英雄伝説~運命が改変された少年の行く道~ 戦争回避成功ルート
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エピローグ(サブ&敵キャラ)
<クロイス家の暗君> ディーター・クロイス
”空の女神”であるエイドスの慈悲によって命が助かり、クロスベルの皇帝であるヴァイスとギュランドロスから生きて償いをする事が許されたディーターであったが、自身を裏切った恩師や娘が処刑され、先祖から代々受け継いできたIBCが奪われると言う絶望が叩きつけられた。一時は自殺を考えたが議長を引退後隠居生活を送りつつもディーターの事を心配していたマクダエル元議長に諭された事や、自分達の野望に加担した事が原因で大切な愛娘を奪われた事に加えて親娘の縁まで切らされた事にも関わらず、その事に絶望せずに自身の罪を償う為に真面目に服役しているアリオスの事を知り、生きて自身の罪を償い続ける事を決めた。そして経営者としての能力は優秀である事を見抜いていたヴァイスによって商業関係の経営を任される事になり、クロスベルに大きな利益をもたらし続けたという…………
<ログナー家当主> ゲルハルト・ログナー子爵
内戦終結後貴族連合の中枢部であった”ログナー侯爵家”は”ハイアームズ侯爵家”共々統括領主の権限を剥奪され、更に”子爵”へと爵位が降格され、全財産の半分が没収されるという厳しい処罰に不満を言う事無く受け入れたログナー子爵はノルティア州の新たな統括領主となったアルゼイド侯爵に重用され、衰退したエレボニアの為に死ぬまで働き続けた………
<黄金の羅刹> オーレリア・ルグィン准将
内戦終結後、降格処分や武勲剥奪処分を受けてリベール王国との国境―――パルム門に左遷されたオーレリアは生きがいを無くしたかのように、かつて”領邦軍の英雄”と称えられていた武人には見えない程覇気を失った様子で生き続けた。オーレリアの師であるゼクス大将とアルゼイド侯爵も生きがいをなくしたオーレリアを何とかしようと何度も話をしたが、オーレリアの耳には入らず効果は無かった。その事に悩んだ二人は一か八かの賭けとして内戦終結から2年後に行われたエレボニアとメンフィルの交流試合でオーレリアを出場させ、対戦相手をリアンヌにするように手配した。そして試合当日、リアンヌをその目で見たオーレリアは覇気を取り戻し、全身全霊でリアンヌと戦ったが一撃も入れる事ができずに敗北した。リアンヌの強さを身を持って思い知ると同時に自身が史上最強と思い続けているリアンヌを超えるという生きがいを再び見つけたオーレリアは鍛錬を一からやり直し、そして自身が正規軍に所属する義務の年数である5年を過ぎると退役。退役後は前メンフィル皇帝リウイ直系の娘にして現皇帝シルヴァンの腹違いの妹に当たるメンフィル皇女であるプリネと親しいラウラのコネを頼り、リウイとイリーナの独立護衛部隊である”鉄騎隊”に入隊。入隊後はリアンヌの指導の元己の武を高めつつ、リアンヌと同じ存在―――”神格者”になる為に”闇の訓練場”の主であるミラによる修行で”神格者”に到った。その後リアンヌの推薦によってメンフィル帝国軍の正規軍の部隊長として移籍し、最前線に赴いて次々と功績を立てて凄まじい勢いで出世して将軍へと昇格し、メンフィルの勇将の一人として称えられる事になり、リアンヌとは1年に1回は必ず本気の手合わせをする一風変わった師弟関係となる。なお敬愛するリアンヌを超える為に恥も外聞も捨ててリアンヌの元で己の武を高め、自分達より先に”神格者”に到ったオーレリアはデュバリィにとっては天敵であったという…………
<黒旋風> ウォレス・バルディアス大佐
内戦終結後、降格処分を受けてノルド精霊共和国との国境―――ゼンダー門に左遷されたウォレスは不満を抱く事無く定年退役の年齢になるまで真面目に司令官としての軍務に全うした。そして退役後は先祖の故郷であるノルド精霊共和国にて精霊達と共に生活を送るガイウス達―――”ノルドの民”と共に余生を過ごしたという…………
<帝国解放戦線幹部V> ヴァルカン
”ジュライロッジ”にて部下達と共に鉄道憲兵隊に拘束されたヴァルカンは真面目に服役し、後に釈放された。釈放後、ヨアヒムの人体実験から生き残った”帝国解放戦線”のメンバーと共にチキに拾われる事となり、”ラギール商会”の一員として働く事となった。元テロリストであり、反逆者である貴族連合の裏の協力者であった為世間の目が厳しく、先が見えない自分達を拾って仕事を与え、まともな生活ができるようにしてくれたチキに恩義を感じたヴァルカンを含む”帝国解放戦線”の元メンバー達は生涯真面目に働き続けた。なお自分と同じ元猟兵であり、境遇も似ていた”キリングベア”ガルシア・ロッシとは気が合い、友人同士となり、時折酒を飲み交わしてかつての自分達の事について語り合っていたという………
<エレボニア最後の皇帝> ユーゲント・ライゼ・アルノール国王
”ハーメルの悲劇”によって”百日戦役”を引き起こしてしまい、更には内戦を勃発させてしまい、その後にメンフィル・クロスベル連合との戦争によってエレボニアを衰退させた事から”愚帝”と民達に侮辱されたユーゲント国王はその侮辱を甘んじて受け入れてセドリックに王位を継がせる5年間はエレボニア国王を務め、そしてセドリックに王位を継承すると政治の世界から退き、プリシラ王妃と共に隠居生活を送りながらセドリック達を見守っていた。そしてセドリックが結婚し、跡継ぎができるとハーメル村跡から少し離れた所の小高い丘に小さな家を建造させた後プリシラ王妃と共にその家で余生を過ごしながらハーメルの民達の冥福を祈り、必ず1ヵ月に1回はハーメルの民達全員の墓参りと墓掃除を欠かさずした。そしてユーゲント国王の死後カリン・アストレイの遺体が納められてある見晴らしがいい場所に建造された墓の傍に建てられた墓にユーゲント国王の遺体が納められ、その墓にプリシラ王妃も自身の希望により死後プリシラ王妃の遺体も納められたという…………
<若獅子王> セドリック・ライゼ・アルノール皇太子
リィン達がトールズ士官学院退学後アルノール皇家の通例通りトールズ士官学院に入学し、二代目の”Ⅶ組”の一員として学生生活を送る。二代目の”Ⅶ組”に選ばれたクラスメイト達も初代の”Ⅶ組”に見劣りしない個性的なメンバー揃いで初代の”Ⅶ組”であるリィン達同様最初はまとまりがなく、互いに言い争ったり喧嘩をするクラスメイト達もいたが、セドリックは家族やリィン達に相談しながら上手く纏め、最終的には”Ⅶ組”のリーダーとなった。そして卒業後は父ユーゲントや兄オリヴァルト、臨時宰相パントの元で次代の国王として必要な事を学び、成人の年齢である20歳になると即位。即位後は様々な政策を提案、実行して士官学院時代にできた”Ⅶ組”を含めた信頼できる仲間達と共に衰退したエレボニアを繁栄へと導き、名君と称えられた。妻はリベールとの交流によって恋仲へと発展し、アリシア女王の跡を継いだクローディア女王を迎えた事でエレボニアとリベールの国家間の関係が永久的な友好国同士となる礎を作った。なお子供は双子の姉弟に恵まれ、姉はクローディアから王位を継いでリベールの女王に、弟はセドリックから王位を継いでエレボニアの国王に即位した。後にセドリックは様々な状況から”第二の獅子心皇帝”として民達に見られた事から”若獅子王”の異名で呼ばれる事となり、後世に伝え続けられたという………
<エレボニアの光> アルフィン・ライゼ・アルノール皇女
内戦終結後はエリスと共に短い女学院生活を送った後、”戦争回避条約”を実行する為に家族や故郷に別れを告げてメンフィル帝国領であり、また嫁ぎ先でもある温泉郷ユミルの領主シュバルツァー家の元で花嫁修業をし、2ヶ月後にリィンと仮の結婚式を挙げて正式にリィンの妻として降嫁した。降嫁した事でエレボニア皇女でなくなったにも関わらずエレボニアでのアルフィンの人気は衰えない所か上がり続け、エレボニアの多くの民達の希望の声によってエレボニアでの重要な行事を行う際は必ず招待された為、毎回出席して民達に元気な様子を見せた。リィンとの夫婦仲も良好であり、結婚から僅か1年後に双子の兄妹に恵まれ、更にアリサ達との本物の結婚式の1年後にも双子の姉妹に恵まれた。出産後のアルフィンは普通の母親として子供達を育て、後に最初に産んだ双子の息子の方は宰相となったオリヴァルト皇子の跡継ぎとしてエレボニアの宰相となり、娘の方は従弟に当たるセドリックとクローディアの息子と結ばれてエレボニアの王妃となり、兄妹揃ってエレボニアを支えた。そしてアルフィンもまたアリサ達のように”神格者”となったリィンの”使徒”となって、リィンを一生支え続けながら多くの子供達を産んで育てた。なおアルフィンとエリスだけはそれぞれ公式的な立場や仕事があったアリサ達と違い、リィンや自分達の家を守る奥方として、また自分達を含めたリィンの多くの妻達が産んだ子供達の育ての母親として二人で協力して育て、リィン達を陰から支え続けた………
<宰相皇子> オリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子
内戦終結後臨時宰相に就任したパントの元で宰相として必要な事を学び、徐々に宰相としての仕事をしてエレボニアの為に働き続け、パントの退任後正式なエレボニアの宰相となり、即位したセドリックを支え続けた。更に宰相就任から半年後にリベールの旅行時代に出会った遊撃士シェラザードを自身の妻として迎え、その子供達はエレボニアの皇族としてエレボニアを支える重要な人物達となった。オリヴァルトが宰相に就任して最初に行った事は内戦終結、そしてメンフィル・クロスベル連合との戦争を水際で阻止する切っ掛けを作り、ヨアヒムを討伐した”紅き翼”の主要メンバーであったリィン達”Ⅶ組”と”Ⅶ組”設立の試験班のメンバーであったトワ、アンゼリカ、ジョルジュ、”Ⅶ組”の担任であったサラ、レーヴェの石像をトリスタの広場に建造させた事であり、後にその石像が建てられた広場は”若獅子達の広場”という名でトリスタの名所となった。そして後任を見つけると宰相として必要な事を教え、完全に自身の跡を継がせても平気と判断するとすぐに宰相の座を後任に任せ、宰相の時に兼任していたオリヴァルトの政策によって王都ヘイムダルに建造させた芸術の大学の学長の仕事に専念した。オリヴァルトが建造した芸術の大学は世界各国から芸術分野を生業とする事を目指す若者達を集い、エレボニアを”芸術の王国”と称される国へと発展させ、繁栄させる礎となった。なお宰相と学長、どちらとしての仕事も多忙ではあったが時折抜け出し、奇行をして周囲の者達を脱力させたり呆れさせたりし、最終的にミュラーに回収される様子は相変わらずであったという…………
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