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世界最年少のプロゲーマーが女性の世界に

作者:友人K
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15話


 鬼一くんが戻ってきたのは約9時頃だった。部屋に帰ってきた彼は私に一声かけ、眼鏡を机に放り投げて着替えもせずにそのまま自分のベッドに倒れこむ。普段の彼と違うその行動はちょっと疑問を抱かせる。……疑問というほどでもないんだけどね。

 枕に顔を埋めたまま鬼一くんは微動だにもしない。余程疲れているように見える。同室の私にとってもこういった姿は始めて見るものだった。普段の1本、芯のある姿とは遠く感じるそれは年相応に見えなくもない。

 普段の彼は帰ってきたらすぐに勉強を始める。以前や今日の反省点を全て洗い出してどのように改善するか? それを行うための具体的なトレーニング方法を考えたり、もしくはISに関する山とある情報を収集している。最近は戦略を考えたり、他の専用機持ちの映像などを見て色々と吸収しているようだった。

 スイッチの入った彼を邪魔することはない。私はそういうときは素直に席を外したり、雑誌を読んだり、お茶を飲んだりとのんびりと過ごすことが多かった。

 年頃の男の子なのだから、からかいの意味を含めて私の湯上り姿とかを見せようとしたことが何度かあったが、彼の目や耳にはまったく入っていないように感じた。女として見られていないように感じるのはちょっと悲しいかな。
 まぁ、スイッチの入っていない時に見せたらすごい慌てるんだけどね。その姿と反応が可愛くて可愛くて。

 ちょっとズレた。

 ベッドに身を委ねている彼の姿は眠そうに、疲れているようにも見えるがその中には僅かにうれしさがあるように感じた。織斑 一夏くんのクラス代表就任パーティーでこの子がそういった感情を持つようには見えない。

 彼の中に楽しさや嬉しさ、もしくは悲しさや憎しみといった感情が希薄のように私は感じる。怒りだけは少々特殊みたいだが。IS学園という特殊な環境なのもそれらを加速させている。周りのクラスメイトもほとんど気づいていないだろう。彼の中の感情がどんな動きをしているか。例外としてはセシリアちゃんくらいだと思う。いや、彼女も全ては追えていないはず。

 そんな彼が、嬉しさ、という感情を隠そうともしていないことに興味を抱いた。

「ねぇ、鬼一くん?」

 この時の私の声はとても楽しそうな声だったと思う。私がこういう声を出すと鬼一くんがびくりと身体を震わせる。私が楽しんでいる時は大体何らかの形でこの子に被害が出るから。条件反射、とでも言えばいいかな。

「……はい、なん、でしょうか……?」

 だけど、この子は震えることもなく、ただ自分の欲求に従っているようだった。普段が理性的である分、凄い意外性を感じる。
 眠気に包まれ、船を漕ぎ始めている声。枕で隠れていた視線が私の方へ向けられた。多分、同室になって初めてではないだろうか? この子のこんな穏やかな表情を見るのは。

 通路で見たあの無機質な表情とはまったく別人のように感じる。いや、一夏くんとの試合で見せた顔も含めれば、あながち間違いでもないと思った。証拠も確証もないが。

 カン、と言ってもいいかもしれない。この子はあまりにもアンバランスな存在だと思った。もしくは違和感の固まりと言っていいだろう。

「なんか嬉しそうだね。そんなに嬉しいことがあったの?」

 その言葉に鬼一くんは普段よりも素直な声で、柔らかい声で答えてくれた。もしかしたら私はこの子の貴重な本音が聞けるのではないか? という興奮もある。

「……そう、ですね……」

 最後の言葉は口にせず、ううん、口にする前に意識が落ちたみたいだった。
 このままゆっくりと休んで欲しいと思う。同室の人間だからこそ分かるが、鬼一くんはまだ1回も熟睡できていない。私に気づかれていないと思っているけど、夜に何度も起きているのは気付いている。ここに来てから1回も身も心も休めさせることが出来ないんだろう。彼にとってここは本能的に『嫌い』な場所なんだと思う。

 実際、彼がISに対してどんな考えを持っているかは分からないけど、少なくとも良い感情は持っていないはず。両親が亡くなった原因は、事故とは言えISなのだから。彼から直接両親のことを聞いたのは1回のみ。あの時のこの子の言葉からは両親から充分な愛情を受けたということがよく伝わったし、少しだけ羨ましいと妬んだほどだ。そんな彼がISに対して良い感情など持てるはずもない。

 もしかしたらここに来た時から彼は表面化させなかっただけで、明確な怒りや恨みのような感情で動かし、支えている部分もあったかもしれない。
 ゲーム、e-Sports、それはあくまでも建前で彼の『本心』はもっと別にあるように思えた。今はそれがなんなのかはまったく分からないけど。いや―――、

 なんとなく、家族に関することがこの子の本心に繋がるような気がした。

 家族。

 私にとって何よりも大切で、何よりも大事で、何よりも守りたいもの。今も昔も、そしてこれからも変わらない。

 ―――簪。

 昔、あの子を安全圏に遠ざける為に投げかけた言葉。当時は正解だと思った。嫌われることになっても、恨まれることになっても、疎まれることになっても、私個人より、なによりもあの子が大切。今も、それは変わっていないたった1つの私の存在理由。

 ―――あなたはなんにもしなくていいの。私が全部してあげるから。

 だけど、結局私が行ったことはあの子に対して大きなコンプレックスを、私じゃどうしようもない引け目をあの子に背負わせることになってしまった。私は大きな失敗を犯してしまった。

 ―――だから、あなたは―――。

 ISという争いの火種に関わらせたくなかったのに、結果としてIS、あの子は日本の代表候補生に収まってしまった。人並み以上の才能を持っていたのも原因だと思う。虫唾が走ることに、それを利用されてしまったのは、当時の私に力がなかったことのが全てだ。もしこれから、大きな争いが起きればあの子が前線に出る可能性は充分にある。あの子の立場が逃走を許さない。そんな状況になったら私が止めれるかは分からない。

 ―――無能なままで、いなさいな。

 過去の自分を笑いたくなってしまう。結局、私が行ったことは無駄だったのだ。色々考えてそれが最善だと思ったのに、私があの子に与えたのは痛みと傷でしかなかった。今もあの子の足を引っ張り、もしかしたら、これからずっとそうなのかもしれない。
 ……私は簪ちゃんにはもっと素直に、もっと違った愛情を与えられたような気がした。今となっては取り返しがつくわけでもないけど。

 目の前の少年に話したらどんな言葉が返ってくるのか、ちょっとだけ気になった。

―――――――――

 ゆらゆらと意識が底に沈んでいく。何もない暗闇の中、僕はゆっくりとそれに従う。何もない空間だがとても心地よく感じられる。

 IS学園での出来事とe-Sportsでの出来事が流れていった。思い出の海に流されていきながら、強烈な違和感に襲われる。なんで今になってこんな気持ちを抱くのかは分からない。だけど、あまりにも不自然だった。
 あまりにも、あまりにも穴が多かったのだ。特に『それ以前』の出来事は何も残っていなかった。e-Sportsとそれ以前の出来事には見えない境界線があるようにも思えた。

 振り返ると、僕が歩いてきた道にはなにもないような気がした。たくさんのものを得たはずなのに、それに喜びを抱けたはずなのに。まるで僕が本当はそれらを必要としていない、とそんな馬鹿なことを考えてしまう。違う、僕はそれを望んで戦ってきたはずだ。あの境界線の向こう側には僕にとって何もない。僕が向かう必要はない場所だ。

 それだけは間違いなはずがない。

 流されて流されて、僕はその境界線の上にまでたどり着いた。境界線を見て1度視線を前に向ける。僕を否定しかねない何かがあるその闇。何も無いと思っているのに、なぜか強烈に引き寄せられるような感覚がある。なんだろう、この感覚は。

 この『僕自身がそこにいる』ような感覚。僕は僕でしかないのに。

 思わず右足が浮いていた。

 特別何かを考えているわけではなかった。ただ、無意識の内にその右足を境界線の向こうに踏み出していた。

 次の瞬間、僕が見たことのない場所に放り出されていた。……どこだ、ここは?

 冷たい風が僕に突き刺さる。まるで僕を否定するかのようにだ。
 空には満ち溢れるほとの星たちとその中心にある青白い光りを放つ満月。その光が僕を照らす。その光は僕という存在を否定したがっているようにも感じる。
 その満月の下には『地獄』があった。なんで地獄なんだと思ったのかは分からない。ただ素直にそう感じたからだ。千や二千では収まらないほどの白い花が揺れずにそこにある。その花たちは僕に向いている。もし目があるなら花は僕を睨んでいると思えた。
 一般的には神秘的な、綺麗な世界なんだろう。だけど、ここは僕にとっては虫唾が走るほどの嫌悪しか湧き出てこない。出来ることなら今すぐにでも消したかった。

 ―――ダメだ、見ちゃいけない。

 この地獄、花畑の真ん中に2人の人間がいた。

 ―――これ以上踏み込むな。

 腰を下ろし右膝を立て、その膝に頭を乗せて俯いている『僕』。……なんであれが僕なんだと僕は分かった? あんな弱そうな姿が僕なわけがない。

 ―――これ以上知れば、きっととんでもないことが起きる。

 『僕』の隣には木製の杖で身体を支えている背の高い、背筋がまっすぐに伸びた老人がいる。どこかで見たことがあるような気がした。だけど、思い出すことは出来ない。

 ―――あの2人はきっと、僕を―――す存在だ。

 がさ、と音を立てて左足を1歩後ろに下げる。
 その音に老人が気づいたのか視線を僕に向けた。

「……なるほど、今度はそっちの君が来たか。久しぶりだな鬼一くん。最後に会ったのは鬼神の最終調整をした時だったな」

 その険しい表情と厳格な声に僕の身体が止まる。いや、止められてた。そして今、喋っているこの人は一体誰だ? 僕はこの人のことを知らないのに。一体何を喋っているんだ? 僕は、この人を、知らないのに。

「あぁ、しゃべる必要はない。君はどうせ思い出すことが出来ないからな。この子の生み出した歪みの1人である以上、出ていけばここのことは嫌でも忘れるだろう。そして君は何も思い出せないまま生きればいい。それがお互いのためでもある。この子を不用意に目覚めさせたくないからな。外の世界はこの子にとってあまりにも残酷すぎるし、利用されてしまう力だ」

 険しい表情から一転、悲しみに彩られた表情で僕を見てこの老人の隣にいる『僕』に向けられる。
 声を出そうとしたが、僕の口は開くだけで声を出すことは叶わない。

「―――。―――っ!?」

「無駄だ。ここは君になんの権限もない。子供が親に叶うはずもないだろう」

 1度だけ目を伏せた老人は再度目を開き、僕に視線を向ける。どこか哀れみが籠ったその視線は僕を熱くさせた。
 走り出そうとした身体だったがそれすらも叶わない。金縛りにかかったように少しも動いてくれなかった。

「次に会うことはもうないだろうが、それでも言わせてもらう。君たちのおかげでこの子はまだ休んでいられ、罪と呪いに苦しめられずに眠っていられる。今は亡き両親に変わって御礼を言わせてもらいたい」

 待て、待てよ。なんで貴方は両親のことを知っているんだ? なんで貴方は僕のことを知っているんだ? 『君たち』ってなんなんだ? 教えてくれ。そしてその隣にいる『僕』はいったい―――!?

「ではな。この子の守護者よ。君の見ている世界はこの子にも見えている。そして、いつかこの子にとって救いになると信じたい」

 瞬間、僕は背中にある何かに引きずり込まれ、何も出来なくなった。最後の言葉は聞こえない。

――――――――― 

 就任パーティーが終わった後、俺は自室でクラス代表決定戦の映像を見ていた。身体は疲れていたがこれはやらなくちゃいけないこと。鬼一は言った。

「冷静になったあと、当時の感覚や思考を忘れない内に反省するべきでしょうね。冷静になることでその時の自分が何を間違っていたのか、間違っているかはともかくとしても他の選択肢を見つけることができます。そしてその選択肢が更なる成長に発展させてくれます。それと普段から思考を続けていればいざというときに身体が反応してくるので必ず行ってください」

 ……とは言っても、今の俺じゃ何が悪くて何が良かったのか全然分からない。どんなに小さなことでも見つければいい、らしいけどさ。

 俺の悪かったところって……なんだろう? ド頭で鬼一に踏み込んだけどアレは失敗、だったんだよな? 鬼一に一撃を止められるどころか、痛い1発をもらっちゃったわけだし。じゃあ、踏み込まないで何をすればよかったんだ? 白式の武装は雪片弐型だけだし、結局踏み込まないといけない。……うーん。鬼一の言うように相手のミスを『引きずり出す』ってのがピンと来ないんだよなぁ。鬼一の説明自体はわかりやすいものなんだけどさ。

『相手が何をしようとしているのか。なんとなくでも相手の考えさえ理解出来れば、ミスを誘発させることは極端な実力差がない限りはさして難しいわけではありません。相手の考えを読み取る材料はごまんとあります。立ち位置、武装、スペック、操縦者の性格だって判断材料になりますしね。ISはある意味では楽ですよ。なんせ相手の表情も見えるんですから』

 鬼一ならではの発言に感じた。そう言われれば確かにISは表情が隠れているわけでもないし、表情や身体の動作が剣道の袴や防具で隠れていることに比べれば楽なはず……いやいやいや! 相手の攻撃や自分の攻撃でイッパイの俺にはそんな確認する余裕ないって! ……あー、だから視界が狭いって言われるんだな。こればっかりはすぐに解決できないから普段から意識しないとな。うん。

「今日は楽しかっただろう。よかったな」

 嫌に刺のある声色で箒が皮肉を言ってくる。あれを見て楽しいって本気で言ってるのか? まぁ、他のみんなが貴重な時間を割いて祝ってくれたのは純粋に嬉しかったけど。多分食堂の許可を取ったり、飾り付けの準備なんかも考えたら1日2日で出来るわけじゃないんだから無下にするのもおかしい。

「楽しいかはともかく、嬉しかったさ。自分の為に時間を割いてくれたんだから悪い顔なんて出来るわけないだろ。お前は自分を祝ってくれる人がいるのに、楽しそうな顔じゃなくて迷惑そうな顔ができるのかよ」

 1度ノートパソコンから視線を切って箒に振り向きながらそういった。

「ふん……。そもそも頼んだわけじゃないのだから、どんな顔をしても文句はないだろう」

 その物言いにカチンと来たが無視する。感情だって制御できるようにしなくちゃいけないんだったな。怒りは視界を狭くするって教えてくれた。箒の性格も考えたらさっさと切り上げるのが正解だ。

「そうかよ。じゃあ俺はまだ考えたいことがあるから先に寝ててくれ」

 俺はそのままヘッドホンを付けて音を漏らさないようにし、画面に向き直った。きっと、ここに自分が強くなるためのヒントが眠っているなら、この程度の眠気なんてへっちゃらだ。

 俺は千冬姉の名を、千冬姉を守るって言ったんだから。絶対に強くなってやる。

 そう思って画面に集中し始めた頃、後ろから柔らかい物体が直撃した。

「箒、何しやがる!?」

 思わず声を荒げてしまったがこれくらいは許して欲しい。飛んできた柔らかい物体、枕を全力で投げ返しそうになった。

「い、今から着替えるのだから部屋から出て行ってくれ!」

 箒との同室生活も少し経ったが、なんで箒は俺が部屋にいるときに寝巻きに着替えようとするのか。空気読んで風呂に入ったり、部屋から出て行ったりしているのに。……アホみたいな話だけど箒は着替えを見られたいのだろうか?
 そんなことを考え、自分に失笑する。それじゃ、まるで箒が俺のことを好きみたいじゃないか。

「箒、前から言っているけど着替えは俺が席を外しているときにしてくれよ」

 俺のその言葉に箒から鋭い視線が飛んでくる。その視線に俺は肩をすくめて立ち上がり、ドアに足を運ぶ。

 ガチャ、とドアを開けてそのまま部屋から出ようとした。

「じゃあ10分くらいで戻ってくるから」

「あ、あぁ」

 正直、箒の着替えの時はあまり部屋に居たくはなかった。その時の沈黙が妙に長く感じるし、着替えの際の衣擦れの音が異様に気になってしまう。
 
ドアを閉めた後はそのままドアに背中を預ける。

『e-Sportsに救われた人間もいればISによって救われた人もいる』。鬼一の言葉が脳裏に思い浮かんだ。

 あの言葉はあまりにも衝撃的な言葉だった。

 『救い』。俺はそんなことを考えたこともなかった。ただ、漠然と『守る』ことしか考えなかったと思う。鬼一はつまりe-Sportsを、e-Sportsに『守り、守られた』、とも言えるんじゃないのか? あいつにとってその世界が何よりも好きだったから、それこそ自分を削って戦うことを選んだ。同時に人を傷つけることも選んだ。その先にある救いを目指して、その先で自分も含めてたくさんの人が救われると信じて。

 ……俺は、千冬姉の『救い』になれるのか? 俺はそれだけの戦いができるのか? 更衣室で俺はそれは間違っていると鬼一を否定した。『救い』を否定した俺が誰かに『救い』を与えることができるのか。……そのためにいつかは誰かを傷つけてしまうのだろうか? 誰かの痛みの上に救いを築くことになってしまうのだろうか?

 家族だからこそ、たった1人の家族ならではの方法を見つけて、その方法で千冬姉を救えるのだろうか。俺は、俺は、千冬姉の名前を汚してしまったのに。でも、ISを持った今ならその汚名を雪ぐことが出来るかもしれない。他ならぬ俺の手で。

 千冬姉の汚名を雪げるのは、その原因でありISを使える弟の俺しかいない。でも、千冬姉と同じようにモンドクロッソの優勝を目指せば、その過程にある戦いは俺と同じように絶対に譲れない人たちがたくさん出てくる。結果、勝っても負けてもどちらかは傷つくことになってしまう。

 俺が掲げた『守るために誰かを犠牲にしてはならない』。これを否定することになる。戦うという選択肢を取っている以上、きっと死ぬまで突きつけられる矛盾。それがずっと付き纏うことになる。
 守るために、救うために戦えば必ず誰かが犠牲になる。でも、戦う以外の選択が今の俺には分からないんだ。千冬姉の汚名を注ぐためには最低でも同程度の成績は出さなきゃいけない。

 答えが見つからない。誰も傷つかない方法が分からない。あの時、俺は誰かを傷つけることになっても、誰も傷つけない方法を探し続けると決めた。けど、仮に見つけてもそれまでに犠牲になってしまった人たちはどうすればいいんだ? その犠牲になってしまった人たちは傷つくだけで、救われないことになってしまう。

 鬼一は戦えば必ず誰かが傷つくと教えてくれた。あの時は分からなかったけど、今は分かる。

 『戦い』、というのは自分とその相手に必ず譲れないものがあるから成立するんだ。俺と鬼一にはあの時、確かに譲れないものが、信念があったから『戦い』になったんだ。結果は引き分けだったけど、もし敗北してれば……。

 ―――俺たちは一体、どうなっていたんだろう?

「い、いいぞ」

 ドア越し、部屋の中から箒の言葉が聞こえた。ドアから背中を離して身体を向き直る。そのままドアを開けて中に入る。

「……あれ? 帯が前と違うやつだな。新しくなってる」

 考え事をしていたせいか、箒にたいしてどことなく気の入っていない言葉が出てしまった。ダメだ。急いで切り替えないと。
 ありがたいことに目の前の箒は気づかなかった。

「よ、よく見ているな」

 寝間着に簡易的な浴衣を着用している箒の声に棘はなく、先ほどよりもずっと穏やかなものだった。……気づいてもらったことが嬉しかったのか?

「……あぁ、今まで使っていた帯とは色も模様も全然違うからな。毎日見ていればわかるさ」

 ダメだ、どうしても声が沈んでしまう。

「そ、そうか。私を毎日見ている……か。そうかそうか」

 上機嫌に頷く箒。やっぱり嬉しそうだ。女の子はこういった些細なことが嬉しいんだろうか?

「よし! 私は眠るとしよう」

 そのテンションに思わず苦笑してしまう。寝る奴のテンションじゃないと思うな。
 箒が自分のベッドに入ったのを確認して、俺はもう一度机の前の椅子に座りノートパソコンの映像を再生する。どうせしばらくは眠れそうにもない。身体は疲れているのに頭が冴え切っている。
 流れる映像に集中して観察する。静寂に包まれた室内はヘッドホンから漏れる僅かな音だけだ。

 どれだけ時間が経っただろうか。30分か、1時間か。

「なぁ……一夏」

 唐突に箒が口を開いた。まだ起きていたのか。とっくに眠っていたと思ったけどな。俺は振り返らずにその声に答える。

「……うん? どうした、箒?」

「……月夜は……私を、姉さんを恨んではいないのだろうか?」

 その言葉に俺は驚いてしまった。なんで突然箒はそんなことを口にしたのかが分からなかったからだ。

「なんだよ突然」

 箒の表情は見えない。だけど苦しそうな表情をしているような気がした。

「……すまない。この前の休日、部活が終わって部屋に戻ってきた時、お前たちの会話を聞いてしまった」

 ……そう、か。

「……もし、ISがなければ月夜はご両親を亡くすこともなかったし、月夜が好きなゲーム……いや、e-Sportsか。その世界から姿を消すこともなかっただろう。沢山の大切なものがあったのに、それを捨てさせてしまった……あいつはISに対してハッキリと『嫌い』だと口にした」

「……」

 ……俺は鬼一じゃない。箒の言葉に対して、本人じゃない俺がそれに対して口を挟むことはできないからだ。

「姉さんがISを生み出したことで確かに誰かが救われたのかもしれない。だけど、それ以上に、ISが生まれたことで絶望を味わった人もいるんじゃないのか?」

 箒の言葉は徐々に震えたものになった。

「月夜なんてまさしくそれじゃないか。小さな子供が親を亡くして、そこから立ち上がって自分の力で一つの世界の頂点に立って、たくさんものを勝ち得たのに、あっさりとそれを手放すことになってしまった……」

 その時の鬼一が味わった痛みは想像することも出来ない。言葉にできないものなんだと思う。いや、今もその痛みを受けているんだろう。

 ふとその時、鬼一との戦いや会話が頭によぎった。

 ……自分を傷つけて、追い込んで、誰かに利用されていることも理解した上で、それでも鬼一は戦うことを選んだ。いや、もしかしたら『戦う』ことしかできないんじゃないのか?

 漠然と、そう思った。

「……なんで、なんで月夜はあんな風にいられるんだ? 私に姉さんのことで文句の一つでも言えばいいじゃないか……」

「鬼一は箒のことを恨んじゃいないさ。それに、箒にそんなことを言うのは無意味だとあいつは思ってるんじゃないかな」

 口を挟むつもりはなかった。鬼一じゃないのに、思わず口にしてしまう。でも、鬼一はそういうと思うな。あいつが見ているのは『過去』じゃなくて『今』と『これから』のことだけだ。それは、あいつのことを見ていれば、話してみれば分かること。そんな暇があったらあいつはどうすれば今よりも強くなれるのか、そんなことを考えていると思う。

 俺の言葉に箒を身体を起こした。その表情は驚きに満ちている。

「……なんで、そんなことが言える?」

「……箒にそんな文句を言っても何も変わらない、というのと箒と束さんが違うことを理解していると思う。あくまで重要なのはこれから自分が何をすべきなのか、どうすればいいのか、それしか考えていないよあいつは」

「そう、か……」

 そう言って箒は身体を倒す。その時、箒がどんな感情を持っていたのかは分からない。

「……一夏、すまない。変なことを言ったな」

「いいさ、別に気にしていない」

「……一夏、おやすみ」

「おう。おやすみ」

 そう言って箒は眠りについた。

―――――――――

「……っ! ……くん! 鬼一くん!」

 身体を揺さぶられ、楯無が何度も鬼一を呼びかけることで鬼一は静かに意識が戻ってきた。意識は目覚めたが、体中に纏わりつく不快感に嫌悪が沸き起こる。身体を動かそうとしたが異常なまでの倦怠感が身体をストップさせ、鬼一を縛り付けた。

 そこで鬼一は初めて、楯無が自分を呼んでいることに気づいた。

「……どうしました? たっちゃん先輩?」

 口の中が乾いている。鬼一は思わず掠れた声を出してしまった。ベッドに沈んでいる身体はあまりにも熱い。

「どうしました、じゃないでしょ!? あなた今すごいうなされていたわ。ほら、すごい汗」

 その言葉に何度か瞬きをする鬼一。最後の瞬きで瞼の中に入ってきた一滴の水で、楯無の言葉の意味に気づいた。同時になぜ、自分がこれほど発汗しているのか理解出来なかった。

「おかしいな。特に何か、夢なんかを見ていたわけではないのに……」

 少しずつ無くなっていく倦怠感。回復してきた鬼一は身体を起こす。不快感だけは拭えす、身体の底から湧き上がり続けるそれに気分が沈む。
 楯無は冷蔵庫の中から冷えた飲み物、洗面所からタオルを鬼一に渡す。

「……大丈夫?」

 一息でペットボトルの中身を身体に流し込むことで、ヒンヤリとした心地いい冷たさが熱した身体を冷却し乾いた喉を潤した。鬼一は生き返ったような感覚に包まれる。

「大丈夫です。おかげで楽になりました」

 鬼一の言葉に楯無は安心したように息を漏らして肩から力を抜いた。
 タオルで顔から流れている汗を念入りに拭う。先ほどまで自分の中にあった眠気や、セシリアと一緒にいたときの柔らかな気持ちは微塵も無くなっていた。鬼一にとって眠気はどうでもいいものだったが、あの時に抱いていた安らぎが無くなっていることの方が余程ショックだった。

 突如、両手が震える。

 胸の中が空っぽになっていくような錯覚が鬼一に芽生える。そんなこと、あるはずもないのに。唐突に、それに苛まれた。胸を掻きむしりたくなるような衝動。鬼一はそれを否定したくなり咄嗟に―――。

「……鬼一、くん?」

 困惑したような楯無の声。しかし、そこに不快感というものは皆無だった。
 手袋に包まれた両手が楯無の右腕を包んでいた。鬼一もどうして、そんなことをしたのかは分からない。理由が自分にも分からなかった、

 もしかしたら、怖かったのかもしれない。

 もしかしたら、逃げたかったのかもしれない。

 もしかしたら、弱さを受け入れるわけにはいかなかったのかもしれない。

 そして溢れるそれを鬼一は止めることは出来なかった。

 鬼一の瞼から流れる雫が止まるまで、楯無は空いている左手で鬼一の頭を撫で続けて上げた。
 楯無はどうして、突然鬼一がここまで乱れることになったのかは分からない。だけど目の前の少年を放置することは出来なかった。あまりにも何かに苦しんでいるように感じる。

 あんなに穏やかな表情をしていたのに、あんなに幸せな表情をしていたのに、一瞬でそれはなくなった。
 鬼一は夢を見ていないと言ったが、楯無はそうは思えない。夢かどうかは知らないが鬼一は何かを見ていたのだと思う。そうでなければあんなに苦しそうな顔と唸り声を上げないからだ。こんな鬼一は初めて見た。

 唐突に、楯無の頭の中には通路で見た鬼一のあの無機質な表情が思い浮かんでいた。

―――――――――

「つっきーおはよー」

 次の日の朝、教室に来た僕は席に着きながら話しかけられた。間延びした声は本音さんだった。クラスで話す人が固定化されている現状はあまり良くない。しかも3人だけ。

「おはようございます本音さん。今日は早いんですね」

 僕の記憶の中では本音さんはいつもギリギリに教室に来ているイメージがある。バタバタと慌てた様子で教室に入ってきている。

「今日は珍しく早く起きれたんだ~。ところでつっきー知ってる?」

「何がです?」

「なんかね~、今日から転校生が来るらしいんだよねー。2組にだけど」

 その話で昨夜のことを思い出す。鈴さんのことだろうか? 総合受付で別れたが怒気が背中から滲んでいた。やっぱり一夏さんと以前何かあったんだろうか? 少なくとも単純な親しさ以外の感情があの子にはあった。

「多分、僕はその子のこと知っています」

 僕のその言葉に本音さんは意外そうな表情になる。

「あれ、つっきー誰が来るか知ってるの~?」

「まぁ、知っているというか昨夜案内したと言いますかね……。中国の代表候補生の方でしょうか?」

 これでもし中国の代表候補生なら間違いないだろう。いくらなんでも同じタイミングで2人も自国の代表候補生を送ることは考えにくい。

「おはようございます、鬼一さん、本音さん。この時期に転校生ですか?」

 ちょうど教室に入ってきたセシリアさんが会話に加わる。しかし、歩いている姿がここまで気品にある人って見たことない。イギリス貴族は伊達じゃない、ってことかな。クラス代表を決めるときの姿が遠い昔のことに感じる。

 こっちの方が似合っていると思うけども。

「うん、どうやら中国の代表候補生みたいだよ~」

 じゃあ、鈴さんで間違いないだろうな。別れるときに見た小さな背中を思い出す。

「どのような方なのでしょうか?」

「セシリアさんも気になりますか? 同じ代表候補生として」

 僕の言葉にセシリアさんは顎に手を添えて視線を下に向けて考える。

「……そうですわね。わたくしたち代表候補生がIS学園に来るのはIS発祥の地である日本の最先端の情報や技術をキャッチすることもそうですが、似たような目的でIS学園に来る他国の第3世代ISの情報を集めるという理由もあります。そういう意味では気になりますわね。やはり他国によって特徴が大きく変わりますし、自国では考えられない発想のISも直接見れるというのは大きいです」

 国によって社会や文化、人が違うということはそれぞれの特徴が色濃く出る。その点に関してはe-SportsもISも変わらないんだな。日本製の白式や鬼神はシャープなデザインに機動性能や火力性能を重視した面が目立つし、イギリス製のブルーティアーズは白式や鬼神と違ってやや丸みを帯びたフォルムに、多角的な射撃機能が特徴だ。2機に比べて機動性能や火力性能が低く、ないとまでは言わないがややおざなりになっている印象があるかな。

 顎から手を離し、視線を僕に戻したセシリアさんが話を変える。

「それはそれで大切なことですが、それよりも織斑さんの訓練のアプローチを変える必要がありますわね。基本的な動作を深めるのはもちろんですが、同時に実戦的な訓練も平行して行わないとといけませんわ。来月にはクラス対抗戦もございますし」

「そうですね。当初の予定よりも遅れているのは間違いないでしょう。今のままじゃ一方的な敗北も考えられますし、なんとか勝利に漕ぎ着けるようにしないと」

 そろそろ他のクラスも代表が決まっただろうから情報も集めないといけない。他のクラスのクラス代表が代表候補生とかならいいが、もしそうでない人が代表の場合、情報を集める時間が通常よりも大きくかかってしまう。情報さえあれば対策なんかも組めるのだが……。

 しかし疑問だ。僕との戦いの時は、映像で見る限り白式との一体感は極めてハイレベルなもの。正直、初心者とは思えない判断と行動が多々見られた。……練習の時の集中力と試合の時の集中力は別物なんだろうか? それならそれで心強いが、安定して力を発揮させるためのトレーニングを行っていない一夏さんが毎回そんな集中力を起こせるとは思えない。不安定すぎる。

 一夏さんについていけた僕もおかしいかもしれない……思い出せないことが不便なのは知っているが、覚えていれば僕ももっと早く成長できるかもしれないんだが。

 椅子に背中を深く預けて視線を一夏さんに向ける。一夏さんの周りにはたくさんの女生徒で埋め尽くされていた。しかし、一夏さん人気だな。僕の周りにはセシリアさんと本音さんの2人だけだし。気を楽に出来るからかえってこっちの方が嬉しい。

「織斑くん、がんばってねー」

「フリーパスのためにもね!」

「今のところ専用機を持ってるクラス代表って1組と4組だけだから、余裕だよ」

 4組の専用機持ちと言えば、更識 簪、さんか。日本の代表候補生にしてたっちゃん先輩の妹さん。……調べてみたけど妹さんのIS情報はなかったことが気になる。普通、専用機に関する情報は少なからず公開されているものなのに、彼女のISに関しては何も公開されていなかった。同じ倉持技研の白式は先日公開されたというのに。

 ……なんらかの理由があるのだろうか? まぁ、それはひとまず置いておこう。

 しかし、自分のクラスの代表に対して無責任な発言は引っ込めてほしい。変にプレッシャーをかけることになるし、今の一夏さんに余計なことを考えさせたくない。

 そもそも、僕が観客席に夜叉を投擲した意味を分かっていないことにも悲しい。

 一夏さんにフォローを入れようと思い立ち上がったところに、彼女の声がした。

「―――その情報、古いよ」

 その声に視線を教室の入口に向ける。
 腕を組み、片膝を立ててドアに体重を預けていたのは、凰 鈴音その人だった。……昨日と雰囲気がまったく違うことに驚く。今の雰囲気は……なんて言えばいいんだろう。背伸びしているというか、なんというか。

「鈴……? 鈴、だよな?」

「そうよ。中国代表候補生、凰 鈴音。今日は宣戦布告に来たってわけ」

 力強く彼女は笑う。……似合ってはいるけど、なんかちぐはぐな感じだ。喋り方の雰囲気やトーンが全然違う。

「……なぁ、鈴? 何で格好つけているかは知らないけど、その、なんだ、似合わないぞ……」

 なんとか言葉を選んで申し訳なさそうに言う一夏さん。一夏さん、言葉を選んでいるように見えるけど、まったく選べてないです。

「んなっ……!? なんてことを言うのよ、アンタは!」

 そのやり取りに小さく笑ってしまう。やはり、鈴さんはこういう活発なトーンの方がよく似合う。

「鈴、後ろ後ろ」

「何よ!?」

 一夏さんは青ざめた顔で鈴さんの後ろを指差す。それにつられて僕もその後ろを見る。……なるほど、そういうことか。
 勢い良く後ろに振り返った鈴さんは背後にいた人物と目を合わせ、一気に目を見開き、そしてその頭に強烈な一擊が直撃した。

「もうSHRの時間だ。教室に戻れ」

 織斑先生の登場だった。その登場にセシリアさんと本音さんがそそくさと自分の席に戻っていく。

「ち、千冬さん……」

 昨夜と今の様子から一夏さんと知り合いなのは確定したが、まさか織斑先生とも知り合いだったのか。と、なると昔、鈴さんはあの2人と遊んだこととかがあるのかな?

 だが、織斑先生は私情を持ち出さない。容赦なく冷たい声を鈴さんに浴びせる。

「織斑先生と呼べ。さっさと戻れ、そして入口を塞ぐな。邪魔だ」

 その織斑先生の雰囲気に当てられたのか、鈴さんは怯えたようにドアから離れる。しかし、鈴さんは怯えた顔を無くして一夏さんに人差し指を突きつけ、力強く宣言した。

「またあとで来るからね! 逃げないでよ、一夏!」

 ……悪役のような捨て台詞を吐いて鈴さんは姿を消した。しかし、台風みたいな人だな。

「……知ってはいたけど、あいつもIS学園に来たのか。そうか……」

 どことなく嬉しそうな一夏さんの声。腕を組んで頷いている。その様子から、やはり2人は親しい関係なのはなんとなく読み取れた。

「……一夏、今のは誰だ? 知り合いか? えらく親しそうだったな?」

 篠ノ之さんが口火となり、クラスメイトからの質問の嵐が一夏さんに飛び込んでいく。顔をしかめる一夏さん。どうやらこのあとの展開が見えていたようで、そして、自分の発言が失言だとも気づいたようだった。

「席に付け、馬鹿ども」

 織斑先生の出席簿が、騒ぎ始めるクラスを沈めた。
  
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