まいどあり
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第八話 取引相手は極悪商人と赤毛の猫
薄らと入り込んだ光にライドの意識は徐々に覚醒していき、ぼんやりと視界に映し出されたのは見慣れた天井と赤い髪の毛だった。
右手には何かが触れている感触と、暖かな……いや、今の季節だと暑苦しい、もしくは不快な……とも取れたかもしれない。
ともかく、生物的な何かが自分の布団に入り込んでいるらしい。
そして、その相手はライドの顔に絡んだ赤色の髪の毛で誰なのかは一目瞭然だった。
ライドは隣の相手を起こさないように注意しながら──等という気使いはこれっぽっちも見せずに勢いよく起き上がると、かかっていた布団を捲くり上げる。
すると、ライドが起き上がった勢いで支えを失った赤髪の少女はコロリと布団の上で転がると、今度は寒くなったのか体を丸めてそのまま睡眠を続行してしまうのだった。
「……どうしてこうなっちゃったんだろ……」
ライドは赤髪の少女の後に自身の布団から少し離れた位置にある空の布団2つを見ながら独りごちる。
もっとも、そう言いつつもそれが自分の蒔いた種であるという事は自覚していたのだが。
~~~
「──獣の血を引いた……ハンターさん?」
激しく頭を振られた反動で前後不覚に陥っていたライドだったが、バシリッサの口から飛び出したフレーズに頭がはっきりとしていくのを自覚した。
その理由は、緑色の髪を持つ人間の意味をバシリッサの言葉で思い出したからだ。
明るい色彩の緑黄色の体毛を持つ人間は獣の血を引いている証──
勿論、獣の血を引いているからといって必ずしもそうなるとは限らないが、色調鮮やかな青、緑、黄の三色は過去の人類の歴史において存在しない体毛色だった。
それが現れたのは丁度世界から魔法の力が消えてしまった頃の事。
魔法の消えてしまった世界。
人が人としての生物力のみで生きていかなかければいかなくなってしまった時代。
そんな時代に登場したのは『魔石』と『魔道具』だけでは無かった。
──獣人──
現在では人間とは別のルーツを辿った別種の人類と言わている種族が発見された事から始まる。
魔法の力を失って自然と共に生きていかなければならなくなってしまった人々は、これまでの未踏地域に入り込んで生きていかなければ行かなかった。
そんな時にナムル大陸のほぼ中央に位置する大森林。リレンザの街のすぐ傍に存在する大きな森の中でひっそりと生きていた獣の力と姿を宿した人類に遭遇する事になった。
だが、その邂逅はお互いにとっての悲劇であったと言わざるを得なかった。
魔法を失ったとは言えそれなりに発展していた人類は、獣人達を“捕獲”すると、その力の源を調べる為に人体実験を繰り返した。
一説ではその過程で発見されたのが魔石と魔道具だと言われているが、それは現政府から正式に否定されている。
最も、自分達よりも生活レベルの劣った存在のおかげで魔法の力の一端を発見することが出来た事を認められない人間達のエゴだという意見も根強く残ってはいるが。
ともあれ、そんな暴挙がいつまでも許されるわけもない。
やがて、仲間達を取り戻すべく各地で隠れ潜んでいた獣人達が立ち上がり、世界中の人間達に対して牙を向いた。
その出来事がそのまま後のハンター制度に繋がっていくのだが、それも最近では徐々に縮小されていっている。
その理由は、獣人自体が狩り尽くされ、現状では人間に対して襲いかかってくる獣人自体殆どいなくなってしまったからだ。
そもそも、元々それ程数が多かった訳ではないのだから当然の結果ではあったのだが。
だが、残ったものも存在する。
それが、前述で語られた獣の血を引いた人間達だ。
通常であれば存在しない体毛を持つ人間。
彼ら自体は人間の両親から生まれた戸籍上はれっきとした人間であるが、獣人達の人体実験が行われていた頃に作り出されたハイブリッドの血を受け継いだ者達と言われていた。
魔法を失った頃、人間達は自分達が生き残る為に様々な道を模索した。
その一つが、獣人の持つ人間離れした生命力だった。
何しろ、ルーツは違えど同じ人類なのだ。何とかして交配に成功すれば力の強い人間ができるかもしれないと考えた。
そして、その実験はある意味では成功した。
獣人の力を受け継いだ子供達は人間を大きく超える力を手に入れた。
その力は殆どの人間が住む事が出来ない土地ですら生き抜き、武器を持たずとも並みの人間に負ける事は無かった。
だからこそ……。
獣の血を引いた人間達が獣人の側に立って人間を襲い出すのにそれ程時間が掛からなかったのだろう。
人は自分達よりも上位の存在を認めないが、個々の力は小さいが為に動けなかった。
獣人は力こそ人間を凌駕していたが、ひっそりと生活する事を良しとしていた。
だが、獣の血を引いた人間達は、自分達よりも上位の存在を認めず、且つ大きな力を持っていた。
獣人の報復とハイブリッド達の暴走に人類は再び戦乱に包まれる。
そんな折に登場したのが魔石と魔道具による“奇跡”の復活だった。
奇跡の復活は当時の政府によるハンター制度の成立と言う名の獣人とハイブリッドを駆逐する為の“正義の味方”を作り出した。
ハンターになった者達はその危険を対価として、手厚い保障と社会的地位を手に入れる。
そして、その流れはあっという間に世界中に波及し、ものの数十年で一つの人類を絶滅寸前まで追い込むに至るのである。
……しかし、人造獣人であるハイブリッド達の全てが人類に対して牙を剥いたというわけではない。
そもそも、獣人達に対抗するために強化されたハイブリッドも存在した位なのだ。
そして、少数ではあったものの人類側に組みしたハイブリッド達は他の人間と同じように普通の人間と結ばれ、子を宿した。
やがて長い時間が経過し、獣人達の驚異も消えて、ハイブリッド達の血も薄まって嘗ての……獣人達が発見される以前の状態に戻りつつある現在になって残ったもの。
それが、ハイブリッド達の子孫が受け継いだ体毛だった。
「……獣の血を引いた……か」
そして、恐らくその子孫の一人なのであろう緑髪の男は、バシリッサの挑発に対して怒りを表すでもなく自嘲気味に呟く。
「お前のような考えの人間がいるからこそ先の大戦が存在した……とは考えないのか?」
「貴方が今戦っている理由がそういった大義の元に行っているのだったら多少は重みのある言葉なのでしょうね」
しかし、緑髪の男の呟きに対して、バシリッサは眉も動かさずに「でも」と続ける。
「やっているのが強盗、恐喝の類では些か軽すぎるというもの」
「……違いない」
緑髪の男は笑みを浮かべると、魔道剣を自分の顔が隠れるように水平にして構える。
その形は本当にバシリッサの持つ魔道剣にソックリで、作者が同じか、どちらかがレプリカであるというのがライドの考えだった。
そんな緑髪の男に合わせるように、バシリッサも魔道剣を構える。
最もこちらは両手で持った剣先をまっすぐ緑髪の男に向けたオーソドックスな構えではあったが、緑髪の男に魔道剣の姿形を見せるのには十分だった。
「その剣は……」
緑髪の男は驚いたように呟くと、嘗てないほどの笑みをその表情に張り付かせた。
「ふっ……ふはははは。何が『獣の血を引く──』だ。選民意識に凝り固まった人間が。お前こそ同じではないか。私と同じではないか! 何が違う!? ええ!? 何が違う!?」
突然の豹変ぶりにライドは驚いて緑髪の男を凝視する。
そのまま周りを確認すると、緑髪の男の反対側で構えているミリーも驚いたように身を引いているのが見えた。
だが、そんなライドとミリーと対照的だったのは残りの二人だった。
はっきりとした敵意をぶつけられたバシリッサは冷めたような表情へと変わり、ライドの隣に立っていたターバンの男はバシリッサの方へと鋭い視線を向けていた。
「魂を喰われた者は魔石に魅入られ、魔石を探し求めるという。『魂砕き』を持っている限りお前と私の思想は正反対でも目的は同一。なら、いずれ再び相まみえる事もあろう。確かに不利な条件下ではあるし……な」
緑髪の男はちらりとミリーの方へと視線を向けると、魔道剣を頭上に掲げる。
「お前達の望み通り今は引こう。しかし、次会う時にまだ利用価値があると判断したならその時は──」
緑髪の男の動きにバシリッサは咄嗟に振り返るとライドの手を取り後方に飛ぶ。
その様子にターバンの男は一瞬「え?」と言った表情を見せたが、その後の出来事が変わるわけではない。
「もう一度“お前”の前に立たせて頂く!!」
叫びの終わりと同時に地面に叩きつけられる魔道剣。
魔石の力を使ったのか凄まじい衝撃音と弾かれるように飛び散る石礫。
ライドを庇いながら飛んでくる石礫を捌くバシリッサと器用に避けるミリーの姿を納めた視界の片隅で、石礫の直撃を食らって悶絶しているターバンの男の姿を確認しながらライドが最後に見たのは、舞い上がる粉塵の中、まるで初めからそこに誰もいなかったかのように姿を消した緑髪の男の気配だった。
「新緑のハンターフィン。現存するハンターの中では最も高い知名度と実力を誇り、ハンター、あるいは傭兵で彼の名前を知らない人間はいないでしょう」
既に日が落ちて暗くなってしまったネリイの家の庭先で、見える範囲で破壊されてしまったネリイの部屋の私物を拾い集めながら、ライドはバシリッサの説明を聞いていた。
その説明で分かった事は、自分を脅していた人間が、フィンというその道ではかなりの有名人だという事だった。
「ハンターフィン……か。名前だけなら俺も聞いた事があるな」
そんな中、一人だけ何もせずに地面に胡座をかいて腕を組んでいたターバンの男が話に乗ってくる。
「獣の血を引いていながら最も獣人を殺してきたハンターだ。だが、最近になって突然獣人を殺さなくなったらしいな。ハンターのクセに獣人を狩らずに何をしているのかと思えば、野盗にまで身を落としていたか」
「やとうってなにー?」
フンっと鼻を鳴らして言い捨てたターバンの男に対して、せっせと辺りに散らばった木片を拾い集めていたミリーが尋ねる。
しかし、そんなミリーの疑問に答えたのは非協力的な目つきの悪い男では無かった。
「一言で言えば盗賊です。何の関係もない人から暴力でほしいものを奪う人の事を一般的にそう呼びますね。最も、あの男が野盗かどうかは今は決め付けるべきではないと思いますが」
半分以上破壊されてしまったネリイの部屋を片付けながらミリーの問いに答えたバシリッサだったが、そんなバシリッサの言葉に悪意で返した人間がいた。
「同じ目的を持つ者同士……ってか? お前さんの持つ魔道具がどういうもんかは想像でしかわからないが、俺の考え通りのものだとしたらお前さんがやっている事と新緑のハンターがやっている事の違いって何かね」
「…………」
ターバンの男の発した言葉にバシリッサは答えない。
ただ、酷く冷めた目をしてネリイの部屋を見つめるだけだ。
「案外、お前さんがそこの未熟者を守るのだって、結局の所──」
「もういい。それ以上喋るな腐り目野郎」
バシリッサに対して更に追求の色を濃くしていったターバンの男の言葉をライドが遮る。
その行為にターバンの男のみならず、バシリッサもミリーも驚いたようにライドに対して目を向けた。
「目的なんてどうでもいいだろ。今重要なのは僕が赤い髪の女の子とバシリッサに助けて貰った事実だけだ。それ以上何を求めるって言うんだ? なあ、“何もしなかった”口だけ男」
ライドの言葉に一瞬ぽかんとしたターバンの男だったが、直ぐに顔を真っ赤にして口を開きかけて──
結局何も言わずに立ち上がった。
組んでいた腕を解き、腰に手を当てて見ているのは破壊されたネリイの部屋。
「何もしなかった……ね」
そして呟くと、ミリーの傍まで歩を進め、少女が抱えていた木片を一切れ抜き取った。
「この部屋を壊した誰かさんの魔道具。それを起動するための魔石を貸したのって誰だっけ?」
そして放たれる衝撃発言に、ライドの顔色が青くなる。
それは今は考えたくない事案の一つであったから。
「あの時俺は言ったよなぁ……貸しってよ。それが無くなっちまったんだから、当然弁償だよな? 何しろ──」
そして、ターバンの男は振り返り、自身の腰につけていた袋を外すと軽く投げ、右手で上手にキャッチする。
その時、袋から沢山の石が入っているらしいジャラりという音がライドの位置からも聞き取れた。
「──俺の名はケリー。こう見えても魔石商人をやっている。大切な商品を無くされた責任はとってもらうぜ? 魔道技師様?」
「……そういえば」
そんな絶望的な事を言ってくるターバンの男──ケリーに続くように、今度はネリイの部屋の中で佇んでいたバシリッサが思い出したように声を上げる。
その声色にライドはなんだか嫌な予感がして遮ろうとしたが、当然間に合うはずもなく。
「今は不在だから良かったですが、大家さんが帰ってくるまでにこの部屋の修理はした方がよくありませんか? ただ、その際は結構なお金がかかると思いますけど──」
そこまで口にして、バシリッサはようやく振り返り、少々不憫な人を見るような眼差しをライドに向けた。
「──お金。あります? 何でしたら立て替えてもいいですけど」
向けられる三つの視線。
内一つは何も考えていないようなものだから別に良かったのだが、残り二つに関してはそうもいかない。
ライドはしばらくどうすればこの場を乗り切れるか考えたが、手持ちの金がない以上どうしようもないという答えしか浮かんでこなかった。
その為、ライドはネリイの私物を拾い集める作業を一旦中断すると、その場で正座して深々と頭を下げて厳かに告げるのだった。
「……いつか必ず返しますから、立て替えでお願いします……」
あれから一週間。
とりあえずはネリイ一家が旅行から帰ってくるまでに修理は終わり、ネリイに大目玉を喰らう事だけは避けられたものの、ライドには更なる借金が残った。
とはいえ、当初考えていた程ではなく、その結果が現在の店内の状況なのだが。
ライドはミリーが丸くなっている布団は取り敢えずそのままにして立ち上がると、外に繋がる扉を開ける。
そもそも寝室等というものも存在しない狭い小屋なのだから扉も一つしかないのだが。
外に出ると早朝の僅かな冷気が今の季節が夏だということを一瞬忘れさせてくれる。
太陽は出ていたが真横から差し込む陽光が今の時刻が早朝だという事を教えてくれていた。
そんな早朝のネリイの庭先で、一人の男が布を地面に広げてその布の上に丁寧に魔石を並べていた。
「やあ。相変わらず早いね」
ライドは男──ケリーに近づきながら軽い様子で声をかけると、後ろから並べられた商品を眺める。
その一つ一つは高価なものは存在しなかったが、人々がよく使用する種類の魔石が取り揃えられていた。
「お前は相変わらず遅いな。同じ接客業として、その心構えはどうかと思う」
「いや、それは夜中に勝手に僕の布団に潜り込んでくる君の妹に言ってもらいたいね」
「あいつは商人ではない。強いて言えば動物だ。動物に人間の常識など期待せんよ」
「相変わらず口の悪い奴だなぁ……」
商品を並べ終わって地面に座り込んだケリーに並ぶように、ライドも腰を落とす。
二人並んで露天を開いているような形になったが、ケリーは特に何も言わなかった。
ただ、商品が並んでいる端の方に置かれた紙片を左手の人差し指で軽く二回ほど叩いただけだ。
「口の悪いのはお互い様だ。頭に血が上った時にほざいた暴言の数々。俺は決して忘れんぞ」
ケリーが叩いている紙片には『こちらの商品を使用した魔道具は、同敷地内の店舗にて販売中』と書かれていたが、これは別にライドが頼んだ訳でもなければ、ケリーの善意という訳でもなく。
「人間の本質なんてそんなもん何だから忘れてよ。誰だって隠したい事の一つ二つはあるし、演じていきたい理想の自分もあるんだよ」
それはあの時バシリッサやケリーにライドが言いたかったこと。
あの時は言葉として発する事は出来なかったが、二人には伝わったと思っている。
「ふん。それで借金をこさえていては意味がないがな。それよりも約束の方は覚えているだろうな? 未熟者」
ケリーの言葉にライドは笑う。
ケリーの口にする約束こそが、今回ライドがそれ程借金を背負わなかった理由だったから。
「僕がミリーにふさわしい魔道具を作るまでの間のネグラを提供すること……でしょ? そして、完成した魔道具は無償で提供する。これって僕が使った魔石との釣り合い取れてるのかなぁ?」
「ミリーの魔道具に使用する魔石は無償提供すると言ったはずだ。あんなボロ小屋での宿泊で借金をチャラにすると言っているのだぞ? 文句があるなら今すぐ弁償してもらおうか」
「いや、別に文句はないけどさ」
そう言いつつ、ライドは視線をその“ボロ小屋”に向ける。
「口も性格も悪いのに、君は随分と妹に甘いんだな……って思っただけさ」
「別に甘いつもりはない。ただ──」
ライドの言葉にケリーは瞳を閉じる。
まるでその言葉が己の生き様だというように。
「あんな奴でもあいつは俺のたった一人の妹だ。自分の身を守る為の道具くらい用意してやりたい……それだけの事。最も、兄弟のいない貴様に言っても意味のない事かもしれんがな」
「……………………そうかもね」
ケリーの言葉にライドは後ろ手につきながら空を見上げ、逡巡した後それだけを答える。
その様子にケリーは多少の違和感を覚えたが、特に何も言わずに先程の紙片をもう一度叩いた。
「考えていないようで意外ともの考えてるんだね。腐り目野郎のクセに」
「ふん。まさか未熟者にそんな口を叩かれるとは。俺もまだまだ修行が足りん」
軽口に対して軽口で返すケリーの態度に、ライドは思わず笑い声を上げる。
そんなライドを横目で見ながら、ケリーも唇の端を僅かに上げた。
大陸の片隅に位置する田舎町カンタール。
ある夏の日に小さな露天が一店増えた。
その店は小さいながらも品揃えも良く、店主の目付きが悪いにも関わらずそれなりに繁盛していくこととなる。
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