い嗚咽。咄嗟に体の衝撃を鎖でカバーしたにもかかわらず、肺に溜まったすべての空気が一撃で吐き出され、口の中に鉄分と胃酸の入り混じった味が広がる。もし鎖でカバーしていなければ、今頃俺は壁に叩き潰されていた所だろう。

 遠くを見ると、氷山を発生させたであろうリージュが辛うじて作り出した防護氷壁が崩れ落ちる瞬間と、氷の破片が体に突き刺さったまま立ち上がるオーネストの姿があった。氷壁があったから氷が刺さる程度で済んでいるが、恐らくまともに喰らえば全身の穴と言う穴から血液が零れ落ちていただろう。
 更にその反対側には、黒竜に17度にわたって踏み潰され続けた筈のユグーが、血塗れの姿で立ち上がっている。度重なる攻撃で襤褸切れに成り果てた彼の衣服の切れ目から、背中を囲う美しい蛇の入れ墨が見え隠れする。

 4人がかりだ。4人がかりで立ち向かって――それでもあの竜はブレスの一つすら吹いていない。

 あれが手、足、尾、頭のいずれかを振り回すたびに、挑戦者たちの身体は千々に乱れかねないほどの物理的破壊エネルギーを浴び、血反吐を吐き出す。それが来ることを判っているのに、災厄と呼んで差支えないほどの力を避けきることも受け止めきれることもない。

 すなわち、圧倒的な力による蹂躙を『される側』に、俺達は立っている。

 自分の力を100%引き出した全力でも未だに碌な傷さえ与え切れていない現状と、不覚を取って今にも吐血しそうなほどの衝撃の恐怖。絶望を乗り越えた先に待つ更なる絶望。戦えど戦えど届きはしない絶対的な領域に――黒竜はいた。

「反則だろ……攻めれば壊され、攻めなくても壊され、ダンジョンの床と壁までをも破壊するたぁナンセンスだぞ」
「馬鹿が、そのナンセンスに俺達は挑んでるんだ。文句を言う暇があったら考えろ。考える事を辞めた奴からここでは死んでいく」
「俺達も死ぬのか」
「俺達次第だ。てめぇが決めろ、殺るか死ぬかをな」

 恐ろしくシンプルで端的な事実を、オーネストは好む。今俺に突き付けられているそれも、またどうしようもなく他に選択肢のないシンプルな二択だった。
 この男は今、俺を試しているのだ。俺が死を選ぶと言えば、ひょっとしたらオーネストは「なら俺が介錯してやろう」と首を刎ねて『くれる』かもしれない。だがもう一つの選択肢を選んだなら、こいつはいつもと変わらない澄ました顔で「そうか」と言うに違いない。そう思うとおかしくて、自然と口元が綻んだ。

「そうかい………それじゃ、死力を尽くすしかないねッ!!」
「そうか」

 掲げた覚悟と矛先は、全てあの化物へ。化物より化物らしいと恐れられた俺達なんかより余程な、世界に立った三匹の本物の怪物の一柱へと向いていた。どいつもこいつも正気じゃない、沙汰から外れた思惑を胸に抱き、立ち上がる。

「アキくんの未来のために、この身体から肉が削げ落ちようとも命を貰うッ!!」
「戦い!!戦いィ!!そうだ、貴様か!!貴様が俺ノ求メル至高そのものか!!ならば殺そう!!殺されよう!!生命を貪ルようにィッ!!」

 我らが闘志、未だ消えず。

 我らが勝機、未だ見えず。

 答えのない無限の世界を地獄と呼ぶのなら、ここを第一地獄・千々乱界と呼び畏れよう。

 再び黒竜の尾が振るわれたとき、その場にいる全員の身体が宙を舞っていた。



 = =



 目の前で繰り広げられている戦いは、果たして本当に人間の概念で「戦い」と同じものなのだろうか。少なくとも、ココの知る戦いという行為からは、その光景は逸脱しているとしか思えなかった。あらゆる出来事の規模が桁外れに大きく、全ての選択が刹那的で、勝機らしいものなど碌に見えない。戦士としての感覚が、全く眼の先の光景に付いて行けなかった。

 ココは、この戦いを本気で手伝う気だった。

 単純にスキタイの戦士としてそうしたかったし、スキタイの戦士ではないココという一人の女としても、オーネストの敵を共に屠るつもりだった。これほど深層に潜る経験はさしものココも指で数える程しか経験がないが、これまでオーネストと共に戦って息が合わなかったことはなかったのだ。だから、もしオーネストに並ぶ人間がいるなら、それは自分に違いないと思っていた。

「………サイッテー」

 蜂蜜以上に甘ったるい自身の勘違いが余りにも愚かしくて、吐き捨てるように自分を下卑した。あの光景を見れば、少し前にリージュと無理に張り合おうとしていた自分がどれほど滑稽だったのかが理解できる。
 栄えあるスキタイの若き天才剣士、ココ・バシレイオスには、まだあの凄まじい衝撃が吹き荒れる滅裂空間で生き延びる為の術が存在しない。アズは「君が駄目なんじゃない」等と気を利かせたことをのたまっていたが、今のココには自分こそが駄目な存在にしか思えなかった。

『むぐぅ……コレ、ケッカイしてなかったらアタシたちフッ飛んでるんじゃない?』
『怖ろしき攻撃よ……拙者の第二の術、『奇魂(くしみたま)』の相殺結界を揺るがすなど並大抵ではござらん。至近距離ではひとたまりもない』
「――想像以上にマズイね、こりゃ」

 風圧を手で防ぎながら、ヴェルトールが普段の姿からは想像もつかない程真剣みを帯びた声で呟く。
 安全圏から様子を伺っていたメンバーの先頭では杖を構えたウォノが魔法結界を張ることで戦いの余波を受け流しているが、それでも大気を強く打ちつけるような衝撃を凌ぐので精一杯。ドナの言うとおり、油断すれば全員が後方に吹っ飛ばされかねない衝撃が戦闘空間に吹き荒れている。

 黒竜のいる場所は、何の遮蔽物もない大きなフロアだ。中心部の大きく開けた空間から無数の洞窟が繋がっている構造になっており、ココたちはその洞窟で最も見晴らしのいい場所から行く末を見守っている。
 出来る事は、最早傍観することと祈る事だけだ。何も出来ないし、何も変わらない。自分たちという存在の無力さだけを思い知らせるためだけに存在する最低の特等席から、彼等は戦いの趨勢を見守っていた。


 黒竜のいる間に4人が入りこんだ時、既に黒竜は轟音を立てて飛翔し、脚で攻撃を仕掛けてきた。並みの冒険者ならその時点でぺしゃんこの肉塊になっていた所だろうが、彼等は並ではない。ユグーはまともにその一撃を受けたが死なず、他の3人は早々に攻撃を躱した。そこからは、ワンマンゲームの始まりだ。

 ユグーは何度でも立ち上がるが、立ち上がるたびに黒竜に改めて踏み潰される。リージュの氷はまるで通用せずに防護壁となり、アズの鎖さえも容易に引き千切られ、唯一黒竜の速度に追いつけるオーネストが攻撃を当てても相殺される。戦闘開始からものの数分で、4人の身体は見る見るうちに傷ついていった。
 しかし、アズは相変わらず笑っているし、ユグーも笑っている。リージュとオーネストには微塵の精神の揺らぎも感じられない。それはどんな武勇譚に登場した如何なる英雄よりも鮮烈で、リアルで、果てしのない存在感を放って現在という物語を書き換え続けている。

「……………悔しいなぁ」
「何がよ、ココちゃん?」
「私もあそこで戦える戦士になりたかった、ってハナシ。悔しいなぁ、もうちょっと早く生まれて、もうちょっと死にかけるくらいの戦いをしてたら……私もあそこにいられて、一緒に戦えたかもしれないんだなぁ………って、さ」

 人生はいつだって理不尽で、些細な違いがどうしようもなく重く圧し掛かる。
 ココは人生に置いて手を抜いていたことはない。剣に関してはむしろ人より何倍も激しく取り組み、幾千の実戦を潜り抜けて刃を研ぎ澄ませてきた。彼女が現在の年齢でレベル5の地位にいること自体が本来ならば早すぎるのであり、戦士としての誉だ。
 だが、その事実は今のココにとっては何の慰めにもならない。ココは今、あそこにいる戦士たちに憧れたのだ。届かないから、羨望を抱いたのだ。無い物ねだり、子供の我儘、何一つ実効性の伴わない空想。今の自分の剣があの領域に届かないことへの悔しさが、行き場を無くして胸中を激しくうねる。

 自分があそこでオーネストのサポートを出来たら――アズやリージュの鼻を明かす大活躍でも出来たら――全ては仮定であり、仮定は実体を持たない。たった今、目線の先で生死を競う争いの場に自分が参加できない惨めさが、ココをどうしようもなく蝕んだ。

 しかし。

「自分がいれば結果は変わってた、ってか?」
「結果はあんまり変わんないよ。過程が変わってただけ……」

 そう、結果は変わらない。

「オーネストはいつだって生き残るもん。今回も勝つに決まってる。だってオーネストだもん」
「……だな、オーネストだしな。アイツの問題は大体その一言で片付くよな」
「ついでにアズもいるしぃ、リージュちゃんもいるしぃ、バカのユグーもいるし!何とかなるっしょ!あ、ホラ!なんか反撃開始みたいよ?」

 気楽に笑うキャロラインの指さした先で、反撃の狼煙が立ち上る。
 


 = =



 オーネストは考える。黒竜は4足歩行だ。その足から繰り出されるメガトン級の蹴りはそれだけで脅威だし、前足の爪も岩盤をフルーツカットでもするようにスライスする。おまけに頭のスナップを効かせた攻撃に、尻尾も超特大の鞭となっている。上下左右どの方向から攻めても隙など存在しない。

 だが竜の骨格と長時間飛行を行えない事を考えれば、黒竜の重心が後ろ足の方に存在するのが理解できる。後ろ足を固定させることが出来れば、他の部位より大きく動きを制限することが可能だ。それを実現させる方法は――他人を利用する(なかまにたよる)事。

「アズ、リージュ。お前ら俺の言うとおりに連携しろ」
「ええっ!黒のっぽと!?ヤだけどアキ君の頼みならいいよ!!」
「ヤなのかよ!!いや別に協力してくれるんならいいんだけれどもっ!!」

 口から血を垂らして尚漫才をする余裕がある悪友に若干の呆れを感じる。人のことをどうこう言っている割には自分だって相当いかれている事に自覚が薄いのか、或いはそんな些細なことは気にしていないのかもしれない。アズライールという男はどうもそのさじ加減が曖昧な男だ。
 二人に手早く作戦を伝えると、オーネストは自らの作戦の後詰をするために黒竜に挑み続けるユグーに近づく。吹き荒れる猛烈な衝撃波に自分の剣から発した衝撃波を連続でぶつけ、力づくで移動するための道を作る。こうでもしなければ体が何度吹き飛ばされるか分かったものではない。

 ユグーは既に全身を傷付けられていたが、その動きはむしろ段々と速く、鋭く変貌していた。
 からくりそのものは簡単だ。世の中には自分が傷付くほどに力を発揮するスキルが存在する。『狂化招乱(バーサーク)』しかり、『大熱闘(インテンスヒート)』しかり、オーネスト自身もその手のスキルは人一倍持っている。しかしオーネストのスキルが複合的に発動するのに対し、ユグーはたった一つのレアスキルによってその力を強めている。

 『尽生賛歌(ライフアライブ)』。
 ユグーにとって、戦いという行為も、それに挑むことも、傷つくことも、疲労することも血を流すことも死に物狂いになることも命の危険を感じることも死の淵を彷徨う事も、全てが美しくてかけがえなく素晴らしい。それらすべてはユグーがこの世に生を受けているからこそ感じる事の出来る事であり、すなわち生きていることが素晴らしい。
 故にユグーにとっては命を賭した戦いで得られる全てが祝福に満ち溢れており、その祝福を受ければ受ける程にユグーは人生を素晴らしいと感じる。死に限りなく近いその賛美こそが、ユグーの身体を限界のさらに奥へと押し込んでいく――すなわち、『尽生賛歌(ライフアライブ)』とは最高に人生を楽しむというそれだけに特化し、それを実現するための活力を永遠に与え続ける世界で一番『人間らしい』スキルだ。

 このスキルはレベルの垣根を越える。今の黒竜に散々に痛めつけられたユグーなら、恐らくオッタルとの殴り合いを繰り広げても互角以上に戦えるだろう。事実、オーネストが彼と戦った時もそうだった。彼はスロースターターではなく、敵が強ければ強いほどに自分も強くなる戦士の究極系なのだ。

 最初は掠りもしなかったユグーの掌が、今は黒竜の前足による斬撃をいなすほどの膂力を振るっている。まるでアズの『断罪之鎌』を複数本振り抜いたような斬撃を放つ肥大化した爪を相手に正面から挑む大馬鹿者など、オーネストを除けば奴ぐらいの物だろう。

「感じるぞ、貴様ノ殺意を!その(まなこ)から這い出て我ガ喉元を噛み千切らんとする意志!尋常な魔物とはまるで別の、天上ノ威光ニモ迫ル勢いぞッ!!」

 大地を踏み割るほどの深い踏み込みと共に、ユグーの剛腕と黒竜の爪が激突する。黒竜の爪はそれ自体が音速を超えた最上級の武具に匹敵する威力を内包している。その爪と拳が接触し――ゴガァァンッ!!と凄まじい轟音がダンジョンを揺るがした。
 ユグーは大地を削りながら後方に弾かれるが、倒れはしない。逆に黒竜は思わぬ反撃に僅かながら体を仰け反らせている。基本的に全ての行動が音速を突破している黒竜にとってもこの攻撃速度と反応は予想の範疇を越えていたのだろう。

 この短期間で、既にユグーは黒竜との差を急激に埋めつつある。冒険者という枠を逸脱した天賦の戦才――もしかしたら、彼は太古の英雄の血でも引いているのかもしれない。――だからどう、という訳でもないが。先祖が誰であろうとクズはクズ。事実は変わらない。

「ユグー、ついてこい」
「――従おう、勝者よ」

 最高の戦いに水を差すようなオーネストの一言に、ユグーは厭な顔一つせずに追従した。
 勝者と敗者。ユグーにとって戦いは勝利か死の二択だったが、オーネストはその道理を捻じ曲げてユグーを敗北させた。それゆえの、ユグーなりのオーネストへの礼儀がこれだった。

(今の弾きで僅かながら重心が左足に傾いたな。翼でバランスを取りながら体勢を立て直そうとするのだろうが……させてやらんぞ、デカブツ)

 オーネストは手でユグーに簡単なサインを飛ばし、ユグーはすぐさまその意味を理解する。直後、二人の目の前に竜の首が叩きつけられ、岩盤と衝撃波の津波が押し寄せた。が、オーネストはそれに負けぬ威力の震脚で更に岩盤を砕いて相殺し、ユグーは振り翳した両腕を地面に叩きつけてオーネストと同じように力を相殺する。激化の一途を辿る攻撃の中で既に黒竜周辺の地面は粉々に砕け、人間ほどの大きさがある岩盤がそこかしこに散らばっていた。

 一瞬の隙。加えて、首の叩きつけによって重心が更に前へ偏った。
 それとまったく同刻に――オーネストとユグーに気を取られ過ぎた黒竜の左羽根の付け根に、夥しい量の鎖が巻きついて後方に引き摺った。こんなバカげた質量の敵を相手に投げ縄のような力技をかましているのは、『死望忌願』をフルに活用した本気のアズだ。

「大漁だ大漁だぁぁーーーッ!!もしかして俺の鎖って漁師向きなんじゃねッ!?」
(最高のタイミングだ、悪友。そして、リージュもな)
「――凍てつけ(ヘイル)氷造(アイスメイク)降り注ぐ楔(フォールウェージ)……堕ちろッ!!」

 間髪入れず、上空に巨大な氷柱が無数に降り注ぐ。柱一つが直径5M近くある処刑の楔は、本来ならば黒竜の翼や首を利用してあっさりと弾かれていたろうが、瞬間的に多くの行動を求められて体をバラバラに動かした黒竜は、今、この瞬間だけは氷柱を回避できない。
 そして、いくら黒竜が驚異的な力を有していても、高高度で形成されて魔力と重力加速、そして氷そのものの質量を加算した氷柱の連続攻撃は否応なしに体が揺さぶられる。まるで神罰が下るが如く降り注いだ氷柱たちが黒竜の尾と左の羽へと重点的に降り注ぎ、その数発は翼の防御力が低い部分に突き刺さり――黒竜の血液と共に凍結して刺さったまま停止した。更に重心が崩れる。こうなってしまえば、後は楽な仕事だ。

「我ガ一撃、この命続ク限リ無窮なり――ッオオオオオオアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「今日は黒竜(おまえ)に言いたいことがあってな。まず、話を聞く前に頭を垂れて跪け――ッ!!」

 鼓膜を突き破らんばかりの咆哮を上げて突き出されたユグーの拳と、珍しく両手で剣を握りしめたオーネストのフルスイングの剣が、重心の偏った黒竜の左足首に同時に叩き込まれた。

 瞬間、黒竜の放った『真空の爆弾』を遙かに超えた轟音と衝撃が、黒竜自身の脚を弾き飛ばした。

『グロロロアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?』

 不気味なほどゆっくりに、されど恐るべき速度で、黒竜の巨体が地面に叩きつけられた。
 黒竜の眼が、転倒の瞬間に既に黒竜に新たな攻撃を叩き込むために疾走するオーネストを捉える。その瞳はまるで屈辱に震えて憎悪を撒き散らしているかのように、周囲の空間が軋むほどの滅気を放出している。
 黒竜の視線に応えるように剣を握ったオーネストは、そんな黒竜を鼻で笑った。


「………跪き方が無様だな。見るに堪えんからもう一度やり直せ」


 オーネスト・ライアーとは、そういう男である。
  
 

 
後書き
どうでもいい話。
ユグーの名前は『地球のかたちを哲学する』っていう色んな民族の世界観が載った本に出てきた世界蛇の名前が元になってます。あれはとても面白い本でした。見つけたのが図書館だったことが悔やまれる。買いたかった……。

とまぁそれはさておき、黒竜はまだまともにダメージ通ってませんし全然本気じゃないのでこれからさらに苦しい戦いになる気がします。ぶっちゃけプロット上のラスボスより強いかも……。 
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