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満願成呪の奇夜

作者:海戦型
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第2夜 懸念

 
 トレック・レトリックが一般の学習機関からサンテリア機関への編入を決めたのは、1年ほど前の事だった。

 『呪法師』を育成する機関であるサンテリア機関は、学業を修了すれば将来が約束される特別学校だと一般には言われている。なにせここを出て『呪法師』になると都の重要な役職を任される立場になるからだ。近年『呪法師』の適正を持つ者が減少していることから職業需要は高まる一方であり、その待遇は一般の就業先とは一線を画す。

 行き先は大別して3つ。
 国防、治安維持、呪法の研究等を一手に担う『呪法教会』。
 国内外で最大の規模を誇る『潮の都』の巨大貿易会社『アコデセワ商会』。
 表面上は『呪法教会』と連携して統治を行う6つの都の行政組織『レグバ元老院』。

 どれも一般人では余程優秀な人材でなければ入ることも出来ない巨大な組織だ。そしてこの三つの組織に入る最大の近道こそがサンテリア機関。ならばこの機関はさぞ難関な試験でも乗り越える必要なあるのかというと、実際にはそうでもない。
 求められるのはそんな後天的能力ではなく、『欠落』だ。

 かつては大陸の民が呪われた証と言い伝えられたこの『欠落』があるかないか、それだけを機関は重要視する。だから昔はトレックも「俺にも『欠落』があればいいのに」、などと下らない妄想をしていた時期があった。
 この類の言葉を口にする人間は決して少なくはない。何せ『呪法師』と言えば巷では「正義の味方」に類する稀有な職業だ。彼らが『大地奪還』を行ったことによって大陸の民が救われたという話は余りにも有名過ぎて知らない人はいないし、現在使用されている言語、文化、技術の殆どが『呪法師』によって発案、体系化されたものだ。自分たちの文明の礎を築いた戦士、と呼べば子供は憧れもするだろう。

 だが、実際に『欠落』のある人間と共に過ごすと、自分は選ばれた存在ではない事を否応なしに思い知らされる。

 『欠落』のある者とない者の違いを言語にて説明するのは非常に困難である。
 会話や行動、反応。そのようさ些細な部分に見え隠れするほんの微かな違和感。その積み重ねを経ることで一般人は相手が『欠落』を持つことに確信を得る。それは非常に感覚的だが、どうしてか勘違いであることはない。そのため、自然と周囲は一般人と『欠落』持ちの間には目には見えない決定的な『壁』がある。

 会話は可能だ。
 ジョークだって交わせる。
 共に行動するくらいは当然できる。
 それでも、何となく「人とは違う」と感じてしまう。

 この感覚はむしろ『欠落』のある人間の方が過敏であり、彼らは自然と普通の人間を避けて仲間内で集合するようになる。それは遺伝的な物ではない為、親子で『欠落』の有無が発生するとかなり複雑な家庭環境に陥りやすい。
 そんな中、トレックは普通だった。両親も普通であり、家族関係にも問題は起きなかった。きっちり『欠落』持ちに避けられたし、普通の子供たちと一緒に遊んだ。だから自分には『欠落』がないのだと思い込んで14歳まで育った。

 だが、事実とは数奇なものだ。
 この年、トレックは家族で旅行に行った『潮の都』で『とある重大な事件』に巻き込まれ――そこで自分に『呪法』の素養があることを知った。後は説明するまでもない。それほど裕福な家庭に育ったわけでも成績が優秀な訳でもないトレックは、これ機に『呪法師』となって親の恩に報いようと考えた。

 結果、トレックは見事に孤立した。

 考えてみれば当たり前の事だ。トレックはこれまで普通の人間として生きてきたのだから、その精神は明らかに『欠落』が見当たらない。だから、普通の人間と相容れない『欠落』持ちしかいない環境で、周囲に馴染むことが出来る訳がない。

 トレックから相手に話しかけることで会話が始まることはあるが、相手から会話しようと思ってトレックに話しかける人はいない。同じ人間である筈なのに、まるで同じ人間だとは思われていないかのようだった。
 特に苦しんだのは合同作業だ。『呪法師』は2人から5人までの人数で行動するのが基本であるため、実技試験の多くがチーム行動を求められる。その度にトレックは無理を言って既存のコンビやチームにいれてもらう事で潜り抜けてきた。
 『欠落』持ちとはいえ理性のある人間なのである程度理解を示してくれる者もいたが、遠慮や思いやりというものが『欠落』した同級生からは『二度と来るな』と釘を刺されたりもした。『一般人の来るところではない』と皮肉られて腹が立ち喧嘩になったこともあるが、勝った所為で決定的に嫌われた。しかもそのせいで更に皮肉が悪化して、一部の同級生からは蛇蝎の如く嫌われていた。

 サンテリア機関の修了過程は3年。彼が編入してからまだ1年ほどしか経過していない。単純計算で彼はあと2年、この半孤立状態を継続しなければならないことになる。最初はどうにか乗り切ろうと思っていたトレックだが、過酷な環境は人間の決意など紙切れのように吹き飛ばす。

 ――次の実地試験を最後に、この学び舎を去ろうか。

 そんな考えさえ過っていたこの頃……彼の耳元に悪魔の甘言が届いた。


『君に専属のパートナーを用意しよう』


 哀れな生贄は、驚くほどあっさりと引っかかった。



 = =



 サンテリア機関は単位制度となっている。学べる学問は単純な教養から政治、農耕、経済、更には医学に到るまであらゆる分野が存在し、生徒はそこから自分が将来に目指すべき職種に合わせて単位を修得していく。そのためいくつかの教養と基礎呪法等の必須単位以外は自分で選んで決めなければならない。

 だが機関に入る人間は誰しも才能に満ち溢れている訳ではなく、向き不向きを抜きにしても職種の競争率を考えて路線変更する者も多い。そうすると最も需要の多い――直接的に呪法を行使する立場となる戦闘呪法師を目指す者が多くなるのは必然だ。

 危険は他の職種に比べて多い。体力や忍耐力も求められるし、最も転勤が多い。
 だが、戦闘呪法師は教会で常に需要があり、何より呪法師としての最も基本的なスタイルだ。
 そして、戦闘呪法師になる際に必須となる試験が存在する。

 『実地試験』――二十世紀以上に及んで大陸の民を苦しめ続ける大敵、『呪獣』と直接戦闘を行い、これを打倒する試験。

 人生でただの一度も直接見た人間がいない程に遠い存在である『呪獣』と直接対峙するだけでなく、こちらの命を狙う明確な『敵』と初の実戦を敢行して打倒する。呪法師が呪獣と戦うのは当たり前の事だが、同時にこれは生徒にとって非常に重要かつ危険な試験だ。

 その人生で初めての命を賭けた勝負だ。しかもこの試験は決して教導呪法師が手助けをしてはいけないという古来からの決まりがあり、年間必ず複数名の死者を出す呪法師最初の洗礼となる。

 この試練を越えられない呪法師は、実戦に於いて何の役にも立たない。

 これは、『呪法教会』で唯の一度も揺らいだことがない絶対的な認識だ。
 一般人からは時代錯誤だとか様々な非難を浴びることもあるが、『呪法教会』は逆にこう考える。

 ――戦う方法は十分過ぎるほどに教え込んでいるのだから、教連通り戦えば勝てる。

 ――呪法師に求められるのはつまり、戦いになった時に勝てるという事実であり、能力ではない。

 ――そして何より、仲間の死という現実を受けてもなお進む覚悟無くして呪獣と戦う事は不可能だ。

 故に、戦う勇気がない者は戦い以外の方法を模索して実戦呪法師を諦める。
 実戦試験とは、近しい誰かや自分自身が死ぬことを覚悟した者だけが受けるのだ。

(………本当にそれだけ、か?)

 『実地試験』参加者の一人として馬車に揺られながら、トレックは一人で自問する。
 今、彼が乗っている大型馬車には実に30人もの試験参加者が己の得物を手に試験場所の到着を待っている。そのメンバーの中に、誰一人として顔が青ざめている者はいない。
 皆が皆、張りつめた糸のように神妙な面持ちでこれからの試練に立ち向かおうとしている。

 ――異常だ、と。

 この中で一人だけ必死に顔色を隠しているトレックは思わずにはいられない。
 自分の命だ。毎年死人が出るのなら自分だって確率的には死ぬ可能性がある。そして死ねば永遠に目が覚める事はなく、これまでに積み重ねた全てを無に還される。そんな恐ろしい現実を突きつけられて、仮にそれでも受ける覚悟を決めたとしよう。

 決定後、それでも不安になるのが『普通の人』ではないのだろうか。

 自分の級友たちは誰しも既にたった一つの事しか目に入っていない。つまり、自分が結果を出せるかどうかだ。そこからは緊張こそ感じられるものの、恐怖や不安というものが『欠落』している。自分唯一人を除いて全員が、だ。

 トレックとてこの試験を受けるかどうかは散々悩んだのだ。だが、これ以外の職種に進むのは所謂エリートコースだ。才能だけでなく家柄や財力、一点に秀でたストイックな才能無しに歩める道ではなかった。自分の命か、家族の笑顔か……そんな陳腐な言葉を天秤にかけて、漸くトレックを命を賭ける覚悟を決めたのだ。

 なのに――自分と周囲の温度差は何なのだろう。同じだけの選択を迫られた者もいる筈だし、期限いっぱいまで悩んだ生徒がいるのもトレックは知っている。なのに、今この空間でトレックと同じ気持ちである人間がいないことを、何故か確信できる。

(俺もきっちり『欠落』してりゃ、あいつらと同じように平常心を保てたのか……?俺が普通だからこいつらと同じ強い覚悟が出来ないのか……?いつもこうだ、俺は。周囲に合わせてそれっぽい態度を取って凌ぐしかない……)

 トレックはサンテリア機関に入って以来、集団行動の際は特に周囲の雰囲気から外れないように振る舞ってきた。自慢ではないが、周囲より模範的な生徒だった自負がある。
 『欠落』持ちは、一度何かの琴線に触れることが起こると異様なまでに頑固になるため、教導呪法師相手でも食って掛かることがある。そんな中でトレックは指示にはしっかり従い、相手の譲れない点は受け入れて妥協し、誰よりも環境に順応した。

 だのに、周囲には避けられた。
 陰口で「あいつは気味が悪い」とか「何を考えているのか分からない」などと後ろ指を指されることなど日常茶飯事だ。というか、陰口かと思って近づいたらそのまま面と向かって告げられて戸惑ったりもした。

 周りに合わせるというこの行為が、『欠落』持ち達には奇妙で仕方がないらしい。
 しかし、周囲と合わせて生きていくのは普通に生きていくのなら当然に求められるスキルだ。それを使用して何がいけないというのだろう。トレックにはそれが理解できなかった。そう伝えると、彼等もまたトレックの考えが理解できなかったらしい。以来、彼等はトレックと口の一言も利いてくれない。

 トレックにはもう一つ不安があった。

 この実地試験は、これまでのサンテリア機関内の訓練と同じくコンビもしくはチームでの行動が原則となる。これまでの訓練等では様々なチームに割り込ことで誤魔化してきたが、彼らもこの重要な試験を前にすると出来るだけ不確定要素を排除しようと動き出す。そのため、トレックはずっとどうやってこの試験を受けるかという根本的な問題に悩まされてきた。

 ところが、少し前に事態は急転する。
 急に教導師から「パートナーをこちらで決定する」というお達しがあったのだ。教導師が決定すると断言した以上、そのパートナーと自分が組まされることは理由がある。相性的にも性格的にも何らかの一致事項があるのか、それとももっと違った思惑があるのか――そこまでは計り知れなかったが、ともかく限界に近い状況にいたトレックはそれを気にする余裕が無かった。

 そして願ってもいない話に齧りついたトレックを待っていたのは、ひとつの条件だった。

(先生方は『このパートナーと共に実地試験を受けることが条件だ』なんて言ってたが、当のパートナーは別の都で研修中だとかで会うことが出来ず仕舞い。つまり当日に合流して即席コンビを組まなきゃならない……)

 この命懸けの試験に、当日に初めて出会った相手と組んでいきなり戦え――そんな滅茶苦茶な要求があるだろうか。しかもこの機会を逃した場合はパートナーの話は無しにするとまで言ってきた。余りにも突然の話にトレックは説明を要求したが、この話はタイミング的に相当ギリギリな『何かの条件』があるらしい。それ以上は何度詮索しても教えてはくれなかった。
 結局トレックは焦りと誘惑が微かに上回り、今日という日を迎えてしまった。

(結局こっちが知ってるのは相手の「ギルティーネ・ドーラット」という名前だけ……やっぱり断るべきだったかなぁ?)

 手渡された簡素な資料に目を落として思わずため息を吐きそうになったその瞬間――横に座っていた釣り目の男が小さく声を上げた。

「ドーラット………『人喰いドーラット』……?」
「え……」

 釣り目の男性は資料に書かれた名前を凝視していたが、トレックの声に気付くとはっと顔を上げた。

「あ、失礼……何の資料かは知らないが、勝手に見るのは無遠慮であったな」
「いや、別にいいんだ。それより……この書類の人のこと知ってるのか?」
「知らない方がおかしいだろう。去年の実地試験であんなことをやっておいて………いや、そうか。『朱月の都』ではそれほど噂になっていないのか?ならそちが知らずとも可笑しくはない」
「……えーっと、どういうことか聞いていいかな。ちょっと訳ありで、この書類の人の情報が欲しいんだけど……」

 一人で顎に手を当てて難しい顔をする男は、小さな声でトレックに囁く。

「私は元々、サンテリア機関『鉄の都』支部から編入してきたのだが、このドーラットというのはそちらの支部にいた学徒の女で……周囲からは『人喰い』と噂されるほどに危険な人物だ。何の調べものかは知らないが、深く関わらない事をお勧めするよ」
「………………マジで?」
「私はいつだって大真面目だ。……さぁ、余計なことは忘れてこれからの試験に集中したまえ。雑念の所為で判断が鈍ったら大事だ。君とてまだ死にたくはないだろう?」

 冗談を含まない真摯な眼差しで告げられた事実に、トレックは呆然とする他なかった。


 ――俺、その危険人物と組まされるんですけど。
  
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