満願成呪の奇夜
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はじまりの詩
朱い月が空を蒼く照らし、白き月が天幕を靡かせる世界。
この世界の中心に、人が多く住まう名もなき巨大な大陸が存在した。
後に大陸歴元年と呼ばれる遙か昔のその日、この大陸中の全ての人々が『悪魔』に呪われた。
誰もが何故呪われたのかを覚えていない。ただ、人々が一つだけ覚えていることがある。
――人は生きるために悪魔と契約し、その代償として呪われたのだ。
以来、その大陸で生まれる全ての人間が呪われて生まれ、呪われて生き、呪われて死すようになった。決して例外はなく、赤子から老人までもが必ずその呪いを受けた。
人々に与えられた呪い――それは、『欠落』。
ある者は表情が欠落した。ある者は声が欠落した。またある者は文字が欠落した。
不思議な事に、『欠落』は何故か命に直接達するほどに重篤なものとなる事は決してなかった。ただ、パズルのピースが一欠片だけ失われるように、完成された人間性に一カ所だけ穴が開く。それ以外は人として何も変わりはしなかった。しかし、変わらないからこそ歪みは小さなずれを発生させ、ずれは軋みを起こし、軋みは浸透するように人間の心を蝕んだ。
呪いを怖れて大陸から逃げ出すための船を出す者もいたが、海は船を出して一刻も過ぎれば激しい荒波と嵐に襲われ、どんなに頑強な船も抜け出すことは出来なかった。
また、いつしか大陸には理性のない異形の化け物が蔓延るようになり、夜の闇と深い霧に紛れて人々を襲い、喰らった。百鬼夜行によっていくつもの民族が蹂躙され、殺され、滅んで行った。為す術もなく滅ぼされた民族もいれば、勇敢に立ち向かって滅んだ民族もいた。異形は、倒すことは出来ても滅する事は出来ない。火にくべても何度刺突しても、弱るだけで死ぬことはなかった。
異形は光を浴びると力を弱め、闇に逃げ込む。だから人々は民族の垣根を越えて集結し、一つの巨大なコミュニティを作ることでこの悪夢のような大陸を生き延びることを決めた。異形は人の非力な力では敵わぬほど凶悪であったが、光という致命的な弱点を突けば決して逃げられない敵ではなかった。
人々は団結し、『欠落』した人間なりにあらゆることを考え出した。ある賢人は『月陽暦』で月日の数え方を決定し、またある賢人は全ての種族が使える共通言語を考えた。より効率的に光を発生させる方法を模索した者もいれば、種族内の新たな規律を生み出すために奔走した者もいた。
『欠落』した民たちは、何故か才覚溢れる者や人一倍働ける者が多かった。人間関係などでは大きな問題を孕んだ『欠落』を持っていても、人の為に働くことで評価を得ることが出来た。
やがて人々は一つの巨大な都市を建設し、そこを『朱月の都』と名付けた。
――それから1000年もの月日が流れた頃、都でとうとう異形を完全に屠る技術が開発された。
『呪法』――呪われた民の用いる、呪術の力。
大陸の人間は悪魔と契約し、その際に呪われた。その際に得た莫大な呪いの呪力を戦闘に応用するという、常識では計り知れない技術だった。人々はその『呪法』の研究を重ね、発展させ、その力を持って都の外を囲っていた化物に戦いを挑んだ。
後に『大地奪還』と呼ばれる、大陸の民の反撃だった。
結果は、圧勝。大陸の民が得た莫大な力は瞬く間に異形を滅ぼし、人々は沸き立った。
後に判明した事実によれば、異形の化け物たち――後に『呪獣』と名付けられた――は彼等と同じく呪いの力を糧に動いていたらしく、同じ呪いの力をぶつけることで崩壊させることが出来ることが判明した。これに勢いづいた『朱月の都』は、今まで昼間にしか活動できなかった周辺の土地から一気に『呪獣』を追い出した。
1000年間逃げ続けた民たちの憤怒と憎悪の爆発的な奔流によって『朱月の都』は瞬く間に勢力圏を拡大し、周辺に五つの都を建造した。
巨大な木々に溢れた『森の都』、火山や温泉の豊富な『熱の都』、肥沃な平野の広がる『畑の都』、鉱脈豊かな『鉄の都』、多くの川や海と接する『潮の都』――特に『鉄の都』と『潮の都』の周辺は1000年ぶりの奪還であり、『朱月の都』は爆発的に発展した。
『呪法』を開発した学者たちは『呪獣』と戦うための組織――『呪法教会』を設立し、100年の歳月を経て五つの都の大地が持つ力を利用した『五行結界』と呼ばれる巨大な結界を作り出した。この結界は内部に侵入した『呪獣』をたちどころに弱らせ、最終的には消滅させる呪いが込められたもの。
そう、この空間では人間は闇を怖れる必要がない。人間が安寧できる、人間だけの空間が完成したのだ。
だが、発展はそこまでだった。『五行結界』が完成した頃、突然『呪獣』の戦闘能力が跳ね上がった。依然として『呪法』の力は有効だったが、それまで呪法に為すすべなく滅ぼされるがままだった『呪獣』たちの中から、一度や二度の『呪法』では消滅しない頑強な個体や、『呪法』を避けるために遮蔽物や人間から奪った盾などの道具を使用する個体が現れ始めたのだ。
大陸の民は、『五行結界』の外への更なる『大地奪還』を断念した。
幸いにして『五行結界』の完成によって大陸の民は従来の10倍近い生活圏を取り戻し、得られる資源の量は20倍以上に跳ね上がった。それまで決して豊かとは言えない生活を送っていたほとんどの民たちは、戦うより発展と豊かさを選んだ。
その頃、民間から『欠落』を持たぬ子供が生まれ始めた。
完全な人間の誕生――それは、これから訪れる希望に満ちた未来の象徴にさえ思えた。
――それから再び1000年近い年月が流れ、大陸暦2137年。
1000年の刻を経て、大陸の民の団結力は次第に失われていた。
『朱月の都』を中心とする六つの都市は利害関係から単なる貿易相手と化し、それぞれの独立した政治体系を確立。全ての都市を繋ぐ『呪法教会』もその思想の違いから度々分裂を起こし、中には『呪法』を私利私欲に利用する犯罪者やテロリストも現れることとなる。
また、地殻変動によって大陸を覆っていた嵐が一部消滅。大陸の民以外の存在が資源豊かなこの大陸へ次々に入り込むことで様々な文化が流入。これにより思想が多様化。自由な思想は増え、代償として嘗ての団結力と『呪獣』への危機感が薄れていった。
更に、『呪法』の源泉である『欠落』を持った呪われし民の急速な減少によって『呪法』を扱えない人間が急増。嘗ては10人が10人扱えた呪いの力も今や10人に1人程度となり、『呪法師』の不足が囁かれるようになってきた。
対して『呪獣』は未だに少しずつ成長しており、近年は短期間ながら『五行結界』の内部でも外同様の戦闘能力を発揮できる個体まで現れ始めていた。今の所大きな被害は出ていなかったが、『呪法師』が減少の一途をたどる現状、事が起こるのは時間の問題だと教会は見ていた。
内部分裂。敵の活性化。そして戦力の減少。不穏な気配が濃密になってゆく結界の中で危機感を忘れて過ごす人々は、重大な事実を忘れつつある。
大陸で生まれる全ての人間が呪われて生まれ、呪われて生き、呪われて死す――もはや古臭い教えと笑われるようになったその言葉から、大陸の民はまだ逃れられていないことを。人を呪った『悪魔』と『呪獣』の正体を何も知らないままであることを。
人はまだ、『欠落』の本当の意味を知らない。
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