手古舞
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
1部分:第一章
第一章
手古舞
今日は八幡祭である。
江戸の町はその中で賑わっていた。人だかりは普段より多くだ。
人も店も騒がしくだ。銭にものに声が乱れ飛んでいた。
さながら呉服屋で火事があった様にだ。何かしらが乱れ飛んでいた。
その中でだ。長い顔に引き締まった眉、強い二重の目をした背の高い痩せた男がだ。飴をしゃぶりながら一緒にいる仲間達に話をしていた。
「いいねえ、この日は」
「おめえ祭り好きだしな」
「余計にいいだろ」
「ああ。祭りは大好きさ」
彼はだ。黒い飴を右手に持ちながら彼等に応えた。黒と白の着流しをいなせに着てだ。飄々とした感じで歩いている。そうして言うのだ。
「特に八幡様の祭りはな」
「あれかい?可愛い娘がいるからかい?」
「だからかい?」
「いや、八幡様が好きだからだよ」
そのせいだとだ。男は話した。
「だからだよ」
「何だよ、八幡様自体がか」
「好きだからか」
「何ていうかな。八幡様の話を聞くとな」
それだけでだというのだ。
「心地よくなってな」
「それでかよ」
「おめえこの祭りが好きだっていうんだな」
「そういうことなんだな」
「そうだよ。江戸の華はな」
何かというのだ。
「火事に喧嘩にな」
「それに祭りか」
「で、その中で八幡様の祭りはか」
「新助にはか」
「ああ、最高だよ」
こうだ。この男新助は笑って仲間達に応える。そうしてだ。
その手に持っている黒飴を口の中に入れて舐めてだ。言うのだった。
「俺は火消しで火事はいつものことだ」
「で、喧嘩もする」
「それで祭りか」
「華ばっかりだからな」
それでだというのだ。その江戸の華の中でだ。
「いい感じで楽しませてもらってるさ」
「けれど酒は飲まないんだな」
「それは」
「酒は駄目だな」
それについてはだ。どうかというのだ。飴を舐めながら。
「飲むとそれだけで頭が痛くなってくらあ」
「で、飴かよ」
「菓子か」
「ああ、俺は菓子だ」
つまりだ。下戸で甘党だというのだ。
「こっちだよ」
「まあ女房は泣かせないからいいか」
「喧嘩はするが酒と博打はしない」
「それで何でな」
「まだ女房がいないんだろうな」
「女房か?」
新助からだ。女房のことについては笑ってこう言うのだった。
「まあそっちはな」
「どうだよ。そろそろ身を固めろよ」
「もういい歳だしな」
「早くしろよ」
「いないんだよ」
こうだ。新助は甘い飴を舐めながら苦い顔になった。
それでだ。また仲間達に言うのだった。
「何かよ。いい相手がよ」
「で、やることはか」
「火消しに喧嘩に菓子に祭り」
「そればっかりなんだな」
「へっ、そのうちいい相手が出るさ」
自分ではこう言う新助だった。
「それまで適当にやるさ」
「ったくよ。顔もいいってのによ」
「勿体無い奴だよ」
「全くだ」
仲間達はそんな新助の話を聞いてだ。
それぞれ首を横に振って苦笑いになる。そうして横一列に並んで賑やかな人通りの中を進んでいく。そこで適当に色々なものを買い祭りの囃しを聞いて楽しんでいた。その中でだ。
一行はだ。その前にだ。ある女達を見た。
「おお、来たな」
「手古舞だぜ」
「出て来たぜ」
緋色の派手な刺繍が入った襦袢に広い袖の着物を着てだ。袴をはき背に花笠を背負った化粧の女達が歩いている。その艶やかな女達を見てだ。
ページ上へ戻る